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2話『損な役回りの優美』
黒縁眼鏡の一人客
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冬の低い日差しが木目調のドアと壁の隙間から差し込んでいる。ココア専門店『フラット』は順調に営業中だ。
ドアベルが揺れて、3日と空かずに来店する角田が入ってきて、首を伸ばす。最近お気に入りとなった一番奥の席が空いているか確認しているのだろう。
開店して半年が過ぎ、土日や祝日の14時を過ぎた時間帯はスイーツ代わりにココアを求めて来店する客が増えた。体型を気にしつつも罪悪感なく甘いものを口にしたい女性や、スイーツほどでなくていいから甘いものを摂取したい男性が来店してくれるようになった。
ありがたいことにカウンター席10席を埋め尽くされる日もある。
メニューは、ホットがミルクとビターの二種類、アイスココアがあり、生クリームをトッピングすることができる。
今日は土曜日だけれど、15時近くでも半数の席が空いている。角田が希望する席にも誰も座っていない。
ロマンスグレーを絵に描いたような角田は満足そうな表情を携えて、カウンター席の後ろを通り一番奥の席へと向かう。座ろうとする席の後ろにある壁のハンガーに、脱いだ紺のステンカラーコートをかける。
「ここの席が空いてて良かったよ」
椅子に腰を下ろしながら、千帆に笑いかけてきた。
「あ、こんなこと言うと繁盛しないでって言ってるみたいだな」
角田が失言したとばかりに口元に手をやりつつ、席に腰を下ろす。
千帆は水が入ったコップを出した。
「いいえ、そんなこと思いませんよ。たしかに今日は落ち着いてますしね」
それほど広くない店内を見回す。
肌寒くなってくると甘いものがほしくなるよね、と言って、角田はマイルドココアの生クリーム乗せを注文した。
角田は手元に届いたココアを愛おしそうに見つめて、カップを持ち上げた。味わうようにゆっくりと口へと流し込む姿をみて、千帆は前々から疑問に思っていたことを思い出した。
「角田さんって、元々ココアがお好きだったんですか」
不思議そうな表情を返してきた角田は合点がいったとばかりに大きくうなずく。
「ココアが特に好きだったわけじゃないよ。この店に入ったのはメニューがココアだけって、どんな店なんだって思ったから」
両手に抱えたままだったカップを口につける。
「で、入って飲んでみたらココアが好きになってしまって。こうやって、しょっちゅう入り浸るようになったってわけ」
愉快そうに顔を緩ませている。
ココアを飲み終えたカップルから会計の声がかかり、千帆はカウンターの一番端、ドアに近い場所に置いているレジへ行く。カップルの会計をしている間に、女子大生らしき2人組もレジに並んできた。
千帆は腰を直角に曲げて2組を送り出した後、カウンターに置かれている空になったカップを4つとり、シンクの中の洗剤を溶かした水を張った桶につけた。
千帆はカウンター下の見えないところに掛けてあるタオルで手を拭いて、角田の正面へと戻る。
今、店内にいるのは、千帆と角田、そして千帆と同世代のように見える女性の3人だけだ。
先々週からだっただろうか、この女性は連続して土曜日の15時ごろに来店してくれている。黒縁眼鏡に切りそろえられた前髪、肩まである黒髪ストレートが印象的だ。
彼女はビターココアを品定めするかのように、ゆっくりと時間をかけて飲んでいる。
人と話をするのが好きな千帆は、基本的には一人客に積極的に話しかけるようにしている。でも、彼女には見えないバリアのようなものを感じ、今日で3回目の来店だというのに、全く話しかけられていない。今日も彼女はカップから目を離すことなく飲み続けている。
視線を角田に戻す。
「メニュー数を増やそうかと思ってるんですよね。って言っても、ココアメインですが。アイスココアとか、今、生クリームのトッピングはオプション的な存在だけど、生クリームの乗ったココアをメニューにして、そこにチョコレートや他のスイーツソースをかけてみたりしようかと。角田さん、試作したものを飲んで、意見とかもらえませんか」
角田は独特の空気を醸し出している黒縁眼鏡の女性が気になるのか、そちらへ目線を送ってから千帆を見た。
「いいよ。甘党ってわけでもないから的確な意見を言えるかわからないけどね。なんなら那月ちゃんや妻も誘うよ」
那月は角田家の隣に住むワーキングマザーだ。那月の悩みを千帆と角田で聞いてから、時々、店に来てくれている。千帆は両手を顔の前でたたいた。
「ありがとうございます。まあ、でもそんなに固く考えてくれなくていいですよ。ゆるーくやってるんで、この店」
角田は苦笑いのような表情を浮かべる。
「ゆるーく、ね。本当にいいの、それで」
言葉の意味がわからず、千帆は目を大きく開いて首をかしげる。真意を聞こうと口を開きかけたとき、何かを叩いたような物音がした。
千帆と角田は音がした方へ首を向ける。
ドアベルが揺れて、3日と空かずに来店する角田が入ってきて、首を伸ばす。最近お気に入りとなった一番奥の席が空いているか確認しているのだろう。
開店して半年が過ぎ、土日や祝日の14時を過ぎた時間帯はスイーツ代わりにココアを求めて来店する客が増えた。体型を気にしつつも罪悪感なく甘いものを口にしたい女性や、スイーツほどでなくていいから甘いものを摂取したい男性が来店してくれるようになった。
ありがたいことにカウンター席10席を埋め尽くされる日もある。
メニューは、ホットがミルクとビターの二種類、アイスココアがあり、生クリームをトッピングすることができる。
今日は土曜日だけれど、15時近くでも半数の席が空いている。角田が希望する席にも誰も座っていない。
ロマンスグレーを絵に描いたような角田は満足そうな表情を携えて、カウンター席の後ろを通り一番奥の席へと向かう。座ろうとする席の後ろにある壁のハンガーに、脱いだ紺のステンカラーコートをかける。
「ここの席が空いてて良かったよ」
椅子に腰を下ろしながら、千帆に笑いかけてきた。
「あ、こんなこと言うと繁盛しないでって言ってるみたいだな」
角田が失言したとばかりに口元に手をやりつつ、席に腰を下ろす。
千帆は水が入ったコップを出した。
「いいえ、そんなこと思いませんよ。たしかに今日は落ち着いてますしね」
それほど広くない店内を見回す。
肌寒くなってくると甘いものがほしくなるよね、と言って、角田はマイルドココアの生クリーム乗せを注文した。
角田は手元に届いたココアを愛おしそうに見つめて、カップを持ち上げた。味わうようにゆっくりと口へと流し込む姿をみて、千帆は前々から疑問に思っていたことを思い出した。
「角田さんって、元々ココアがお好きだったんですか」
不思議そうな表情を返してきた角田は合点がいったとばかりに大きくうなずく。
「ココアが特に好きだったわけじゃないよ。この店に入ったのはメニューがココアだけって、どんな店なんだって思ったから」
両手に抱えたままだったカップを口につける。
「で、入って飲んでみたらココアが好きになってしまって。こうやって、しょっちゅう入り浸るようになったってわけ」
愉快そうに顔を緩ませている。
ココアを飲み終えたカップルから会計の声がかかり、千帆はカウンターの一番端、ドアに近い場所に置いているレジへ行く。カップルの会計をしている間に、女子大生らしき2人組もレジに並んできた。
千帆は腰を直角に曲げて2組を送り出した後、カウンターに置かれている空になったカップを4つとり、シンクの中の洗剤を溶かした水を張った桶につけた。
千帆はカウンター下の見えないところに掛けてあるタオルで手を拭いて、角田の正面へと戻る。
今、店内にいるのは、千帆と角田、そして千帆と同世代のように見える女性の3人だけだ。
先々週からだっただろうか、この女性は連続して土曜日の15時ごろに来店してくれている。黒縁眼鏡に切りそろえられた前髪、肩まである黒髪ストレートが印象的だ。
彼女はビターココアを品定めするかのように、ゆっくりと時間をかけて飲んでいる。
人と話をするのが好きな千帆は、基本的には一人客に積極的に話しかけるようにしている。でも、彼女には見えないバリアのようなものを感じ、今日で3回目の来店だというのに、全く話しかけられていない。今日も彼女はカップから目を離すことなく飲み続けている。
視線を角田に戻す。
「メニュー数を増やそうかと思ってるんですよね。って言っても、ココアメインですが。アイスココアとか、今、生クリームのトッピングはオプション的な存在だけど、生クリームの乗ったココアをメニューにして、そこにチョコレートや他のスイーツソースをかけてみたりしようかと。角田さん、試作したものを飲んで、意見とかもらえませんか」
角田は独特の空気を醸し出している黒縁眼鏡の女性が気になるのか、そちらへ目線を送ってから千帆を見た。
「いいよ。甘党ってわけでもないから的確な意見を言えるかわからないけどね。なんなら那月ちゃんや妻も誘うよ」
那月は角田家の隣に住むワーキングマザーだ。那月の悩みを千帆と角田で聞いてから、時々、店に来てくれている。千帆は両手を顔の前でたたいた。
「ありがとうございます。まあ、でもそんなに固く考えてくれなくていいですよ。ゆるーくやってるんで、この店」
角田は苦笑いのような表情を浮かべる。
「ゆるーく、ね。本当にいいの、それで」
言葉の意味がわからず、千帆は目を大きく開いて首をかしげる。真意を聞こうと口を開きかけたとき、何かを叩いたような物音がした。
千帆と角田は音がした方へ首を向ける。
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