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1話『天然熟女は超マイペース』
八百屋店主・畑山の考え
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聡はコーヒー豆の袋が大量に入ったビニール袋を両手に持って、商店街を歩く。カフェ・アロンは、商店街に買い物客が足を運び始める10時半に開店する。
八百屋の前を通りかかって、オレンジ色のテント屋根の下から奥に延びる店をのぞく。正面の壁に掛けられた時計を見る。針は9時55分を差していた。
八百屋の店先には、まばらに野菜が並べられている。
聡と同じく店を一人で切り盛りする畑山に声をかけようと、あごを上げて店の奥の方を見回した。
視野の下の方で何かが動いたのが見えて、聡は視線を落とした。
そこではパサついたパーマ頭が動いていた。畑山だ。葉物野菜が入った箱を開けている。うつむき加減で顔が見えていないせいで見逃していたらしい。
「おはようございます。畑山さん」
顔を上げた彼は、にまーっとした笑みを浮かべる。三白眼の笑顔はお世辞にも爽やかとはいいがたい。
「おはよっ、にいちゃん」
畑山は、よく顔を合わせる男性は「にいちゃん」、初対面程度なら「おにいさん」と呼ぶ。個人名を覚えなくて済むからだろうと、聡は勝手に理解している。
ちなみに、女性の場合は言わずもがな「ねえちゃん」「おねえさん」だ。
他の人が言うと下心がありそうに聞こえなくもない呼び方だけれど、根っからの商売人気質を持っていそうな畑山に呼ばれると、初対面でも親近感を持ってしまう。
聡は立ったまま話すのは失礼かと思いつつ、両手にコーヒー豆を持っていることもあり、畑山を見下ろした。
「昨日は大変でしたね」
何のことだと言わんばかりに目を丸くするのを見て、聡は眉毛を上げた。
「好美さんですよ。大藤好美さん。先に来てたお客さんを押しのけて、買ってったんでしょ」
畑山は腰に手をあてながら立ち上がる。少し体を伸ばすようにした。
「ああ、あれね。いつものことだからねえ。しかたないよねえ」
「畑山さんはそうでも、抜かされたお客さんは怒るでしょう」
片方の頬を持ち上げて、こめかみを人差し指でかく。整えられていない天然パーマ頭のせいか、コメディドラマの俳優のように見える。
「うーん、怒ってるのかなあ。まあ、待たせたら、野菜1個おまけしてるから、何も言われないよ」
わざとらしいほどのんびりした口調だ。
心からそう思っているというよりも、客は怒ってるけど野菜のおまけでねじ伏せ、畑山自身は気にしないように自分に言い聞かせている、という印象を受ける。
聡は、畑山から店先に並ぶ野菜へと目を向けた。
「なるほど、おまけですか。それなら、お客さんの方も畑山さんには強く言わないでしょうね」
もう一度、畑山の顔を見る。野菜を並べる彼の口角は上がっているが、目は笑っていない。
「ここで商売したいしね。それで十分だよね」
聡の反応をうかがうような口調に聞こえた。
「まあ、時々は他のお客さんが先なのでっていうけどね。「はいはい」って言うだけ。気づいたら、手をとられてお金を握らされてるよ」
ふっと息を吐き、肩の力を抜いた。畑山の方が丸まる。
「聡くん、知ってる? 大藤好美さんって、地区長の大藤静彦さんとこのお嫁さんなんだよ」
笑わない目は諦めを表しているように見えてきた。
聡は左手のビニール袋を持ち直す。指に食い込んできて痛くなってきたのだ。
「ああ知ってますよ。元小学校長されてた人で、たしか80歳くらいなのに、まだまだ現役で町内会のこととか取り仕切ってらっしゃるんですよね」
「うん、人望がとても厚い人だよ」
聡は畑山の言葉が理解できず、口をすぼめた。傾げそうになった首は微妙な傾きで止めた。あからさまな疑問を態度に表すのを避けたのだ。
「人望が厚い人なら、その地区長さんにお嫁さんの行動で困っていることを伝えたら注意してくれるんじゃないんですか?」
畑山の顔が間抜けずらになる。ぽっかーんという表現がぴったり合いそうだ。
「さすが留以子さんの息子さんだね。間違ってることは必ず正されるはずって純粋に思ってるんだ」
留以子はあらゆるところで、人の心情を無視して、正論を真正面からぶつけるせいで揉め事を起こしている。
目を丸くする聡を、畑山は体を屈めて下から上目遣いに見てきた。
「留以子さんほど、正論で突き進むわけじゃないだろけど。間違っていることは正されるっていうのは、当たり前のことじゃないよ。もし大藤さんがお嫁さんをかばったら、影響力の強い大藤さんに立てついたって噂が立って、僕はここで商売しにくくなっちゃうかもしれない。もちろん、大藤さん自身が、うちの悪い噂を立てたりはしないだろうけど」
聡は肯定の返事の代わりに力なく笑う。
八百屋の奥の壁に掛けられた時計が10時を指した。畑山に軽く頭を下げて背中を向けた。
八百屋の前を通りかかって、オレンジ色のテント屋根の下から奥に延びる店をのぞく。正面の壁に掛けられた時計を見る。針は9時55分を差していた。
八百屋の店先には、まばらに野菜が並べられている。
聡と同じく店を一人で切り盛りする畑山に声をかけようと、あごを上げて店の奥の方を見回した。
視野の下の方で何かが動いたのが見えて、聡は視線を落とした。
そこではパサついたパーマ頭が動いていた。畑山だ。葉物野菜が入った箱を開けている。うつむき加減で顔が見えていないせいで見逃していたらしい。
「おはようございます。畑山さん」
顔を上げた彼は、にまーっとした笑みを浮かべる。三白眼の笑顔はお世辞にも爽やかとはいいがたい。
「おはよっ、にいちゃん」
畑山は、よく顔を合わせる男性は「にいちゃん」、初対面程度なら「おにいさん」と呼ぶ。個人名を覚えなくて済むからだろうと、聡は勝手に理解している。
ちなみに、女性の場合は言わずもがな「ねえちゃん」「おねえさん」だ。
他の人が言うと下心がありそうに聞こえなくもない呼び方だけれど、根っからの商売人気質を持っていそうな畑山に呼ばれると、初対面でも親近感を持ってしまう。
聡は立ったまま話すのは失礼かと思いつつ、両手にコーヒー豆を持っていることもあり、畑山を見下ろした。
「昨日は大変でしたね」
何のことだと言わんばかりに目を丸くするのを見て、聡は眉毛を上げた。
「好美さんですよ。大藤好美さん。先に来てたお客さんを押しのけて、買ってったんでしょ」
畑山は腰に手をあてながら立ち上がる。少し体を伸ばすようにした。
「ああ、あれね。いつものことだからねえ。しかたないよねえ」
「畑山さんはそうでも、抜かされたお客さんは怒るでしょう」
片方の頬を持ち上げて、こめかみを人差し指でかく。整えられていない天然パーマ頭のせいか、コメディドラマの俳優のように見える。
「うーん、怒ってるのかなあ。まあ、待たせたら、野菜1個おまけしてるから、何も言われないよ」
わざとらしいほどのんびりした口調だ。
心からそう思っているというよりも、客は怒ってるけど野菜のおまけでねじ伏せ、畑山自身は気にしないように自分に言い聞かせている、という印象を受ける。
聡は、畑山から店先に並ぶ野菜へと目を向けた。
「なるほど、おまけですか。それなら、お客さんの方も畑山さんには強く言わないでしょうね」
もう一度、畑山の顔を見る。野菜を並べる彼の口角は上がっているが、目は笑っていない。
「ここで商売したいしね。それで十分だよね」
聡の反応をうかがうような口調に聞こえた。
「まあ、時々は他のお客さんが先なのでっていうけどね。「はいはい」って言うだけ。気づいたら、手をとられてお金を握らされてるよ」
ふっと息を吐き、肩の力を抜いた。畑山の方が丸まる。
「聡くん、知ってる? 大藤好美さんって、地区長の大藤静彦さんとこのお嫁さんなんだよ」
笑わない目は諦めを表しているように見えてきた。
聡は左手のビニール袋を持ち直す。指に食い込んできて痛くなってきたのだ。
「ああ知ってますよ。元小学校長されてた人で、たしか80歳くらいなのに、まだまだ現役で町内会のこととか取り仕切ってらっしゃるんですよね」
「うん、人望がとても厚い人だよ」
聡は畑山の言葉が理解できず、口をすぼめた。傾げそうになった首は微妙な傾きで止めた。あからさまな疑問を態度に表すのを避けたのだ。
「人望が厚い人なら、その地区長さんにお嫁さんの行動で困っていることを伝えたら注意してくれるんじゃないんですか?」
畑山の顔が間抜けずらになる。ぽっかーんという表現がぴったり合いそうだ。
「さすが留以子さんの息子さんだね。間違ってることは必ず正されるはずって純粋に思ってるんだ」
留以子はあらゆるところで、人の心情を無視して、正論を真正面からぶつけるせいで揉め事を起こしている。
目を丸くする聡を、畑山は体を屈めて下から上目遣いに見てきた。
「留以子さんほど、正論で突き進むわけじゃないだろけど。間違っていることは正されるっていうのは、当たり前のことじゃないよ。もし大藤さんがお嫁さんをかばったら、影響力の強い大藤さんに立てついたって噂が立って、僕はここで商売しにくくなっちゃうかもしれない。もちろん、大藤さん自身が、うちの悪い噂を立てたりはしないだろうけど」
聡は肯定の返事の代わりに力なく笑う。
八百屋の奥の壁に掛けられた時計が10時を指した。畑山に軽く頭を下げて背中を向けた。
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