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27.【最終回】夢のその先(桜庭視点)
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あの夢から無事目覚めることができた俺を待っていたのは、いつも通りの休日だった。
驚くべきことに俺は丸一日もの間夢の中にいたらしいのだ。
目が覚めた時、枕元の時計は9時を指しているのにも関わらず窓の外は真っ暗で、一瞬自分が置かれている状況が理解できなかった。
貴重な休日を丸一日無駄にしてしまったことよりも今日が平日でなかったことに安堵している自分に苦笑する。
遅めの朝食を食べ終えた俺は、リビングのソファに座り、電源の入っていないテレビをただぼんやりと眺めていた。
「……夢」
ぽつりと呟くと同時に、昨夜見た夢のことが次々と脳裏に蘇る。
夢が、終わった。
今すぐその事実を確かめる術はないものの、直感的にそう感じた。
時間が経つにつれ、あの夢が本当にあった出来事だったのか、それともただの妄想だったのかすら分からなくなる。
けれど、俺の記憶の中には山吹と夢の中で過ごした思い出がちゃんと残っている。
「……山吹」
山吹も、俺のことを好きだと言っていた。
脱出条件の『両想いにならないと出られない部屋』をクリアできたという事は、つまり山吹の気持ちは本物だったということだ。
まだ実感は湧かないが、心の中に暖かい何かが広がっていくのを感じる。
『最後の夢から目覚めた瞬間、山吹の夢に関する記憶は消える』
ふと、婆さんの言葉が頭をよぎる。
あの夢から解放された山吹はもう普通の日常に戻っているはずだ。
自分が見知らぬ部屋にいたことも、そこで俺と過ごしたことも、告白をしたことも忘れて。
夢の中の山吹には「現実世界でまた改めて告白するから返事を考えておいてくれ」と言われたけれど、今の彼にこの記憶は残っていない。
俺たちは変わらずただの職場の同僚という関係のままだ。
山吹が忘れているのであれば、わざわざ教える必要もないのではないか、そんな考えが過ぎる。
このまま互いへの恋心を胸に秘めながら何事もなかったかのように過ごすのも、それはそれでひとつの幸せの形なのかもしれない。
本当は、山吹とどうなりたいかなんてとっくに答えは出ていた。
けれど。
いくら両想いでも、同性同士で生きていくのはきっと想像よりも厳しいことだ。
「……でも、本当に長い夢だったな」
そんな独り言を呟き、俺は欠伸をこぼした。
あの夢をきっかけに山吹との距離は確実に縮まった気がする。
情報共有と称して仕事終わりに一緒に飯を食いに行く機会も増えたし、以前より本音で話せるようになった。
昔では考えられない程、俺はすっかり山吹に絆されている、というかなんというか。
俺はテーブルのスマホを手に取り、検索画面を開く。
『男同士 交際』
『同性婚 日本』
『同性愛 偏見』
様々なキーワードを打ち込んでは、検索結果をスクロールしていく。
インターネットの中に答えがあるのかは分からないけれど、他に相談できる相手もいないし、何もしないよりはマシだと思った。
検索欄に「同性愛」と入力するだけで「ホモ 気持ち悪い」「同性愛者 非生産的」などというサジェストが表示される。
山吹は今までこんな世界で生きてきたのかと思うと、なんだか複雑な気持ちになった。
今まで同性愛なんて自分とは違う世界の話だと思っていた。
だからと言って別に気持ち悪いだとか、そういった感情は湧かない。
それは「同性愛に理解があるから」というよりは「今まで関心がなさすぎてそもそも偏見を持つ余地すら無かった」という方が正しいのかもしれない。
正直、他人が誰とどんな恋愛をしようがお互い合意の上でなおかつ倫理観に反していない限りは自由だと思う。
けれど、同性愛に限らずこの世界はまだまだ偏見や差別が根強い。
だから山吹も、今までずっと隠し通してきたのだろう。
そんなことを考えていると、自分だけが夢に関する記憶を持っていることにだんだん後ろめたさを感じてきた。
本人が必死に隠しているであろう性的指向と恋心を一方的に知ってしまったも同然のこの状況は、フェアではない気がした。
本当にこのまま何もなかったことにしてしまってもいいのだろうか。
しかし、真実を伝えるにしてもなんて切り出せばいいのか分からない。
俺はスマホと睨めっこをしたまま、しばらくの間考え込んでいた。
やはり直接顔を突き合わせて話をしてみるのが1番手っ取り早い。
月曜日に出勤した時にでもサクッと飯に誘ってそのまま夢の話をしよう。
そう思い、スマホをテーブルへ置こうとした瞬間つるりと手からスマホが滑り落ちる。
「あっ、わ、とと……」
慌てて受け止めようとしたものの、ジャグリングのようにスマホが宙を舞い、そのままフローリングの床に叩きつけられてしまった。
「やべっ」
急いで拾い上げたスマホは真っ暗な画面に蛍光色の縦線がいくつも入っている。
画面をタップしてもホームボタンを押しても全く反応しない。
「……うそだろ」
どうやら完全に壊れてしまったらしい。
そろそろ買い替えるつもりだったからそこまでショックではないものの、タイミングの悪さに思わずため息がこぼれる。
1人で家にこもっていると余計なことばかり考えてしまいそうだし、明日は朝イチで携帯ショップに行くことにしよう。
俺はそんなことを考えながら、ノイズの走る黒い画面をぼんやり見つめていた。
***
翌日。
予定通り朝イチで携帯ショップへ向かったものの、今日から新作のスマホが発売されるらしく店内はごった返していた。
ついてないなとため息をつきながら、俺は整理券を片手に店内に設置された椅子に腰掛ける。
暇つぶしにスマホをいじることもできないし、かといって他にやることもないので俺はぼんやりと店内の様子を見回していた。
家族連れにカップル、夫婦……俺と同じように1人で来ている客もそれなりにいるけれど、やはりカップルや家族で来ている客が多いように感じた。
山吹も今まで同性と交際した経験はあるのだろうか。
……あるんだろうな、きっと。
いくら同性の恋人を作るのが難しいとはいえ、山吹ほど外見も性格も良い男なら過去に恋人がいたとしても何ら不思議ではない。
むしろいない方がおかしいくらいだ。
だとしたらなぜ彼は今フリーなんだろうか。
「……はぁ」
人様の恋愛遍歴を好き勝手想像するのはさすがに不躾すぎるな、と俺は小さく息をついた。
けれど、あの男が今までどんな恋愛をしていたのか、どういう風に相手のことを想っていたのか、俺は今更知りたくなった。
そうこうしている間に俺の休日はあっという間に過ぎていく。
無事機種変を済ませ、日用品の買い出しなどを終えた頃には、すでに日が傾き始めていた。
帰宅したらデータの引き継ぎなどをしなければならないなと憂鬱な気持ちを抱きながらマンションのエントランスをくぐる。
すると、丁度俺の部屋の前に誰かが立っているのが目に入った。
ジーパンに黒のパーカー。
少し俯きがちにスマホを操作しているらしく、こちらには気付いていないようだ。
そして、俺はその見覚えのある横顔に思わず足を止める。
「……山吹?」
突然名前を呼ばれた男は勢いよく顔を上げ、こちらに顔を向けた。
「え、桜庭?なんで?」
きょとんとした顔で山吹は駆け寄ってきた。
「それはこっちのセリフだ。どうしたんだよ、こんなとこで」
もしかしてこのマンションに山吹の知人でもいるのか?
それとも俺に緊急の用があるとか……いやいや、いくらなんでもそれは自意識過剰過ぎだ。
あれこれ想像を巡らせる俺を他所に、山吹は遠慮がちに口を開く。
「……その、桜庭のことが心配で」
「心配、って……」
「昨日の夢、やたら長かったろ。あのあと何度か連絡したんだけど既読すらつかなくて……もしかしたらまだ桜庭だけ夢の中にいるんじゃないかって」
視線を落としながら気恥ずかしそう話す山吹の言葉に、俺は目を丸くする。
今、『夢』という単語を口にしなかったか……?
「え、お前、夢のこと……」
覚えているのか、と思わず口にしかけたところで俺はハッと我に返った。
『夢を終えた瞬間、山吹の記憶は消える』そのルールは俺しか知らない。
「?当たり前だろ。今までだって普通に……もしかして桜庭、まだ俺になにか隠してる?」
「あ、いや」
上手く誤魔化せればいいのだが、突然の出来事に思考が追いつかない。
もしかしたら、まだ夢が終わっていないから山吹の記憶が消えていないのかもしれない。
そもそもあの婆さんの話が本当なのかどうかすら定かではないのだ。
もし今ここで全てを話したらどうなる? 山吹はどんな反応をするだろう。
俺のことを軽蔑するだろうか。
「桜庭?」
黙り込んだ俺に、山吹は不安気な瞳を向ける。
ここまで来てしまったら今更隠し事をしても仕方がない。
「あのな、実は」
そこまで言いかけたところで隣人が住んでいるのであろう部屋の扉がガチャリと開いた。
部屋から出てきた若い男はこちらをチラリと一瞥すると、そのままエレベーターへと向かっていった。
「……こんなとこで立ち話もなんだし、上がってけよ」
ひとまず部屋に入るよう促すと、山吹は素直にこくりと頷き少し緊張した面持ちで俺の後に続いた。
「適当に座ってくれ」
玄関で靴を脱ぎながら山吹に声をかけ、俺はリビングへと向かった。
先ほど購入したばかりのスマホが入った携帯ショップの袋を適当にソファに置き、ついでにコンビニで買ってきた飲み物を冷蔵庫に仕舞う。
山吹はぎこちなくソファの端に腰掛けて、携帯ショップの袋をぼんやり眺めていた。
「山吹、お茶でいいか?」
「……あ、うん。お構いなく……」
グラスに注いだ麦茶をローテーブルの上に置くと、山吹はぺこりと頭を下げた。
「なんか悪いな。早とちりで突然押しかけちゃって」
「別に」
「もしかして、スマホ壊れたのか?」
「ああ。昨日の夜、落としちゃってさ。せっかくだから新しいの買いに行ってたんだ」
そう答えると、山吹は「そういうことかぁ」と脱力しながらソファに身を沈めた。
「まじで心配した。何度連絡しても既読つかねえし、電話も出ないし」
「あー……悪い」
俺は麦茶を口に含みながら軽く謝る。
「まあ、無事ならそれでよかった」
心底安心したといった様子で山吹は微笑んだ。
やっぱりお人よしというか、なんというか。
そんな優しい男を騙していることに罪悪感を覚えないわけがない。
どう切り出そうか悩んで口を噤んでいると、山吹が先に口を開いた。
「……で、本題なんだけど。桜庭、何か俺に隠してるだろ」
少し寂しそうな表情を浮かべながら山吹はこちらを見つめていた。
「ごめん。今度こそ全部話す、から」
どうして山吹に夢の記憶が残っているのかは不明だが、俺は覚悟を決めて、全てを打ち明けることにした。
夢を終わらせるためには、儀式をした本人、つまり俺からの告白が必要である、という点は山吹も既に把握済みだが問題はその後だ。
夢が終わりを迎えると、相手の夢に関する記憶も全て消えること。
それらは情報提供をしてくれた婆さんの実体験談であること。
夢なんて曖昧なものだ。
夢の中で過ごした時間は、写真に残すこともできないし、どんなに鮮明に覚えていてもその記憶はやがて薄れていく。
2人の記憶の中でのみ共有されていた世界を片方が忘れてしまえば、その思い出はもはや妄想なのか事実なのかすら分からなくなってしまう。
だからこそ、「甘い夢の代償」に片方の記憶のみを奪うという残酷なルールが存在するのではないか、と俺は推測した。
一通り話し終えると、山吹は悲しそうに目を伏せた。
「……そんな大事なこと黙ってたのか」
「ごめん」
俺は反射的に頭を下げる。
「はあ……」と大きなため息が耳に届く。
そりゃ腹が立つよな。
眉間に皺を寄せているであろう山吹の顔を見るのが怖くて俺は頭を下げたまま動けずにいた。
「……桜庭のあほ」
すると、ぽつりとそんな言葉が聞こえた。
思いの外柔らかな声音に驚いて顔を上げると、そこには困ったように眉尻を下げて笑う山吹がいた。
「どうせ振られるって思ってたから。記憶が消えた方が山吹にとっても好都合だと思ったんだよ。同僚の男から告白された記憶なんて、ない方がいいだろ」
自分の中にだけ秘めておけば、いずれは風化するものだ。
それに、両想いだという事が判明したところで「記憶が消える」という未来はどのみち変えることができないとあの時の俺は思ったのだ。
だったら、最後に変に水を差すよりも、山吹にはこのまま夢の記憶を忘れてもらう方がずっといいと思った。
「桜庭らしいな、ほんと」
そう言って、山吹はソファの背もたれに体重を預ける。
「ごめん、山吹」
「もう他に隠し事ないか?」
柔らかな口調でそう尋ねられ、俺は素直に頷いた。
「ん。じゃあ許す。俺も桜庭と同じ立場だったらきっと同じようにしてたと思うし」
「山吹……」
「お互い様だろ」
そう言って、山吹は優しく微笑んだ。
いつもと変わらないその笑みに、思わず目頭が熱くなる。
やっぱり好きだな、なんて改めて実感してしまった。
「でもなんで記憶が消えなかったんだろうなー。普通に考えたら、まだ夢は終わってないってことになるけどー……」
山吹は腕を組みながらふむ、と唸る。
『告白』が夢を終わらせる条件ではなかったのか、それとも他に何か理由があるのか。
婆さんから貰った情報しかない俺たちがいくら考えたところで答えなど出るわけもなく。
「そういや桜庭、ばーちゃんの恋は実らなかったって言ってたよな」
「ああ」
「もしかしてそれかな」
顎を手でさすりながら山吹はそう呟く。
それ、とは一体何のことを指しているのだろうかと思いながら次の言葉を待った。
「記憶が消える条件は『相手に振られる事』なんじゃないかなーって」
「相手に振られる……」
「ほら、振られたのに夢の中で過ごした事とか告った記憶がずっと残ってたら後々気まずいじゃん?だから神様の計らい的な」
神様がそんな人間臭い配慮をするのかという疑問は浮かんだものの、山吹の推測も一理ある。
あの『両想いにならないと出られない部屋』に関しても、元々両想いの2人の背中を押すために用意された部屋という可能性すらある。
「……または俺たちが男同士だから、通常のルールが適用されなかった、とか?」
俺も自分の考えを述べてみる。
「あー、それは実は俺もちょっと思ってた」
「まぁ。なにはともあれ、夢から覚められてよかったよ」
「だな!あのミッションが表示された時、まじで焦ったもん。なんだっけ、『俺と両想いにならないとー……」
そこまで言いかけて、山吹はぴたりと固まった。
そして気まずそうにへらりと笑う。
『両想いにならないと出られない部屋』
俺たちの脳裏には、あの部屋で告げられた文字が浮かんでいた。
山吹の記憶が残っているということは、“あの約束”もまだ有効ということになる。
たぶん、今山吹と俺は同じことを考えているはずだ。
「あっ、てかもうこんな時間か。桜庭の無事も確認したことだし、そろそろお暇しようかな。突然押しかけて悪かったな」
山吹はわざとらしくスマホを確認し、そそくさとソファから立ち上がる。
「じゃあまた会社で」とぎこちなく言い残して部屋を出ていこうとする山吹の手首を俺は反射的に掴んだ。
「あ、のさ」
振り返った山吹の瞳からは戸惑いの色が窺えた。
俺だってどうして山吹を引き止めたのかは分からない。
だけど、このまま山吹を帰したくはなかった。
「その」
心臓がうるさいくらい鳴り響いている。
告白した時もこんな風に緊張したんだっけ、なんて頭のどこかで他人事のように考えていた。
「……告白、しないのか」
「へ?」
「夢から覚めたらまた改めて告白するって言ったろ。お前」
なんでこんなに上から目線なんだ俺は。
恥ずかしさと情けなさで逃げ出したい気持ちになったが、ぐっと堪える。
腕を掴んだ手の力を緩めながら山吹の顔を真っ直ぐに見つめる。
すると、少し遅れて言葉の意味を理解したのか、その頬はみるみるうちに赤く染まっていった。
「……い、今言っていいのか」
「ああ。こういうのはあんま引き伸ばさない方がいいと思うし」
「あの、嫌だったら無理せず断ってくれていいからな。むしろそっちの方がこっちもすっぱり諦められるし……俺に気を遣ったりとかは…」
「わかってるから早くしろ」
食い気味の返答に山吹は少しだけ驚いたように目を見開いたが、すぐに「分かった」と一言呟いてからひとつ深呼吸をした。
そして、真っ直ぐ俺を見つめると意を決したように口を開く。
「桜庭のことが好きです。俺の、恋人になってくれませんか」
現実では初めて紡がれるその言葉は、俺の心をじんわりと満たしていった。
不安げな山吹の瞳が俺の顔色を伺う。
「……俺、男と付き合うってよくわかんなくて。だからネットで自分なりに調べてみたけど、やっぱり同性同士っていうのは色んな壁があると思った」
俺の言葉に、山吹は困ったように笑いながら「そうだよな」と呟く。
大人の恋愛は、好き合っているからという単純な理由だけで恋人同士になれるわけではない。
男同士なら尚更、世間体やお互いの将来を見据えて考えなければならないことが山ほどある。
「ありがとう桜庭。真剣に考えてくれてすごく嬉しかった」
そう言って、山吹は優しく微笑む。
「それじゃ、これからも普通に同僚として仲良く……」
「まて、まだ話の途中だ」
「へ?」
肩透かしをくらったような顔で山吹は俺の顔をぽかんと見つめている。
「えーっと。だから、その。確かに壁はたくさんあるかもしれないけど。それでも山吹となら一緒に生きてもいいかなって思った」
山吹と桃瀬が付き合っていると思い込んであんな脱出条件の部屋を用意してしまった時点で、既に俺は山吹への想いを断ち切ることなんて出来なくなっていたのだ。
「……つまり」
きっと夢が始まる前から、俺はずっとこの男に惹かれていたのだと思う。
「よ、よろしくお願いします」
絞り出した声は情けないほど上擦っていた。
言い終わると同時に、目の前の山吹が勢いよく抱きついてくる。
首元に顔を埋めながらぎゅっと強く抱きつかれ、思わず「ぐぇっ」と変な声が出た。
「本当に俺でいいの?」
山吹の声は少しだけ震えているように聞こえた。
俺はその背中に手を回しながら口を開く。
「山吹がいい」
「俺、女の子みたいに胸もないし柔らかくもないし可愛くないよ」
「そんなの知ってる」
「臆病だし、鈍臭いし……もしかしたら重いかもしれない」
山吹の腕の力が少しだけ強くなる。
俺はしがみつく山吹の肩に顎を乗せ、静かに言葉を続けた。
「最後のは初耳だけど。でもそんなとこも含めて山吹がいい」
今まで色々な言い訳をして気持ちを隠そうとしてきたけど、結局この気持ちは誤魔化しきれないほどに膨らんでいたのだ。
山吹は身体を離して俺の顔を覗き込んできた。
「夢じゃないよな?」
俺は返事の代わりに山吹の頬をむに、と少し強めにつねる。
「いひゃい」と情けない声を漏らしながら笑ったかと思うと、山吹の目からはぽろぽろ涙が零れ始めた。
「桜庭、ありがとう」
山吹はもう一度俺の背中に手を回し、ぎゅっと力強く抱きしめた。
しばらくそのままの状態でいると、不意にぐうう、と低い音が部屋に響いた。
俺の体内時計がそろそろ飯時だと告げる。
「……ふはっ」
耳元で山吹が、くくく、と押し殺すように笑う。
「ごめん、安心したら腹減ってきた」
「……桜庭は色気より食い気だもんなー」
「うるせえ」
山吹は身体を離し、俺の頭をくしゃくしゃと撫で回す。
酷く愛しいものを包み込むようなその手つきに、なんだかくすぐったい気持ちになった。
「せっかくだし、飯でも食いに行くか」
俺は照れ隠しに山吹の手を払い除ける。
「賛成!なんか今日は何食っても美味い気がする」
「なんだそりゃ」
この先のことは分からないけど、この男となら大丈夫だ。
根拠なんてないが、不思議とそう思える自分がいた。
共に食事をして、くだらないことで笑い合って、そして時々喧嘩なんかもしながら俺たちは一緒に生きていくのだ。
たとえ夢の中で過ごした時間が全て消え去ってしまったとしても、きっと俺たちは何度でも恋をするだろう。
「山吹、」
「ん?」
俺は、やわらかな瞳でこちらを見る山吹に手を差し伸べた。
「改めてよろしくな」
そして、優しく微笑む。
すると山吹は嬉しそうに顔を綻ばせてから俺の手を取った。
「……こちらこそ」
夢が覚めたその先で、俺たちはまた新しい日々を紡いでいく。
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