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20.アンハッピーバースデー(桜庭視点)

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「山吹さ~ん!私、今日誕生日なんで祝ってください!」
給湯室の扉を開けるなり、甘えた声で山吹にくっつく桃瀬由美の姿が目に飛び込んできた。
ネイルが施された細い指先が山吹の肩に添えられ、豊満な胸は彼の腕に押し付けられている。
山吹はマグカップを片手に困ったように眉を下げながらも満更でもない表情を浮かべていた。

「へぇ、おめでと!なんかお祝いしなきゃな~」
「じゃあご飯奢って欲しいです!」
「お、いいね。なら今日の仕事終わりとか……うおっ!」

背後に立つ俺の存在に気付いた山吹は慌てて彼女と距離を取った。
「桜庭…居たなら言ってくれよ~」
「お楽しみ中みたいだったから邪魔しちゃ悪いと思って」

俺は2人の後ろを通り抜け、戸棚から自分用のマグカップを取り出すと手早くインスタントコーヒーを入れてポットからお湯を注ぐ。

相変わらず距離感の近い2人の様子がなぜか今日は面白くない。
いや、勤務中にいちゃついてるところなんて見せつけられたら誰でも気分は良くないだろうけど、なんだかそれとは少し違う気もする。

「別にそんなんじゃないけど…」
「桜庭さんもどうですか?私の誕生日パーティー。山吹さんの奢りですよぉ」
突然そんな提案を投げかけられ戸惑う。
この手のノリにあまり慣れていない俺は、彼女の言葉がどこまで本気なのか測れずにいた。

「え、あぁ……いや俺は」

断ろうとした瞬間、山吹と目が合った。
優しげな瞳が柔らかく細められる。
見慣れたはずの人懐っこい笑顔が眩しい。
「うん。せっかくなら人数多い方が楽しいし!桜庭も来いよ」

誕生日なんて、桃瀬にアプローチする絶好の機会なのに俺なんかがいたら邪魔になるだろ。
こいつはお人よしだからきっと気遣いで俺まで誘ってくれているのだろうが、正直あまり乗り気ではなかった。

「……俺は遠慮しとく。明日までに仕上げないといけない資料もあるし」
「そっかぁ、残念だけどそれならしゃーないな~」
「じゃあまた今度3人でご飯行きましょうね!」

どうせ社交辞令だろうけれど、咄嗟にこういう返しができる社交性の高さは素直に尊敬する。
俺は曖昧な返事で濁しながら、作り笑いを浮かべてその場を後にした。

「はー……」
やっと家に辿り着いた頃には21時を過ぎていた。
俺は帰宅するなり手早くシャワーを済ませる。
本当は30分だけでもランニングをして頭をスッキリさせたかったが、家に着いたらそんな考えはどこかへ吹き飛んでしまった。

髪を乾かし終えた俺は帰宅途中に購入したコンビニ弁当を片手にリビングへ向かった。
ローテーブルの前にどっかり腰掛けると、1週間分の疲れが一気に押し寄せてきたかのように全身が重くなる。
「……なんか食欲ねーな」

弁当には手をつけず缶チューハイを1本開ける。
空っぽの胃袋にアルコールが染みて、たちまち頭がぼんやりしてくる。
そのままテーブルに突っ伏すと、ひんやりとした天板が頬に心地よかった。

俺はスマホを手に取りメッセージアプリを立ち上げた。
ローテーブルに頬を預けたまま、親指を動かす。
連絡先一覧の1番上は1週間前と変わらず山吹の名前が表示されていた。
それより下は家族や企業の公式アカウントばかりで、俺の個人的な知り合いは片手で数えられる程度しかいない。

俺は何気なく山吹とのトーク画面をタップし、過去の会話を読み返した。
『今日はお疲れ様!』
『明日はゆっくり休んでくれよ』
『美味い肉料理の店見つけたんだけど今度飲みに行かない?』

俺の脳内でそのひとつひとつが、全て彼の優しい声で再生される。
山吹は今頃、桃瀬の誕生日を祝っているのだろうか。
それとももう解散した後だろうか。
どちらにせよ、彼が幸せな時間を過ごしていることを願うばかりである。

「……ねむ」
意識が半分夢の世界へ旅立ちかけたその時、テーブルの上に置いていたスマホの振動で一気に覚醒した。
「……んだよ。うるせーな」

重くなった瞼を擦りながら画面を確認するとメッセージアプリのアイコンに新着マークが付いていた。
こんな時間に連絡が来る相手は限られている。
ふと、山吹の笑顔が脳裏に過ぎった。

『告白成功したよ!』
そんな報告だったらなんて返せばいい? 「おめでとう」、「よかったな」?
いや、時間も時間だし既読はつけずに明日の朝気づいたことにして返信した方がいいか。
俺は無意識のうちに素早くメッセージアプリのアイコンをタップしていた。

「……んん?」

そこには以前クーポン目当てで登録した通販サイトからの新着メッセージが表示されていた。

『バースデークーポンのおとどけ』

“バースデー”という文字を見て一瞬首を傾げたが、すぐにそれが自分の誕生日を祝う為のものだと理解した。

「そういえば今日誕生日か、」

いつの間にか日付が変わっていたことに気付き、思わず苦笑する。
子供の頃から友達が少なく、両親も仕事で忙しかった俺は誰かに誕生日を祝ってもらった経験がほとんど無かった。

だから自分にとって誕生日とはただ「個人情報を登録する時に必要な情報」程度の認識でしかなかったのだ。
社会人になってからは自分の誕生日を忘れたまま数週間過ごす、なんてこともザラだった。

「………はぁ」
まさか桃瀬と1日違いだったとは、思いもしなかった。
まあ、だからと言って何か特別な事が起こるわけでもない。

なんだか脱力して、再びテーブルに顔を突っ伏した。
クーポンのメッセージにどうしてホッとしてるのかは自分でも分からない。
そんな自分らしくない思考から逃れたくて俺はもう一本缶チューハイを開けて口に流し込んだ。
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