12 / 27
12.出会い(桜庭視点)
しおりを挟む
昔から他人と関わる事を煩わしく感じていた俺は、気づけば1人孤立していた。
中学高校とそれは続き社会人になってからも相変わらず友人と呼べる相手は出来なかった。
別にいじめられていたとかそういう訳ではなく、ただ単に自分から壁を作ってしまっただけだということは自覚していた。
だからと言ってそれを不便に感じることもなかったし、何より1人が好きだった俺にとってはむしろ都合の良い環境だと言えよう。
そんな俺の唯一の生きがいは仕事だけだった。
特に目標があるわけでもないが、やり甲斐はある。
学生時代と違って自分の力で金を稼ぐことが出来るというのは純粋に楽しかった。
そしてなにより俺はこの会社が好きだった。
田舎の小さな中小企業で給料だって決して高くは無いが高卒の俺を採用してくれた上にここまで育て上げてくれた恩もある。
もっとこの会社を大きくしたい。
それが今の俺の願いであり、存在意義でもあった。
だが、現実は厳しかった。
うちの会社に入ってくる連中は少々訳ありの人間や熱意のない者ばかりで、俺のように本気で仕事に取り組んでいる者は少数だった。
確かに仕事内容は華やかでは無いけれど職場環境は悪くないと思う。
パワハラなんてもちろん無いし、残業時間も多く無い。休みだって取りやすい。上司との関係も良好だ。
けれど、いつしか俺は「どうせすぐ辞める人間と仲良くなる必要なんてあるのだろうか?」と思うようになっていた。
そんな時に山吹修介と出会った。
都会の大手企業から何故かこんな田舎の小さな会社にやってきた彼は、最初こそ不審がられたが持ち前の明るさとコミュニケーション能力の高さであっという間に会社のムードメーカーになっていた。
「山吹くんって面白いね」
「山吹さんが居ると空気が明るくなる」
「山吹~!今日飲みに連れてってやろうか」
山吹の周りは常に賑やかだった。
上司からも可愛がられ、男女問わず社員に慕われている山吹を見て俺は複雑な心境だった。
確かに表面上は明るくとっつきやすい印象を与える男だが、本心では俺たちのような小さな会社で働く人間を見下しているに違いない。
きっとこいつもいつか居なくなる。
しかし、そんな考えとは裏腹に山吹の仕事ぶりは誠実そのものだった。
上司も山吹を頼りにしていて「ずっとウチの会社に居てくれ」なんて言う始末だ。
この会社に優秀な人材が現れる事をずっと待ち望んでいたはずなのに、いざその日が来るとどうやってあの輪に加わればいいのか分からず俺は戸惑っていた。
最初の挨拶もつい無愛想に返してしまったし、おそらく第一印象は最悪だろう。
業務連絡以外で自分から話しかけるきっかけを掴もうと、遠目から山吹を観察する日々。
意外と字が綺麗なんだなとか、いつも姿勢がいいなとか、昼食はゼリー飲料しか口にしていないようだけれどあんなので足りるのか?とか。
そんなどうでもいいことばかり気になって、気がつくと俺は山吹のことばかり考えるようになっていた。
そんな日々が続いたある日のこと。
当時俺は週末になると、仕事終わりに1人で飲み屋街を徘徊するという習慣があった。
1週間頑張った自分へのご褒美みたいなものだ。
その日はなんとなく肉を食いたい気分だったため、以前から気になっていた評判の良い焼肉屋へ行くことにした。
駅のホームでぼんやり電車を待っていると、ふと視界に見覚えのある男が映り込んだ。
フワフワの髪に細身な体型、遠目から見ても分かる整った顔立ち。
山吹だ。
山吹はぼんやりと遠くを見るような目をしながら乗車位置の先頭に並んだ。
あいつの家こっち方面だったのか、なんて思いながらその後ろ姿を眺めていると、彼の体がゆっくり左右に揺れている事に気付いた。
明らかに自分の意思でしているそれとは違う動きだ。
体調でも悪いのだろうか。
なんとなく危うげな雰囲気を感じ取った俺は無意識のうちに彼の側まで歩み寄っていた。
すぐ背後に立っても山吹はこちらを振り向かない。
そろそろ電車が到着する頃合いだし、このまま声をかけずに立ち去るべきか?
いや、でももし具合が悪いなら放っておけない。
そんな事を考えていると、突然山吹の右足が線路に向かって大きく踏み出された。
「おい!」
考えるよりも先に、俺は咄嵯にその腕を掴んでいた。
そのまま力いっぱい後ろに引くと、山吹は勢いよく尻餅をついた。
次の瞬間、通過列車が轟音を立てて目の前を通り過ぎていった。
しばらく2人で呆然としていたが、山吹がハッとした様子で俺を見上げてきた。
「桜庭、さん……?」
その目は「どうしてここにいるんだ」と言いたげな表情をしていた。
「お前、今何しようとしてた?」
怒りとは少し違う、自分でもよく分からない感情が込み上げてきて思わず語気が強くなる。
山吹は俺の質問には答えず、へらりと笑いながら謝罪の言葉を口にした。
「すみません。ちょっとぼんやりしてたみたいで」
「ぼんやりってお前……死ぬとこだったんだぞ」
「あ、あはは。ごめんなさい」
どうやら故意に飛び込もうとしたわけでは無さそうだが、どこか上の空な山吹の反応に違和感を覚えた俺はとりあえず駅のすぐ外にあるベンチに座らせる事にした。
あのままホームに立たせておくのは危険だと思ったのだ。
山吹は大人しくそれに従い、小さく溜息をつくと「ありがとうございます」と言ってまた笑った。
目の前で人が死にそうになったのは初めての事で正直俺も動揺していた。
もしあの時、少しでも判断が遅れていたら今頃こいつはここに居なかったかもしれない。
そう思うとゾッとする。
食事や睡眠はちゃんと取れているのかと尋ねても、曖昧な返事をされるばかりでやはり様子がおかしい。
なにより以前より痩せたというか、やつれているように見える。
俺よりも10センチ以上背の高い彼の手首は、俺の親指と人差し指で一周できそうな程に細くなっていた。
ここ最近、昼食もゼリー飲料やシリアルバーなど簡単なもので済ませている様子だったし、ろくに寝ていないのか目の下のクマも酷い。
きっと家でも大して食事をしていないのだろう。
金がないのか、食欲がないのかはわからないけれど。
この様子だと、きっと俺があれこれ詮索したところで何も話してはくれないのだろう。
けれど、だからと言ってこのまま帰すのもなんだか不安だ。
明日は休みだし、土日の間に何かあっては後味が悪い。
今の俺にできる事を考えてみた結果、1つの結論に至った。
「飯、食いに行くぞ」
腹が減ってる時と睡眠不足の時はロクな考えが浮かばない。
これは俺が今までの人生で得た教訓の1つだ。
「え?」
案の定、山吹は困惑の表情を浮かべた。
「安心しろ。奢ってやるから」
「……いや、でも……」
「いいから行くぞ」
どうせ俺がいくら「飯を食え」と口で言ったところで、また食事を疎かにするのだろう。
それならいっそ、強制的でもいいから何か口に入れた方がいい。
半ば強引に山吹を連れ出し、駅から歩いて5分ほどのところにある牛丼チェーン店に入った。
閑散とした店内でカウンター席に並んで座る。
牛丼が運ばれて来るまでの間、山吹は終始俯いていた。
やはり食欲が無いのだろうか。
無理矢理連れ出した手前申し訳ない気持ちになったが、ここで帰すわけにもいかない。
やがて注文した品が届くと、山吹はじっと目の前に置かれたどんぶりを見つめたまま動かなかった。
「もしかしてどっか悪いのか?」
「……いえ、体は健康です」
体“は”ということは精神の方はどうなんだろう。
そんな疑問を抱きつつも俺は自分の牛丼をかき込んだ。
相変わらず俯いたままの山吹に「ゆっくりでいい」と声をかけてやると、彼は小さく頷いたあとしばらくしてからやっと割り箸を手に取った。
「……うま」
ぽつりと呟かれた言葉に、俺は安堵の表情を浮かべる。
「だろ?腹減ってる時はやっぱ牛丼だよな~」
山吹は黙々と口を動かしながら、こくりと小さく首肯した。
その瞳はかすかに潤んでいるように見える。
まだ問題が解決したわけではないが、栄養のあるものを食わせる事ができて一安心だ。
俺は山吹が食べる様子を見守りつつ、自分の分の牛丼を平らげた。
「腹減ってる時と睡眠不足の時はロクな事考えねーからな。とりあえずメシはちゃんと食え。あと今日は8時間以上寝る事」
とにかく今は元気になってくれればそれでいい。
「……何も聞かないんですか」
ずっと黙りこくっていた山吹が不意に口を開く。
さほど親しくもない相手にあれこれ詮索されるのも苦痛だろうから、と俺は素直に自分の考えを告げた。
こういう時、どんな対応をするのが正解なのか俺にはよく分からない。
その後、二言三言会話を交わしたが、予想通り、俺に悩みを打ち明けるつもりはないようだ。
それでも最初よりは幾分か顔色が良くなったように思える。
食事を終えた俺たちは来た道を引き返すようにして駅へ向かった。
山吹の口数も少しずつ増えてきている。
この様子なら1人で帰しても大丈夫そうだ。
「今日のこと、別に誰かに言ったりしないしないから。まぁあんまり思い詰めんなって感じだけど……気を付けて帰れよ」
駅の改札が近づくにつれ、解散の空気を感じ取った俺は努めて明るい口調でそう伝えた。
「じゃ、お疲れ」
「ありがとうございます」
本日何度目かのその台詞は、心なしか穏やかな声音だった。
「あの、このお礼は必ずします」
「お礼ねぇ」
別にそんな大それたことはしていないのだけれど。
もう少し、彼と距離を縮めることができたら安心して悩み事を相談してくれるようになるのだろうか。
ふいにそんなことを思った。
「じゃあその敬語止めてくれないか」
「へ?」
山吹は目を丸くする。
「歳、同じなんだし。タメでいいじゃん」
「あ、あ~……」
山吹は一瞬考えるような仕草を見せた後「そういうことなら」と了承してくれた。
ほんの少しだけ、彼に歩み寄れた気がして嬉しかった。
その日を境に山吹は事あるごとに俺に絡んでくるようになった。
想像以上に懐かれてしまい、少し鬱陶しいと感じることもあったが、山吹と話す時間はいつしか心地の良いものへと変化していった。
ぎこちなかった会話も回数を重ねるごとに自然なものへと変化していき、3年も経った今ではお互い軽口を叩き合える程度の仲にまでなっていた。
山吹との日々は初めての連続でとても新鮮だった。
今まで職場の人間と2人きりで飲みに行くことなんて一度もなかったし、仕事以外の話だってほとんどした事がなかった。
だから山吹と一緒に居ると、新しい発見ばかりで毎日がとても楽しかったのだ。
けれど、それと同時に不安も募っていく。
山吹ほどの優秀な人材がこんな小さな会社にいつまでも留まり続けてくれるのか?
彼がいなくなれば、俺の人生はまたあの退屈な毎日に戻ってしまう。
だからこそ、俺は山吹に心を許しきってしまわないよう常に自分に言い聞かせていた。
これ以上絆されたら、最後に困るのは俺自身だ。
ただ、山吹がなにか困った時に相談できる1つの場所として俺の存在があるのならそれでいい。
中学高校とそれは続き社会人になってからも相変わらず友人と呼べる相手は出来なかった。
別にいじめられていたとかそういう訳ではなく、ただ単に自分から壁を作ってしまっただけだということは自覚していた。
だからと言ってそれを不便に感じることもなかったし、何より1人が好きだった俺にとってはむしろ都合の良い環境だと言えよう。
そんな俺の唯一の生きがいは仕事だけだった。
特に目標があるわけでもないが、やり甲斐はある。
学生時代と違って自分の力で金を稼ぐことが出来るというのは純粋に楽しかった。
そしてなにより俺はこの会社が好きだった。
田舎の小さな中小企業で給料だって決して高くは無いが高卒の俺を採用してくれた上にここまで育て上げてくれた恩もある。
もっとこの会社を大きくしたい。
それが今の俺の願いであり、存在意義でもあった。
だが、現実は厳しかった。
うちの会社に入ってくる連中は少々訳ありの人間や熱意のない者ばかりで、俺のように本気で仕事に取り組んでいる者は少数だった。
確かに仕事内容は華やかでは無いけれど職場環境は悪くないと思う。
パワハラなんてもちろん無いし、残業時間も多く無い。休みだって取りやすい。上司との関係も良好だ。
けれど、いつしか俺は「どうせすぐ辞める人間と仲良くなる必要なんてあるのだろうか?」と思うようになっていた。
そんな時に山吹修介と出会った。
都会の大手企業から何故かこんな田舎の小さな会社にやってきた彼は、最初こそ不審がられたが持ち前の明るさとコミュニケーション能力の高さであっという間に会社のムードメーカーになっていた。
「山吹くんって面白いね」
「山吹さんが居ると空気が明るくなる」
「山吹~!今日飲みに連れてってやろうか」
山吹の周りは常に賑やかだった。
上司からも可愛がられ、男女問わず社員に慕われている山吹を見て俺は複雑な心境だった。
確かに表面上は明るくとっつきやすい印象を与える男だが、本心では俺たちのような小さな会社で働く人間を見下しているに違いない。
きっとこいつもいつか居なくなる。
しかし、そんな考えとは裏腹に山吹の仕事ぶりは誠実そのものだった。
上司も山吹を頼りにしていて「ずっとウチの会社に居てくれ」なんて言う始末だ。
この会社に優秀な人材が現れる事をずっと待ち望んでいたはずなのに、いざその日が来るとどうやってあの輪に加わればいいのか分からず俺は戸惑っていた。
最初の挨拶もつい無愛想に返してしまったし、おそらく第一印象は最悪だろう。
業務連絡以外で自分から話しかけるきっかけを掴もうと、遠目から山吹を観察する日々。
意外と字が綺麗なんだなとか、いつも姿勢がいいなとか、昼食はゼリー飲料しか口にしていないようだけれどあんなので足りるのか?とか。
そんなどうでもいいことばかり気になって、気がつくと俺は山吹のことばかり考えるようになっていた。
そんな日々が続いたある日のこと。
当時俺は週末になると、仕事終わりに1人で飲み屋街を徘徊するという習慣があった。
1週間頑張った自分へのご褒美みたいなものだ。
その日はなんとなく肉を食いたい気分だったため、以前から気になっていた評判の良い焼肉屋へ行くことにした。
駅のホームでぼんやり電車を待っていると、ふと視界に見覚えのある男が映り込んだ。
フワフワの髪に細身な体型、遠目から見ても分かる整った顔立ち。
山吹だ。
山吹はぼんやりと遠くを見るような目をしながら乗車位置の先頭に並んだ。
あいつの家こっち方面だったのか、なんて思いながらその後ろ姿を眺めていると、彼の体がゆっくり左右に揺れている事に気付いた。
明らかに自分の意思でしているそれとは違う動きだ。
体調でも悪いのだろうか。
なんとなく危うげな雰囲気を感じ取った俺は無意識のうちに彼の側まで歩み寄っていた。
すぐ背後に立っても山吹はこちらを振り向かない。
そろそろ電車が到着する頃合いだし、このまま声をかけずに立ち去るべきか?
いや、でももし具合が悪いなら放っておけない。
そんな事を考えていると、突然山吹の右足が線路に向かって大きく踏み出された。
「おい!」
考えるよりも先に、俺は咄嵯にその腕を掴んでいた。
そのまま力いっぱい後ろに引くと、山吹は勢いよく尻餅をついた。
次の瞬間、通過列車が轟音を立てて目の前を通り過ぎていった。
しばらく2人で呆然としていたが、山吹がハッとした様子で俺を見上げてきた。
「桜庭、さん……?」
その目は「どうしてここにいるんだ」と言いたげな表情をしていた。
「お前、今何しようとしてた?」
怒りとは少し違う、自分でもよく分からない感情が込み上げてきて思わず語気が強くなる。
山吹は俺の質問には答えず、へらりと笑いながら謝罪の言葉を口にした。
「すみません。ちょっとぼんやりしてたみたいで」
「ぼんやりってお前……死ぬとこだったんだぞ」
「あ、あはは。ごめんなさい」
どうやら故意に飛び込もうとしたわけでは無さそうだが、どこか上の空な山吹の反応に違和感を覚えた俺はとりあえず駅のすぐ外にあるベンチに座らせる事にした。
あのままホームに立たせておくのは危険だと思ったのだ。
山吹は大人しくそれに従い、小さく溜息をつくと「ありがとうございます」と言ってまた笑った。
目の前で人が死にそうになったのは初めての事で正直俺も動揺していた。
もしあの時、少しでも判断が遅れていたら今頃こいつはここに居なかったかもしれない。
そう思うとゾッとする。
食事や睡眠はちゃんと取れているのかと尋ねても、曖昧な返事をされるばかりでやはり様子がおかしい。
なにより以前より痩せたというか、やつれているように見える。
俺よりも10センチ以上背の高い彼の手首は、俺の親指と人差し指で一周できそうな程に細くなっていた。
ここ最近、昼食もゼリー飲料やシリアルバーなど簡単なもので済ませている様子だったし、ろくに寝ていないのか目の下のクマも酷い。
きっと家でも大して食事をしていないのだろう。
金がないのか、食欲がないのかはわからないけれど。
この様子だと、きっと俺があれこれ詮索したところで何も話してはくれないのだろう。
けれど、だからと言ってこのまま帰すのもなんだか不安だ。
明日は休みだし、土日の間に何かあっては後味が悪い。
今の俺にできる事を考えてみた結果、1つの結論に至った。
「飯、食いに行くぞ」
腹が減ってる時と睡眠不足の時はロクな考えが浮かばない。
これは俺が今までの人生で得た教訓の1つだ。
「え?」
案の定、山吹は困惑の表情を浮かべた。
「安心しろ。奢ってやるから」
「……いや、でも……」
「いいから行くぞ」
どうせ俺がいくら「飯を食え」と口で言ったところで、また食事を疎かにするのだろう。
それならいっそ、強制的でもいいから何か口に入れた方がいい。
半ば強引に山吹を連れ出し、駅から歩いて5分ほどのところにある牛丼チェーン店に入った。
閑散とした店内でカウンター席に並んで座る。
牛丼が運ばれて来るまでの間、山吹は終始俯いていた。
やはり食欲が無いのだろうか。
無理矢理連れ出した手前申し訳ない気持ちになったが、ここで帰すわけにもいかない。
やがて注文した品が届くと、山吹はじっと目の前に置かれたどんぶりを見つめたまま動かなかった。
「もしかしてどっか悪いのか?」
「……いえ、体は健康です」
体“は”ということは精神の方はどうなんだろう。
そんな疑問を抱きつつも俺は自分の牛丼をかき込んだ。
相変わらず俯いたままの山吹に「ゆっくりでいい」と声をかけてやると、彼は小さく頷いたあとしばらくしてからやっと割り箸を手に取った。
「……うま」
ぽつりと呟かれた言葉に、俺は安堵の表情を浮かべる。
「だろ?腹減ってる時はやっぱ牛丼だよな~」
山吹は黙々と口を動かしながら、こくりと小さく首肯した。
その瞳はかすかに潤んでいるように見える。
まだ問題が解決したわけではないが、栄養のあるものを食わせる事ができて一安心だ。
俺は山吹が食べる様子を見守りつつ、自分の分の牛丼を平らげた。
「腹減ってる時と睡眠不足の時はロクな事考えねーからな。とりあえずメシはちゃんと食え。あと今日は8時間以上寝る事」
とにかく今は元気になってくれればそれでいい。
「……何も聞かないんですか」
ずっと黙りこくっていた山吹が不意に口を開く。
さほど親しくもない相手にあれこれ詮索されるのも苦痛だろうから、と俺は素直に自分の考えを告げた。
こういう時、どんな対応をするのが正解なのか俺にはよく分からない。
その後、二言三言会話を交わしたが、予想通り、俺に悩みを打ち明けるつもりはないようだ。
それでも最初よりは幾分か顔色が良くなったように思える。
食事を終えた俺たちは来た道を引き返すようにして駅へ向かった。
山吹の口数も少しずつ増えてきている。
この様子なら1人で帰しても大丈夫そうだ。
「今日のこと、別に誰かに言ったりしないしないから。まぁあんまり思い詰めんなって感じだけど……気を付けて帰れよ」
駅の改札が近づくにつれ、解散の空気を感じ取った俺は努めて明るい口調でそう伝えた。
「じゃ、お疲れ」
「ありがとうございます」
本日何度目かのその台詞は、心なしか穏やかな声音だった。
「あの、このお礼は必ずします」
「お礼ねぇ」
別にそんな大それたことはしていないのだけれど。
もう少し、彼と距離を縮めることができたら安心して悩み事を相談してくれるようになるのだろうか。
ふいにそんなことを思った。
「じゃあその敬語止めてくれないか」
「へ?」
山吹は目を丸くする。
「歳、同じなんだし。タメでいいじゃん」
「あ、あ~……」
山吹は一瞬考えるような仕草を見せた後「そういうことなら」と了承してくれた。
ほんの少しだけ、彼に歩み寄れた気がして嬉しかった。
その日を境に山吹は事あるごとに俺に絡んでくるようになった。
想像以上に懐かれてしまい、少し鬱陶しいと感じることもあったが、山吹と話す時間はいつしか心地の良いものへと変化していった。
ぎこちなかった会話も回数を重ねるごとに自然なものへと変化していき、3年も経った今ではお互い軽口を叩き合える程度の仲にまでなっていた。
山吹との日々は初めての連続でとても新鮮だった。
今まで職場の人間と2人きりで飲みに行くことなんて一度もなかったし、仕事以外の話だってほとんどした事がなかった。
だから山吹と一緒に居ると、新しい発見ばかりで毎日がとても楽しかったのだ。
けれど、それと同時に不安も募っていく。
山吹ほどの優秀な人材がこんな小さな会社にいつまでも留まり続けてくれるのか?
彼がいなくなれば、俺の人生はまたあの退屈な毎日に戻ってしまう。
だからこそ、俺は山吹に心を許しきってしまわないよう常に自分に言い聞かせていた。
これ以上絆されたら、最後に困るのは俺自身だ。
ただ、山吹がなにか困った時に相談できる1つの場所として俺の存在があるのならそれでいい。
0
お気に入りに追加
91
あなたにおすすめの小説
専業主夫になりたくて幼馴染の男と結婚してみた
小熊井つん
BL
美形ハイスペわんこ攻め×平凡生活力ゼロ受けのほのぼのBL
地球の日本と良く似た別世界の話。
十数年前から同性同士の結婚も認められるようになり、結婚で得られる法的・社会的メリットに魅せられて同性の友人同士で形だけの結婚をする『親友婚』が大ブームになっていた。
主人公の惣一郎は異性愛者だったが、些細な出来事がきっかけで幼馴染のツカサと同性結婚することになる。
ツカサは幼少期から惣一郎に想いを寄せていた為結婚生活に淡い期待を抱いていたが、惣一郎からは『あくまで親友婚(ハグ以上のスキンシップはしない)』と提案されてしまう。
結婚をきっかけに恋人同士になっていく2人のお話。
【完結】遍く、歪んだ花たちに。
古都まとい
BL
職場の部下 和泉周(いずみしゅう)は、はっきり言って根暗でオタクっぽい。目にかかる長い前髪に、覇気のない視線を隠す黒縁眼鏡。仕事ぶりは可もなく不可もなく。そう、凡人の中の凡人である。
和泉の直属の上司である村谷(むらや)はある日、ひょんなことから繁華街のホストクラブへと連れて行かれてしまう。そこで出会ったNo.1ホスト天音(あまね)には、どこか和泉の面影があって――。
「先輩、僕のこと何も知っちゃいないくせに」
No.1ホスト部下×堅物上司の現代BL。
男だけど幼馴染の男と結婚する事になった
小熊井つん
BL
2×××年、同性の友人同士で結婚する『親友婚』が大ブームになった世界の話。 主人公(受け)の“瞬介”は家族の罠に嵌められ、幼馴染のハイスペイケメン“彗”と半ば強制的に結婚させられてしまう。
受けは攻めのことをずっとただの幼馴染だと思っていたが、結婚を機に少しずつ特別な感情を抱くようになっていく。
美形気だるげ系攻め×平凡真面目世話焼き受けのほのぼのBL。
漫画作品もございます。
【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】
彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』
高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。
その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。
そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?
目が覚めたら、カノジョの兄に迫られていた件
水野七緒
BL
ワケあってクラスメイトの女子と交際中の青野 行春(あおの ゆきはる)。そんな彼が、ある日あわや貞操の危機に。彼を襲ったのは星井夏樹(ほしい なつき)──まさかの、交際中のカノジョの「お兄さん」。だが、どうも様子がおかしくて──
※「目が覚めたら、妹の彼氏とつきあうことになっていた件」の続編(サイドストーリー)です。
※前作を読まなくてもわかるように執筆するつもりですが、前作も読んでいただけると有り難いです。
※エンドは1種類の予定ですが、2種類になるかもしれません。
漢方薬局「泡影堂」調剤録
珈琲屋
BL
母子家庭苦労人真面目長男(17)× 生活力0放浪癖漢方医(32)の体格差&年の差恋愛(予定)。じりじり片恋。
キヨフミには最近悩みがあった。3歳児と5歳児を抱えての家事と諸々、加えて勉強。父はとうになく、母はいっさい頼りにならず、妹は受験真っ最中だ。この先俺が生き残るには…そうだ、「泡影堂」にいこう。
高校生×漢方医の先生の話をメインに、二人に関わる人々の話を閑話で書いていく予定です。
メイン2章、閑話1章の順で進めていきます。恋愛は非常にゆっくりです。
ある日、木から落ちたらしい。どういう状況だったのだろうか。
水鳴諒
BL
目を覚ますとズキリと頭部が痛んだ俺は、自分が記憶喪失だと気づいた。そして風紀委員長に面倒を見てもらうことになった。(風紀委員長攻めです)
彼はオレを推しているらしい
まと
BL
クラスのイケメン男子が、なぜか平凡男子のオレに視線を向けてくる。
どうせ絶対に嫌われているのだと思っていたんだけど...?
きっかけは突然の雨。
ほのぼのした世界観が書きたくて。
4話で完結です(執筆済み)
需要がありそうでしたら続編も書いていこうかなと思っておいます(*^^*)
もし良ければコメントお待ちしております。
⚠️趣味で書いておりますので、誤字脱字のご報告や、世界観に対する批判コメントはご遠慮します。そういったコメントにはお返しできませんので宜しくお願いします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる