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第二部序文:1942年2月~4月の大局

どっしりと構えること榧の如し

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 1942年2月下旬、いわゆる「アーリアン・ポリス」においてウラソフ将軍がロシア諸民族解放委員会の指揮を執っているさなかのことである。ようやく、支那大陸の解放作業がひと段落ついてシベリアにおける大日本帝国の攻勢が始まると思われた。だが、現実は仮想空間と違ってしばしば最善手より勝負手が推奨される局面がある。今回の場合も、またそうだった。しばしば、熟慮は優柔不断につながるし、浅慮は決断力につながることもある。優秀な指揮官とは判断の正確性のみならず、判断の速さも重要とされている。つまりは、どういうことかというと……。

「参謀長、なぜソビエトを攻めないのか、説明してもらってもよろしゅうございますな?」
 あからさまに関東軍参謀長を睨付ける男が存在していた。情報参謀の西村である。一方で、西村の眼前に居る男――つまりは事実上の関東軍のトップである――木村兵太郎は憤懣やるかたない顔でそれに対してにらみ返した。
「梅津総司令官が頷いてくれん。儂も必死に説得しているのだが……なしのつぶてだ。梅津総司令官の事だから、何か考えあってのことなのだろうが、ここまで頑固だとな……」
 梅津総司令官、つまりは梅津美治郎のことなのだが、梅津は関東軍の総司令官に着任してから一切の攻勢を禁じていた。一説には昭和帝から直々に命令されたとも噂されているが、定かではない。そして、いくら参謀長が事実上のトップといえど、司令官の判子無しでは行動できない。当たり前だが、参謀長はスタッフの長であり、司令官以外の全ての存在を統括する権限を持っているが、最終的に責任者である司令官が頷かなければどれだけ参謀が考えて参謀長が裁可を迫っても、策は実行されない。
 そして日本軍という組織は、日露戦争の折りよりスタッフの長が司令官の代理人として君臨し、司令官はよほどのことが無い限りは参謀長の意見に対して「そうせい」と頷くのが仕事であった。……少なくとも、満州事変までは。
 しかし、梅津はこの旧来の体制には致命的な欠陥が存在することを早期に見抜いており、ゆえにめったなことでは頷くことは無かった。
 無論、このスタッフの長が総責任者の代理人として振る舞う体制は、少なくとも平時においては効率よく機能するし、責任者とスタッフの長の仲が良く、両者が有能であるならば決して悪い体制ではなかったのだが、今は戦時であり、同時に日本軍という組織の過渡期であった。ゆえに、司令官である梅津は決して参謀の言いなりになるような愚物ではなく、さらに言えばしばしばスタッフ、つまりは参謀が責任者、つまりは司令官に言い負かされることも多かった。
 そして、梅津の大局眼は現状、ソビエト相手の戦闘行為はあまり益の多いものではない、と見抜いていた。
 ゆえに、辻や瀬島が必死にせっついても逆にますます守勢を固めるように命じ、第一課長や作戦主任が焦れるようならば、むしろ一喝してチルアウトさせるような人物であった。
 そして、梅津が関東軍をこの時期に動かさなかったことは大いに福音として大日本帝国に微笑むこととなる……。
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