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ダス・ノイエ・ウェルト・プロイェクト

総統の夢、そして……

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 1960年春、第三帝国首都ゲルマニアにて。
「総統、愈々ですな」
「ああ、儂の夢は、漸く叶う」
 1960年春、第三帝国首都ゲルマニアにて万国博覧会が発動した。そこには、世界各地からの産物や芸術品などが提供された。だが、ヒトラーの夢はそこ・・ではなかった。
「漸く、我が芸術が認められる日が来たのだ……!!」
 そう、ヒトラーの夢、それは。
「我が芸術の下に、世界の芸術が揃う。私こそが、世界一の芸術者なのだ!!」
 ……彼は、あくまで政治家である前に芸術家であった。その野望は、遂に叶ったのだった。……そう、それが政治力による芸術という、ひずんだ形だとしても。
 それはさておき、この万国博覧会に於いては意図的に欧州の産物は隠されていた。理由までは分からないが、その提供されて展示された産物のほとんどはオリエンタル的な要素が多かった。大日本帝国などは、それを知らずに欧州受けするだろうという産物を提出して「あ、空気間違えた」と悟った位なのだ。何故、欧州的産物が忌避されたのか?それを知る者はまだ多くない……。

 ところ変わって、此方は大日本帝国国会。
「何故、婦人参政権が通らないのですか!」
「単純な話だ、先の大戦で、婦人は何か役に立つことをしたか?」
 度重なる婦人参政権の要望が叶えられる日は、終ぞ来なかった。無理もあるまい、婦人参政権を導入した国家は大きく失敗すること常であったからだ。だが、それは表向きの理由であった。真の理由は……。
「……俗悪貸本などと表現の自由を罵る輩などに、政権など渡してやるものか。ましてや女が政治に出る?亡国そのものではないか。なあ、そうだろ?」
「ああ、異存は無い。第一、連中(フェミナチ)は我々(男性)が一度手心を加えると跳梁跋扈するだろうからな。掣肘は加えておくべきだろう」
「ああ、そうだな」
 ……言うまでも無く、それは表現の自由のためであった。女が政治に出しゃばると碌な事にならないのは、世の常であったが、彼らはそれをよく把握出来ていた。民主主義が衆愚政治にならないためには、自浄能力が必要であった。表現の自由ほど、その自浄作用を備えたものは存在しないからだ。そして、世の女はそれを規制しようとする。言うまでも無く、それは自分の被害妄想によるものであるのだが、巧みにそれを世論を使って規制しようとするのは、いわば「恐るべきおかんの呪い」である。
 斯くて、1960年4月1日、大日本帝国に於いて婦人参政権は廃案となった。参政権とはそもそも、徴兵令とセットになったものであり、以後参政権は志願兵制になったとしても、兵役適合者にのみ与えられる権利となった。
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