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二度目の布哇
布哇よ再び(参)
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「……本当に、これが最後だろうか」
決戦の海は遥か東、ハワイから数百カイリ、サンフランシスコから千カイリは離れたある東太平洋に於いて行われた。後の世に伝わる「大海戦(The Grand Battle)」である。
アメリカ合衆国は艦艇がないレベルであり、戦時生産のために作りかけていたなけなしの艦艇を供出した寄せ集め艦隊であり、目立つのはモンタナ型戦艦とミッドウェー型空母の機動艦隊やちょうどこの日に間に合った艦艇およそ130隻。内空母20隻。この期に及んでも、アメリカ合衆国の工業力は大きかった。
一方で大日本帝国の勢力、突貫工事で仕上げた空母葛城を始め、空母10隻、総計はおよそ90隻、内戦艦は9隻。中には船団護衛のためとはいえ雑木林と渾名される二等駆逐艦まであったという位だから、本気の総力であった。
一見、アメリカ側のほうが多数の艦艇をひきつれており優位に見える。事実、地の利を得ていることからそのアドバンテージも高いだろう。だが、アメリカ側には唯一にして最大の不安要素が存在していた。今までおもちゃのように轟沈させてしまった艦艇に乗り込んでいたベテランが枯渇してるが故の訓練度不足および士気の低迷である。
一方の日本側も決して楽観視出来る要素はなかった。少なくとも攻めるのにあたって数すら不足しており、特に小型艦艇の不足は深刻なものであった。一説には「このまま引き返してハワイに籠ったほうがいいのではないか」という意見すら出る有様であった。
だが、彼らにはもう後がなかった。ここで敗れ去るようならば恐らく講和の機会は二度と訪れないだろう。
斯くして、1944年11月2日(日本時間、現地時間では11月1日)。冬独特の切れ味のある未明に砲声が鳴り響く。そう、最初の攻撃は航空機が発艦する前に隙を見つけた日本側が艦隊を前進させた結果なんと砲撃距離圏内にまで互いの艦隊は近づいていたのだ。
先ず最初に攻撃を開始したのは榛名であった。第一に敵へ着弾を浴びせたのは大和であったが、榛名はその金剛型独特の優速を生かして前進しながら正面の敵に初弾を命中させるという離れ業をこなした。続いて大和が第二斉発を開始、続いて武蔵が、そのあとも長門、扶桑、山城の順に射程距離に敵を入れた艦から砲撃が開始した。
続いて攻撃を開始したのは発艦だけなら可能であるという理由で伊勢、日向から攻撃機が発艦。まだ直掩機が飛んでいないという状況の下僅か5%前後の損失で例の航空追尾酸素魚雷を浴びせかけた。勿論目標は、空母だ。
発艦した機体は二隻合わせて36機、22機×2という基準の搭載数よりは少ないがそれはこの機体が大型であったからだ。
さらには秋津洲からダメ押しの二式大艇が襲来、アメリカ側の空母は早くも半数を割った。エセックス型の内無事なのは3隻、ミッドウェー型に至っては損傷のない艦が存在しなかった。インディペンデンス型に至っては誤射に巻き込まれて轟沈した艦すら存在した。
そして日光は完全に東から登ったころにはすでにアメリカ側の損害は贔屓目に見ても一時撤退すべき数値であった。たった数時間でこれである。もし一日中戦い続けたら艦隊が絶滅するのは火を見るより明らかであった。
だが、アメリカの司令長官は撤退を行わなかった。後に生き残った従卒が語るところによると「アメリカの生産力を以てすれば相討ちでも勝てるはずだった」というのだから如何に日本側をなめてかかっていたかの証左と言えよう。
しかし日本側はもっとおかしな行動に出ていた。航空機華やかなりしこの戦場に於いて、あろうことか白昼堂々の砲雷撃戦である。
先ず最初の命中弾を浴びせたのは雷であった。続いて五月雨が、浦風が、清霜が、時雨が、雪風が、次々に命中弾を浴びせかけた。
そして海戦は何も水上部隊だけではなかった。潜水艦すらもこの戦場では殴り込みをになった。特に伊58の艦長は持ち前の勘働きを駆使しおおよそ放った魚雷で命中しなかったものはないのではないかと謳われるほどだったという。
一方のアメリカもやられっぱなしというわけではなかった。先ず日本側で退場を余儀なくされたのは曙であった。四方八方からの砲撃に加え、あるアメリカの潜水艦への爆雷と魚雷が同時命中、総員退艦を余儀なくされた。次に犠牲となったのは霞である。あろうことか大和めがけて放った戦艦の主砲が直撃したのだ。さらには龍田、大井がそれぞれ砲雷撃戦の際に配属の駆逐艦への攻撃を一身に受け止めほうぼうのていで撤退、北上も全ての魚雷を撃ち尽くした所を狙われ破損、さらには新鋭艦である酒匂がボルティモア型の一斉射撃をくらって後退を余儀なくされた。
しかしそれでも連合艦隊の優勢に毫も変わりはなかった。何と扶桑の36サンチ砲弾がモンタナの急所を狙撃、そのままスクリューをもたたき割って行動を完全に封鎖、そこにライバルと目してきた大和の砲撃が当たったからたまらない。大西洋艦隊司令長官丸ごと海の藻屑となった。
流石に旗艦がやられては撤退せざるを得ない。そう思い大西洋艦隊が撤退した矢先、とんでもない悲報が戦場を劈いた。
日本側の別働隊が退路を封鎖しているというのだ。
そう、読者の皆さまは上述の戦局で疑問に思わなかっただろうか?金剛はどこにいった、と。
そうなのである、金剛は別働隊旗艦となってひそかに北回りで戦場を迂回、撤退するであろう海域に妙高型を始めとした重武装艦をひきつれて埋伏を行っていたのだ。たまらないのは大西洋艦隊である。彼らは安全な場所に撤退したとばかり思っていたのだから。
決戦の海は遥か東、ハワイから数百カイリ、サンフランシスコから千カイリは離れたある東太平洋に於いて行われた。後の世に伝わる「大海戦(The Grand Battle)」である。
アメリカ合衆国は艦艇がないレベルであり、戦時生産のために作りかけていたなけなしの艦艇を供出した寄せ集め艦隊であり、目立つのはモンタナ型戦艦とミッドウェー型空母の機動艦隊やちょうどこの日に間に合った艦艇およそ130隻。内空母20隻。この期に及んでも、アメリカ合衆国の工業力は大きかった。
一方で大日本帝国の勢力、突貫工事で仕上げた空母葛城を始め、空母10隻、総計はおよそ90隻、内戦艦は9隻。中には船団護衛のためとはいえ雑木林と渾名される二等駆逐艦まであったという位だから、本気の総力であった。
一見、アメリカ側のほうが多数の艦艇をひきつれており優位に見える。事実、地の利を得ていることからそのアドバンテージも高いだろう。だが、アメリカ側には唯一にして最大の不安要素が存在していた。今までおもちゃのように轟沈させてしまった艦艇に乗り込んでいたベテランが枯渇してるが故の訓練度不足および士気の低迷である。
一方の日本側も決して楽観視出来る要素はなかった。少なくとも攻めるのにあたって数すら不足しており、特に小型艦艇の不足は深刻なものであった。一説には「このまま引き返してハワイに籠ったほうがいいのではないか」という意見すら出る有様であった。
だが、彼らにはもう後がなかった。ここで敗れ去るようならば恐らく講和の機会は二度と訪れないだろう。
斯くして、1944年11月2日(日本時間、現地時間では11月1日)。冬独特の切れ味のある未明に砲声が鳴り響く。そう、最初の攻撃は航空機が発艦する前に隙を見つけた日本側が艦隊を前進させた結果なんと砲撃距離圏内にまで互いの艦隊は近づいていたのだ。
先ず最初に攻撃を開始したのは榛名であった。第一に敵へ着弾を浴びせたのは大和であったが、榛名はその金剛型独特の優速を生かして前進しながら正面の敵に初弾を命中させるという離れ業をこなした。続いて大和が第二斉発を開始、続いて武蔵が、そのあとも長門、扶桑、山城の順に射程距離に敵を入れた艦から砲撃が開始した。
続いて攻撃を開始したのは発艦だけなら可能であるという理由で伊勢、日向から攻撃機が発艦。まだ直掩機が飛んでいないという状況の下僅か5%前後の損失で例の航空追尾酸素魚雷を浴びせかけた。勿論目標は、空母だ。
発艦した機体は二隻合わせて36機、22機×2という基準の搭載数よりは少ないがそれはこの機体が大型であったからだ。
さらには秋津洲からダメ押しの二式大艇が襲来、アメリカ側の空母は早くも半数を割った。エセックス型の内無事なのは3隻、ミッドウェー型に至っては損傷のない艦が存在しなかった。インディペンデンス型に至っては誤射に巻き込まれて轟沈した艦すら存在した。
そして日光は完全に東から登ったころにはすでにアメリカ側の損害は贔屓目に見ても一時撤退すべき数値であった。たった数時間でこれである。もし一日中戦い続けたら艦隊が絶滅するのは火を見るより明らかであった。
だが、アメリカの司令長官は撤退を行わなかった。後に生き残った従卒が語るところによると「アメリカの生産力を以てすれば相討ちでも勝てるはずだった」というのだから如何に日本側をなめてかかっていたかの証左と言えよう。
しかし日本側はもっとおかしな行動に出ていた。航空機華やかなりしこの戦場に於いて、あろうことか白昼堂々の砲雷撃戦である。
先ず最初の命中弾を浴びせたのは雷であった。続いて五月雨が、浦風が、清霜が、時雨が、雪風が、次々に命中弾を浴びせかけた。
そして海戦は何も水上部隊だけではなかった。潜水艦すらもこの戦場では殴り込みをになった。特に伊58の艦長は持ち前の勘働きを駆使しおおよそ放った魚雷で命中しなかったものはないのではないかと謳われるほどだったという。
一方のアメリカもやられっぱなしというわけではなかった。先ず日本側で退場を余儀なくされたのは曙であった。四方八方からの砲撃に加え、あるアメリカの潜水艦への爆雷と魚雷が同時命中、総員退艦を余儀なくされた。次に犠牲となったのは霞である。あろうことか大和めがけて放った戦艦の主砲が直撃したのだ。さらには龍田、大井がそれぞれ砲雷撃戦の際に配属の駆逐艦への攻撃を一身に受け止めほうぼうのていで撤退、北上も全ての魚雷を撃ち尽くした所を狙われ破損、さらには新鋭艦である酒匂がボルティモア型の一斉射撃をくらって後退を余儀なくされた。
しかしそれでも連合艦隊の優勢に毫も変わりはなかった。何と扶桑の36サンチ砲弾がモンタナの急所を狙撃、そのままスクリューをもたたき割って行動を完全に封鎖、そこにライバルと目してきた大和の砲撃が当たったからたまらない。大西洋艦隊司令長官丸ごと海の藻屑となった。
流石に旗艦がやられては撤退せざるを得ない。そう思い大西洋艦隊が撤退した矢先、とんでもない悲報が戦場を劈いた。
日本側の別働隊が退路を封鎖しているというのだ。
そう、読者の皆さまは上述の戦局で疑問に思わなかっただろうか?金剛はどこにいった、と。
そうなのである、金剛は別働隊旗艦となってひそかに北回りで戦場を迂回、撤退するであろう海域に妙高型を始めとした重武装艦をひきつれて埋伏を行っていたのだ。たまらないのは大西洋艦隊である。彼らは安全な場所に撤退したとばかり思っていたのだから。
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