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朱鷺は舞い降りた

台湾沖の大打撃(後)

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「さっきの彩雲乗りには感謝しないとな……」
 制帽を脱ぎ軍人特有の刈り頭を掻きながら呟くのは第一機動艦隊の司令である提督。彼が持っている空母は僅かに翔鶴型二隻と雲龍型二隻であったが、それが切り札となっているのだから何が幸いするのか判らない。
「小沢提督に連絡、"吾此ヨリ敵第七艦隊ヲ攻撃ス"!!」
 まずは、第一機動艦隊より発艦した第一波の攻撃が始まった。彼らには、遠距離攻撃アウトレンジの秘策が存在した。

「あれは烈風Samか、それとも"昇風Topher"か!」
 問うはアメリカ海軍提督、彼らの見張り員は決して有能とは言いがたかったが、烈風か昇風かの区別くらいはついていた。通常翼の零戦と逆ガル翼が特徴的な烈風、そしてエンテ型で木製と特徴的に過ぎる昇風の区別など、つかない方がおかしいとも言えたが。
烈風Samと心得ます!」
 逆ガル翼のみを見て烈風と答える見張り員。とはいえ、その判断方法自体は決して間違っているとは言いがたかった。だが、それは正答ではなかった。
「ならば、近接信管構え!」

「敵さん、弾幕張ってきます!」
 流星に乗ったパイロットが警告する。対策はしていたが、近接信管はやはりまだ最大限に警戒すべき対象であったのだから、それも当然と言えただのが。
「よし、例の技を使え!」
「はい!」

「!」
「どうした!」
 先任将校が絶句した見張り員に対して返事を促す。ここは戦場である、一瞬の判断の迷いが致命傷となることもあった。だが、先任将校も見張り員の返事を聞いて絶句することになる……。
「敵軍がスキップ・ボミングを使ってきます!」
「なんだと!?」

 それは、一種のシンクロニシティであった。否、正確には大日本帝国も決してぼんやりとしていなかった証左といっても良いだろう。
 スキップ・ボミング。即ち爆弾を石飛ばしのように落下させて遠距離攻撃を行う技術だが、アメリカ軍が考案したこの戦術は大日本帝国の悩みの種であると同時に、習得可能な、少なくとも布哇沖海戦しんじゅわんよりは容易な技術であると解析できた結果、当時漸く育ち始めたパイロット温存のためのアウトレンジ攻撃の一種として遂に習得し得たのだ。
 そして、それは同時に、近接信管といえど接近されなければただの花火に過ぎないことを証明した。
 なんと、その日本産スキップ・ボミングはアメリカ軍の飛距離を軽々と超え、アメリカ軍の魚雷が改善された後でもそれに等しい距離は台風のさなかの悪条件でも稼ぐことができた。


「拙いな」
 機動艦隊の司令官、小沢治三郎はうめいた。やはり無理をしてでも昇風を積めた方が善かったか。
「司令官?」
「小沢提督、いかがなさいましたか」
 勝ち戦である現状に何か疑念でもあるのかと様子をうかがう従卒。彼らとしても、勉強の機会となるのだからまあ無理からぬことでもある。
「現状、残りの機体はどれほどある」
「は、軽空母に搭載しているものを含めて烈風およそ80機、流星120機、彗星50機、彩雲20機といったところでしょうか」
 現状、軽空母はパイロットの休息や航空機の輸送など、数々の庶務を司っていた。それは空母の花形の仕事とは言いがたかったが、重要な任務であった。
「……やはり、昇風を詰めなかったのは痛いな、敵の信管は非常に強いと聞く。何機生きて帰ってくるか……」
 まだうめく小沢。そして、その思考を遮るかのように伝令が司令室に転がり込んできた。
「小沢司令官!味方機が戻ってきました!」
「どれほど残っている!」
「は、烈風62機、流星86機、彗星92機……未帰還は14機といったところですか」
「莫迦な」
   一体、何が起きた!?
 そして、台湾沖の大打撃は遂にその戦闘詳報を打ち始めた……。

 1944年9月、アメリカ海軍は全空母部隊を喪失した。パイロットは救出できたものの、その数は僅かであった。そして、それはミッドウェー海戦以来着実に戦略的勝利を重ね続けていた連合軍が遂に戦術的敗北によって戦略的にも敗北しつつあるということを示していた。
 そして、それはある種の現象を生んだ。それは大日本帝国にとっては千載一遇の好機であり、アメリカ合衆国にとっては手を引くチャンスでもあった。
 その、現象とは。
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