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朱鷺は舞い降りた

台湾沖の大打撃(前)

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 1944年9月、パナマ沖において日本軍が大空襲を行っている頃、台湾沖では次のような海戦が起こっていた。
 マリアナ沖、呂宋沖と次々に艦隊を沈められたアメリカ軍は、本土空襲によって一発逆転を狙おうと企み、最後の機動艦隊を差し向けた。世に言う第七艦隊である。いかなアメリカ軍とて、半年の間に二個も三個も機動艦隊を沈められては再建が難しかった。何せ彼らはドイツ戦線も支えているのだ、いくらアメリカの国力が大きく、工業技術力が高いとはいえ、彼らも人間である。人間である以上人の生産は十月十日、人材の育成はそれから十五年以上は待たなければならない。そして人材の育成期間も年単位である。特にアメリカ海軍の人的被害はこの時点で既に二十万をとうに超えた。陸軍も同様である。
 では、何故本土空襲による逆転を狙ったにも関わらず台湾沖に出現したのか?当時、日本本土には台風が列挙して押し寄せており、それを嫌って台湾沖に出現したのだ。日本にとっては恒例行事であり、たいした被害は存在しなかったが、アメリカ海軍にとっては大騒動である。
 斯くて、アメリカ合衆国は最後の機動艦隊にして最後の太平洋艦隊主力部隊を失うことになる。

「諸君、我々はいよいよ日本領に足を踏み入れる……」
 第七艦隊旗艦、三ヶ月前にできたばかりである新鋭巡洋艦アラスカに守られるヴァンデグリフト海兵隊はガダルカナル島の戦いに引き続き自身の必勝を確信していた。少なくとも、彼らの戦績と練度を考えれば外地とはいえ日本領の、しかもかなり本土に近い領土を占領できると考えて、派遣されたのだ。だが、彼らはその日のうちに水漬く屍となる。無論、アラスカも後を追うことになる。

 戦闘経緯は、当初より台風を避けた進路によるアメリカ軍の物量を生かした進路から始まった。
 当初は大鳥島にほど近い海域から硫黄島を目印に東京へ殴り込む予定だった第七艦隊は、台風の直撃を避けるために硫黄島より西進、対潜活動を行った後台湾沖にたどり着く。一方で大日本帝国は本土近海に防衛のため艦隊を展開していた。無論パナマ沖攻撃のための艦隊は除くわけだが、そうだったとしても翔鶴・瑞鶴をはじめ、新鋭艦雲龍、天城など在りし日の大日本帝国機動艦隊は再建をしつつあった。一方で台南空などの航空隊は呂宋への展開からまだ転進を完了しておらず、本土の位置から考えてもまさにミッドウェー海戦の焼き直しと言っても良かった。違うところは、攻守が逆であることと大打撃を受けるのはアメリカ軍であるといったことか。
 海戦は、まず周囲を偵察していたアメリカ海軍機を大日本帝国海軍機が発見したことから始まった。この頃に至っても、まともなレーダーを開発できていなかった大日本帝国に於いて、偵察機の情報がすべてといって良かった。偵察機彩雲は撃墜されたものの、ある情報を第一機動艦隊に通報することに成功した。
「あめりか第七艦隊、台北東オヨビ那覇南南東ヨリ交ワル線、オヨソ当艦隊ヨリ二百浬ニ存在ス」
 それは、臨戦態勢を発動するに充分な情報であった。斯くて、双方ともに遭遇戦となる海戦は始まった。
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