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呂宋沖殲滅戦
呂宋沖殲滅戦(六)
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もし、昇風ではなく烈風が制空担当部隊だったらここまで一方的な戦闘にはならなかっただろう。烈風ならばまだ普通に戦えるからだ。
ましてや合衆国軍は烈風の存在をようやく知り、それに対抗するためにF6Fを制作したのだ。烈風ですら昇風にのったヒヨッコ相手に苦戦するのだ、そのベテランが乗った昇風が素人同然の訓練兵の乗ったF6Fを撃墜することは泣く子を騙すよりも簡単であった。
だが、昇風は戦闘機だ。しかもヤーボではなく日本軍最後の純粋戦闘機である。戦闘機は戦闘には貢献するが戦争には貢献し得ない。そう納得し、合衆国軍は昇風への対策をあきらめた。敵は別に昇風だけではない、そのあとに飛来してきた攻撃機相手に兵器を使えばいい。いくらなんでもそれにすら近接信管や対空ミサイルが役に立たないわけがあるまい……。
しかし、状況は激変した。昇風は対空砲の届く距離まで飛来するや輸送船を銃撃したからだ。
駆逐艦ですら戦闘機の銃弾を防御できないのだ。輸送船、ましてや輸送船に仕立て上げた民間船舶にそれを防ぐ方法などありはしなかった。
あわてて対空砲を射撃する合衆国軍。しかしここで近接信管が仇となった。時限信管や衝撃信管ならば昇風といえどもこの距離ならば撃墜しえただろう。しかし、対空艦の装備していた銃弾はすべて近接信管であった。
ゆえに、柔軟かつ堅牢な昇風の装甲を食い破ることができずに、むざむざと目の前の銃撃による船舶轟沈を見つめるしかなかった。
その時、ある船舶から海兵隊員が対空ミサイルを発射した。だが、対空ミサイルは昇風に対してなんら攻撃的効果を期待することができなかった。
対空ミサイルが爆発したときにそれを見た合衆国軍は歓喜し……その爆風から一機も昇風が墜落しなかったことに落胆した。
そして不運なことに、合衆国軍はこの昇風に対してあまりに多くのミサイルや砲弾を撃ち尽くした。そう、撃ち尽くしてしまったのだ。
残ったのは、残弾数の少ない対空砲とすべてのミサイルを撃ち尽くしたドンガラである。
それ以外の対空用装備と言えばせいぜいボフォース機関砲と海兵隊員の小銃ぐらいなものであった。
そして飛来する日本軍の本隊。護衛機こそ烈風で爆撃機は流星、攻撃機は銀河といった(少なくとも昇風に比べれば)ごくごく平凡な航空機であった。
これに対して昇風相手のような攻撃を行えばさぞかし多大な損害を日本軍は出しただろう。――少なくとも、烈風や流星や銀河はジュラルミンでできているのだから。
衛号木材を主軸にした昇風こそ異常だったのだ。もし、昇風を無視し他の、つまりは後続の航空機にこの攻撃を加えていれば……。そう仮想する歴史家は多い。
しかし、現実は非情である。昇風に対して可能な限りの迎撃を行った結果、合衆国軍は後続の本隊に対しての迎撃能力を亡くしていたのだ。
さらに、流星こそ通常の攻撃方法だったものの、対空用に仕立て上げられた艦艇を狙った銀河の攻撃たるや、あらかじめ対空ミサイルや近接信管の射程距離を見越した攻撃を行ったのだ。―そう、射程外からのアウトレンジ攻撃である。
銀河が搭載した兵器、それは航空酸素追尾魚雷である。
すなわち、航空機に乗せることのできる、ドイツ軍の追尾機能を備えた、酸素魚雷である。
また、他には対艦ロケットも存在した。いわゆるエロ爆弾である。
対艦ロケットこそ日本の科学力の限界から多くは不発や不中に終わったが、航空酸素追尾魚雷の攻撃は正確無比であった。
分厚くても巡洋艦レベルの装甲した持ち得なかった対空用艦艇はほとんどがその航空酸素追尾魚雷によって轟沈した。当たり前だろう、酸素魚雷の射程を持ち、追尾魚雷の能力を持った魚雷が航空機によって持ち運びできるのである。
それは、日本軍に敵対する艦艇が航空機に対してあまりにも無力であることを証明するのだった。
不幸にも、メカニズムをはじめ小型化の失敗など陸上機によってしか運用できない代物だったが、これが艦上機に搭載できるようになったなら何を意味するか……。
後に、合衆国海軍が「動く暗殺者」と呼ぶそれは、呂宋沖海戦であまりにも壮烈燦々なるデビューを飾った。
当初、第二段階として可能な限りの敵艦を撃沈するべく迎撃に来た本土防衛艦隊は不審がった。あらかじめ暗号などを解読して予測していた予定時刻になっても推測海域に敵軍が現れないからだ。
当初、艦隊は可能な限りの索敵を行い、闇夜になっても専門の見張員によって捜索を行い、翌朝になって三段索敵を行った結果判明した事実、それは。
第一段階の攻撃でカナン発の千隻にも及ぶ大艦隊と一万機にも届かんとする敵機がそっくりそのまま消失していた、という信じがたい事実である。
大本営ですら当初発表に苦悩したという。嘘をつこうにも成し遂げた戦果があまりにも大きすぎて事実を言ったらウソ扱いされるのは目に見えて明らかだからだ。
まさか航空機がここまでの性能を発揮するとはだれも思わなかった。しかも、その航空機の材質は(少なくともアメリカ合衆国にとっては)不可能といってもいいからだ。
アメリカ合衆国は恐怖した。眠れる龍の逆鱗に触れたことに。
ましてや合衆国軍は烈風の存在をようやく知り、それに対抗するためにF6Fを制作したのだ。烈風ですら昇風にのったヒヨッコ相手に苦戦するのだ、そのベテランが乗った昇風が素人同然の訓練兵の乗ったF6Fを撃墜することは泣く子を騙すよりも簡単であった。
だが、昇風は戦闘機だ。しかもヤーボではなく日本軍最後の純粋戦闘機である。戦闘機は戦闘には貢献するが戦争には貢献し得ない。そう納得し、合衆国軍は昇風への対策をあきらめた。敵は別に昇風だけではない、そのあとに飛来してきた攻撃機相手に兵器を使えばいい。いくらなんでもそれにすら近接信管や対空ミサイルが役に立たないわけがあるまい……。
しかし、状況は激変した。昇風は対空砲の届く距離まで飛来するや輸送船を銃撃したからだ。
駆逐艦ですら戦闘機の銃弾を防御できないのだ。輸送船、ましてや輸送船に仕立て上げた民間船舶にそれを防ぐ方法などありはしなかった。
あわてて対空砲を射撃する合衆国軍。しかしここで近接信管が仇となった。時限信管や衝撃信管ならば昇風といえどもこの距離ならば撃墜しえただろう。しかし、対空艦の装備していた銃弾はすべて近接信管であった。
ゆえに、柔軟かつ堅牢な昇風の装甲を食い破ることができずに、むざむざと目の前の銃撃による船舶轟沈を見つめるしかなかった。
その時、ある船舶から海兵隊員が対空ミサイルを発射した。だが、対空ミサイルは昇風に対してなんら攻撃的効果を期待することができなかった。
対空ミサイルが爆発したときにそれを見た合衆国軍は歓喜し……その爆風から一機も昇風が墜落しなかったことに落胆した。
そして不運なことに、合衆国軍はこの昇風に対してあまりに多くのミサイルや砲弾を撃ち尽くした。そう、撃ち尽くしてしまったのだ。
残ったのは、残弾数の少ない対空砲とすべてのミサイルを撃ち尽くしたドンガラである。
それ以外の対空用装備と言えばせいぜいボフォース機関砲と海兵隊員の小銃ぐらいなものであった。
そして飛来する日本軍の本隊。護衛機こそ烈風で爆撃機は流星、攻撃機は銀河といった(少なくとも昇風に比べれば)ごくごく平凡な航空機であった。
これに対して昇風相手のような攻撃を行えばさぞかし多大な損害を日本軍は出しただろう。――少なくとも、烈風や流星や銀河はジュラルミンでできているのだから。
衛号木材を主軸にした昇風こそ異常だったのだ。もし、昇風を無視し他の、つまりは後続の航空機にこの攻撃を加えていれば……。そう仮想する歴史家は多い。
しかし、現実は非情である。昇風に対して可能な限りの迎撃を行った結果、合衆国軍は後続の本隊に対しての迎撃能力を亡くしていたのだ。
さらに、流星こそ通常の攻撃方法だったものの、対空用に仕立て上げられた艦艇を狙った銀河の攻撃たるや、あらかじめ対空ミサイルや近接信管の射程距離を見越した攻撃を行ったのだ。―そう、射程外からのアウトレンジ攻撃である。
銀河が搭載した兵器、それは航空酸素追尾魚雷である。
すなわち、航空機に乗せることのできる、ドイツ軍の追尾機能を備えた、酸素魚雷である。
また、他には対艦ロケットも存在した。いわゆるエロ爆弾である。
対艦ロケットこそ日本の科学力の限界から多くは不発や不中に終わったが、航空酸素追尾魚雷の攻撃は正確無比であった。
分厚くても巡洋艦レベルの装甲した持ち得なかった対空用艦艇はほとんどがその航空酸素追尾魚雷によって轟沈した。当たり前だろう、酸素魚雷の射程を持ち、追尾魚雷の能力を持った魚雷が航空機によって持ち運びできるのである。
それは、日本軍に敵対する艦艇が航空機に対してあまりにも無力であることを証明するのだった。
不幸にも、メカニズムをはじめ小型化の失敗など陸上機によってしか運用できない代物だったが、これが艦上機に搭載できるようになったなら何を意味するか……。
後に、合衆国海軍が「動く暗殺者」と呼ぶそれは、呂宋沖海戦であまりにも壮烈燦々なるデビューを飾った。
当初、第二段階として可能な限りの敵艦を撃沈するべく迎撃に来た本土防衛艦隊は不審がった。あらかじめ暗号などを解読して予測していた予定時刻になっても推測海域に敵軍が現れないからだ。
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大本営ですら当初発表に苦悩したという。嘘をつこうにも成し遂げた戦果があまりにも大きすぎて事実を言ったらウソ扱いされるのは目に見えて明らかだからだ。
まさか航空機がここまでの性能を発揮するとはだれも思わなかった。しかも、その航空機の材質は(少なくともアメリカ合衆国にとっては)不可能といってもいいからだ。
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