正しい歴史への直し方 =吾まだ死せず・改= ※現在、10万文字目指し増補改訂作業中!

華研えねこ

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第二段階、死守の外郭

マリアナ沖海戦再び

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 1944年6月、マリアナ沖において合衆国軍が久々の大惨敗を喫している頃には既にカルカッタやポート・モレスビーなどが日本軍の手に帰し、間道の連合軍は干乾しにされていた。
 それは、高松宮の復讐であった。かつてガダルカナルなどでの陸軍の悲報を聞き、高松宮は海軍の立場でありながら陸軍のためにこの作戦を練っていたのだ。無論、それ自体は同じ国の軍であるため当たり前と言えば当たり前なのだが、こと帝国陸海軍の確執を考えればそれは異様とも言えた。
 しかし、それはあくまで官僚としての陸海軍の確執を前提とした思考であり、高松宮親王はそもそも親王である、否、それでは不正確だ、ヨーロッパの酋長でしかない自称皇帝などとは格が違う本物の皇帝の、その弟である。彼は、その敬愛すべき兄の慈しむ臣民が、無為に死地に赴くことが耐えられなかったのだ。だからこそ、彼はより問題の多い海軍に入隊すると同時に、陸軍にも存在する宮様将校と早期の連絡を取り合い、海軍の混乱を契機に立ち上がったというわけだ。
 そして、高松宮親王はカルカッタとマンダレーの補給路を確立させ、ポート・モレスビーこそ単独の籠城となったが多くの基地の補給路の再構築を指示、船を動かすだけで彼は数十万、場合によっては百万にも上る連合国将兵が餓死しうる環境を作り出した!

 もちろんのこと、連合軍側は焦燥に駆られた。まさか敵に蛙跳び作戦をやられると思わなかったのだ。無論、その慢心もそうであるが、彼等は既に勝った気でいたらしく、連合国同士の戦後支配を行うための会談を頻繁に行っていた。なんとも人を食った態度であったが、その慢心が隙を生み、隙が傷を作る。彼等は、まさか既に罠に掛かっていることにも気づかず、あがき始めることとなった。ひとまずは、急務といえるのは補給路の確保と逆襲作戦であった。
 だが、その逆襲作戦構築こそが既に、高松宮親王の仕掛けた大きな罠であった。高松宮親王がたった二ヶ月、否、正確には十五年と二ヶ月で構築したその防衛戦略は「負けない」ことのみを骨子として練り上げた、徹底した守勢作戦であった。
 かくて、1944年7月18日、再び内南洋、つまりはマリアナ沖に来襲した合衆国軍に対し、次こそ攻める気力ごと叩き潰すべく、高松宮はまたしても陣頭指揮を執った……。



 ……敵艦見ゆ!
 そう叫んだのは誰だっただろうか。気がついたら連合艦隊は敵軍と接触していた、しかも絶好の位置……丁字である。
 この機を逃してはならない。司令官は叫んだ、「敵艦をすべて、生かして帰すな」と。
 かくして「第二次マリアナ沖海戦」、日本軍名称「内南洋海戦」、合衆国軍名称「マリアナ沖の惨劇」は始まった。
 まず一番槍の誉れを掲げたのは浦風であった。次に襲いかかる五月雨、そして第六駆逐隊が、酒匂が、時雨が、次々と襲いかかった。
それはまさに鬼を退治すべく研ぎ澄まされた勇者の日本刀による一撃必殺の撃剣であった。
 少なくとも、合衆国軍にとってはこの一撃だけで護衛艦艇の大半……すなわち空母を守るべく用意されたスクリーンをずたずたに切り裂いた。
 そこへ襲いかかる艦砲射撃、皮肉にも戦艦をこそ滅ぼすべく砲撃した最初の被害者は空母エンタープライズであった。
 エンタープライズの最期は悲惨とすらいい表わせぬ恐るべき状態であった。
 まず戦艦大和の第一斉射の過半が命中。それだけでこのヨークタウン級の空母にとっては充分過ぎる痛手であった。
 それだけではなく、榛名、扶桑といった戦艦の射撃を食らったからとんでもない代物……一種の前衛芸術と化して爆発四散した。
 エンタープライズの仇を取る暇や、それどころかそれを悲しむ暇すら合衆国軍は持ち合わせていなかった。
 次に狙われたのはエセックスであった。現場にいた二番・三番・四番艦ともども武蔵をはじめとした戦艦部隊の実包によって気が付いたらあの世への旅路についていた。
 それはまさに「狂乱」であった。一水戦、二水戦をはじめとした水雷戦隊は一刻も早く戦艦との邂逅を夢見て当たり一帯の敵艦をひと山いくらの割合で蹴散らし、それをみて悠々と戦艦が空母を狩り飛ばす。
 少なくとも、航空主兵という幻想を打ち崩すには充分過ぎる光景であった。
 そこに急いで現場に到着した前衛部隊は錯乱した。そう、この「一撃」に於いて参加した連合艦隊の艦艇はあまりに大多数に上った。
 主要な船だけでも大和、武蔵、長門、金剛、榛名、扶桑、山城、伊勢、日向。戦艦だけで九隻である。他の巡洋艦以下の艦などもはや数えること自体が思考することを拒絶させていた。
 前衛部隊は急いで本隊との連絡に勤めた、「空母部隊が敵の主力部隊に食われた」と。
だが、結論からいえば前衛部隊はそんな通信をするべきではなかった。なぜならばその一報が傍受されて存在自体を消されただけではなく、応援を頼んだ本隊すらも危険な場所に呼び込むことになったのだから。
 一方の本隊……合衆国海軍太平洋艦隊第七任務部隊は当初日本軍の偽報かと疑ったという。無理もない、唯の一撃で自軍の航空兵力が一瞬にして海の藻屑となったという一報を聞いてまず信じる莫迦はいまい。ましてやそれは合衆国軍、世界最大の軍を持ち、ダメコン能力にかけては少なくとも日本軍よりははるかに優秀であったからだ。
 だが、ダメコンなど巨砲における一撃に対しては何の役にも立たなかった。少なくとも、46サンチの砲撃をとどめるからくりなど、空母には施されていなかった。
 かくして、本隊――すなわち戦艦部隊――が到着したのは連合艦隊がすべてを食い散らかして次の獲物のために隊列を整えて前進する瞬間であったからだ。
 合衆国海軍戦艦部隊は、一瞬、ただの一瞬だが怯んだ。その隙を逃すほど大日本帝国の戦艦部隊――すなわち世界最高の装備を持ち世界最強の錬度を積んだ化け物の集団――はお人よしでもまぬけでもなかった。
 かくして、アメリカ太平洋部隊の主力、戦艦八隻、空母七隻を主体としたマリアナ攻略部隊は一夜にして海底にきらめく鉄くずに変わった。
 対しての日本軍の被害は、せいぜいが駆逐艦が3隻ほど中破し、巡洋艦の一部が小破しただけだった。
 航空隊の生かせぬ時間帯といえど、あまりに一方的な差であった。
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