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マリアナ沖海戦開幕
マリアナ沖のトンボとり(前)
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ネイティブ・アメリカンよりあるときは詐術を使い、またあるときは暴力にものをいわせてぶんどり続けた圧倒的物量をさも自分たちのもののように誇るアメリカ合衆国の太平洋艦隊がマリアナ沖に接近してきたのは六月のことであった。
だが、それに対して偉大なる大帝、昭和天皇の弟君である高松宮親王は海軍乙事件の後、後任人事で四月に連合艦隊司令長官に着任するや天皇の弟という立場を使って猛烈な勢いで軍制改革を行い、たった二ヶ月で臨戦態勢を整えた!
通称、「高松宮号令」と称されるその一大軍制改革は、当初昭和帝の弟君だからと従っていた人物もその内容を見た結果徐々にその合理的思想に感心しつつあった。まあそもそも、高松宮はこの当時大佐に過ぎず、連合艦隊司令長官になるには階級的に不足していたのだが、何せ高松宮は今上帝の弟である。特例として宮様将校に限り、階級に関わらず要職に就けるということになった。それでは不公正ではないか、と仰る方もいらっしゃるかもしれないが、大日本帝国は君子国である。如何に憲法があったとはいえ、そもそも皇帝の統治する国家である。故に、戦時の特例とはいえそういうことが可能であったのだ。あるいは、それが大日本帝国の抜擢人事の限界かもしれなかったが、それは措こう。そして高松宮自身、後に記す回顧録に「勝つための指揮は執っていなかった」と書いてあるとおり、必勝精神などという妄信に惑わされることなく、「より賢く負けるため」に彼は戦い続け、結果として勝利したわけだが、故に彼は最後まで「勝利」という「欲目」に負けることがなく、それだけでも戦場を冷静に見渡せていたとも言えるだろう。欲目の無い者は強い。なぜかはまあ、語らずとも判ることではあるが、結果として「マリアナ沖のトンボとり」と称される内南洋はマリアナ沖で行われた一大海戦を皮切りに、合衆国軍を初めとした連合国軍は、日本軍に対して次々に大敗を喫することとなる……。
その、高慢ちきなアメリカ合衆国海軍太平洋艦隊の顔色が熟れる前の梅のごとき真っ青な色に変わる、大逆転劇は以下のように語られている。
マリアナ沖で生起した海戦、連合軍名称「マリアナ沖の悲劇」はまずサッチ・ウィーブを作って零戦を迎撃しようとしていた合衆国海軍機の帰還機が文字通りのゼロであったことから始まった。新型攻撃機も、零戦撃滅を目的とした新型戦闘機も、全て撃墜された。それは、なぜであるか。なんと、このときの帝国海軍側の「機動艦隊」、戦闘機しか積んでいなかったのだ。そう、高松宮親王は端っから航空攻撃による敵艦撃沈を考えていなかった。そして、零戦とはいえ五二型ないしは六三型といった比較的信頼性の高い金星エンジンなどを搭載した後期型の機体を積んだ機動艦隊は実に的確に敵機を撃墜していった。この頃の日本軍パイロットと合衆国軍パイロットの技量は逆転していたはずであったが、何せ数が違う。上空に存在する艦隊護衛機は少なく見積もっても飛来した合衆国軍機の三倍以上は存在した。そして、あろうことか零戦以外の、つまりは戦える機体を予備機として空母以外の艦艇に積み込んでおり、いざ味方機が撃墜されたとしてもパイロットさえ生きていれば再発艦が可能である状態を作り上げたのだ。その中にはあろうことか攻撃機であるはずの流星すら存在していた。なまじ戦闘機としても活躍出来ることから、流星は当初の設計意図とは異なり初陣は戦闘機として運用されるに至ったのだ。
かくて、第一陣が散り、第二陣が散り、第三陣が散り……マリアナ沖に投入した合衆国軍の航空戦力はたった数時間で空の微塵と化した。
だが、それで戦闘が終わろうはずが無かった……。
その日の夜のことである。親王は夜戦ですら合衆国軍が高性能レーダーを備えていたことから不利になりつつあることを理解していながら、夜戦に打って出た。なぜ、夜戦なのか。それは大日本帝国の悲痛な懐事情が関係していた。何せ、夜という時刻の間は航空機を飛ばすことは困難である。すなわち、もう合衆国軍に機体が残っていないことを知らない親王は、夜戦で敵陣を引っかき回した後に、合衆国軍へ退却を促すように作戦を立てたのだ。だが、この「夜戦」、予想もしない結果をはじき出すことになる。「マリアナ沖の悲劇」は、まだ始まったばかりであった……。
だが、それに対して偉大なる大帝、昭和天皇の弟君である高松宮親王は海軍乙事件の後、後任人事で四月に連合艦隊司令長官に着任するや天皇の弟という立場を使って猛烈な勢いで軍制改革を行い、たった二ヶ月で臨戦態勢を整えた!
通称、「高松宮号令」と称されるその一大軍制改革は、当初昭和帝の弟君だからと従っていた人物もその内容を見た結果徐々にその合理的思想に感心しつつあった。まあそもそも、高松宮はこの当時大佐に過ぎず、連合艦隊司令長官になるには階級的に不足していたのだが、何せ高松宮は今上帝の弟である。特例として宮様将校に限り、階級に関わらず要職に就けるということになった。それでは不公正ではないか、と仰る方もいらっしゃるかもしれないが、大日本帝国は君子国である。如何に憲法があったとはいえ、そもそも皇帝の統治する国家である。故に、戦時の特例とはいえそういうことが可能であったのだ。あるいは、それが大日本帝国の抜擢人事の限界かもしれなかったが、それは措こう。そして高松宮自身、後に記す回顧録に「勝つための指揮は執っていなかった」と書いてあるとおり、必勝精神などという妄信に惑わされることなく、「より賢く負けるため」に彼は戦い続け、結果として勝利したわけだが、故に彼は最後まで「勝利」という「欲目」に負けることがなく、それだけでも戦場を冷静に見渡せていたとも言えるだろう。欲目の無い者は強い。なぜかはまあ、語らずとも判ることではあるが、結果として「マリアナ沖のトンボとり」と称される内南洋はマリアナ沖で行われた一大海戦を皮切りに、合衆国軍を初めとした連合国軍は、日本軍に対して次々に大敗を喫することとなる……。
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マリアナ沖で生起した海戦、連合軍名称「マリアナ沖の悲劇」はまずサッチ・ウィーブを作って零戦を迎撃しようとしていた合衆国海軍機の帰還機が文字通りのゼロであったことから始まった。新型攻撃機も、零戦撃滅を目的とした新型戦闘機も、全て撃墜された。それは、なぜであるか。なんと、このときの帝国海軍側の「機動艦隊」、戦闘機しか積んでいなかったのだ。そう、高松宮親王は端っから航空攻撃による敵艦撃沈を考えていなかった。そして、零戦とはいえ五二型ないしは六三型といった比較的信頼性の高い金星エンジンなどを搭載した後期型の機体を積んだ機動艦隊は実に的確に敵機を撃墜していった。この頃の日本軍パイロットと合衆国軍パイロットの技量は逆転していたはずであったが、何せ数が違う。上空に存在する艦隊護衛機は少なく見積もっても飛来した合衆国軍機の三倍以上は存在した。そして、あろうことか零戦以外の、つまりは戦える機体を予備機として空母以外の艦艇に積み込んでおり、いざ味方機が撃墜されたとしてもパイロットさえ生きていれば再発艦が可能である状態を作り上げたのだ。その中にはあろうことか攻撃機であるはずの流星すら存在していた。なまじ戦闘機としても活躍出来ることから、流星は当初の設計意図とは異なり初陣は戦闘機として運用されるに至ったのだ。
かくて、第一陣が散り、第二陣が散り、第三陣が散り……マリアナ沖に投入した合衆国軍の航空戦力はたった数時間で空の微塵と化した。
だが、それで戦闘が終わろうはずが無かった……。
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