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第一話 得てして奴らは無敵である その1「彼の名前はタナカである」
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さて前置きはざっくり省くとして、物語は巨大要塞ガルガレオスから始まる。
巨大要塞といっても、実際は築200年は経つオンボロ城なのだが、そこに住む奴らは何故かそう呼んでいる。
深夜、月明かりが雲に隠れて光を閉ざした頃、ガルガレオスの壁を登り、侵入しようとする若い男が一人。
彼は隠密の暗殺者、齢十七にして殺した人数は百を越す程の熟練者である。
暗殺者には名前を知られてはいけない掟があるが、物語が進まないので教えておこう。彼の名前はタナカである。
もう一度言おう。齢十七にして殺した人数は百を超す程の熟練暗殺者タナカである。
さて、名前を知られてはいけないタナカが今回オンボロ城のガルガレオスに侵入したのは暗殺のためではなく、密偵のためだ。
無論、場合によっては人を殺める覚悟もある。なにせここに住まう者はこの世で最強無敵の騎士団、ムテ騎士団なのだから。
言っておくがこの世界の言語じゃ、ムテ騎士団って名前はダジャレではなく普通の名前として扱われてるからな。
このムテ騎士団は、その最強と言われる力を使い、傍若無人な行為を繰り返しては、この地方に住まう人々の暮らしを脅かしている破廉恥極まりない一団であるという。
しかし悪事千里を走るというか、ムテ騎士団の悪評だけは各地に轟くものの、その実態を知る者は少ない。
今回の任務は彼を雇った某国が、ムテ騎士団討伐のための情報を得るために送り出したもの。
そして必ずや情報を掴んでやると意気込んで、彼は内部に侵入した。
城内には灯一つなく、見張りが巡回する足音すらしない静かな場所だった。
そもそもすんなりと内部に入れたのは城の外を見張る者すらいなかったからである。
見張りがいないのなら早めに仕事は終えられると確信し、彼は城内の見取り図作成のために周囲を見渡し、頭の中に叩き込み始める。
なんの変哲のない石造の廊下をぐるりと一周見渡すと、さっきまでいなかったはずの少女の姿が急に目の前に現れた。
これにはタナカも一瞬驚いた。なにせ暗殺者として生きるようになってからは、一度たりとも相手に近寄らせることなどなかったからだ。
しかしこの少女は気配を一切感じさせずにタナカの目の前にやって来たのだ。
タナカがこの状況をどうするか考えていると、少女が口を開く。
「お兄ちゃん誰? ここに遊びに来たの?」
少女の見た目は10歳ぐらい。しかし彼女の表情や喋り方は、彼女よりもう少し幼い子を彷彿させいて、正直に言えば、あまり賢い方の子のようではないなとタナカは感じた。これなら上手く誤魔化せると少女に返事する。
「そうだよ。遊びに来たんだ。でも時間を間違えちゃったみたいだ」
「えへへ、お兄ちゃんって変なの。みんな寝てるよこの時間」
「そうだね。でも君は?」
「ローナちゃんはね、楽しいことが好きなの。寝るのがもったいないくらいに好きなの。だから起きてるの」
説教の一つでもしてやりたい返事だが、このローナちゃんが不健康な生活を送ろうと彼の人生になんら影響を与えるわけでもないので、タナカは黙っておくことにした。
「ねえねえお兄ちゃん。ローナちゃんと遊ぼ。そうだかくれんぼしよ、ねえかくれんぼ」
「うん、いいよ」
勝手に話を進める子供は好きではなかったが、今だけは好都合だと思いタナカは深夜のかくれんぼを承諾する。
「じゃあローナちゃん隠れるから、お兄ちゃんは10数えて探しに来てね。ズルはダメだよ」
「もちろん、約束するから」
大嘘である。
「よーしじゃあはじめー!」
合図と共にローナが廊下の奥へと走っていく。一方のタナカは約束の10秒は数えず、ローナと反対方向へ走っていく。これで子供の相手はしなくて済む上に、他の場所へと散策できるわけである。
しかし自分で巻いておきながら、廊下を駆けるタナカはローナの事を考えていた。
あの子は一体何者だろう? ムテ騎士団は誘拐や奴隷狩りをやっているという噂も聞いたので、彼女もどこかから誘拐された可能性もある。高価そうなドレスを着ていたので、どこかのお嬢様だろうか。
あるいはあの子も騎士団の一員だろうか。彼自身も暗殺者の訓練は7歳の頃から始めてるのであり得ない話でもない。
もしそうなら、かくれんぼと称して仲間に侵入者の存在を知らせに行った可能性もある。最も、タナカにとっては相手が動いてくれた方が人数がわかって好都合になるのだが。
なんて考えていると、脇の方に筋肉隆々のマッチョな石造が上腕二頭筋を見せびらかしていた。
悪趣味だと苦笑しつつその横を通ると、像の隣にローナが同じポーズをして突っ立っていたので、タナカは思わずズッコケた。
「なんでいるの!?」
潜入任務中にあまり声を出さない方がいいとわかっていても、思わずツッコむタナカ。
「あれー? 見つかっちゃったー。完璧な変装だと思ったのに。
じゃあ次はお兄ちゃんが隠れる番ね。いーち、にー、さーん」
また勝手なことをとタナカは思ったが、逃げる口実にはなるのでむしろ助けになるうえ、本気でかくれんぼに勤しんでいるとわかって安心した。
しかし反対側からどうやってここに? と疑問に感じたが、おそらくこの廊下は一周できるように繋がっているのだと納得させた。なお足の速度はマッチョ像のインパクトのために考慮出来なかった模様。
廊下の奥まで行っても一周するのであれば、この先を進んでもローナと鉢合わせるかもしれないと思い、タナカは少し先にある階段を登ることにした。
その階段の先には扉が一つあるだけだった。一旦戻ってもローナと出くわすだけなので、タナカはこの中に逃げることにした。
中に入ると窓は全てステンドグラスになっており、暗くてはっきり見えないが、人や様々な生物が描かれているようであった。
奥には祭壇があり、どうやら一種の教会のような施設らしいが、壁に貼り付けられた独特な模様のレリーフはタナカの見覚えのないものであったため、なんの宗派かはわからない。
少し近づいて見ると女性の像が佇んでいるのが見えたが、また少し近づくとそれは本物の女性であった。
彼女は金の刺繍が施してある白いベールと衣を身につけ、首には金の鎖がネックレスのように巻き付けてある。タナカはその特徴が、天の賢者の衣装と一致することに気がついた。
天の賢者については噂でしか知らないタナカだが、衣装の特長とこの世で最も賢い知能を有しているという話だけは知っていた。なんでも、繁栄している国家はみな、天の賢者の知恵を借りているのだとか。
しかしなぜ賢者が賊に等しいムテ騎士団なんかの城にいるのか。やはり彼女も誘拐されたのか。そうタナカが考えていると女性が目を開いた。
タナカは咄嗟に、腕に仕込んだナイフを取り出す。
流石に大人相手では誤魔化しが効かないことは暗殺者でなくてもわかる。
だが殺しはしない。相手は非力な賢者で被害者の可能性が高い。あくまでナイフは脅し用。刃物を見せれば黙ってくれるだろうとタナカは踏んだ。
しかしそんなタナカを見た女性の第一声の言葉がこれだ。
「おはようっっ!!!!!」
まさかのこのタイミングで挨拶が飛んできたことももちろんだが、何よりも耳をつんざく程の大きな声を前にタナカは目が点になった。
「おい! お前なぁ! 挨拶したら挨拶するもんだろっっ!!!!!
はい、おはようっ!!!!!」
「あ、おはようございます」
ステンドグラスが吹っ飛んで粉々になるんじゃないかという轟音と剣幕に、思わず律儀に挨拶を返してしまったタナカ。
「そうだ! 朝の挨拶はおはようだろ! あれ?今は朝か?
でも夜は寝てるだろ、朝は起きてるだろ、今私起きてるってことは今は朝だっー!!!!!」
いちいち大きな声で喋らないといけないのかこの人はという疑問と、何言ってるんだという疑問でタナカのさっきまでの殺気が死んだ。
「朝ってことは朝ご飯たべるぞ! 朝にしか食べられないからな朝ご飯って!」
ベールの中からパンを一切れと小瓶を出す賢者の女性、いや本当に賢者なのか? タナカは賢いという単語を、さっきから一度たりともその身に感じていない。むしろその逆、まあつまりは馬鹿の匂いを主に鼓膜で感じている。
ここにいるのは、賢者の服を盗んだ偽賢者だとタナカは納得することにした。
「知ってるかー!パンとジャムって一緒に食うと美味いんだぞ! すっごいんだぞ!パンよりも美味しんだぞ!」
パンをジャムの瓶の中に無理矢理ねじ込んで浸し、それを口いっぱいに頬張って食べる賢者、いや賢くなさそうな女性。その馬鹿馬鹿しさにタナカは呆然とするしかなかった。
「待てよ!? これジャムじゃないかも!?」
女性はジャムの瓶を掲げ、その底を真下から覗いた。
「ジャムじゃん!!!!!」
「いや、普通中身って上から覗いて確認しない!?」
とうとうタナカはツッコんだ。密偵任務の途中に暗殺者タナカはツッコまざるを得なかった。
「マジでか!? 知らなかったー!! ところで今って朝か!? なんか朝ご飯食べてるのに周りが暗いぞ!!?」
「いや、今は夜だから」
再び瓶を掲げて底を真下から覗く女性。
「夜じゃん!!!!!」
「瓶の裏で何が確認できんだよ!?」
「くっそー! 夜かよー! 騙されたー! じゃあ夜は寝ないとな!! おやすみー!!!!!」
大声のおやすみの後、何もなかったのように女性は目を閉じて静かに眠り始めた。ていうか立ったまま寝るみたいねこの人。
さて一方のタナカは、なんの時間だったんだこれ? という疑問と頭の中で格闘中。
しかし暗殺者としての勘までは死んでいない。自分の後ろから何かが来ていると察知し、咄嗟に振り向きざまにナイフで斬りつけた。
だが、そのナイフは刺客に当たることはなく、代わりに自分が相手の拳を頬に受ける形となった。
暗殺者は反射神経を超人レベルにまで鍛え上げているので、普段は相手の攻撃を喰らうことなど絶対にありえないのだが、今回タナカの目には拳が一切見えなかった。
しかもその威力は凄まじく、10メートル程先の壁にまで吹っ飛ばされて激突してしまう。
「ふーん、僕の攻撃に対応しようとしたことは褒めてあげるよ」
自分を殴り飛ばした相手の声がする。どこか気品のある少年のような声だった。少なくともさっきの大声よりかは心地のいい声。
タナカはよろよろと立ち上がり、その声の主の姿を見る。
男性従者のような紺色の燕尾服を着てはいるものの、胸の膨らみや体付きを見るに女性のようだ。しかも、耳が尖っているのでどうやら彼女はエルフ族のよう。
エルフ族はタナカの様な人間族よりも強靭な肉体を持っている。故にタナカは自身が壁に激突させられたことにも一応の納得をした。
だが、彼女の拳が速すぎて一切見えなかったことに納得はできていなかった。
今まで何回かエルフ族の戦士と戦ったことがあったが、誰一人としてタナカに攻撃を加えられた者などいなかったからだ。
ようやくムテ騎士団の一員と出くわしたことを、体の痛みが気づかせてくれた。
そしてあの賢者の女性はバカのフリをして、大声で助けを呼んでいたことにも気づいた。
流石は賢者だ。と思ったものの、瓶を持ったまま寝たせいで、床にはジャムがぶちまけられていた。タナカはその汚さを見て、流石にこの線はないなと思い直すのであった。
だが、そのジャムの汚れが瞬きするといつの間にか綺麗に消えている。そしていつの間にかエルフがジャムで汚れた布を持っていた。僅か一瞬の間に汚れを拭いたのだろうか。
「やれやれ、アストリア。夜中に物を食べるのはよくないんだよ」
エルフはついでにアストリアと呼ばれた賢者の口の周りの食べカスを、優しく拭ってあげている。その手慣れた様子から、本当に従者の様だ。
「ねえ、君。僕は待ってるんだけど」
口を拭きながらも、エルフはタナカを横目で睨んでいる。
「さあどっからでもかかってきなよ」
彼女の力は未知数だったが、それでも戦うしか道はなく、タナカはエルフの方へと走り出し、そして突っ込むふりをしながら、ナイフの柄にあるスイッチを押す。
すると、勢いよくナイフの刃だけが発射された。これぞ暗殺者に伝わる暗器の一つ、射刃甲である。テストには出ないのでこんなダサイ名前は覚えなくてもいい。
せっかくの射刃甲による不意打ちであったが、エルフは動じることも一切なく、人差し指と中指で刃を挟み取ってしまった。
「面白いおもちゃだね。今度親戚の子にでも送ろうかな」
だが、飛びナイフだけが暗殺者の妙技ではない。タナカは間髪を入れずに身体中に隠した無数のクナイを投げる。四方八方にクナイがエルフを取り囲み、最早逃げられないかのように思えたが、またしても一瞬。一瞬の間に投げられていたはずのクナイが、全てエルフの手の中に収められていた。
「ざっと26本か。よくまあこんなに隠し持っていたものだね」
エルフはそう呟いて全部のクナイを床に捨てた。だが、タナカの隠し持つクナイはそれだけではない。
すぐに第二陣の攻撃に移ろうとクナイを取り出そうとするも、ない。クナイがないのである。そして異常に気づいたと同時に、いつの間にかエルフが自分の真後ろにいることに気づいた。
「そんなにクナイが好きなのかい? 所謂フェチズム?」
タナカはすぐに振り向くも、エルフはもういない。いや、またタナカの背後にまわったのだ。しかも、今度は腰に差していた小刀まで奪われている。
「うーん、安物」
振り向くも、またしてもいない。何かの幻覚のような状況だが、タナカにはその答えがわかっていた。
「ものすごい速さで動いている!?」
「御名答。そういう君は答えを出すのが遅すぎるけど、まあ気づいただけでも褒めておこう」
エルフは目に見えぬ速さで部屋中のあちこちを走りまわっている。暗殺業で鍛え抜かれたタナカの目ですら、時折残像が一瞬見える程度しか認識できない。
「さて、このゲストをどうおもてなししようかな。一瞬で終わらせるのは勿体ないけど、かと言って夜中じゃじっくり拷問する気分にもならないし」
エルフはタナカの周りを嘲るように、高速でぐるぐるまわっている。
だがその時、部屋の中に突然稲妻が走った。エルフは賢者アストリアをお姫様抱っこし、壁の上を走って難を逃れた。だけど我らがタナカは感電して水から揚げられたエビのようにジタバタ動いている。
「おい、アストリアに当たったらどうするんだ!」
エルフが部屋に入ってきた雷の持ち主に吠える。
「むしろアスティに当てるつもりだった。寝てたのにうるさいこのバカは」
タナカは麻痺した状態で、か細い声を出してるその人物の方へ視線を移した。
眼鏡をかけた少女で、黒い髪の上には黒い尖り帽子を乗せており、手には彼女の背丈と同じ長さの杖が。帽子と杖、その特徴は魔法使いのものである。
魔法使いの存在はこの世界では、数こそ少ないがあまり珍しいものではない。
しかし、タナカはある点において気になることがあった。
「確かにバカはバカだが、だからってこれはやり過ぎだぞマァチ。また起きたらどうすんだ」
「それもそうか。でもこのイライラどうすればいい? 代わりにバーベラが稲妻食らってくれる?」
「遠慮するよ。でも、そこのモロダシゴミ虫にでも食らわせれば?」
「モロダシゴミ虫?」
マァチとは、魔法使いのことである。
バーベラとは、エルフことである。
モロダシゴミ虫とは、タナカのことである。別にモロ出してはいないが。
「ああ、こいつか」
マァチと呼ばれた稲妻魔法少女は、床に転がってるモロダシゴミ虫ことタナカを、本当のゴミ虫でも見るかのようで目で見下ろした。
「アストリアを起こした張本人はこいつだろうし、そもそも侵入者だから好きに痛ぶってやろうじゃないか」
「でも、侵入者が来たなら団長に言わないと」
「大丈夫。跡形もなく消せば、侵入者など最初からいなかったことになる」
「成る程、バーベラ頭いい。じゃあ電力を上げて消し炭にする」
「ああ、消し炭ってしまえ」
魔法使いマァチが杖を掲げると、そこから火花がバチバチと漏れ出した。あわやタナカよ消し炭になるのか。
否、タナカは口の中で何かを噛んでいる。そして火が近づく直前に、さっきまでの麻痺が嘘だったかのように、ものすごい速さで後ろへ下がった。
「悪いな、消されるわけにはいかないんだ。
しかし驚いた。まさか無詠唱魔法が実在するとは」
この世界における魔法は必ず詠唱が伴い、通常は魔法を放つのにその分の時間がかかる。故に時間をかけずに放てる無詠唱の魔法は、伝説の存在であった。
「なんか急に動いたけど、やっぱりゴミ虫?」
「うーん、僕の見立てだと、口の中に小型のカプセルに詰めた回復薬を隠しておいて、それをこっそり服用したんだと思う。
忍びの者がいざという時に使う手段さ」
「キモい、モロダシゴミ虫の分際で」
「ああ、キモいよモロダシゴミ虫」
「さっきからモロダシゴミ虫ってなんなんだよ!?」
モロダシゴミ虫とは、タナカのことである。別にモロ出していないが。
「みんなー盛り上がってるー?」
その時、かくれんぼの対戦相手ローナの声が響く。彼女はいつの間にかタナカの横で手を振っていた。
「ローナ、アスティの部屋にこいつ入れた?」
魔法使いマァチがローナを睨みながら言う。
「ピンポーン。だってわざわざみんなに侵入者のこと知らせるより、アスティに声出してもらえば団長以外みんな起きるからさ」
何も詫びれる様子もなく元気に応えるローナ。
やはりかくれんぼはカモフラージュで、周りに知らせていたのか、そしてその方法が斜め上過ぎないかと驚くタナカ。
だが、強敵二人が目の前にいる今、隣の少女の存在は切り札になり得るとも踏んでいた。
「動くな。動けばこいつの命はないぞ」
タナカの手の甲から鋭く尖った棘が飛び出し、それをローナの首元に当てた。
「こいつは我が里に古くから伝わる、人体改造術の一つ手凶穿。例え貴様らが早く動こうと稲妻を出そうとも、わずかに動くその一瞬でこの子の首をすっ飛ばすことができる」
「小悪党そのものだね」
このエルフのバーベラに言われるまでもなく、自らの行いが小悪党、いやそれ以下の下衆がやるようなことだとタナカはわかっているし、本当はやりたくもない。
だが、自分の身綺麗さを優先させたところで任務が達成できなきゃ、下衆以下にもなれない。タナカは暗殺者として心を鬼にし、少女の首を刎ねる覚悟だ。
「んー? あっ! みんなおはよう!!!」
アストリア、またはアスティとあだ名されているバカ賢者が目を覚ます。その声は相変わらずバカデカい。
「さっき変な夢見てさー! 朝ご飯にパンにジャム塗って食べてたらさー! 今は夜って言われてそしたら本当に夜になっててさー! でもきっとあいつ侵入者に違いない! て、あっー! あいつ夢の中で見た侵入者そっくりだぞ!!!!!」
いちいちバカに付き合いたくないのか、全員が彼女の言葉を無視してる。
「なんであいつ手から変なの出してんだ?! ローナに何する気だ?! 誰か教えろー!」
「ねえ、一言一句同じにさっきの説明してあげたら? 教えないといつまでもうるさいよ」
バーベラはウンザリした顔でタナカに進言する。タナカもあのうるさいのが、ずっとうるさいままなのは困るのでそれに従ってみる。
「こいつは我が里に古くから伝わる、人体改造術の一つ手凶穿。例え貴様らが早く動こうと稲妻を出そうとも、わずかに動くその一瞬でこの子の首をすっ飛ばすことができる。って、一言一句同じじゃなくてもいいだろ」
「逆に一言一句同じに言えたことを褒めてあげたいよ。でもこれでアストリアもわかったろう。ね?」
「つまり、お前は夢の中の侵入者とは知り合いなのか!!!?」
「ごめん、全然わかってなかったよ」
タナカは無駄な時間を過ごした事に苛立ち始めた。
「とにかく、動くな! じゃないとこいつを殺す!」
自分が本気だと伝えるために、タナカは睨みを効かせた。
しかし、当の人質本人はなんにも気にしてないのかこんな事を言い出した。
「わーん怖いよー怖いよー死んじゃうよー。まだ死ぬまでにしたい4537のこともできてないのにー」
しかも腹が立つほどの棒読みでだ。周りもそんなローナの様子を笑うばかり。
「ははは、死んじゃうのかー大変だねー」
「ウケるー」
「アッハッハッハッハ!!!!!」
あまりに舐めた態度。ここまで来るとバカにされている事よりも、命のやり取りを茶化すその態度の方が、今まで人を殺めて生きてきたタナカにとっては癪に触った。
だから彼は決めた。ここははっきりさせておくべきだと、自分は命を奪う事を恐れるような人間ではないと、甘さで子供を生かしていたわけではないと。
タナカは躊躇することなく、手凶穿でローナの首を切った・・・・・・はずだった。だが皮を、血管を、肉を、そして骨を断つ感触がまるでなく、空気を切ったかのようにすり抜けた。
何度も何度も切ったが棘は少女の首の中をすり抜けていく。
「んー? どうしたのー?」
詰るようにローナが言う。
「じゃあ協力してあげるね。はい、ぐっさー! あははは!」
ローナは自分の頭を手凶穿に突っ込ませる。だがやはりすり抜けていく。
「殺せない? 殺せないよね! 幽霊だからもう死んでるんだもーん」
そう告げたローナは自分に肉体の枷がない事を自慢するかのように、空中を自由自在に飛び回ったり、壁や床をすり抜ける様を見せつけた。
急に近くに現れたり、他の人間が人質に取られても余裕の表情を見せていた事の証明に、タナカは驚くしかない。そもそも幽霊なんて初めて見たわけで。
ローナは一通り飛び回ったあと、タナカの体を突き抜けて自分の仲間の元へ行った。ローナが通り抜ける際に、タナカは激しい悪寒を感じて身震いしていた。それはまるで自分の魂が抜きたられたかのような気分だった。
「ねえねえ、こいつ間抜けすぎて面白いからさ。団長に報告しようよ。きっと気にいるよ」
「ローナの言う通りだ! 団長に言わないと!」
「そうするか。マァチはどうしたい?」
「団長なら多分もっと遊んでくれる。うん、消し炭にしない」
先程から言われている団長とは何者か、こんな癖の強い連中をまとめ上げているとはどんな人間なのか、そして自分は今から何をされるのか、タナカはそんな疑問を抱きながらも、悪寒で動けないままでいる。
「じゃあアストリア、頼むよ」
「任せろー!」
バーベラの指パッチンを合図に、ズカズカとアストリアがタナカに向かって来て、そして彼の頭を両手でしっかり掴んだ。その力はかなり強く、タナカの耳には頭蓋骨がミシミシ音を立てているのが聞こえた。
「いいかみんな! 頭だ! 頭を使うんだ!!!!!」
至近距離で聞くアストリアの声は、まるで爆発音のよう。そして頭を使うという言葉にタナカは嫌な予感がした。
「おやすみなさああああい!!!!!!」
タナカの額に思い切り頭突きをするアストリア。威力、硬度共に高く、タナカは白目を向いて気を失った。
「アストリア、頼むよってのは拷問部屋まで運んでって意味だったんだけど」
「え!!!!!? でもいっか!!!!!」
巨大要塞といっても、実際は築200年は経つオンボロ城なのだが、そこに住む奴らは何故かそう呼んでいる。
深夜、月明かりが雲に隠れて光を閉ざした頃、ガルガレオスの壁を登り、侵入しようとする若い男が一人。
彼は隠密の暗殺者、齢十七にして殺した人数は百を越す程の熟練者である。
暗殺者には名前を知られてはいけない掟があるが、物語が進まないので教えておこう。彼の名前はタナカである。
もう一度言おう。齢十七にして殺した人数は百を超す程の熟練暗殺者タナカである。
さて、名前を知られてはいけないタナカが今回オンボロ城のガルガレオスに侵入したのは暗殺のためではなく、密偵のためだ。
無論、場合によっては人を殺める覚悟もある。なにせここに住まう者はこの世で最強無敵の騎士団、ムテ騎士団なのだから。
言っておくがこの世界の言語じゃ、ムテ騎士団って名前はダジャレではなく普通の名前として扱われてるからな。
このムテ騎士団は、その最強と言われる力を使い、傍若無人な行為を繰り返しては、この地方に住まう人々の暮らしを脅かしている破廉恥極まりない一団であるという。
しかし悪事千里を走るというか、ムテ騎士団の悪評だけは各地に轟くものの、その実態を知る者は少ない。
今回の任務は彼を雇った某国が、ムテ騎士団討伐のための情報を得るために送り出したもの。
そして必ずや情報を掴んでやると意気込んで、彼は内部に侵入した。
城内には灯一つなく、見張りが巡回する足音すらしない静かな場所だった。
そもそもすんなりと内部に入れたのは城の外を見張る者すらいなかったからである。
見張りがいないのなら早めに仕事は終えられると確信し、彼は城内の見取り図作成のために周囲を見渡し、頭の中に叩き込み始める。
なんの変哲のない石造の廊下をぐるりと一周見渡すと、さっきまでいなかったはずの少女の姿が急に目の前に現れた。
これにはタナカも一瞬驚いた。なにせ暗殺者として生きるようになってからは、一度たりとも相手に近寄らせることなどなかったからだ。
しかしこの少女は気配を一切感じさせずにタナカの目の前にやって来たのだ。
タナカがこの状況をどうするか考えていると、少女が口を開く。
「お兄ちゃん誰? ここに遊びに来たの?」
少女の見た目は10歳ぐらい。しかし彼女の表情や喋り方は、彼女よりもう少し幼い子を彷彿させいて、正直に言えば、あまり賢い方の子のようではないなとタナカは感じた。これなら上手く誤魔化せると少女に返事する。
「そうだよ。遊びに来たんだ。でも時間を間違えちゃったみたいだ」
「えへへ、お兄ちゃんって変なの。みんな寝てるよこの時間」
「そうだね。でも君は?」
「ローナちゃんはね、楽しいことが好きなの。寝るのがもったいないくらいに好きなの。だから起きてるの」
説教の一つでもしてやりたい返事だが、このローナちゃんが不健康な生活を送ろうと彼の人生になんら影響を与えるわけでもないので、タナカは黙っておくことにした。
「ねえねえお兄ちゃん。ローナちゃんと遊ぼ。そうだかくれんぼしよ、ねえかくれんぼ」
「うん、いいよ」
勝手に話を進める子供は好きではなかったが、今だけは好都合だと思いタナカは深夜のかくれんぼを承諾する。
「じゃあローナちゃん隠れるから、お兄ちゃんは10数えて探しに来てね。ズルはダメだよ」
「もちろん、約束するから」
大嘘である。
「よーしじゃあはじめー!」
合図と共にローナが廊下の奥へと走っていく。一方のタナカは約束の10秒は数えず、ローナと反対方向へ走っていく。これで子供の相手はしなくて済む上に、他の場所へと散策できるわけである。
しかし自分で巻いておきながら、廊下を駆けるタナカはローナの事を考えていた。
あの子は一体何者だろう? ムテ騎士団は誘拐や奴隷狩りをやっているという噂も聞いたので、彼女もどこかから誘拐された可能性もある。高価そうなドレスを着ていたので、どこかのお嬢様だろうか。
あるいはあの子も騎士団の一員だろうか。彼自身も暗殺者の訓練は7歳の頃から始めてるのであり得ない話でもない。
もしそうなら、かくれんぼと称して仲間に侵入者の存在を知らせに行った可能性もある。最も、タナカにとっては相手が動いてくれた方が人数がわかって好都合になるのだが。
なんて考えていると、脇の方に筋肉隆々のマッチョな石造が上腕二頭筋を見せびらかしていた。
悪趣味だと苦笑しつつその横を通ると、像の隣にローナが同じポーズをして突っ立っていたので、タナカは思わずズッコケた。
「なんでいるの!?」
潜入任務中にあまり声を出さない方がいいとわかっていても、思わずツッコむタナカ。
「あれー? 見つかっちゃったー。完璧な変装だと思ったのに。
じゃあ次はお兄ちゃんが隠れる番ね。いーち、にー、さーん」
また勝手なことをとタナカは思ったが、逃げる口実にはなるのでむしろ助けになるうえ、本気でかくれんぼに勤しんでいるとわかって安心した。
しかし反対側からどうやってここに? と疑問に感じたが、おそらくこの廊下は一周できるように繋がっているのだと納得させた。なお足の速度はマッチョ像のインパクトのために考慮出来なかった模様。
廊下の奥まで行っても一周するのであれば、この先を進んでもローナと鉢合わせるかもしれないと思い、タナカは少し先にある階段を登ることにした。
その階段の先には扉が一つあるだけだった。一旦戻ってもローナと出くわすだけなので、タナカはこの中に逃げることにした。
中に入ると窓は全てステンドグラスになっており、暗くてはっきり見えないが、人や様々な生物が描かれているようであった。
奥には祭壇があり、どうやら一種の教会のような施設らしいが、壁に貼り付けられた独特な模様のレリーフはタナカの見覚えのないものであったため、なんの宗派かはわからない。
少し近づいて見ると女性の像が佇んでいるのが見えたが、また少し近づくとそれは本物の女性であった。
彼女は金の刺繍が施してある白いベールと衣を身につけ、首には金の鎖がネックレスのように巻き付けてある。タナカはその特徴が、天の賢者の衣装と一致することに気がついた。
天の賢者については噂でしか知らないタナカだが、衣装の特長とこの世で最も賢い知能を有しているという話だけは知っていた。なんでも、繁栄している国家はみな、天の賢者の知恵を借りているのだとか。
しかしなぜ賢者が賊に等しいムテ騎士団なんかの城にいるのか。やはり彼女も誘拐されたのか。そうタナカが考えていると女性が目を開いた。
タナカは咄嗟に、腕に仕込んだナイフを取り出す。
流石に大人相手では誤魔化しが効かないことは暗殺者でなくてもわかる。
だが殺しはしない。相手は非力な賢者で被害者の可能性が高い。あくまでナイフは脅し用。刃物を見せれば黙ってくれるだろうとタナカは踏んだ。
しかしそんなタナカを見た女性の第一声の言葉がこれだ。
「おはようっっ!!!!!」
まさかのこのタイミングで挨拶が飛んできたことももちろんだが、何よりも耳をつんざく程の大きな声を前にタナカは目が点になった。
「おい! お前なぁ! 挨拶したら挨拶するもんだろっっ!!!!!
はい、おはようっ!!!!!」
「あ、おはようございます」
ステンドグラスが吹っ飛んで粉々になるんじゃないかという轟音と剣幕に、思わず律儀に挨拶を返してしまったタナカ。
「そうだ! 朝の挨拶はおはようだろ! あれ?今は朝か?
でも夜は寝てるだろ、朝は起きてるだろ、今私起きてるってことは今は朝だっー!!!!!」
いちいち大きな声で喋らないといけないのかこの人はという疑問と、何言ってるんだという疑問でタナカのさっきまでの殺気が死んだ。
「朝ってことは朝ご飯たべるぞ! 朝にしか食べられないからな朝ご飯って!」
ベールの中からパンを一切れと小瓶を出す賢者の女性、いや本当に賢者なのか? タナカは賢いという単語を、さっきから一度たりともその身に感じていない。むしろその逆、まあつまりは馬鹿の匂いを主に鼓膜で感じている。
ここにいるのは、賢者の服を盗んだ偽賢者だとタナカは納得することにした。
「知ってるかー!パンとジャムって一緒に食うと美味いんだぞ! すっごいんだぞ!パンよりも美味しんだぞ!」
パンをジャムの瓶の中に無理矢理ねじ込んで浸し、それを口いっぱいに頬張って食べる賢者、いや賢くなさそうな女性。その馬鹿馬鹿しさにタナカは呆然とするしかなかった。
「待てよ!? これジャムじゃないかも!?」
女性はジャムの瓶を掲げ、その底を真下から覗いた。
「ジャムじゃん!!!!!」
「いや、普通中身って上から覗いて確認しない!?」
とうとうタナカはツッコんだ。密偵任務の途中に暗殺者タナカはツッコまざるを得なかった。
「マジでか!? 知らなかったー!! ところで今って朝か!? なんか朝ご飯食べてるのに周りが暗いぞ!!?」
「いや、今は夜だから」
再び瓶を掲げて底を真下から覗く女性。
「夜じゃん!!!!!」
「瓶の裏で何が確認できんだよ!?」
「くっそー! 夜かよー! 騙されたー! じゃあ夜は寝ないとな!! おやすみー!!!!!」
大声のおやすみの後、何もなかったのように女性は目を閉じて静かに眠り始めた。ていうか立ったまま寝るみたいねこの人。
さて一方のタナカは、なんの時間だったんだこれ? という疑問と頭の中で格闘中。
しかし暗殺者としての勘までは死んでいない。自分の後ろから何かが来ていると察知し、咄嗟に振り向きざまにナイフで斬りつけた。
だが、そのナイフは刺客に当たることはなく、代わりに自分が相手の拳を頬に受ける形となった。
暗殺者は反射神経を超人レベルにまで鍛え上げているので、普段は相手の攻撃を喰らうことなど絶対にありえないのだが、今回タナカの目には拳が一切見えなかった。
しかもその威力は凄まじく、10メートル程先の壁にまで吹っ飛ばされて激突してしまう。
「ふーん、僕の攻撃に対応しようとしたことは褒めてあげるよ」
自分を殴り飛ばした相手の声がする。どこか気品のある少年のような声だった。少なくともさっきの大声よりかは心地のいい声。
タナカはよろよろと立ち上がり、その声の主の姿を見る。
男性従者のような紺色の燕尾服を着てはいるものの、胸の膨らみや体付きを見るに女性のようだ。しかも、耳が尖っているのでどうやら彼女はエルフ族のよう。
エルフ族はタナカの様な人間族よりも強靭な肉体を持っている。故にタナカは自身が壁に激突させられたことにも一応の納得をした。
だが、彼女の拳が速すぎて一切見えなかったことに納得はできていなかった。
今まで何回かエルフ族の戦士と戦ったことがあったが、誰一人としてタナカに攻撃を加えられた者などいなかったからだ。
ようやくムテ騎士団の一員と出くわしたことを、体の痛みが気づかせてくれた。
そしてあの賢者の女性はバカのフリをして、大声で助けを呼んでいたことにも気づいた。
流石は賢者だ。と思ったものの、瓶を持ったまま寝たせいで、床にはジャムがぶちまけられていた。タナカはその汚さを見て、流石にこの線はないなと思い直すのであった。
だが、そのジャムの汚れが瞬きするといつの間にか綺麗に消えている。そしていつの間にかエルフがジャムで汚れた布を持っていた。僅か一瞬の間に汚れを拭いたのだろうか。
「やれやれ、アストリア。夜中に物を食べるのはよくないんだよ」
エルフはついでにアストリアと呼ばれた賢者の口の周りの食べカスを、優しく拭ってあげている。その手慣れた様子から、本当に従者の様だ。
「ねえ、君。僕は待ってるんだけど」
口を拭きながらも、エルフはタナカを横目で睨んでいる。
「さあどっからでもかかってきなよ」
彼女の力は未知数だったが、それでも戦うしか道はなく、タナカはエルフの方へと走り出し、そして突っ込むふりをしながら、ナイフの柄にあるスイッチを押す。
すると、勢いよくナイフの刃だけが発射された。これぞ暗殺者に伝わる暗器の一つ、射刃甲である。テストには出ないのでこんなダサイ名前は覚えなくてもいい。
せっかくの射刃甲による不意打ちであったが、エルフは動じることも一切なく、人差し指と中指で刃を挟み取ってしまった。
「面白いおもちゃだね。今度親戚の子にでも送ろうかな」
だが、飛びナイフだけが暗殺者の妙技ではない。タナカは間髪を入れずに身体中に隠した無数のクナイを投げる。四方八方にクナイがエルフを取り囲み、最早逃げられないかのように思えたが、またしても一瞬。一瞬の間に投げられていたはずのクナイが、全てエルフの手の中に収められていた。
「ざっと26本か。よくまあこんなに隠し持っていたものだね」
エルフはそう呟いて全部のクナイを床に捨てた。だが、タナカの隠し持つクナイはそれだけではない。
すぐに第二陣の攻撃に移ろうとクナイを取り出そうとするも、ない。クナイがないのである。そして異常に気づいたと同時に、いつの間にかエルフが自分の真後ろにいることに気づいた。
「そんなにクナイが好きなのかい? 所謂フェチズム?」
タナカはすぐに振り向くも、エルフはもういない。いや、またタナカの背後にまわったのだ。しかも、今度は腰に差していた小刀まで奪われている。
「うーん、安物」
振り向くも、またしてもいない。何かの幻覚のような状況だが、タナカにはその答えがわかっていた。
「ものすごい速さで動いている!?」
「御名答。そういう君は答えを出すのが遅すぎるけど、まあ気づいただけでも褒めておこう」
エルフは目に見えぬ速さで部屋中のあちこちを走りまわっている。暗殺業で鍛え抜かれたタナカの目ですら、時折残像が一瞬見える程度しか認識できない。
「さて、このゲストをどうおもてなししようかな。一瞬で終わらせるのは勿体ないけど、かと言って夜中じゃじっくり拷問する気分にもならないし」
エルフはタナカの周りを嘲るように、高速でぐるぐるまわっている。
だがその時、部屋の中に突然稲妻が走った。エルフは賢者アストリアをお姫様抱っこし、壁の上を走って難を逃れた。だけど我らがタナカは感電して水から揚げられたエビのようにジタバタ動いている。
「おい、アストリアに当たったらどうするんだ!」
エルフが部屋に入ってきた雷の持ち主に吠える。
「むしろアスティに当てるつもりだった。寝てたのにうるさいこのバカは」
タナカは麻痺した状態で、か細い声を出してるその人物の方へ視線を移した。
眼鏡をかけた少女で、黒い髪の上には黒い尖り帽子を乗せており、手には彼女の背丈と同じ長さの杖が。帽子と杖、その特徴は魔法使いのものである。
魔法使いの存在はこの世界では、数こそ少ないがあまり珍しいものではない。
しかし、タナカはある点において気になることがあった。
「確かにバカはバカだが、だからってこれはやり過ぎだぞマァチ。また起きたらどうすんだ」
「それもそうか。でもこのイライラどうすればいい? 代わりにバーベラが稲妻食らってくれる?」
「遠慮するよ。でも、そこのモロダシゴミ虫にでも食らわせれば?」
「モロダシゴミ虫?」
マァチとは、魔法使いのことである。
バーベラとは、エルフことである。
モロダシゴミ虫とは、タナカのことである。別にモロ出してはいないが。
「ああ、こいつか」
マァチと呼ばれた稲妻魔法少女は、床に転がってるモロダシゴミ虫ことタナカを、本当のゴミ虫でも見るかのようで目で見下ろした。
「アストリアを起こした張本人はこいつだろうし、そもそも侵入者だから好きに痛ぶってやろうじゃないか」
「でも、侵入者が来たなら団長に言わないと」
「大丈夫。跡形もなく消せば、侵入者など最初からいなかったことになる」
「成る程、バーベラ頭いい。じゃあ電力を上げて消し炭にする」
「ああ、消し炭ってしまえ」
魔法使いマァチが杖を掲げると、そこから火花がバチバチと漏れ出した。あわやタナカよ消し炭になるのか。
否、タナカは口の中で何かを噛んでいる。そして火が近づく直前に、さっきまでの麻痺が嘘だったかのように、ものすごい速さで後ろへ下がった。
「悪いな、消されるわけにはいかないんだ。
しかし驚いた。まさか無詠唱魔法が実在するとは」
この世界における魔法は必ず詠唱が伴い、通常は魔法を放つのにその分の時間がかかる。故に時間をかけずに放てる無詠唱の魔法は、伝説の存在であった。
「なんか急に動いたけど、やっぱりゴミ虫?」
「うーん、僕の見立てだと、口の中に小型のカプセルに詰めた回復薬を隠しておいて、それをこっそり服用したんだと思う。
忍びの者がいざという時に使う手段さ」
「キモい、モロダシゴミ虫の分際で」
「ああ、キモいよモロダシゴミ虫」
「さっきからモロダシゴミ虫ってなんなんだよ!?」
モロダシゴミ虫とは、タナカのことである。別にモロ出していないが。
「みんなー盛り上がってるー?」
その時、かくれんぼの対戦相手ローナの声が響く。彼女はいつの間にかタナカの横で手を振っていた。
「ローナ、アスティの部屋にこいつ入れた?」
魔法使いマァチがローナを睨みながら言う。
「ピンポーン。だってわざわざみんなに侵入者のこと知らせるより、アスティに声出してもらえば団長以外みんな起きるからさ」
何も詫びれる様子もなく元気に応えるローナ。
やはりかくれんぼはカモフラージュで、周りに知らせていたのか、そしてその方法が斜め上過ぎないかと驚くタナカ。
だが、強敵二人が目の前にいる今、隣の少女の存在は切り札になり得るとも踏んでいた。
「動くな。動けばこいつの命はないぞ」
タナカの手の甲から鋭く尖った棘が飛び出し、それをローナの首元に当てた。
「こいつは我が里に古くから伝わる、人体改造術の一つ手凶穿。例え貴様らが早く動こうと稲妻を出そうとも、わずかに動くその一瞬でこの子の首をすっ飛ばすことができる」
「小悪党そのものだね」
このエルフのバーベラに言われるまでもなく、自らの行いが小悪党、いやそれ以下の下衆がやるようなことだとタナカはわかっているし、本当はやりたくもない。
だが、自分の身綺麗さを優先させたところで任務が達成できなきゃ、下衆以下にもなれない。タナカは暗殺者として心を鬼にし、少女の首を刎ねる覚悟だ。
「んー? あっ! みんなおはよう!!!」
アストリア、またはアスティとあだ名されているバカ賢者が目を覚ます。その声は相変わらずバカデカい。
「さっき変な夢見てさー! 朝ご飯にパンにジャム塗って食べてたらさー! 今は夜って言われてそしたら本当に夜になっててさー! でもきっとあいつ侵入者に違いない! て、あっー! あいつ夢の中で見た侵入者そっくりだぞ!!!!!」
いちいちバカに付き合いたくないのか、全員が彼女の言葉を無視してる。
「なんであいつ手から変なの出してんだ?! ローナに何する気だ?! 誰か教えろー!」
「ねえ、一言一句同じにさっきの説明してあげたら? 教えないといつまでもうるさいよ」
バーベラはウンザリした顔でタナカに進言する。タナカもあのうるさいのが、ずっとうるさいままなのは困るのでそれに従ってみる。
「こいつは我が里に古くから伝わる、人体改造術の一つ手凶穿。例え貴様らが早く動こうと稲妻を出そうとも、わずかに動くその一瞬でこの子の首をすっ飛ばすことができる。って、一言一句同じじゃなくてもいいだろ」
「逆に一言一句同じに言えたことを褒めてあげたいよ。でもこれでアストリアもわかったろう。ね?」
「つまり、お前は夢の中の侵入者とは知り合いなのか!!!?」
「ごめん、全然わかってなかったよ」
タナカは無駄な時間を過ごした事に苛立ち始めた。
「とにかく、動くな! じゃないとこいつを殺す!」
自分が本気だと伝えるために、タナカは睨みを効かせた。
しかし、当の人質本人はなんにも気にしてないのかこんな事を言い出した。
「わーん怖いよー怖いよー死んじゃうよー。まだ死ぬまでにしたい4537のこともできてないのにー」
しかも腹が立つほどの棒読みでだ。周りもそんなローナの様子を笑うばかり。
「ははは、死んじゃうのかー大変だねー」
「ウケるー」
「アッハッハッハッハ!!!!!」
あまりに舐めた態度。ここまで来るとバカにされている事よりも、命のやり取りを茶化すその態度の方が、今まで人を殺めて生きてきたタナカにとっては癪に触った。
だから彼は決めた。ここははっきりさせておくべきだと、自分は命を奪う事を恐れるような人間ではないと、甘さで子供を生かしていたわけではないと。
タナカは躊躇することなく、手凶穿でローナの首を切った・・・・・・はずだった。だが皮を、血管を、肉を、そして骨を断つ感触がまるでなく、空気を切ったかのようにすり抜けた。
何度も何度も切ったが棘は少女の首の中をすり抜けていく。
「んー? どうしたのー?」
詰るようにローナが言う。
「じゃあ協力してあげるね。はい、ぐっさー! あははは!」
ローナは自分の頭を手凶穿に突っ込ませる。だがやはりすり抜けていく。
「殺せない? 殺せないよね! 幽霊だからもう死んでるんだもーん」
そう告げたローナは自分に肉体の枷がない事を自慢するかのように、空中を自由自在に飛び回ったり、壁や床をすり抜ける様を見せつけた。
急に近くに現れたり、他の人間が人質に取られても余裕の表情を見せていた事の証明に、タナカは驚くしかない。そもそも幽霊なんて初めて見たわけで。
ローナは一通り飛び回ったあと、タナカの体を突き抜けて自分の仲間の元へ行った。ローナが通り抜ける際に、タナカは激しい悪寒を感じて身震いしていた。それはまるで自分の魂が抜きたられたかのような気分だった。
「ねえねえ、こいつ間抜けすぎて面白いからさ。団長に報告しようよ。きっと気にいるよ」
「ローナの言う通りだ! 団長に言わないと!」
「そうするか。マァチはどうしたい?」
「団長なら多分もっと遊んでくれる。うん、消し炭にしない」
先程から言われている団長とは何者か、こんな癖の強い連中をまとめ上げているとはどんな人間なのか、そして自分は今から何をされるのか、タナカはそんな疑問を抱きながらも、悪寒で動けないままでいる。
「じゃあアストリア、頼むよ」
「任せろー!」
バーベラの指パッチンを合図に、ズカズカとアストリアがタナカに向かって来て、そして彼の頭を両手でしっかり掴んだ。その力はかなり強く、タナカの耳には頭蓋骨がミシミシ音を立てているのが聞こえた。
「いいかみんな! 頭だ! 頭を使うんだ!!!!!」
至近距離で聞くアストリアの声は、まるで爆発音のよう。そして頭を使うという言葉にタナカは嫌な予感がした。
「おやすみなさああああい!!!!!!」
タナカの額に思い切り頭突きをするアストリア。威力、硬度共に高く、タナカは白目を向いて気を失った。
「アストリア、頼むよってのは拷問部屋まで運んでって意味だったんだけど」
「え!!!!!? でもいっか!!!!!」
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