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「臆病風車リング」と魔術師ウサキョンの成り上がり

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 魔術師ウサキョンは、いまにも泣きだしそうな顔で、商店街を歩いていた。こしを曲げ、安い宝玉がうめこまれた杖を、ついている。マズルから鼻水がたれているのにも、気づかない。兎人のトレードマークである長い耳も、力なくしおれている。
 理由は単純だった。
 さきほど、冒険者パーティをおいだされたばかりだからだ。
 宿でのやりとりが、あたまの中でリプレイされる。
「なんでマモノの群れに対して<イグニス・ピラ:火炎球>ではなく、<アラネア・ターム:蜘蛛の巣>を唱えようとしたんだ! もし呪文が成功してたら、前衛に誤射していたところだぞ!」
「だって、たくさんのマモノを攻撃したら、みんな私を狙うじゃないですか。それを考えたら、怖くって、頭真っ白になって、気づいたらマモノが目の前にいて、足止めしなくちゃって思って……」
「怖いって、おまえ後衛だろ! 俺たちが守るから、って普段から耳にタコができるくらい言い聞かせてるだろうが! それとも、俺たちを信用してないってのか」
「ひぃっ!? ウズクさん、すいません、すいません!」
 信用していると言ったらうそになる。その上、彼は人使いがとてもあらかった。とても、守ってくれるとは思えない。
 とはいえ、そんなことを言えば、火に油を注いでしまう。想像しただけで恐ろしい。
「しかも、魔術師の癖して、呪文噛むとかマジありえない。下手すりゃ死んでたぞ! 仲間の命預かってる自覚あんのか!」
「すみません、すみません。怖がりで、すみません!」
「……ッチ! レベル5超えてるからって期待したのによぉ。これならレベル1の新人のほうが、ずっとマシじゃねぇか。もういい、おまえといるだけで寿命が縮む! 出て行け!」
「まって! ウズクさん! わたしにはもう、お金が――」
「知るかよ!」

 ウサキョンは、こわがりだった。十五をすぎても、お化けやしきの外見すら見れないほどだ。道を歩くときも、他人と距離をとらないと、ドキドキしてしまう。
 ウサキョンは、この気質のせいで、他人の数倍生きるのに苦労していた。
 冒険者になり、環境を変えれば、自分も変われるとおもっていた。でも、現実はちがった。こわがり気質は、弱まるどころか、増すばかりだった。
「どうしよう、どうしよう……。何年もかけて呪文を学んだのに……」
 恐怖で集中をみだされると、呪文は失敗する。
 「怖がり」というのは、魔術師として致命的な欠点だった。
「どうしよう。またパーティを組んでくれる人を探す? でも、わたしなんかと、組みたがる人なんていないよね。もしみつかったとしても、どうせまた嫌われる。想像しただけで怖い」
 低レベルの魔術師はか弱い。下級呪文や小鬼魔の一撃で、即死してしまう。呪文動作を阻害するため、鎧の類がつけられないからだ。魔術師は常に、命の危険にさらされる。とても、怖い。
 しかし、この恐怖をのりこえないかぎり、魔術師としてやっていくのは不可能だった。
「冒険者以外に転職する? でも、何に転職すれば良いの? わたし、冒険者職に使う呪文しか練習しかしてないし。もし失敗したら? 想像しただけで怖くてたまらない……」
 ぼーっと歩いていると、通行人にぶつかってしまった。相手の背がひくく、みえなかったのだ。
「ご、ごめんなさい! ごめんなさい!」
 が、ウサキョンはなんども頭をさげた。もうしわけない以上に、怒られるのがこわかった。
「いーのいーの!」
 足もとから声がした。
 声の主は、子猫の獣人だった。魔術師の服をまねた、子供用の黒いローブを着ている。黒い三角帽子からは、猫耳がつきでていた。縁からは、金の髪の毛がたれている。体毛は金と白で、見るからにつややか。魔術師のコスプレをした子供にしかみえない。背中には、かわいらしいしっぽがチラリと見えた。
「こんにちは、幸運のお客さま」
 大きなつり目をクリクリさせながら、彼女はつづけた。
「アタシはふしぎ魔法具屋のミミコッテ! あなたのなやみを言ってごらんなさい。ニャニャンと願いをかなえる、ふしぎ魔法具をおゆずりするわ!」
 ふしぎ魔法具? きいたことがない。少なくとも、魔術師の試験範囲にはなかった。魔術師の専門書でも、見たことがない。
 どう考えてもあやしい。でもなぜか、嘘にはきこえなかった。
 ウサキョンは、反射的に答えていた。
「あ、あの、わたし、怖がりな自分を変えたいんです!」
「それならちょうどいいものがあるわ!」
 ミミコッテは帽子の中へ手をさしこんだ。とりだされたのは、小さな指輪だった。アームは銀。宝石の色は透明だったが、内側でなにかがうごいている。
「<臆病風車リング>! 臆病風力発魔器を小型化して指輪に封じ込めたものよ」
 ウサキョンは声を発することすらできず、商品をながめていた。すごい。成人してからというもの、こんなになにかがほしいと思ったことはなかった。どうしよう、ほしい。これこそがわたしに足りなかったもの! 必要だったもの!
 マジックアイテムの価格は上を見ればきりがない。例えば、一般的な鎧の防御力をマジックアイテムで再現するとなると、600倍以上の額がかかってしまう。
 眼前のこれは、きりがない中でも頂点に位置するものだ。実質タダならもらわないわけにはいかない。
「ください! わたしにそれを!」
「じゃあいくわよ――」
 ミミコッテは右手を空に掲げると、親指の先っぽに中指を乗せた。
「あなたのラッキーくださいニャン♡」
 ミミコッテが中指をパチンを鳴らすと、ウサキョンの体が淡い光に包まれた。光は<臆病風車リング>に注ぎ込まれた。
「では、お品者をどうぞ。これでふしぎ魔法具はあなたのもの! つけるだけで、あらふしぎ。この『臆病風車リング』をつけた人は、恐怖の感情が魔力に変換されるわ」
 まじまじと指輪をながめる。とうめいな宝石の内側で、赤い風車がゆれている。なんてかわいいのだろう。いつまでも見ていられそう。
「不具合はないはずよ」
「ない『はず』? それって──」
「道具をどう使うかは、あなたの心がけ次第よ!」
 ウサキョンの言葉に、ミミコッテがかぶせた。
「ご購入、ありがとうござました!」
 ミミコッテは、両手を前にそろえて、深々とおじぎした。同時に、視界がぼやけ、気づいたら、だれもいなくなっていた。
 手には、風車リングと、一枚の紙切れがにぎられていた。

<あなたが恐怖風車リングを身につけている間、恐怖心を魔力に変換する。他者はこのリングを知覚できず、通常の魔法的手段では探知できない>

 魔力とは、呪文発動に使うエネルギー。魔力が増えるということは、より多くの回数、より高い精度で、より強力な呪文を、より安定して唱えることができるということだ。
 ウサキョンは、おそるおそるリングをつけた。
 リングの中の風車がクルクルと回転し始める。するとどうだろう。恐怖という感情そのものが、きれいさっぱり消えてしまった。
「なに……これ……」
 からだの内側に、魔力がみなぎった。のろいのアイテムのように、魔力に振りまわされるなんてこともない。まるで、ずっと前から練習してきたかのように、増えた魔力をカンタンに制御できる。
 もう一度手に取ろうした。すると、指がすり抜けてしまった。どうやら、盗難対策らしい。
「すごい、これなら……」

 手をぷらぷらさせて汚れを落とす。両手を舐めてから、まずは口元をゴシゴシ。次に顔全体をゴシゴシ。髪の毛をとかすように、耳をなでなで。
 ウサキョンはレンガ造りの建物――冒険者ギルドの一室で待っていた。
 恐怖は消えても緊張は消えない。けづくろいをして、なんとか心を落ちつかせる。何回やっても、面接はなれない。 
 しばらくして、プレートアーマーを着たイノシシの亜人がやってきた。見上げるほどおおきい。少なくとも身長は180をこえている。体格も、たずさえた大剣に見合ったものだった。彼が、今回入ろうとしているCランクパーティのリーダーだ。
 以前のウサキョンなら、目にしただけで、手足がふるえていただろう。でも今は、まったく恐怖をかんじない。
 すごい、ほんとうに効いている。
「わたしウサキョンと申します。レベル6の魔術師です」
「おう、本当かい? ちょうど、黒魔道士が療養中なんだ。助かるよ」
 猪剣士に連れられて、ギルド内にある食堂へ。隅のテーブルに、彼のなかまたちが待っていた。
「ウサギの亜人か。リーダーにおびえないとはたいした度胸だ」
 りりしい声の主は、耳がながく、切れ目で、たんせいな顔の男。猪剣士ほどではないものの、背が高い。狩人服は使いこまれており、歴戦をかんじさせる。
「こんなかわいらしい後輩ができるなんて……」
 と、うっとりしているのは、童顔で小柄な女性だった。体格に似合わない重そうな鎧のうえに、法衣をはおっている。テーブルに、<キュレイト:治療>の呪文が封じられているロッドを立てかけている。ウサキョンの予想通り、彼女はドワーフの癒術師だった。
 面接は、今までとは比べものにならないほど、うまくいった。恐れが消えたことで、実力を最大限発揮できたからだ。

 自然と災害は切りはなせない。
 海には津波、山には噴火、魔力には瘴気。
 瘴気はマモノを生み、マモノは人や動物をおそう。冒険者の主な仕事は、マモノの討伐である。
「ウサキョン! 下がれ!」
 なかまが見守る中、ウサキョンはウルフアメーバと対峙する。一見、オオカミの形をしている緑色粘性の生物は、舌をなめずりながら、間合いをはかっている。
 周囲にはいくつもの大岩がある。
 魔術師は、呪文以前に、敵から攻撃されない位置取りを見抜くことが大切だ。呪文をとなえる前に死んでは、意味がない。常に仲間と敵の位置・能力を把握し、身の安全を確保する。猪剣士たちもその能力を試すために、この場所をえらんだのだろう。
 ふつうの魔術師であれば、岩にかくれて戦うにちがいない。あるいは<スペクルム・イマジネム:鏡分身>や<インヴィジ:透明化>で身を守るかするだろう。<フォエティダ・ヌベス:悪臭毒雲>から<イグニス・ピラ:火炎球>の黄金コンボでも、いいかもしれない。習得している呪文の発動時間・射程距離・効果範囲・効果・持続時間を正確に把握しているウサキョンなら、造作もないことだった。
 しかし、ウサキョンはかくれない。右手に杖をたずさえて、相手をにらむ。
「ウサキョン、隠れろ! 危険だ! 距離をとれ!」
 狩人の声が聞こえた。ウサキョンはありがたいと思いつつも、無視した。
 ウルフアメーバは、一瞬にして液体と化し、ウサキョンの眼前に移動。オオカミの姿にもどり、大きく跳躍。
「きゃぁっ!」
 癒術師の悲鳴がきこえきた。ウサキョンはそれすらも聞き流した。
「今っ!」
 ウルフアントはウサキョンの左うでにかみつこうとした。しかし、口がとじることがなかった。ウルフアメーバの喉につっこまれた腕から、炎が放たれたからだ。
「ぐぎょぉぉおおお!」
 のど奥まで、炎がすべりこむ。
 ウルフアメーバは穴という穴から、火をふきだして、うしろへふっとんだ。体の内側が橙に変色しながら、ぼこぼこと膨張、破裂した。地面に、数滴の断片がこびりついた。
 一方ウサキョンも、反動でしりもちをついてしまった。
「炎が弱点の魔獣とはいえ、<イグニス:火炎>で、い、一撃……」
「0距離で魔法を打つなんて。下手したら、自滅……」
「敵眼前で精神集中がとぎれないなんて、わたくしにも……」
 よっぽどおどろいたのだろう。なかまたちは、口が開いているのにも気づかないようすだった。
 ウサキョンは、じつにすがすがしい気分で立ちあがった。さいしょからさいごまで、まったく恐怖をかんじなかったからだ。
 猪剣士が頭をかきながら近づいてきた。
「腕をかまれたら、どうするつもりだった?」
「安心してください。あの距離なら八割方詠唱が間に合う算段でした。もし運悪く噛まれたとしても、腕ごとアメーバを焼くつもりでした。どのみち、この程度の傷なら、癒術師さんが回復できるでしょう?」
 小さな鎧をカシャカシャいわせながら、癒術師がかけよってきた。
「あ、あの、でも、あたくしの<治癒:キュレイト>には限度がありますのよ? あくまで体の治癒力を亢進するだけですから。自然治癒ができないほどの重傷を負っては、いくらあたくしでもどうにもなりませんわ。魔術師の教育課程で、聖職者系の呪文についてっも、ちゃんど学んでいますよね?」
「大丈夫。もちろん、わかってます。ダメだったら諦めるつもりでした」
「な、なんで、そ、そこまで!?」
「確実に受かりたいので!」
 癒術師はひきつった顔で、ワンドをふった。
 火炎魔法でも、数発は耐えるウルフアメーバを一撃で粉砕。成果だけみれば文句なし。無事、ウサキョンは冒険者パーティに受け入れられた。

 ギルド内の食堂はいつものように、にぎわっていた。昨日まで騒がしさは恐怖でしかなかったが、今ではここちよかった。
 癒術師は<マヌス・バプティスマタ:手指洗浄>の魔法で四人の手を浄化。隅のテーブルにすわると、本をひらいた。タイトルは「応急処置100の常識」。戦闘中に一言一動間違えず呪文のプロセスをこなす集中力で、本を読みはじめた。
 一方、ウサキョンを呼び出した狩人は、トランプを片手に広げ、もう片手でチップをもてあそんでいた。眉間にしわがよっている。
 猪剣士は、トランプに集中しているのか、一切しゃべらない。反対に、狩人はじょうぜつだった。
「自分探しをしたくて、村を出たんだ」
「自分探し、ですか?」
 エルフは手札から場に何枚かカードを出すと、同じ枚数だけ山札から引いた。
「さまざまな初挑戦をする。しらなかったことをしったり、やったことないことをすると、いろんな自分に巡り会うだろう? 例えば、ギャンブルが好きな自分には、故郷に閉じこもって木の上で隠遁をしていたら、決してあえなかった」
 ばしんと手札をオープン。絵柄も数字もバラバラだ。
 顔をしかめっ面にしながら、狩人はチップを対戦相手に投げた。
「人はみな、無限の可能性をひめている。が、あくまで可能性だ。可能性は秘めているだけじゃつまらない。オレは可能性を発掘し、おのおのを磨き上げ、才能として開花させたい」
「才能を開花させたら、何をするんです?」
「自分の最も秀でた能力で、他者の役に立つ。例えば自分が所属するグループに貢献したり、仲間と協力したりだな。俺は、互いに尊敬・信頼し合う人たちの中で、自分の価値を実感したい。エルフのサガだ」
 共同体至上主義なんだと呟くと、あらたに五枚のカードを受けとった。狩人の顔色がさらに悪くなった。
「ただ、エルフの村は閉鎖的で、変化がない。変化がなければ初体験がない。初体験をするには、村を出て、冒険者になるしかなかった。まあ、ほかの奴らには理解されなかったがな」
 狩人は、手札を全て捨て、カードを引き直した。表情はかわらない。むしろひどくなっている気がする。
 ウサキョンは、思わず質問した。
「わたしにも、発掘できますかね? 可能性」
「先走って、死ななければな」
 狩人はつぶやきながら、全てのチップを猪剣士に渡した。
「心配させて、すみません」
「わかってくれればいい。オレは、可能性の潰える瞬間が、一番嫌いなんだ」 
 狩人は一旦目を閉じてから、カッと見開き、叫んだ。
「くそったれ、もう一勝負だ! ウサキョン、俺につけ!」
「はい!?」
「ちょっと待て、おい。負けたからってそりゃないだろう!」
 癒術師も本を閉じると、こちらへ歩いてきた。
「だったら、あたくしはリーダーにつきますわね」

 今回の依頼は、小鬼魔の掃討だった。
 子供大の人型のマモノだ。手足は細く短く、お腹がふくらんでいる。鼻と耳が異様に長く、ひどくいびつな見た目。
 足跡追跡を終えた狩人は、にやりと口角を上げた。
「今視認できるのは10匹。合計は12匹。日差しをさけるために、岩の陰で涼んでる。のんきな奴らだ。武装は皮の鎧と木槍。体格は中~小。一人足を負傷してる」
「さっき、足跡から推測した通りだな。その素晴らしい観察力を少しはトランプに――」
「うっせぇ」
 狩人は望遠鏡をしまうと、狩り道具の手入れをはじめた。
 ウサキョンはピンと耳を立てて、ガッツポーズした。
「火炎魔法で不意打ちできそうですね」
「奇襲に成功すれば、オレの弓の力を最大限に発揮できる」
「じゃあ俺は、二人の攻撃を突破した奴を、ぶった切るまでだ」
「わたくしは皆さんを支援できる距離を保ちつつ、ウサキョンさんを守りますわ。みなさん、ぞんぶんに戦ってくださいまし」
 敵に気づかれないようにちかづく。<インヴィジ:透明化>の呪文を使っているとはいえ、音やにおいなどでばれる可能性もある。以前だったら、泣きだしそうなシチュエーションだ。でも今は、おだやかだった。小鬼魔の姿が見えても、不安はあれど恐怖はない。
「敵陣中央まで二十メートル。ウサキョン、たのむぞ。消し飛ばしてやれ」
 外したときのリスクは大きい。
 ウサキョンの魔力量では、この規模の呪文は一日三回が限度だ。一回でも外すと痛い。なかまが危険にさらされるし、狩人の<奇襲攻撃>の技能も活かせなくなる。
 命中したとしても、敵の注目を一気にあびる。
 以前の自分ならなら、恐怖でおしつぶされていただろう。でも、今はちがう。恐れるどころか、力がわきあがってくる。
 ウサピョンの口から、超高音、超低音がいりまじった、きみょうな言語がつむがれる。杖にうめこまれた宝玉があわくかがやく。同時に、呪文による透明化がとけ、ウサキョンの姿があらわとなった。左手を前につきだしている格好。
 <イグニス・ピラ:火炎球>の呪文によって、左手の中心に火がともった。火はまるで意思をもっているかのように伸縮し、にぎりこぶし大の火の球へと変化。小鬼魔の集団へむかってとんでいった。
 光は敵陣のど真ん中へ消えたかと思えば、一気にはぜた。黄色とオレンジがはじけ飛び、赤いビラビラが上へ向かってたなびく。
 遅れて衝撃波がウサキョンたちをうった。
 炎の中で黒い陰がおどり狂う。ざっと数えても五人はのまれている。
 残党はちりぢりに散った。が、その半数は弓によってしとめられた。
 猪剣士はとっぱしてきた三匹を挑発。
「さあて、新人にかっこいいところをみせなきゃな!」
 剣士が、交戦を開始。正面にかまえて、一匹ずつ冷静に対処していく。
「何人かかってこようが、一瞬一瞬は一対一だッ!」
 剣士の輪郭はかすみ、たえずゆれ動いている。ウサキョンの呪文の効果だ。相手からしたら、攻撃が当てにくい事、この上ないだろう。小鬼魔たちの表情には、いらだちが見てとれた。
 猪剣士への誤射をさけるため、前に出ながら呪文を詠唱。小鬼魔の上からねっとりとしたなにかが、ふってきた。二匹が、粘体に足をとられ、たおれた。さらにもう一人が巻き込まれ、転倒する。
「<ピグニス:脂>か! サンキュー、ウサキョン!」
 剣士はここが勝機とみて、大技を披露。腕をのばしたまま、すばやく一回転。
 三匹の小鬼魔を両断。
「増援! 増援だ!」
 狩人の声を聞き、ウサキョンはさらに呪文を詠唱。
 小鬼魔一団の前方に、白いケムリが充満した。半径6メートル、直径12メートルのドーム状。のまれた小鬼魔たちは、口と鼻をおさえて嗚咽する。
 悪臭の雲から出てきた小鬼魔たちを、猪剣士と狩人が一対ずつ、着実に対処。
「報酬、上乗せだな!」
 剣士の笑い声と共に、戦いが終わった。

 ウサキョンは一息ついて、風車リングに目をやった。
 危険を察知することはできる。感覚情報を冷静に解釈することもできる。状況を分析することもできる。危険にさらされないために何をすればいいかも考えられる。
 痛みをさけたいのは変わらないし、戦闘中は緊張もする。けれど、恐怖というものだけが、すっぽりと抜けていた。
 『恐怖を消したせいで、無謀な行動をしてしまう』といった悪影響はまったくみられない。それどころか『一見危険にみえて、誰もやりたがらないが、実際には効果的な手段』を躊躇なく行えるようになった。
「使用者への配慮が、完璧に行きわたってる。すごい。今度ミミコッテに会ったら、お礼言わなきゃ……」
 指輪をなでたとき、背後から癒術師の細い声がきこえてきた。
「ふぅ、安心しましたわ。彼の想いをちゃんと汲んでくださったようで。正直、ミミコッテさんが前に出たときはひやっとしました。あたくしてっきり、この前みたいに、あなたが特攻するのか……」
「まさか。この状況で、そんなことしませんよ!」
 と、ウサキョンが振り向いた瞬間だった。
 癒術師の後ろの岩から、なにかがとびだした。小鬼魔。装備の豪華さからしてリーダー格。おそらく、ずっと陰にかくれていた。
 高速で思考する。人間の1.5倍をほこる兎の脚力を利用したジャンプでも、この距離は無理。自分と小鬼魔の間に癒術師がいるため、<イグニス・ピラ:火炎球>や<トニトルス:雷撃>はつかえない。
 ウサキョンはとっさに、自分の背後へ向けて<イグニス:火炎>をはなった。爆風圧を利用し、跳躍。杖を小鬼魔にたたきつける。
 小鬼魔は、目を見ひらいたものの、剣で杖を受けとめた。さらに反対の手で、こしの鞘からナイフを引き抜き、ウサキョンを切りさこうとする。
 対してウサキョンは、すばやく前進。腹で小鬼魔の左手を押さえ、ナイフを封じた。右腹が少し痛んだが、恐怖はない。
「な、なんてやつ」
 狩人がつぶやくのとほぼ同時に、小鬼魔は倒れた。
 静かに吹き付ける風に、肉の焼ける匂いが混じる。
 ウサキョンはとっさに、風車リングを見た。ウサキョンの予想に反し、かなりの速度で回転していた。戦闘が終わり、気がぬけて、強がりが消え、時間差で仲間を失う恐怖を感じはじめたらしかった。
「ふふっ!」
 自分が傷つくことに対しての恐怖だけではなく、仲間を失う恐怖すら、力に変えてしまう。ピンチのときでもクールに立ちまわり、リスクの高い行動も立ちすくむことなくでき、高い魔力でパーティを支えられる。そのうえ、デメリットはない。
 なんて素敵なんだろう。ウサキョンはそう思わずにはいられなかった。
 そのとき、立ちすくんだままぼうぜんとしていた癒術師が、さけんだ。
「あ! ああああああ!」
 癒術師が、ウサキョンの右腹にできた裂傷に手を当ててながら、泣き叫んだ。
「や、やっぱりじゃないですか! な、なんでこんな無茶なことをするんですのぉぉおおお!?」
「無茶じゃないです。あなたが回復できる範囲の傷におさまるよう、ちゃんと考えて戦いましたっ!」
「下手すれば、死んでいましたわ! あなたが死んだらあたくし! あたくし!」
 ウサキョンは『あなたが死におびえながら死ぬよりはいいですよ。少なくともわたしには、死にたいしての恐怖はないですから。みんなのお役に立てるならわたし、命程度だったらいくらでも差しだします!』と、口にしようとしてやめた。
 剣士と狩人が、トランプで大損した時よりも白い顔で、近づいてきたからだ。
「パーティを束ねる者として、謝らせてくれ」
「オレが探知できなかったせいで、みんなを危険な目にあわせてしまった。本当にすまない」
「そんな、謝らないでください! みんな無事だったんだから、それでいいじゃないですか」
 ふと、死体に目をやった剣士がつぶやいた。
「こいつ……指名手配されていた個体だ」

 小鬼魔の首領討伐の祝賀会は、想像以上のもりあがりだった。ふだんの何倍もの報酬と、ギルドからの書状をもらった四人は、ほかの冒険者といっしょに、夜遅くまでバカさわぎした。強敵を倒せたことに対してお祝いしたのではなく、死地を生還したことに対してのお祝いだ。
 とくに、癒術師のこうふんの仕方は、はんぱではなかった。ただでさえ、話はじめると長いのに、今回は度が過ぎていた。
「あ、あの、あたくし、きいてしまったんですけど。結構、やばめでしたのよ、あのマモノ。仲間を捨て駒にし、相手の実力をみる。勝てそうだったら、かかか回復役を奇襲。<影踏み>のスキルで逃亡阻止。仲間を呼んで袋だたきにする。それが、首領の必勝パターンだったそうですの。こっこわぁ……」
「仲間を呼ばれるまえに首領を倒すしかなさそうね」
「でも、本人も推定レベル10を超えの実力者ですわ。正面から戦って勝てる相手じゃなかった。あたくしたちが生き残ったのは奇跡ですよ、奇跡。いやもう、本当、ウサキョンさんには頭が上がらないって言うか、もう、すごすぎます! 惚れちゃいまわよ、ウサキョンさん!」
「ちょ、痛っ! うれしいけど抱きつくのは鎧脱いでからにしてください!」

 ウサキョンは休憩がてら、いったん席からはなれた。部屋のすみで一息ついていると、猪剣士が話しかけてきた。
「何かあったか?」
「え?」
「俺でよかったら、話を聞くぜ?」
 びっくりした。さりげない気づかいの言葉なんて、以前のパーティではきいたことすらなかったからだ。
「わたし、元気なさそうでした?」
「いや、俺の気のせいかもしれないけどな」
「ええっと……」
 剣士はあわてて言葉を継ぎ足した。
「無理に答えなくていい。問い詰めようってわけじゃないから」
 剣士は少しはずかしそうに、頭をかいた。
「ただ、ちょっと、心配だったんだよ。ウサキョンが無理をしているんじゃないかって」
 ウサキョンは直感した。
 自分に悩みがあることを、確信している。おそらく、彼なりの根拠もあるのだろう。こちらに気づかって、あえて口にしないだけだ。
「……大丈夫です」
「そうか。なにか、不安なことや心配なことがあったら俺に相談してくれよ。もちろん内密にする。まあ、俺がたよりないってんなら、しようがないけどな!」
 寂しそうに笑う彼に、反射的に答えた。
「そんなことはありません! まだ、このパーティに加わって間もないですが、確信しています。リーダーはたよれる人です」
「ありがとう。ふふ、面と向かっていわれると、こそばゆいな。……つらいときは、お互い様だよ。はきだすだけで楽になることもある。あんまり自分ひとりでかかえ込むなよ」
「わかり、ました」
 ウサキョンは、剣士に助けを求めるかどうかでまよった。
 残念ながら風車リングは、不安や罪悪感は消すことができない。
 ここのところ、実力を偽っているという罪悪感に、ずっとなやまされていた。
 また「もし、臆病風車リングの力が失われてしまったら」と考えるだけで夜も眠れなくなってしまうしまつ。
 ののしられ、あざけられ、後ろ指でさされながら冒険者ギルドを去る。「アイテムの力を自分の力と偽って、仲間をだましつづけた裏切り者!」、「自分の力では何もできない臆病ウサギ!」とか言われる。そんな最悪の瞬間、風車リングの力は失われている。想像するだけで、どうかしてしまいそうだった。
 おびえつづける日常にくらべたらマシだけど、つねに不安を抱えているのはとてもつらい。誰かにグチを吐き出したい気持ちはある。でも、本当に吐き出してしまったら、自分の居場所を失うかもしれない。
 ウサキョンは、悩んだ末に答えた。
「あの、本当に、大丈夫ですので!」
 剣士はゆっくりうなずくと、いつになく真剣な表情で、語りはじめた。
「実をいうと、黒魔道士には相当苦労させちまったんだ。あいつ、パーティのことを気にかけて自分のこと二の次にして。それで、メンタル逝って、体調崩して……」
 はぁぁぁぁあ゛あ゛! と、荒いため息をつきながら、剣士は頭をかきむしった。思い出すのもつらそうだった。
「……監督不届きってやつさ。本人のつらさに比べたらどうってことないけど、それでも俺も相当つらかった。そん時、誓ったんだよ。もう二度とこんなことはゴメンだって」
 剣士は額に手をあてて、顔をしかめた。
「だから、ほんと、な。悩みがあったら、相談してくれよ。いつでもいい。なんでもいい。言葉で説明できないモヤモヤみたいなやつでいい。何かあったら、言ってくれよ。俺たちはおまえの味方だからな」
 さ、と手をさしだしてきた。
「辛気臭い話はこれで、おしまいだ。あっちいって、うまいもんでも食って元気出そうぜ」
 ああ、この人は本当にいい人なんだな。ウサキョンは、喜んで手をとった。
 ふと風車リングを見ると、回転が穏やかになっていた。相談できる相手がいる、というだけでこんなに心強いとは。
 ウサキョンは、文字通り飛びはねながら、なかまたちの輪にもどっていった。

「ウサキョン!? 足速っ!?」
「ベースが草食動物ですのでぇ!」
 スケルトンの軍勢が、後ろから迫ってくる。彼らは短剣や手斧をもって武装していた。武器そのものは劣化しているものの、この数の前には何の救いにもならない。
 視認できるだけでも七体はいる。アンデットである彼らに、睡眠・毒ガス・恐怖の呪文は通用しない。準備なしに戦ったら敗北必至。
 今まで生物系のマモノばかりだったため、扉越しに聞き耳を立てれば、大抵どうにかなっていた。が、うごかず物言わぬアンデットには無意味。
 マモノだらけのダンジョンで、無音の部屋がぽつんとある。その時点で警戒すべきだった。初のダンジョン探索は、失敗どころか全滅の危機に陥っていた。
「帰ったらKYTしないと」
「何でお前はそんなに冷静なんだウサキョン!」
 狩人の悲鳴に似た言葉が、通路にこだまする。それに続き、猪剣士が抱えている癒術師へさけんだ。
「なんかこう、悪霊退散的な何かはできないのか!?」
「ウルサ……む、むりですわ! クレリックと勘違いしてませんこと!?」
 廊下の奥に扉が見えた。
「やった!」
 ウサキョンは短く、呪文の言葉を唱えた。扉がひとりでにひらく。先行し、扉を超えると、脇に立った。
「みんな、早く!!」
「うぉおおお!」
 続いて狩人が扉の中にとびこんだ。
 まずい、もう少しで、最前列のスケルトンの間合いに、猪剣士たちが入ってしまう。
「わかってんだよぉぉおお!」
 最後に猪剣士と癒術師が扉を超えた! が、同時にスケルトンが猪剣士の鎧を掴む。猪剣士は癒術師をかばいながら転んだ。無防備な背にスケルトンの剣がふり下ろされる!
 瞬間、呪文を発動。攻撃に気をとられたスケルトンは、しまる扉に切断された。
 スケルトンたちは、扉の外でガシャガシャと音を立てている。
「ありがと……待て、何かいる!」
 狩人の声で、前方に目を向けた。しかし、何もみえない。あるのはだだっ広い空洞だけだ。
 ウサキョンは反射的に巻物を取りだすと、書かれている文言を詠唱。すると眼前に、何かがみえた。目を両手でおおっている。突然扉が開き、光が入ってきたため、目がくらんだらしかった。
「よし!」
 つづけて呪文を詠唱。キラキラとかがやく雲が、敵を囲んだ。敵の輪郭がホコリに覆われ、姿があらわとなる。敵は大きな目玉についたホコリを取ろうと、手をうごかす。
 狩人は雲の外から狙撃。剣士は雲ギリギリまで近づき、剣を振り上げた。
「みえれば、こっちのもんだ」
 一言で言えば、カメレオンだった。しかし、あまりにも大きい。全長三メートルはありそうだった。
 ウサキョンはマモノの挙動をよそうし、次なる呪文をとなえはじめた。
「一分耐えて」
「あいわかった!」
 舌を伸ばし、音をたよりに剣士をからめとろうとする。舌の速度はかなり速く、視認するのもやっとだ。盾を使っても、よけつづけるのは至難だ。
 相手は、がむしゃらに舌を出し入れし、こちらの位置を探ってくる。最初は見当違いの方向だったものの、じょじょに精度を増す。
 剣士と狩人の攻撃は、何度かヒットしている。しかし、相手のウロコが堅く有効打になっていない。
 通算8度目のベロで、ついに剣士を捉えられた。
「何つ~筋力! 唾液の粘着力もヤバい! と、とれねぇ!」
 そのまま、口を大きく開き、引きずり込もうとする。……が、剣士の動きがじょじょに減速していく。
「なるほど、巨大化の呪文!」
 舌は重量に耐えきれず、はがれた。なおも剣士の体は巨大化。やがて、部屋のほとんどを占拠した。今や剣士の身長は倍、体重に至っては6倍以上もある。カメレオンの舌は自重の1/3までしか捕らえることができない。今の剣士は余裕でそれを上回る。
 猪剣士は、倍化したロングソードをふりかざした。一振り目はかわされてしまったものの、もはやカメレオンに打つ手はなかった。
「さてと、もうそろそろ扉がぶち破られる頃か。ウサキョン、ピグニスをたのむ」
「わかりました、リーダー!」
「さて、もう一踏ん張りだ」
 臆病風車リングはまわる。ぐるぐるまわる。しかし、その回転が以前よりも遅くなっていることに、ウサキョンは気づかなかった。

 それからというもの、ウサキョンはパーティの一員としてマモノを倒しまくった。骸骨馬、ゾンビベア、獅子コウモリ、豚ムカデ、鶏蜘蛛。そのほかにもたくさんのマモノを倒していった。
 依頼をこなしていくうちに、『道具の力でみんなをだましている』という罪悪感は消えていった。高位の冒険者たちも、軒並みマジックアイテムにたよっていることを、知ったからだ。
 風車リングを失う不安も、依頼をこなしていくうちに薄まっていった。指輪の存在がばれたり、壊れる確率よりも、自分が死ぬ確率の方が、ずっと高いことに気づいたからだ。
 恐怖にとらわれず、自分の実力を十分に生かせるのは楽しかった。まるで生まれ変わったかのようだ。毎回のようにみんなほめてくれる。必要としてくれる。こんなこと、就職してから一度もなかった。
 ウサキョンはなかまの役に立てて、喜びの絶頂にいた。
 いまやウサキョンは、攻撃魔法を自傷覚悟で移動や回避に転用することで、同ギルドの魔術師にくらべ、頭一つ抜けた戦闘力を手にした。レベルも7へと上がり、向かうところ敵なしだった。

 そんなある日のことだった。
 森林で討伐対象を倒したあとのことだ。
「ウサキョンさんったらもう、あたくしがいないとダメなんだから」
「えへへ、ごめんさい」
 猪剣士は、すこしはなれた場所で、癒術師をながめていた。
「まさか、女同士とは……。俺、せめて片方だけでも、つきあいたかった」
「諦めなよ、リーダー。相手が悪すぎた。あの『命知らずのウサキョン』だぞ? あと、その遅れた価値観は、やめた方が楽だ」
「ああ、そうだな。今まさに、思い知っているところだよ……」
 狩人が、剣士の肩に手をおいた。その声には、同情のひびきがあった。
 二人がだべっていると森の奥から、ぶきみな鳴き声が聞こえた。馬の声に似ていたが、ずっと低い。
 ずししん、ずししん、という地ひびきがする。馬が走る音にしては、あまりにも重すぎる。
「オレの五感が、絶体絶命をさけんでる」
 狩人が叫んだ。
「このひづめの音! 逃げろ!」
 猪剣士が悲鳴に近い声をあげた。
「ウサキョンさん、いいですか! 逃げることだけを考えますのよ! 間違っても、戦おうとしてはいけませんわ」
 ウサキョンはうなずくと、<スペクルム・イマジネム:鏡分身>の呪文を唱えた。ウサキョンの周囲に、全く同じ姿形をした、四人の幻像が生み出される。彼らはウサキョンの音と動作を正確にまねはじめた。
 木々のはざまから駆けぬけてきたのは、巨大な黒馬だった。目が一つしかなく、正面についている。額には、円錐形の角がはえている。体躯はゾウに匹敵、ひづめは人を踏みつぶすのにちょうどいい大きさ。
「おいおい! 単眼の一角獣! 危険度B上位のマモノが何でこんなところに!」
「き、危険度B上位! じゃ、じゃあ、平均レベル13~15のパーティ相当の実力!?」
 ウサキョンは思わず、剣士に聞きかえしてしまった。
 レベル11以上は、プロの中でも抜きん出た存在のみが到達する領域。そんな化け物たちがパーティを組み、全滅覚悟で戦うような相手。それが、奴なのだ。
 出会い頭に、単眼の一角獣が、何かをつぶやいた。
「何?」
 小さな悲鳴と、ドサドサという音がした。なにごとかとまわりを見わたすと、ウサキョン以外の全員が、地面に伏していた。
 指輪の中の風車が、これまでにないほど、高速回転している。どうやら恐怖をまきちらし、耐えられなかった相手を気絶させる呪文だったようだ。
 のこったウサキョンを、一角獣の瞳孔がとらえる。
 逃げられる相手ではない。一人でたおすしかない。
 頭を振って、気持ちをきりかえる。
 さっきの恐怖の呪文で、魔力がおおきく高まった。いまのわたしなら、もしかしたら倒せるかもしれない。
 ウサキョンは<トニトルス:雷撃>を唱えた。左手から、雷の帯が発射された。
 しかし、雷が直撃する寸前、黒馬が消えた。黒いモヤになったかと思えば、数メートル横に立っている。
 今度は魔力温存のため、<ピグニス:脂>を放つ。一角獣の足元が脂の層でおおわれる。が、一角獣はまたしても黒いモヤになってかわされた。
 どんな呪文も、発動前に範囲外へかわされてしまう。
 もうダメか、と思ったときだった。モヤの中心に、白丸が見えた気がした。さらに、相手の足もとに、すなぼこりが舞うのが見える。
「まさか!?」
 黒いモヤは、おそらく残像。敵はどうやら、呪文が当たる直前、恐ろしい速度で横飛びしているらしい。隙は回避終了後の、瞬き二回程度の時間しかない。
「ぶるるっ!」
 相手は地面をけり、ウサキョンをふみつぶさんと、とつげきしてきた。
「速っ!?」
 ウサキョンは、斜め前に跳ぶ。同時に<イグニス:火炎>を地面に放ち、爆風で加速。
 一角獣のひづめは、ウサキョン──のすぐ横にいた幻像のうち、二人を引き裂いた。そのまま、奥に生えていた樹木に激突。一角獣にけられた木は、根元から引き抜かれ、空中にういた。メリメリと音を立てながら、数メートル先に落下。樹木を倒木させながらようやく止まった。<スペクルム・イマジネム:鏡分身>を使っていなければ、今頃あの木の下じきだっただろう。
「なんて力!?」
 一角獣は、しっぽを使いウサキョンをなぎ払おうとする。
 ウサキョンは<イグニス:火炎>で勢いを増した幅跳びによってかわした……はずだった。しかし、突如突風に足を打たれ、着地に失敗。幻像も全滅。
「うぐぅ」
 地面をころがった。
 数秒まえにいた場所に生えていた草が、みごとに刈りとられていた。しっぽをないだときの風によって、真空が発生。かまいたちが、放たれたのだ。ほんのすこしでも回避におくれていたら、即死だった。
 立ち上がった。でも、足がうごかない。風の魔力で拘束されている。おそらく、敵の呪文の力。かすっただけなのに!
 もう<イグニス:火炎>による回避は期待できそうにない。<ディスクーテレ・マジカ:呪文解除>が効くようなレベルとも思えなかった。
「もう、どうにでもなれ!」
 敵がふりむくまえに、<アラネア・ターム:蜘蛛の巣>の呪文を発動。木と木の間に蜘蛛の巣をつくりだした。
「やった、効果範囲最高記録!」
 蜘蛛の巣ごしに、一角獣と目が合う。黒馬は、一歩さがるとジャンプ。蜘蛛の巣にいっさいふれぬまま、着地したかにみえた。が、後ろ足がつるりと滑り、蜘蛛の巣にひっかかる。<ピグニス:脂>の呪文をつかった二段がまえのわな。
「今度は、かわさせません!」
 動けない相手に<トニトルス:雷撃>を唱えた。杖の宝玉がかがやくと、左手にバチバチと雷が走る。雷の数はどんどん増え、やがて手全体をおおうほどになった。
 ウサキョンが手を前につき出す。すると雷は、空気を引き裂きながら、まっすぐ相手へ噴出した。
 一角獣が妙に高い声で吠えた。
 間を置かず、黒馬の一角にいなずまが落ちる。一角は電気エネルギーを吸収、魔力でもって増幅。限界にまで高められたエネルギーは、黒馬のいななきと共に、一気に解き放たれた。
 二つの雷が衝突。二つの呪文がきっ抗し、光の球が生まれた。その正体は、生まれては散る無数の火花と、行き場を失った雷のかたまりだ。
 もしウサキョンがあびれば、一撃死は免れない。どうにか光球を敵に押しつけようと、呪文を強める。
「なんて力……! 指が、ちぎれ、そう」
 ウサキョンは押し負けないよう必死に耐える。が、体全体が徐々に後ろへとひきずられていく。
 相手の呪文はおそらく上位魔法。風車リングで魔力を高めているといえど、限度がある。
「ぐっ……」
 ユニコーンは、後ろ足を一本ずつ、蜘蛛の糸から引きぬいた。電撃を維持したまま、ゆっくりと距離をつめてくる。
 光の球は、もうウサキョンの眼前まで迫っていた。
 球からあふれた雷で、手足が傷つく。散った火花で、肌が焼ける。
 心臓の鼓動が、全身に波打つ。
 ブーツのかかとは地面をえぐり、からだがどんどん後退していく。
「わたしの魔力、もって!!」
 視界は、雷の光が埋め尽くされている。中心に小さな円錐がつき出てきた。一角獣の角だった。
 ウサキョンはさらに、手に魔力をこめた。手は震え、指先が冷たくなり、黒く変色していく。手のひらからは汗が、浮きでた血管から血が、しみ出てきては蒸発していく。
「まだ! 倒れるわけには!」
 手とツノが触れそうになる。全身の魔力を使いつくし、今にも気をうしないそうだ。
 目を細めると、光球の奥に、どす黒く血走った単眼が見えた。そのとき、からだの芯がぞくりとした。
 こわい、こわい、こわい!
 死ぬ! 死ぬ、死ぬ、死ぬ!
 ……みんな、死んじゃう!
 瞬間、かたい岩盤を突き抜け、水が噴きだしたかのように、全身に魔力が満ち満ちた。
 自分が死ぬのは、こわい。でも、仲間たちが死ぬのは――
「恐ろしい……!」
 ウサキョンが一気に力をときはなつと、雷が相手へ逆流した。押しのけられた自身の呪文と、ウサキョンの呪文を一度に食らい、黒馬は痙攣した。白目をむき、口から舌が飛び出た。四本の足は、棒のように固まっていた。背中の毛が抜け、腹には雷模様の赤いあざが刻まれていく。行き場を失った魔力は、周囲の木をうがち、穴をあけた。
 ウサキョンは、ぼうぜんとしていた。なつかしい感覚が、胸によみがえったからだ。半ばパニックになりながら、指を確認。指輪は、灰と化して、風の中に消えた。
 ウサキョンは、灰を手でつかもうと手をうごかした。しかし、手はむなしく宙をかくだけだった。
「あ、あぁ! ああああああ!」
 どうしよう、これからは、この指輪なしで冒険者をしなければならない。追いだされたあの日がリフレインされる。
『もういい、おまえといるだけで寿命が縮む! 出て行け!』
 こわい、こわい! こわいこわいこわいこわい!
 そのとき、目の前で、黒い影が重い首をもたげた。ツノにひびがはいっているものの、眼光は失われてはいない。
 うそ、どうしよう、あいつ、生きて、リング、ない、腕、うごかな――。
「ぶるるるるっ!」
 黒馬は、自らの足を持ち上げた。ひづめの陰はゆっくりと移動し、ウサキョンをつつみこむように制止した。
「いやぁぁあああ!」
 しゃがみながらさけんだ。もう、どうしようもなかった。逃げ出したかった。けれども呪文の反動で、指一本動かすことができない。
 因果応報。アイテムの力を、自分の力とかんちがいした、おろかものの末路。
 ウサキョンは運命の一瞬を待った。しかし、その瞬間はいつまで経ってもこなかった。かわりに、矢が宙を切る音がきこえた。
「オレの不意打ちをかわすとは、こざかしい。だが……」
「思った通り――」
 ウサキョンが目にしたのは、一角獣の足に剛剣を食らわせた剣士の姿。
「――連続で高速移動はできない」
 枯れ果ていたとおもわれた魔力も、ほんの少し補てんされた。腕も動くようになっている。
 はっとして振り向くと、後ろにいた癒術師がうなずいた。その奥には、木の上で射撃姿勢をとっている狩人がみえる。
「ウサキョンさん、今ですわ!」
 そうだ、今のわたしは、一人じゃない。こわくて足がふるえても、支えてくれる仲間がいる。
 ウサキョンは立ち上がった。
 一角獣は、足をくじかれ、体勢を大きく崩している。今なら、確実に呪文を当てられる。 血走った単眼。ゾウ以上もある黒い体躯。先ほどかんじた死の予感。
 こわい。こわい。こわすぎる。
 くじけそうになったとき、肩に温かみを感じた。癒術師の手だ。
 ウサキョンは、ふるえる足で大地をけり、敵眼前で、さけんだ。
「<イグニス:火炎>!」
 諦めないのは敵も同じだった。視界を失ってなお、一角獣は立ち上がったのだ。やられる――。
「来いよ、駄馬。俺はこっちにいるぞ!」
 安い挑発。平時であれば、無視しただろう。しかし、全身の傷に加えて、突然の盲目。さらに先ほどの不意打ちに対する怒り。
「ヒヒィィィイ゛イ゛ンンッ!」
 負の要因が重なった結果、黒馬はつられた。
 突進した先には、先ほどの蜘蛛の巣。全身に糸が絡みつく。動きが大きく制限される。それでもなお、一角獣は止まらない。慟哭をひびかせながら、剣士の目と鼻の先まで迫った。
 が、それまでだった。狩人の正確無慈悲な狙撃が、四肢を射貫いたからだ。
「おまえは強かった。でも所詮、ひとりぼっちの力だった」
 剣士の全身全霊全力の一撃を受け、ようやくマモノは沈黙した。

 ウサキョンは、全てを話した。「恐怖風車リング」についても、以前のパーティで何があったのかも。顔をしわくちゃにして、涙と鼻水をこらえながら。
 けれども三人は、さほどおどろかなかった。困惑していると、癒術師が遠慮しがちに手をあげた。
「もうしわけありませんが、入職前にいろいろと調べさせていただきましたわ。あなたを採用するかの選択が、あたくしたちの運命を左右しますから。実は、あなたが前パーティを追放されたことも、その理由も、最初から織り込み済みで、採用しましたの」
「どうして?」
「わたくしも、初陣のあとは、そうなりましたもの。おびえる子猫のように岩陰にっかくれて動けなくなって、食べ物すら、のどを通らなかった。そのあとも、かくれるばかりで一日数回の<キュレイト:治療>が、限界でしたわ。そうです……敵前逃亡しないかぎり、いつか必ず乗りこえられる日が来ると、わたくしたちは知っていましたの。だから問題ではないと判断したんですわ」
「そう、だったんですか……」
 みんな最初から、『臆病なウサキョン』を受け入れていた。ウサキョンは、おどろきのあまり、杖を落としてしまった。 
「だから、あなたが恐れ知らずになっていたのをみて、度肝を抜かれましたわ」
 剣士と、狩人も、かんがい深げにうなずいている。
「実はあたくし、もともと医者を志してましたの。試験に受からなくて断念しましたが、医学に関してはある程度の知識がありますわ」
 癒術師は、ふところからメモを取りだした。「恐怖は扁桃体の右側の部分によって生み出されますの。生まれつき扁桃体全体の働きが弱いのは、サイコパスと呼ばれる方々。彼らは自身満々で挑戦意欲が満ちあふれ、余計なことを考える前に即行動します。でも彼らは、扁桃体全体の活動が弱いせいで、共感力がとても低いという特徴がありますわ。あなたには当てはまりませんの」
 ウサキョンは、彼女の推論に耳をかたむけることしかできなかった。
「なので、あたくしは右扁桃体を損傷した人の症例を探しましたわ。そしたら、興味深い記述がありましたの。『クモに噛まれても、おどろくほど落ち着いている。本能的に振り払うこともせず、どうすればいいんだっけ? と冷静に考えられた。命の危険に瀕していることに対して緊張は感じたが、恐怖はまるで感じなかった』。今のあなたそっくりですわね」
 癒術師は、ウサキョンの右手を指した。
「だから、あなたはおそらく、右指につけたアイテムの力で、扁桃体外側基底核の働きを弱めるか、扁桃体から出る電気刺激を遮断していると、邪推しましたの」
「なんで右指だってわかったの?」
「本来恐怖をかんじるような場面で、右指をチラ見する癖がありましたから」
 何もかも、お見通しだった。お見通したうえ、ウサキョンの意思をおもんばかって、だまっていたのだ。
「じゃあ、いつかは『臆病なウサキョン』に戻るかもって、想定していたの?」
「ええ。だからあたくしたちは、今日に備えてずっと、あなたを支えられるよう準備してきましたの」
「なんでそこまで……」
「あなたは自分の身を削ってまで、あたくしたちに尽くしてくれましたわ。それに、あたくしの力を信頼してくださいましたわ。応えようとするのは、当然ではなくて?」
 癒術師は、まんめんの笑みをうかべていた。
 狩人も、ほほえみをたたえた。
「『誰だって、無限の可能性を秘めている』なんて、荒唐無稽な言葉を信じてくれたしな」
 猪剣士は、大きくうなずいてから、手を差しだしてきた。
「俺にも『リーダーはたよれる人です』って言ってくれたよな。……ウサキョンが信じている俺達が『ウサキョンは大丈夫だ』って言ってるんだ。だから、お前は大丈夫だ。焦らずじっくり、いっしょに頑張ろうぜ」
 ウサキョンは、剣士の手をとった。
 涙にむせながら、精一杯さけんだ。
「今までお世話に……ひっぐ……なりました! こっ……これからも、うぅ……よろしく……お願い……します!」

 それからも、ウサキョンはパーティの一員として、依頼をこなしていった。意外なことに、以前のように、恐怖に振りまわされることはなくなった。
 恐怖のない生活を送ったことで、『恐怖』にしたがうよりも、『恐怖』を乗りこえるほうが、うまくいくことが多いことを知った。そのおかげで、恐怖に心が支配されそうになっても、『もしも恐怖がなかったらどうする?』と考えることで、冷静に判断できるようになったからだ。
 それでも、恐怖で身動きがとれなくなりそうになるときがある。そんなときは仲間がいる。ウサキョンの未熟さを理解したうえで、いっしょに歩みをあわせてくれる、仲間がいる。
 身支度しながら、ウサキョンは思う。
 『臆病風車リング』は、恐怖を消すことが目的のアイテムではなく、リングなしでも恐怖を受け止められるよう、持ち主を成長させることだったのでは? 指輪は壊れたわけではなく、持ち主が指輪にたよりすぎるのを防ぐため、自壊したのでは?
 でも、その答えをミミコッテに聞くことは、かなわなかった。だれに聞いても「そんな人は見たことない」「知らない」としか答えない。図書館で本を調べても、めぼしいものはみつからなかった。
「きっと、会うべきときが来たら、あなたの方から声をかけてきますよね」
 ウサキョンはなかまたちの元へむかう。その表情にもう、恐怖はない。
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