世界は万華鏡でできている

兎杜唯人

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炎のごとく燃える君 2

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「お疲れ様です、先生。これで今日の診療は終わりですね」
「あぁ、お疲れさん。表の扉は開けて置いてくれ。客がくる」
「わかりました」

最後の患者を見送ってからクラートは白衣を脱いだ。
看護師が帰ってからしばらく書類整理を行っていたが玄関に取りつけたベルが鳴れば立ち上がって診察室から顔を出す。

「きたか。ついでにドアのかぎも閉めてくれ。閉めたらこっちにこい」

鍵の締まる音とともにゆっくりとした足音が診察室まで聞こえてくる。
二人分の椅子を用意したクラートは客人のためにあらかじめ用意しておいたペットボトルのお茶を持ってくる。

「今日はもう診察は終わりですか」
「あぁ。お前の話を聞きたくてな」
「…俺でいいんですか」
「お前じゃなきゃダメなんだ。リューイも教授も、まともに話はできないだろうからな。それに話の主題はどちらかというとリューイなんだ。だからお前の話が聞きたいんだ、ロシ=フィーディス?」

はぁ、とため息を漏らしたフィーディスはクラートの目の前の椅子に腰を下ろした。
昨日ウィリディスからクラートが話があるそうだ、と告げられてから予感はしていた。
姿勢を正してクラートを真正面から見つめる。

「それで、話とは」
「リューイのことだ。お前、どこまであいつの異常を知っている?」
「異常、ですか」

うなずいたクラートを見つめてフィーディスは少し悩む素振りを見せる。
急かすことはせずフィーディスの話し出したいタイミングをクラートは待った。

「先生の家に住むようになってからの初めての発情期の時、俺はリューを抱きました。リューは、発情期が落ち着くどころかもっととαを求めた。正気じゃなかった。それに」

瞳の色が濃さを増したリューイと強く感じたΩのフェロモンを思い出す。
過去にも何度もあったリューイの発情期、その時には一週間の泊まり込みの仕事だと言ってリューイは家を出ていた。
フィーディスには居場所を知らせていたため時折様子を見に行ったが昼間はある程度抑えられていた発情も夜になると途端に強さを増した。
しかしそれはΩとしては普通のことであった。見たくも聞きたくもなかったがリューイに何かあっても嫌だったため時折夜の様子を隠れてみてもいた。
発情のせいで昂ったままの体を一晩で何人ものαに汚されベッドの上で息も絶え絶えの姿を見てきた。
だがあの時の発情はそれとは異なっていた。

「わずかに、本当にごくわずかで今でも錯覚だと思っている。Ωのはずのリューから、αの気配がした」
「αの?教授のじゃないのか」
「違う。先生のαフェロモンも、気配も、もっと強く感じることができる。リューに執着しているのか…よく残ってるから」
「…まぁ、愛しちゃってるわけだしな」
「リューは、純粋なαとΩの間に生まれた子供じゃない…リューの両親はβだから、それで何かあったんだろうかって俺は思ってる」
「β同士からαやΩが生まれることは珍しいからな。DNAや因子の変質が理由とされているが…」

フィーディスはクラートを見つめていたが視線を床に落とした。
話すべきか、話さないべきか、悩んでいた。
しばらく無言が続く。クラートも続けて口を開きかけたが先に言葉を発したのはフィーディスだった。

「リューのお母さんは、αとΩの間に生まれたβだ」
「それもまた珍しい。ゼロってわけじゃないが、確率的にはβからαやΩが生まれるより少ないだろうな」
「……リューが笑って話してくれたことがある。自分の母親は、自分の親に対していろいろ思うところもあるし、自分に対しても思うところがあるみたいで昔から親と子供として向き合ったことがなかったんだ、って」
「自分の親に対する劣等感か。それから自分の子供がもしかしたらαかΩかもしれないという感情か」
「両方だと思う。父親のほうはβ同士から生まれたβだったみたいだけど、母親のほうは実家からほぼ縁を切られた状態みたいだし」

珍しいことではない。
α、Ωの番であっても家が裕福なものばかりではないからだ。もちろんβよりも生きていくのは難しくはないが、家庭環境は様々である。
たとえαだとしてもそれに甘んじて生きていけば簡単に没落することができる。αだからこそ己を律して生きていくことも時には必要となるのだ。
αの中でも自分がα性であることに無駄に自信を持つものだっている。反対に自分には向いていないと消極的になるものもいる。

「わりと面倒な親だったんだな」
「えぇ。だからなのかは知らないけれど、リューはあくまで自分がβであるようにふるまっていたのかもしれないな、なんて思うときがある」
「Ωは性分化の判定をする前からわかるってことか」
「女はさておき、男は違和感があるらしいから。反対に女でαだと外見から変わってしまうからわかりやすいらしいけど」
「そうだな。生えるしな」
「リューは…自分がΩであることに絶望したのかなって考えるとどうして俺はその時リューのそばにいなかったんだろうって思う」

フィーディスのつぶやきにクラートは彼に椅子を近づけてその頭をぐしゃぐしゃと撫でまわした。

「俺は、リューを見かけたときからずっと好きだった。あぁ、彼が俺の運命を持ってるんだって本能で察したんだ。だから何が何でも守りたくて、手にいれたくて…ぽっとでの先生に奪われたのが悔しい」
「あー…それもまた、運命、なんだろうけどなぁ。って、悪い話が反れた。あと、お前に聞きたいんだが」
「なんです」

フィーディスは自分の頭からクラートの手をどかせると目を細めた。まだ何かあるのかと身構えている。

「リューイがどうしてあんなに"約束"にこだわるのか知ってるか」

クラートの言葉にフィーディスは静かに目を見開いた。考えて考えて、それからクラートから視線を静かにそらした。
リューイがやけに約束にこだわることをフィーディスも気にはしていた。
本当ならばフィーディスのことを待っている必要などないのだ。リューイはリューイの気持ちのままに生きていけばいいのだから。
フィーディスにとって確かにリューイは"運命の番"である。だが今αとしてリューイの前に立っているわけではないのだ。だからリューイはフィーディスを拒絶することだってできる。

「リューは…約束をすることで自分の居場所を守っているのかもしれないなって思うときはある」
「居場所?」
「捨てられたリューがいてもいい場所。レックスとシルバとクラルスがいる場所。約束をすることでリューは自分の居場所を守ってる」
「リューイにとっては約束がよりどころなのかもな」

クラートの言葉にフィーディスはうなずいた。
フィーディスは約束をリューイと交わすことでリューイを自分に縛り付けた。
そんなことをしてもリューイの心はもう手に入らないとわかっているのだ。リューイはリューイのただ一人の存在と惹かれてしまったから。
しかしフィーディスとしてもリューイが大事なΩであることに変わりはないのだ。

「リューが約束をするのは得た信頼を失いたくないからなのと、自分がいることを許される場所を守りたいからかもしれない…そんなことをしなくても俺たちはみんなリューが大好きなのにね」
「親に捨てられたのは知らず知らずあいつの中に傷をつけたんだろうな」
「きっとそれを治すのは俺じゃない。でも、俺はリューのそばにいてあげたいんだ」
「悪くない」

クラートはボトルのお茶を一口飲んだ。

「お前のそういう気持ち、悪くないと思う。一番はリューイがリューイのしたいように生きることだが…たかだか世間を知って四年程度のひよっこなんだからお子様同士が支えあって生きることの何が悪い。そもそもお前もまだまだ子供だ。青臭くて俺は好きだけどな」
「……リューが惹かれてるのは俺よりずっと大人だろう。負けたくない」
「あいつに勝てるやつはいないと思うけどな」

クラートに言われなくともフィーディスはわかっている。
リューイよりも年下でまだ親の庇護の中にいるフィーディスよりも、ウィリディスはリューイのことをより深く、より大切に守ることができるだろう。
たとえウィリディスと同い年だったとしても同じことである。

「リューイを縛り付ける約束の呪縛を取り除くのは教授じゃなくてお前だろうな。教授じゃ優しすぎる。同じくらいリューイを想っているやつでなければ無理だろう」
「俺にそれができるとでも?」
「できるさ」

どこからその自信が来るというのだろうか。フィーディスは苦笑した。

「お前と教授が抱いているリューイへの思いは一緒だが、お前はリューイを叱ることもできるだろ?」
「…できる」
「教授にゃできねぇよ。リューイを泣かせたくないからな」
「でも、リューイの泣き顔は俺も見たくない」
「そうやって甘やかしてると間違った道に進むだろ。あいつのことを想って叱ることも必要だろ」

クラートに頭を撫でられ、子供じゃないと返したかったがリューイ以外の大人にこんなことをされたことはない。
むずかゆさを感じてされるがままになった。
クラートはフィーディスの頭をぽんぽんと軽くたたいてから手を放した。

「どっちに転んでも楽しみにしてるし、俺は俺でお前たちを見てるからさ」
「見るだけですか」
「あぁ。俺が手を出したっていいことないだろ。リューイは確かに好ましいしかわいいし番にしたら日々幸せだろうけど、俺にはリューイ以上に思う相手がいるんだよ。だからリューイのことはみているだけ」

クラートの言葉にそれが誰のことを言っているのかわからないため、そうですか、とそれだけを返した。
クラートからの話は終わりだろうか。少し気になっていることがある。
自分より遥かに見識の広いクラートならわかるだろうか。

「聞きたいことがある」
「教授の弱点か?トマトだな」
「それは知ってる。そうじゃなくて……Ωのフェロモンなんだけど、番を持ったならそれは変質する可能性はある?」
「フェロモンの変質な。ありえると思うぞ。知っての通りΩは項を噛まれるとその後の発情期には自分を噛んだαに対してのみ発情フェロモンを出す」
「αも番を得たらフェロモンは変わる?」

フィーディスの問いかけにクラートは少し間をおいた。
変わるといえば変わるのかもしれない。変わるかも、というのは実際にその場面に遭遇しないからである。
身近な番持ちのフォートは常にαのフェロモンを抑制する薬を服用しているためフェロモンを感じにくい。
ウィリディスの研究室の番たちなら調べやすいだろうが、番を持つ前を知らないため判断はできない。

「どうしてだ」
「発情期のとき、リューのフェロモンが甘いものから少し香辛料みたいな香りに変わったんだ。リューの首輪は分化判定のときにもらうもので間違いないから外しているはずがないんだ。あれははずしたらつけ直しはできないタイプだし、なにより番ができたならリューは俺を拒絶したはずだから」
「Ωのフェロモンは一般に甘く香ると聞く。現に俺のセフレのΩもみんな香りの程度は様々だが甘い…Ωから言わせると俺たちのフェロモンは強く、それこそ香辛料のような刺激がある香りらしいが」

クラートはフィーディスの顔を見た。
彼は眉をひそめて自分を見ている。

「番をもたないαならわりと複数セフレはいると思うぞ」
「節操なし」
「なんとでもいえ。教授ほどじゃないにしろ俺もαとしてはそれなりに濃いほうなんだよ。俺のことはどうでもいい。リューイのフェロモンだろ」

フィーディスはクラートの言葉にうなずきを返した。
リューイのフェロモンはクラートも知っている。濃くはないが人目を引く柔らかな甘味がある。
フェロモンの変質が何を意味するのかは事例がないためわからない。次の発情期にも同じように変質するのであればなにか問題が体の中で生じているとも言える。

「教授は知ってるのか」
「知らないと思う。この間の発情期のとき、先生が抱いたらリューのフェロモンは甘くなったから」
「鍵は教授か」

クラートのなかで一つだけもしかしたら、と思うことが浮かぶ。
だがそれもやはり前例はないために確かなことは言えない。
もしも考えていることが当たりならばαとΩの関係性が覆る可能性がある。

「次のリューイの発情期のとき、おまえはどこにいる?」
「いると思うけど、たぶんリューイからは距離を取られてる」
「そうか。リューイには強めの抑制剤を出してある。次の発情期の前にはそれを飲むとは思うが…一応教授には伝えておく。お前がいないならリューイを抱くのは教授だろうしな」

下を向いてフィーディスはズボンを握りしめた。
なにを思っているのか、クラートには少しわかるような気がした。
自分の力のなさが恨めしいのだろう。

「教授かお前か、肩入れするつもりはないが応援はしてやる。手にしたいものがあるならば諦めるな」

フィーディスは少し視線を揺らめかせて小さくうなずいた。
フィーディスとの話の中で新たに一つ気になることができた。リューイも教授も精密検査をしなければクラートの考えの裏付けはできない。フェロモンの変質も気にはなる。
手元のメモに軽く書き残してから荷物をまとめた。

「話は終わりだ。教授の家まで送ってやる」
「そのままリューのご飯を食べる気でしょう?」
「バレたか」

いいともだめとも言わずにフィーディスは息を吐きだして立ち上がる。
クラートはそのあとを荷物を持って追いかけた。
裏口から出れば二人並んでウィリディスの自宅マンションへと向かっていった。
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