世界は万華鏡でできている

兎杜唯人

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ウィリディスは夜遅くに帰宅した。
薬品についての所見を他の研究者や医師を交えて話し合っていたのである。
静まりかえった自宅の電気をつける。
頭をいつになくフル回転させたためか疲れが酷い。
カバンを放り投げソファに座ろうとしてそこにいる先客に気づいた。

「リューイ?なにをして…」

途中で言葉がとまる。
ソファに横たわったリューイの体は規則正しく上下に動く。
背もたれ側に体を向けているためか顔は見えないが寝ているらしい。
机には一枚のメモがある。

「おかえり、ごはんは温めて食べるように…」

メモから顔を上げてリューイを見つめた。
帰宅を待っていたのだろうか。軽く頭を撫でウィリディスはキッチンに向かい冷蔵庫をあけた。
ラップのかかるガラスの器にサラダ、コンロに置かれた一人分の鍋にはスープと、野菜とともに煮た魚がそれぞれ入っている。
温め直しをする間先にシャワーを浴びる。
髪を拭きながら戻ってもリューイは目を覚ましていない。
今朝方リューイの代わりだと、シルバにキスをされたことを思い出した。

「お前の代わりだそうだ…ずいぶんませているな…」

そばにしゃがみこみ小さく囁いてからリューイのつむじに口づけた。
鍋の様子を見に行き適当なところで火を止めた。
皿に盛った魚とスープを食べ、冷蔵庫にあったサラダも完食する。
極力音を立てないように片付けをすればまたソファに近づく。寝ているリューイの体に腕を入れて抱き上げた。
僅かな振動に身じろぐリューイを見つめるも起きる気配はない。

「…ベッドで寝れば良いものを」

苦笑して寝室に連れて行く。
ゆっくり横たわらせればリューイはころん、と寝返りをうつ。
そばに腰掛けて寝顔を見つめていたがあくびが溢れる。
リューイを抱え込むようにして隣に横になればまたしばらく寝顔をみる。

「リューイ、明日は勉強を見てやれる」
「んー…ウィリディス…」

リューイに名を呼ばれて動きを止める。
しばらく動かず見つめていればわずかにまぶたが震えてリューイが目を開ける。
ウィリディスに視点が向けば口元が笑みを形作る。

「ウィリディス、好き」

心臓が止まるかと思った。
リューイはまた眠ってしまう。
気を抜けば口から心臓が飛び出るのではないかというほどに脈打っている。
ウィリディスは必死に叫び出したい衝動やリューイを起こしたい欲求を抑え込む。

「そうか、好き、か…」

朝起きてリューイは自分が口にしたことを覚えているのだろうか。
覚えてなくていい。まだ、リューイを手にするタイミングは十分にあるだろう。
ウィリディスはリューイに口づける。
何度も口づけたかったが気持ちよく眠っているリューイを起こしてしまうのも忍びない。
ウィリディスはリューイを抱きしめなおして目を閉じた。今夜はいい夢が見られそうである。
しかしウィリディスはどんな夢を見たのかわからなかった。それほどまでに安心し、深く眠り込んだのである。
翌朝起きたときの目覚めはすさまじくよかった。しかも普段起きているのよりもはるかに早い時間でもある。
まだリューイはウィリディスの腕の中にいる。起こさないように静かに体を放す。

「……お前がいるだけで寝起きすら変わってしまうのか」

ベッドを降りて着替えをする。今日は早めの帰宅を心掛けた。
自分の分の朝食を作っていればリューイが慌てた様子で部屋から出てきた。髪が乱れている。

「おはよう、ウィル…」
「起きたのかリューイ。おはよう」
「起きたのかって…早くない?なんで今日はそんなに早いの」
「あぁ…たまたま目が覚めた」
「本当に?」

リューイはキッチンに近寄ってくる。まるっきり信じてない顔をしているのが少しおかしかった。
リューイは冷蔵庫を漁り弁当のおかずを決めているようだった。
二人並んでキッチンにたつ。特別な会話があるわけではないが心地いいと感じた。

「リューイ、今日は普通に戻ってくるから勉強を見てやれる」
「本当?」
「あぁ…」
「レックスたちじゃなくて俺?」
「そうだ。いやか?」
「ううん。うれしい」

炊き上げたごはんを冷ましつつ、目が覚めたらしいリューイはウィリディスを見てほほ笑んだ。
昨日と同じくフライパンで目玉焼きを焼きながら機嫌がよくなったリューイの鼻唄を横で聞く。

「昨日、レックスとシルバが朝見送りをしてくれたのだが、リューイの代わりだとシルバがキスをしてくれた」
「え…」

リューイの手が止まった。聞いてはいなかったようだと判断する。

「俺はお前がしてくれるほうが嬉しいんだがな」
「何言ってんの…別に俺がしたってシルバがしたって変わらないだろ」
「本当にそう思うのか、リューイ」

リューイはウィリディスに顔を覗きこまれて少しうなる。
リューイは嫌だったようである。しかしシルバが何らかの下心をもってしたわけではないというのもわかっているから複雑でもあるのだろう。
ウィリディスはフライパンから皿へ目玉焼きを滑らせてそれからリューイを見つめた。
リューイは眉を寄せてウィリディスを見上げている。

「…嫌だ」
「そうか。ならば次はされないように気を付けよう」
「シルバに何かやましいことがあったわけじゃないってわかるんだけど、ウィルは…」

リューイは言葉を切る。
続きは何が言いたいのだろうかと手を止めて待ってみるもののリューイはそれ以上先を言わなかった。
ウィリディスも深く聞くことなく、自分の分の食事をテーブルへと運ぶ。リューイは昨夜と同じスープを温め、コーヒーとともに持ってきた。

「勉強教えてくれるなら明日は休みなの?」
「あぁ。その予定でいる」
「そう」

わずかにリューイに嬉しさが滲んだ。
わかりやすい反応にウィリディスも笑う。
リューイは自分の分の食事をもってきてウィリディスの目の前の席で朝食を取った。
もぐもぐと食事をとる二人だがやがてリューイが箸をおいてウィリディスを静かに見つめた。

「どうした」
「…あの、さ…この前ホテルで」

リューイの言葉の歯切れが悪い。
どう伝えたものか悩んでいるらしい。
ウィリディスは急かすことなく言葉を待つ。

「ウィルが、嫉妬してるってわかって、うれしかった…ウィルみたいなαでも、俺みたいなのに嫉妬するんだって」
「お前が俺にとって特別だからだ」
「特別?」
「…少なくとも、俺はお前に首輪を外してほしいと願った。それがすべてだ」
「冗談じゃなくて?」
「あの空気で冗談を言えるほど俺の神経は図太くないぞ」

リューイの口がふさがらない。
ウィリディスは食べ終えた食器をまとめると立ち上がる。それらをシンクにおいてからまた戻ってくればリューイの座る椅子のそばにしゃがむ。

「本当はもっと言葉にしてしまいたい。だが、そんなことをしたら俺はお前をフィーディスのもとへ行かせてやれなくなる」

驚きに染まる瞳を見つめるうちに本当に手放しがたくなってきた。
唇を引き結べばこの話は終わりだと言わんばかりに立ち上がる。

「今日は少し早めに研究室へ行く。お前も普段より起きるのは早いだろう。少し体を休めておくといい」
「ウィル…」
「明日は俺のそばにいてもらうつもりだが、休ませてやれるかどうかはわからん」
「へ、変態!」
「お前にだけだ」

ウィリディスのささやきにリューイは真っ赤になる。
行ってくる、と声をかけられてもウィリディスのほうを見ようとはしなかった。
エレベーターの音が遠ざかるに連れて自分の鼓動が聞こえてきた。
落ち着けと何度も自分に言い聞かせる。しかし心臓は大きな音を立てるばかりだった。
αに首輪を外してほしいと言われるのは、Ωにとっては番になってほしいと言われたのと同じである。
ホテルから戻ってから何度も何度も自分の中で繰り返した。あれは白昼夢だったのではないか、自分の願いが見せた幻だったのではないか、と。
だが違った。
ウィリディスは確かに嫉妬の感情を持ったうえで、リューイに首輪を外してほしいと告げてきたのだ。
クロエという番がいたにもかかわらず。
いつからウィリディスはそんな気持ちをリューイに抱いていたのだろうか。
リューイと同じような、好き、を。

「はー…嘘みたいだ……弁当できてない!」

あまりのことに茫然自失となりすっかり忘れていたが、ウィリディスのための弁当作りが途中だった。
渡せもしてないのに出掛けてしまった。
作りかけの弁当を見て朝食をかきこみキッチンに立つ。
作って届けてすぐに帰ろう。

「おいしいの作るからな」

ぽつりとつぶやき急いで決めたおかずを弁当に入れていく。
弁当を渡した日は美味しかったと必ず言葉をくれる。リューイはそれがうれしかった。
彩り、栄養、そんなことを考えるのは大変なのだがウィリディスの実家の厨房担当から送られてくるメニューにはそれとあわせていろいろと栄養についてのコラムも載せられていた。
読みながらわからないところは調べる日々だがうまくできるとリューイもうれしくなった。
レックスたちもおいしいと言ってくれる。

「今日は彩り重視の弁当にしたけど嫌じゃないかな。お腹減らないかな…肉団子もう一個入るか?」

肉団子、ニラの入ったオムレツ、人参とツナのきんぴら、ほうれん草の和え物、なんとか肉団子を追加して蓋を締めた。
余ったおかずはまとめて今朝の朝食になる。
弁当箱を閉じてからおかずをもってフロアを上がる。

「おはよう、朝だぞー?起きないと朝ごはん食べ損ねるからなー」

おかずと器によそったごはんを並べてから声をかける。
ベッドから飛び降りてきたのはレックスとシルバ、そのあとフィーディスが体を起こす。
リューイはベッドに近づくと眠たそうな顔をするクラルスの顔を覗き込んだ。

「おはよう、クラルス。起きる時間だぞ。今日もごはん食べていっぱい本読もうな」
「りゅーちゃ、おはよー」
「うん、おはよう」

クラルスは少しふらつきながらもベッドを降りる。とてとてと音がしそうな後ろ姿を見てにやついてしまう。
とてもかわいらしい。
顔を洗ってきたレックスとシルバは食卓に着いている。フィーディスもあくびを噛み殺して自席につく。
クラルスが顔を洗うのに付き添ったリューイも席に着いた。

「それじゃ、いただきます」
「いただきまーす!」

声がそろえば箸がせわしなく動く。
リューイは減っていくおかずを見て目を細めた。作り甲斐があるというものである。

「リュー兄、今日は何するの」
「せんせーのところに弁当届けて買い物してくる。その間にレックスとシルバは掃除と洗濯な?」
「はーい」
「お弁当届けるの?」
「うん、朝渡しそびれて…」

まさか朝からウィリディスに告白のような言葉を言われて気が動転していたなどとは言えまい。
ばつが悪そうに笑うリューイを見て首をかしげるも納得しているのか二人はそれ以上の追及をしてはこなかった。
食事が終われば全員で手分けをして片付ける。
リューイは買うもののメモを確認した。順調に育っている三人の新しい洋服と下着類がいるのだ。
ピータとすでに何度か買い物に行っており、店の場所は把握している。
間違いなく弁当も鞄に詰めて出かける用意は終わった。

「レックスー?シルバー?あとは頼んだぞー」
「はーい」
「リューちゃん、いってらっしゃーい」

遠くのほうから二人の声がした。
リューイは一人出かける。先に向かうのはウィリディスの研究所である。
弁当を忘れていったウィリディスに何度か届けたこともあり道に迷うことはなく入口までたどり着いた。警備員もリューイの顔を覚えていたらしく訪問者名簿に名前を書けばすんなりと通してくれた。
しかし研究所のあるフロアに行くまでに何度もリューイは立ち止まってしまった。
回数を重ねたというのに、今朝のことを想いだしてしまうとどうしても顔を合わせにくいのである。

「弁当悪くなるから早く届けないと…買い物もあるし…うん、急げ、俺」

自分を鼓舞するかのようにつぶやいては足を進める。それでも緊張していた。

「あれ、どうしたのリューイくん。教授に何か用事でもできた?」

押すか押さないか悩んでいたところで目の前のエレベーターが開いて中にいた人物から声をかけられた。
上がりかけた悲鳴を堪えたリューイに笑いかけるのはマリッサである。

「どうしたの?教授なら今上にいるよ」
「あ、うん…」

マリッサはリューイの様子に首をかしげるもののそっと手を取ってエレベーターに引き込めば研究室へのボタンを押した。
不安が見え隠れするリューイを見つめて優しく笑う。

「あと少しで小休止するだろうから用事ならそこで話してみれば?」
「…ごめんなさい」
「何で謝るの?」
「マリッサさん、何か用事あって下行ったんじゃないのかなって」
「ううん。休憩だったから外の空気吸ってこようと思ったの」
「ならなおのこと」
「大丈夫だよ」

顔の暗いリューイに何があったのかマリッサにはわからないが、研究所までわざわざ来たのだから大事な用事なのではないだろうか。
それともいつぞやのようにウィリディスが弁当を忘れたのだろうかと考えて、弁当だなと思った。
ふわふわといい香りがリューイのもつバッグからするのだ。

「リューイくん、教授ね、リューイくんのお弁当食べてるときどんな顔してるか想像したことある?」
「ない…」
「すごくうれしそうにしてるよ。セリーニが時々気持ち悪いってぼやいてるけど、幸せそうな顔だなって私は思う。というわけで、はい、研究室でーす」

エレベーターのドアが開けばマリッサは楽しそうに言った。
リューイの手を引いてウィリディスの部屋にたどり着く。二人が足を止めれば扉が内側から開く。
ウィリディスかと身構えたリューイだったがそこにいたのがセリーニであることが頭に入れば体から力を抜いた。

「……マリッサ、外に空気吸いに行ってくるって」
「行ってきたよ、それでお土産拾ってきたの」
「なるほど」

セリーニの目がリューイへと移る。それから後ろを向いた。
ウィリディスがいるのだろうか。

「教授、ひとまずいったん休憩にしましょう。俺はマリッサを吸ってくるので」
「吸ってくるってなに、セリーニ」
「言葉のままだ。ほら、いくぞ」
「うん」

二人はリューイを見てガッツポーズをして部屋を離れていく。
リューイはわずかに開いたドアを見つめた。

「セリーニ、ちゃんとドアは閉めて……まったく」

室内からウィリディスの声がした。
変な汗が背中を流れていく。
弁当箱を置いて逃げ帰ろうかと考えた。しかしそれよりも早くドアが開いてウィリディスが顔を覗かせた。

「どうした、リューイ。いつ来るのかと思っていたが、ずいぶんと遅かったな」
「どうして…」
「下で名前を書いただろう。連絡があった。何か用事か?」

そうだ、とリューイは気づいた。下で訪問者名簿に名前を記入したから警備員からウィリディスに連絡がいったのだ。
悩んでいる時間が無駄だったとわかり、リューイは少し気が抜けた。

「弁当届けに来たよ」
「わざわざすまない。入るか」
「邪魔じゃない?」
「大丈夫だ。なんなら見ていくか」

見ていくかと言われれば見ていきたい。しかし今日は買い物があるし、何より帰宅したあとにウィリディスとの時間がある。

「見るのはまた今度で…少しだけ休んでいい?」
「もちろんだ」

扉が大きく開かれて中にはいる。
ウィリディスに弁当箱を渡せば嬉しそうにされた。
マリッサの言うことはあながち嘘ではなかったようだ。
ソファに座れば当たり前のように隣に腰を下ろす。

「今日は野菜たくさん入れてみた」
「トマトは?」
「夜ご飯」

渋い顔をするウィリディスを見てリューイは笑う。
笑われたウィリディスはリューイの顔に手を添えれば自分の方へ向かせた。
わずかに期待がこもる目を見つめ唇を重ねた。一度離れてまた重なる。

「ウィル…」
「まずいな…こんなはずではないんだが」

抱きしめられリューイもウィリディスの背中に腕を添えた。
頭の中で数字を数えて考えを他に向ける。

「夜、楽しみにしていい?」
「…あぁ」

いつの間にか、一緒に住む代わりに肌を重ねることではなくなっていた。
体を重ねれば同じだけ心も重ねてしまう。重なった心はどうあがいても離れることはない。
リューイを抱きしめウィリディスは静かに嘆息した。引き寄せたのは間違いだったのかもしれないと後悔しても遅い。
リューイが買い物に行かなければと言い出すまであと僅か、ウィリディスは腕の中に閉じ込めたリューイをただただ愛でていた。
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