世界は万華鏡でできている

兎杜唯人

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「ウィル、いまいい?」
「どうした、リューイ」

ウィリディスの部屋をノックしてリューイが顔を出す。
ウィリディスは読んでいた本を閉じてリューイを見た。
室内に足を踏み入れたリューイはウィリディスを見つめ少し悩んだ後に口を開く。

「さっき、俺に勉強を教えてくれるって話をしただろ?」
「そうだな」
「い、一週間に一日でいい…やっぱり教えて」

リューイは少しどもりながら告げる。その耳は少し赤く色づいていた。
ウィリディスはそれに気づけば口元に小さな笑みを浮かべてうなずいた。
リューイは照れ臭そうに笑ってからそばに近寄ってくる。

「授業料は何がいい?」
「食事も作っている。勉強も進んでやっている。それ以外に何を求めるべきだろうか」
「……なんでもいいよ」

リューイとウィリディスは言葉なく見つめあう。ウィリディスの望みは口にしなくともリューイはわかっている。
そしてその望みを口にされたとしてもうなずけない自分がいることもわかっている。

「お前に勉強を教える日はいくら徹夜してもいいように翌日を休みにする。その代わり」
「その代わり?」
「翌日は一日俺に付き合ってくれ。セックスするでも、ただ話をするでも勉強の続きでも構わん。今はお前との時間が欲しい」

リューイはウィリディスの伸ばされた手に抵抗することなく抱きしめられた。
迷った挙句にリューイはウィリディスの胸元に手を当てる。
自分よりも大きな手のひらが静かに頭を撫でるのを感じる。

「リューイ…近いうちにあの子たちに養子の件の希望を聞こうと思っている」
「…養子」
「あぁ。泊りの件が俺の入院でなくなっただろう。それがなくなったからというわけではないが、少し予定を前倒ししようと思ってな」

リューイはウィリディスを見つめる。
言葉が出ないリューイを見つめてからウィリディスは静かに告げた。

「あの子たちを…どう幸せにするのか、少し考えてみるといい。そばにいるだけが幸せとは限らないだろう?」
「…そうだね……聞いてみないと」
「一人で聞けないのならば俺も共にいよう」

リューイは口元に笑みを浮かべる。小さくうなずいた彼を抱き寄せて静かに頭を撫でた。
リューイには酷なことを言ってしまっただろうか。しかし現実いつまでもともにいては離れ難くなるのも当たり前である。
現にウィリディスですら寂しいのだ。心を寄せてしまっている。

「今日はどうしたい。お前がこのままがいいというのならこのまま抱いているが」
「上のベッドで寝る。ウィルとは昨日も一緒に寝たからな」
「俺が一緒がいいと言ったら?」
「いい年した大人が甘えるなよ」

リューイは軽くウィリディスの額を小突いた。
ウィリディスはリューイを放すまいと腰に回した腕に力を込めた。少し腕に力を入れてリューイは体を引き離そうとするもののウィリディスはそれを許さない。
少し体から力を抜いたリューイはウィリディスの口元に唇を当てた。

「おやすみ、ウィル…また明日」
「仕方ないな。おやすみ」

視線を交わし、微笑みを浮かべればリューイを解放してやる。
リューイはウィリディスの部屋を出ていけばベッドへと向かって行く。
先にレックスたちが寝ているだろう。
レックスたちに、養子になるかどうか聞くのが怖かった。
ため息をこぼしつつ部屋に入ればベッドの上に座っていたシルバがリューイに気づく。

「まだ起きてたのか」
「うん、フィーちゃんとお話ししてた」
「話?なんの?俺にも聞かせて」

リューイもベッドに上がる。シルバとレックス、それからフィーディスが意味ありげな視線を交わした。

「あのね、リューちゃん…俺たち、近いうちにここを出ていこうと思うの」
「え…?」
「養子に行くことに決めたんだ。俺とシルバとフィー兄。クラルスは…わんわんと一緒に暮らすって嬉しそうだったけど…そもそも養子のなんたるかをクラルスはわかってないから」
「…そうか…」
「寂しい?」
「当たり前だろ。うれしいのと寂しいのと半々ってところだな」

レックスとシルバを見つめリューイは少し目じりを下げた。
自分から聞く前に二人に言われてしまった。
いざ、その言葉を聞くと嬉しい気持ちの前に寂しさが出てくる。養子になれば彼らは幸せになると思っていた。今でもそれは間違いではないのだと信じている。
彼らを迎え入れてくれるはずの家族はいずれもとても子供たちを大事にしてくれていることがうかがえる。
出先から送られてくる写真はどれも笑顔しかない。
自分が置いていかれることに不満があるわけではない。

「リューちゃん、泣かないで」
「泣いてないし」
「リュー…会えなくなるわけじゃないんだよ」
「わかってるよ。でも養子先に行くってことは俺なんかより優先するものができるってことだろ。うれしいんだぞ、本当に…でも」

突然流れ出しとどまるところを知らない涙にシルバが目を丸くする。
レックスが慌ててハンカチをもってきてリューイの涙を拭う。

「あー…くそ。めっちゃ寂しい。俺絶対みんなと最後の日とか大泣きしそうだ」
「泣かないで、リュー兄」
「いっそのことみんなで今から逃げる?」
「だめだよ、フィーちゃん。先生に心配かけちゃう」
「そうだよ。先生にいっぱいいろんなこと教えてもらったし、俺たちも幸せになるって決めたんだから」

レックスの力強い言葉に溜まらなくなり、リューイは二人を抱きしめた。
泣きながらも抱きしめてくるリューイを見つめ、二人は言葉を失うが互いに顔を見つめるとリューイに体を預けた。
どのくらいそうしていたのか。リューイはぐすっと鼻をすすって二人を放した。

「俺、止めようとしてた…幸せになってほしい、養子先の家でいろんなこと知って成長してほしいって思っていたのに、ひでぇよな」
「そんなことないよ。リューが俺たちのこと深く愛してくれてるのがよくわかる」
「リュー兄、俺たちもリュー兄が大好きだよ」
「俺も。きっとクラルスも」

クラルスは四人の会話などつゆ知らずベッドで気持ちよさそうな寝息を立てている。彼に手を伸ばし起こさない程度に頭を撫でたリューイはそうだな、と笑った。

「ごめんな、俺怖かった。ずっと一緒に過ごしてきた兄弟がいなくなること、もう会えないかもしれないこと。怖がっちゃいけないのに、幸せになってって言いながら、どこにも行かないでって思ってもいたんだ」
「リューちゃん…怖くないよ。俺たち離れても一緒だよ」
「どこにいたって俺たちはリュー兄の弟だもん」
「うん、そうだな」

交互に頭を撫でたリューイはフィーディスを見た。
フィーディスは一瞬間の抜けた表情をするもののリューイに笑いかける。

「あー…俺の兄弟、本当自慢しかない。最高に可愛くて最高に優しい俺の大事な弟たち」
「リュー兄も自慢だよ。かっこよくて時折泣き虫で優しくて」
「頑張り屋さんで笑顔が可愛くて」
「とても愛しい」
「リューちゃん、俺たちが出ていくときにはちゃんと笑顔でいてね」
「がんばる」

リューイは涙を拭きながらレックスとシルバを抱えてベッドに倒れ込む。
ぽふん、と軽くはねた後フィーディスを見つめて笑う。

「寝よう。このまま起きていてもいいけど朝起きられなかったら困る」
「そうだね」

フィーディスもうなずいてクラルスの脇に転がる。
5人並んでこうして眠る日々はあと僅かなのだろう。
リューイに左右から抱き着いてレックスとシルバは満足そうにする。

「おやすみ、リューちゃん」
「あぁ、おやすみ。また明日な」
「うん」

しばらく頭を撫でていればすぐさま寝息を立てる。フィーディスと目があえば二人そろって笑った。
健やかに育て、とリューイは願う。

「そうだ。養子に行っちゃう前にちゃんとせんせーに旅行に連れて行ってもらわないといけないな」
「本当に行くの?」
「レックスもシルバも楽しみにしているんだから行かないと」
「ええ…」
「フィーディスは一人でお留守番するならいいぞ」
「やだ、行きたい」

リューイは即答したフィーディスを見て目を細める。明日、ウィリディスに相談してみればいいだろうか。
レックスもシルバもクラルスも、いなくなってしまう前に最後たくさんの思い出を作って写真を残したい。
穏やかな寝顔を目に焼き付けるようにリューイはみつめた。

「リュー、あの先生と何かあったの?最近あんまり見つめてないけど」
「…首輪を外してくれないかってさ」
「うなずかなかったんだね」
「お前を待つって約束してなかったら多分外してたよ」

フィーディスを見つめたリューイは悲しんでいるわけでもなく、かといって幸せに満ちているわけでもなかった。
なんの感情もない。悲嘆に暮れているわけでもない。今彼はどんな気持ちでいるのだろうか。

「お前が幸せにしてくれんだろ?それに、せんせーの気持ちがしれたからいい。お前にもクラートにも嫉妬するぐらい好かれてるんだって」
「複雑な気分だ…リューは、俺と一緒になるのは嬉しいけど心のいちばん大事なところはあの先生のものだろう?」
「ごめんな」

フィーディスは大げさにため息をつく。
だがリューイを見つめるとわずかに笑みを浮かべた。
リューイを迎えに行ってからはともに過ごせる時間のほうが増える。
その中で彼の心を占めるだけの余裕がフィーディスにはあった。
おやすみ、とささやき二人も同じく眠りだす。
その翌日リューイよりも先に起床したレックスとシルバは
競って下のフロアへと向かう。
起きて朝食の支度をしていたウィリディスはリューイではなく二人が来たことに驚いたようで目を丸くしていた。

「おはよう、先生!」
「おはよー!」
「おはよう。リューイはどうした」
「まだ寝てるよ。だから俺たちがお見送りきたの」
「そうか」

ウィリディスは二人の頭を交互に撫でた。
満足そうにする二人を見つめてウィリディスは考えていたことを告げた。

「お前たちが養子先に行く前に、前にリューイと行った俺の家に連れて行こうかと思うんだがどうだろうか」
「いいの?」
「俺たちも考えてたの。先生のおうち行っていっぱい思い出をリューちゃんにあげようって」
「そうか」

大きくうなずく二人を見つめてほほ笑む。

「一緒に食事でもとるか。今日はリューイに弁当はいらないと告げてある。だから簡単に目玉焼きだが…」
「先生、下手ー」
「割れてる」
「卵を割るのは苦手でな」

フライパンを覗き込んだレックスが口を開いた。ウィリディスはフライパンで焼いていた目玉焼きを皿にのせる。
レックスとシルバが乗れる台はない。

「俺たち上手に割れるよ、見てて」
「レックス、次俺ね」

小さな器の中にレックスはきれいに卵を割り落とした。
レックスから器を受け取ったシルバも同じものに卵を割りいれた。
ウィリディスは卵をフライパンへと滑らせた。
すぐにじゅーっと音を立てて焼きあがる。ウィリディスの左右でレックスとシルバがフライパンを覗き込み目を輝かせている。

「できたぞ。二つまとめて焼いたから喧嘩をせずに分けるように。テーブルの上にバターロールを置いているからほしければそれも食べるといい」
「ありがとう、先生」
「ありがとー」
「リューイに伝えてくれ。今日の帰りは遅くなると」
「わかった」

レックスが皿をもって机のところに向かう。
鞄をもってエレベーターへと向かうウィリディスの後ろをシルバが追いかけた。

「いってらっしゃい、先生」
「…いってきます」

じっとウィリディスを見上げてくるシルバは何か言いたいのだろうか。
しゃがみこんだウィリディスに顔を近づけたシルバはちゅっとかわいらしい音を立てて口元に顔を寄せる。
レックスが手にしていたロールパンを落とした。

「リューちゃんの代わりにいってらっしゃいってしてあげたの」
「し、シルバ!それはリュー兄のお仕事だからだめだって!」

レックスが飛んできてシルバを抱えるようにしてウィリディスから引き離す。
シルバはどうして怒られているのかわからないようできょとんとしていたが、ウィリディスへと視線を向けた。

「リューちゃんは今寝ていたし、いいよね」
「だからそれは…!」
「シルバ、済まないがリューイがいる間はそれはリューイにしてほしいものだ。シルバはやらなくて大丈夫」
「でも」
「先生がそう言っているんだからいいの!」

レックスを見つめ何故だか彼の気持ちがわかるような気がしたウィリディスは苦笑を漏らす。
行ってくる、と声をかければ二つの声がそろって見送った。
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