世界は万華鏡でできている

兎杜唯人

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望むものへの足掛かり 5

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目が覚めない。
リューイはウィリディスの顔を見つめた。
まだ斑点が浮かぶその目は固く閉ざされたままだ。

「はやく、起きてよ。俺に話があるんだろ?なんのはなし?俺の番相手のこと?」

リューイは時おり話しかけていた。
もしかしたら声が届いて目が覚めるかもしれない、と思いながら。
薬は別のものを新たにいれたらしい。
ちらりと画面を見上げた。付箋が貼られた場所の数字は時おり変化している。
心臓も動いている。

「ウィル…起きて。実験終わってないでしょ?みんな心配してるよ」

起きて、と繰り返す。
触れたくても触れられない。
歯を食いしばって泣き出しそうになるのをこらえた。
こんなに涙腺が弱いとは思いもしなかった。
実験が失敗してから一日が経った。
あと一日…ウィリディスが目を覚ますのだろうか。

『リューイ、聞こえてるか』
「聞こえてるよ、クラート」
『フォートからの連絡だ。子供らが、先生がんばれ、って伝えてくれだって』
「うん、伝える」

ウィル、と呼ぶ。
レックスとシルバはウィリディスからもらった仕事をしているのだろうか。
クラルスは今も人形を抱いているだろうか。フィーディスはいらいらしていそうだ。
リューイは苦笑を漏らしてたまらずウィリディスのほほに指先だけ触れた。

「ウィル…みんなが頑張れだって。俺も応援してるよ。ウイルスなんかに負けないで」

頬を伝った涙を拭ってからリューイは深呼吸をする。泣いている暇はない。
数値の並ぶ画面を見つめた。
あとどのくらいこうしていたらウィリディスは目を覚ますのだろうか。
リューイは心が折れそうになった。世の中にはもっと多くこうして自分の大事な人が目を覚ますのを待っている人がいるだろうに、どうして耐えられないのだろうか。

『リューイ、疲れたならば少し休むか』
「ううん、大丈夫。まだいける」

少し肩が落ちたのに気づいたか、クラートが声をかけてきた。
涙声になりそうになったのを堪えてリューイは首を振る。
人工呼吸が白く曇る。

「ウィル…早く起きて…声を聞かせて。俺、ダメになっちゃうよ」

ぎゅっと目をつぶり視線をウィリディスから機械へと移動させた。ベッドに添えた手はほんの少しの動きですら感じられるように神経をより敏感にさせている。
ウィリディスに声をかけ、いつ目が覚めるだろうかと期待しつつ、休憩をとる。それを何度繰り返しただろうか。
この病室に窓はない。時計もない。だから今が何時なのかリューイにはまったく見当もつかなかった。

『リューイ、大丈夫か』
「さっき休憩もらったから大丈夫……クラート、今せんせーがここに入ってからどのくらい経った?」
『46時間』

ぴったり二日で何か起きるわけではないとわかっているが、あと二時間でウィリディスがウイルスに感染してから48時間、二日間が経過するのだ。
リューイの鼻の奥がつんとする。泣いてはいけない、と思いつつもこぼれてくるものを抑えきれなかった。

『リューイ、教授の心臓は動いている。大丈夫だ、まだ希望は潰えてない』
「わかってる…わかってるんだ。でも…せんせーピクリとも動かなくて…」
『お前が信じなくてどうする』
『リューイ、といったか。三時間前、お前が休憩している間にその人に別の試薬をいれた』

クラートではない声にリューイは顔を上げる。
今回感染したウイルスに対しての知識が豊富だという医者だった。

『効き目が出てくるとしたらそろそろだ。もし効果があるとしたら肺の状況がよくなる。だから自発呼吸も始まるはずだ。何しろダメージを受けていた肝臓の数値が少し良くなっているからな』

リューイの目が画面の数字を勢いよく追いかけていく。
クラートは隣に立つ青年を見つめた。

「本当か」
「あぁ。試薬だから、正直どこまで効果が出るかは不明だが、理論が間違っていなければきっとそうなる」

クラートはリューイの後ろ姿を見つめた。そこに熱を出して意識のない母を心配した幼い時の自分が重なる。
リューイの気持ちが痛いほどよくわかった。

「ウィ、ル……ウィル、きっと大丈夫だよね。だってあの人がそう言っているんだもの。あと少し、きっとあと少しでしょ」

リューイは涙をこぼす。ほほを流れ顎を伝った涙がウィリディスの手に落ちた。
視線を落としたリューイの目が丸くなる。
唇が震えて声が出ない。

『リューイ?どうした』
「……ル……ウィルが目を覚ましてる!』

リューイの叫びが響いた。
何を見ているのかわからないがリューイの視界に鮮やかな緑の色が映る。
リューイは何度もウィリディスの名前を呼ぶ。せっかく開いた瞳がまた閉じてしまわないように叫んでいた。

「ウィル、そのままでいて。クラートがきてくれるから!お願いだから、目を閉じないで!」

のろのろとウィリディスの瞳が動く。
リューイのことを認識しているのだろうか。口が何かを形作る。
声は聞こえるはずないのだがリューイは人工呼吸器に耳を寄せた。
目を閉じてわずかな息の漏れる音にすべての神経を集中させる。

「…イ」
「ウィル、俺がわかる?そうだよ、リューイだよ。ねぇ、ウィル」

マスクをつけた青年が病室に入ってくる。彼は数値をクラートに告げていく。
付箋を貼った場所以外の数値も告げれば外のクラートから呼吸器を外せと指示が飛ぶ。その指示のままに呼吸器を外せばわずかにウィリディスの口元が笑んでいた。

「目を閉じないで…ウィル、俺を見ていて。ねぇ一人にしないでよ。俺、だれのところでも番になりにいくから…ウィルが生きてなきゃ俺も生きられないよ。だって、ウィルが好きなんだから!」

必死の叫びだった。
クラートも青年も動きを止める。おそらく聞こえていてもその中身を理解してないであろうウィリディスは手を動かそうとする。
リューイは自分からウィリディスの手を握り締めた。

「ウィル…」
「…リュ、イ……」

かすれた声で名前を呼ばれる。
力のない手にほほを摺り寄せてリューイは涙する。

「クラート、数値が改善しだしている。試薬が働いた」
『通常の病室へ行けるか』
「すぐには無理だ。少なくとも半日の様子見はいる……驚いたな」

ぽつりと彼はこぼした。まだきちんと治験していない薬を使った。
こうも早く確かな結果が出てくるとは思いもしなかったのだ。
自分は医療者である。宗教家でも何でもないが思わず口から洩れた。

「奇跡を目にするなんてな」

そのあとはあわただしかった。
クラート以外の医療者がやってきて数値を見る。
ウィリディスはリューイに手を握られたまま、また意識を落としてしまった。
リューイは握りしめた手を額に当ててしばらく動けなかった。
起きてくれた、ただそれだけが喜ばしかった。

『リューイ、聞こえてるな。あと十時間ほどあとにまた再検査して問題無さそうならウィリディスを一般病室に移動する』
「わかった」
『あとすこし、お前も耐えてくれ』

クラートの言葉に顔をあげたリューイは力強くうなずいた。
それを見ながらクラートは自発呼吸をするウィリディスを見つめていた。
目を覚ました。
生存確率が下がるかも知れなかった二日の間に。

「目を覚ますとは思わなかったな」
「奇跡とでもいうか」
「非科学的だがまさしく」
「奇跡じゃないさ」

ほかの医師に検査の準備を整えるように告げて戻った彼にクラートは笑いながら告げた。
らしくないとは思っている。
だが、まさしくそうとしか言い切れないのだ。

「リューイの愛の力だろ?」
「…お前、いつのまにそんなことを言うようになった」
「あの二人を見てると自然とそうなる」
「感化されたか」
「かもな」

先ほどとはうって代わりリューイの数値を告げる声に力がこもる。
やはり試薬はうまく働いているらしい。
そのことは火を見るより明らかだった。
それまで悪化していく一方だった肺の状況が改善こそしないものの数値が止まったのである。
体内のウイルスの働きはほぼ止まったとみていいらしい。

「この状態なら病室を移せる」
「そうか」

クラートは今度こそ力が抜けた。リューイほどではないにしろ自分も少なからず緊張はしていたのだ。
完全に回復するにはもちろんまだ時間はかかるだろうが一度意識が戻ったのなら安心である。

「ついでだが、あの教授の病室にもうひとつ簡易ベッドをつけさせた」
「なんで」
「彼がそばを離れないだろうからな」

クラートは目を丸くしたがやがて笑いだした。
ほぼ初対面の相手にすら考えを読まれるとはわかりやすいらしい。
リューイはウィリディスのそばを離れようとはしないだろうと考えてはいた。
こちらの説得など端から聞くことはない。

「悪いな、気を使わせて」
「いや?彼がどれだけ教授を想うのかは先ほど目にしたからな、そのぐらいしてやらなければならないだろうと判断したまでだ」
「お前にもそんな優しさがあったとはな」

からかうような口調で告げれば彼はクラートから顔をそらしてしまう。
ウィリディスが目を覚ましたことをフォートやウィリディスの実家に伝えなければならない。
クラートはその場を任せて連絡をしに行った。
フォートは目を覚ましたと伝えれば、端末を耳から離さねばならないほどに大きな声をあげていたしその奥から子供達の歓声も聞こえていた。
通話に出たアカテスは、かなりの間のあと、そうですか、と一言言っただけだった。
ほっとしたのかアクティナが出てくればクラートに礼を告げた。時間を作り見舞いにくるという。
連絡を終えればクラートは病室に戻る。
リューイはウィリディスの手を握りその顔を見つめたまま動かない。

「リューイ、あと数時間で病室を移動するからな」
『うん、わかった』

うなずいたリューイの意識はやはりウィリディスに向いたまま。
クラートは苦笑して病室移動の準備のため自分も病室周囲に広げたカルテをまとめはじめた。
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