53 / 102
望むものへの足掛かり 3
しおりを挟む
『やめろ、教授!爆発するぞ』
リューイがベッドのそばに座り込み、ウィリディスの様子を見つめる姿を外から眺めながらクラートは実験の失敗のことを思い出していた。
爆発はかなり小さなものであったが、吹き飛んだ注射器の破片がウィリディスの顔を引き裂いた。血が飛んだと同時にクラートが指示を飛ばす。
「研究員は全員外に退避しろ。今すぐにだ!」
「マリッサ何してるんだ」
「録画設定!カメラが無事なら結果を見れるでしょ!」
逃げかけたマリッサは足を止めるとモニターを見つめてから素早くキーボードをたたく。
少し間をおいて右上にRECという赤い文字が浮かぶのを確認した。
安心したマリッサはほかの研究員に腕を引っ張られながらもウィリディスが心配なのか一度足を止める。
「早く行け。ウィリディスなら心配するな。必ず助けるから」
クラートの言葉にマリッサは小さくうなずいて研究所を出ていく。
クラートは研究員たちが走っていった方向から研究室内へと視線を戻す。炎が上がる様子はない。
だがウィリディスの姿は見えなかった。
「クラート」
「頼んだ。俺は病院に連絡する」
「わかった」
クラートに声をかけた青年にうなずいて見せれば彼は病院から持ってきた特別製のマスクを口にして実験室へと入っていく。
それを見つめつつ端末を出して緊急の番号をプッシュする。
「俺だ。昨日話していた件、現実になった。至急部屋の用意を。それから生命維持のための数字の位置に付箋を貼っておいてくれ…あぁ、俺たちのためじゃない。あいつを助けるための人手がいる。そいつのためだ」
返答を受けてすぐに通話を切った。部屋に入った彼はどうしているだろうか。病院から抗ウイルス薬を持ってきていたのは知っている。それが効くというのも彼の研究で知れたことである。
クラートがやきもきしつつも数分後には爆発による煙が収まった。部屋の中を凝視すれば横たわるウィリディスとその傍らに膝をつく影があった。
クラートのほうにマスクをつけた顔が向いている。彼はうなずくとクラートもマスクをつけたのを確認してからウィリディスに肩を貸して半ば引きずるようにして部屋を出てきた。
「顔と体に斑点が出ている。間違いなくウイルスを吸った」
「薬は」
「体内に入り込んで五分以内にはいれた。しかし…」
「変異している可能性か」
「お前は言っただろう、遺伝子操作がされたウイルスだと」
「あぁ」
「そうなるとこちらでも予測がつかない。毒性を下げたとしても変異が起きてしまうかもしれないから」
「そうか…」
「連れて行こう。早いに越したことはない」
「あぁ」
クラートも肩を貸して部屋を出る。
ウィリディスの呼吸はほぼないに等しい。可能な限り早く酸素マスクを取り付けねば後遺症が残るとも限らない。
クラートが連絡したからかすでに研究所の外には迎えの車が来ていた。
ことが事なだけに救急車ではなく病院で特注したものだ。外部へのウイルスを漏らさぬように完全に密閉し、患者の容体が運転席からでもわかるようにガラス面がある。
ウィリディスを運び込み、車内の機械を取り付ける。
腕に針を刺して血液をいくらか抜き取れば検査に回すため丁寧にしまい込んだ。
「急げ」
「了解」
サイレンを鳴らして病院へ向かう。クラートの頭の中ではリューイに告げるべきか否か悩んでいた。
悩む間にも端末で連絡したのはウィリディスの実家である。
事故のことを話せば電話口に出たアカテスは予想外に落ち着いた声で、息子をお願いします、と告げてきた。
「リューイに泣かれたらあとでどやされそうだ」
重たいため息と共にこぼれた言葉に苦笑する。
リューイに泣かれるわけにはいかない。クラートはリューイに連絡をいれることに決めた。
直接告げるか、とリューイの端末の番号を呼び出す。
だが、悩み悩んだ末に直接は告げないことにした。ウィリディスの自宅に連絡をいれる。
ピータが出れば御の字である。
「つきました」
「急ぎ治療室へ。それからアルセナールを用意しろ」
クラートの傍らで青年が指示を出す。
呼び出し音がなるだけの端末を耳に宛ながら先程抜いた血を青年に渡した。
「血でも状態はわかるか」
「わかる。うまくいけば体に合わせた抗ウイルス薬もできる」
「任せた」
血を預けウィリディスが運ばれた治療室に向かう。
感染性の強い病気の患者のためにあつらえた部屋だ。
部屋にはいるまでに抜ける扉は二つ、間の空間で除菌を行う。
慌ただしく医師が動き回る。すでにウィリディスは室内に横たわっていた。
「ちっ…ピータはいないな…」
先にフォートへことの次第を告げる連絡をした。
仕事中だったのか簡潔に承諾の連絡が入る。彼は彼で職場で聞いたのかもしれない。
しばらくウィリディスの研究所は閉めることになるだろう。
仕方のないことである。
ウィリディスの自宅へ子供たちを迎えにいくために一人スタッフを派遣しつつ、再度自宅にかければ今度はリューイでない声が応答した。
フィーディスであった。フィーディスに事の次第を告げればかなり立腹したようであった。
だがリューイがいなければウィリディスの治療に集中的に当たることは難しい。
フィーディスはさんざん文句を言ったうえでリューイを連れてくることを了承した。
「……ごめんな、リューイ…教授を守ってやれなくて」
端末をしまいこみ、病室に横たわるウィリディスを見つめた。
リューイはどう思うだろうか。泣き叫ぶのだろうか。彼がウィリディスに少し依存しかけていることに気づいていた。
今の彼はウィリディスがいて成り立っている。大切な、生きるための柱なのだ。
「クラート、少しいいか」
「どうした」
「先ほど渡された血を検査してみたんだが、これを見てくれ」
それは検査結果である。
ウイルスはやはり体内に入り込んでいるようでいくつか異常な値が見受けられた。
結果を読み進めていくうちにウィリディスのものとは思えない記載がいくつかあることが分かった。
眉を寄せ顔をあげたクラートの言いたいことが彼はわかっていた。
「本当か?別の人間のものが混ざったのではなく?」
「間違いなくあの教授のみの結果だ」
「…どういうことだ…ありえるはずがない」
「これは俺とお前しか知らないことだ」
「結果を差し出した医師は」
「まともに読んでいない」
「そうか…」
クラートは少し考え込んでしまう。
ありえてはいけない結果はそこにはあった。
「…ひとまずこれについては教授が復活してからだな。俺の部屋は?」
「ちゃんとある。院長はまだお前をあきらめてないから」
「そうか。俺の部屋の金庫にいれておいてくれ。番号はわかってんだろ」
「あぁ」
「頼んだ」
うなずいて歩き去る姿を見送ってから再びため息をついた。
予期せぬことが起きてしまった。頭をがしがしとかいてから病室を見つめつつリューイがくるのを待った。
『クラート、せんせーは今どんな状態なの?』
リューイがくるまでを想起していたが、耳に入った言葉にはっと意識を戻す。
リューイはこちらに背中を向けたままであった。
「教授の体内にウイルスが入っている。そのウイルスはαの細胞を破壊するもので、各内臓に付着すればわずかな間に細胞を壊死させて死に至らしめる」
『助けるには』
「ウイルスが体内に入り込んでから十分以内の投薬だ。教授には五分で投薬を済ませた。だがウイルスは体内で暴れまわっているようで自発的な呼吸ができていない。それから血の巡りも悪くなっている。下手をすると脳に機能障害が残る可能性も捨てきれない」
リューイの体に力が入ったのがわかる。
下手に隠してもよくないと思ったから真実を伝えた。
可能性はあくまでも可能性に過ぎないが、この先ウィリディスの体次第ではそうなることもありうるのだ。
「…定期的に抗ウイルス薬を点滴している。それが体中のウイルスを破壊しつくせば教授は何事もなく起き上がるはずだ」
『…二日間俺に様子見ろって言ったよね。それは、せんせーの体に障害が残らないぎりぎりのラインってことでいい?』
「…あぁ。二日はこちらの医療器具で生命維持は通常通りできる。だが、それ以上となると難しい」
『そう』
リューイの言葉が途切れた。
クラートからリューイの表情が見えないのがもどかしい。
できれば顔を見ながら大丈夫だと伝えてやりたい。クラートも全力を尽くすつもりでいるのだから。
だがリューイの視線はウィリディスから動かなかった。
「リューイ、こっち向け」
『いやだ』
「リューイ」
『俺、今ひどい顔してる…せんせーが…心配で…めっちゃひどい顔してるから見ないで』
「ここには俺しかいないから」
のろのろと振り向いたリューイの目は濡れていた。
泣きたいのを堪えているのだろうか。泣いてもどうにもならないとわかっているから泣くに泣けないのか。
リューイはふらふらと立ち上がって近づいてくる。
『クラート…せんせー…起きるかな』
「信じろ、あのバカは何が何でも起こしてやる。だからリューイ、俺に力を貸してくれるな?」
『うん…』
「大丈夫だ。薬は問題なく作用しているはずだ。あと三十分ほどしたら付箋のところの数値を教えてくれ。あと、体がきつかったりしたらすぐに言え」
言葉なくうなずいたリューイの顔の輪郭をガラス越しに指先で辿る。
本当は自分が中に入りたかった。リューイに無理を強いたくはなかったのだ。
『クラート?』
「ごめんな、リューイ…」
『なんでクラートが謝るのさ』
「もっと俺が研究していたらお前にこんなことをさせずに済んだかもしれないのに」
リューイはクラートの言葉にわずかに笑った。
類は友を呼ぶようだ。クラートとウィリディスは似ている。
『せんせーもだけど、クラートもまだ、三十代だろ。そんな台詞を言えるのはもっと年食った人だけだよ』
リューイはそう言い残すとガラスから離れてまたベッドの脇に戻った。
クラートはリューイの後ろ姿を見つめる。
ベッドの上のウィリディスは全く動く気配はない。心電図がなかったら死んでいるとすら思う。
ガラスに額を当ててクラートはウィリディスの無事を祈るほかなかった。
手は尽くすつもりである。手を尽くしたその先は神に祈るほかない。
「クラート、大丈夫か」
「…大丈夫に見えるなら医学生からやり直せ」
「憎まれ口ってことは大丈夫そうだな。具合は」
「悪いな…お前の見立てで薬は投入するつもりだ…あとは数値の改善と、内臓の損傷がないかってところだな」
「今はどの数値がよくない?」
「肝臓と肺だな…肺はわかりきっていたことだ。だが、どうして肝臓なんだ……それにほほの切り傷にも付着したか、少し膿んでいた」
「そうか。ならば少し薬を変える。ほほの傷には確か塗り薬があったはずだから探しておく」
クラートはちらりと隣の青年を見た。
自分より少し下、青年というには少し老けてはいるかもしれない。
父に憧れてこの病院にきたと言っていた。今回のウイルスに詳しい教授に学んでいたと聞いていた。
彼がいなかったら果たしてどうなっていたか。
「ありがとうな…」
「クラートが素直に礼を言うとは思いもしなかった」
「…言わなきゃよかった」
「もったいないからありがたく受け取っておく」
青年は笑い声を残してその場を去る。彼の知識が今回は重要だった。
クラートにできることはほとんどないに等しい。まったくもってウイルスは専門外だからだ。
クラートは歯を食いしばりつつリューイのための飲み物を準備しにいったんその場を離れた。
リューイは二日間寝ることはできない。ならば自分も休むつもりはなかった。
自分の病院で働く者たちに連絡を入れる。一週間緊急で病院を閉じると告げた。
すぐさま返事がいくつか戻ってくるがそれを開くことなくクラートはリューイのためにお茶やスポーツドリンクのボトルを手にした。
手軽にとれる食事とリューイが室内で着る服、簡易トイレを手に戻る。
彼ら二人のいる病室は、この病院の中でも奥まった場所にあり、入るためには特別なICカードが必要になる。
今ここに立ち入れるのはクラートと院長、先ほどの青年のみである。
クラートは病室に一番近い事務室から椅子を一つ借り受けてそこに腰かけた。
先ほどと変わらずにリューイは座っている。
「リューイ、少し何か口にするか」
『うん。ついでに今の数値言っておくね。156、43、120、72…』
「やっぱり心臓の動きが悪いな…酸素濃度も低い…ウイルスには酸素を遮断する働きでもあるのか」
リューイはクラートのぼやきは聞こえていないのかドアを開けてきた。
着替える服はすでに置かれている。強い風に吹かれたリューイは下着まで一式すべてを着替えた。着替えた服はどうするべきだろうかときょろきょろとすれば、足元の部分に穴があるではないか。
ダストシュートだろうか。少し服がもったいない気がするものの、もしこの服にウイルスがついていたらクラートにも迷惑が掛かり兼ねない。
リューイは服をその穴に入れて静かに病室を出た。
リューイがベッドのそばに座り込み、ウィリディスの様子を見つめる姿を外から眺めながらクラートは実験の失敗のことを思い出していた。
爆発はかなり小さなものであったが、吹き飛んだ注射器の破片がウィリディスの顔を引き裂いた。血が飛んだと同時にクラートが指示を飛ばす。
「研究員は全員外に退避しろ。今すぐにだ!」
「マリッサ何してるんだ」
「録画設定!カメラが無事なら結果を見れるでしょ!」
逃げかけたマリッサは足を止めるとモニターを見つめてから素早くキーボードをたたく。
少し間をおいて右上にRECという赤い文字が浮かぶのを確認した。
安心したマリッサはほかの研究員に腕を引っ張られながらもウィリディスが心配なのか一度足を止める。
「早く行け。ウィリディスなら心配するな。必ず助けるから」
クラートの言葉にマリッサは小さくうなずいて研究所を出ていく。
クラートは研究員たちが走っていった方向から研究室内へと視線を戻す。炎が上がる様子はない。
だがウィリディスの姿は見えなかった。
「クラート」
「頼んだ。俺は病院に連絡する」
「わかった」
クラートに声をかけた青年にうなずいて見せれば彼は病院から持ってきた特別製のマスクを口にして実験室へと入っていく。
それを見つめつつ端末を出して緊急の番号をプッシュする。
「俺だ。昨日話していた件、現実になった。至急部屋の用意を。それから生命維持のための数字の位置に付箋を貼っておいてくれ…あぁ、俺たちのためじゃない。あいつを助けるための人手がいる。そいつのためだ」
返答を受けてすぐに通話を切った。部屋に入った彼はどうしているだろうか。病院から抗ウイルス薬を持ってきていたのは知っている。それが効くというのも彼の研究で知れたことである。
クラートがやきもきしつつも数分後には爆発による煙が収まった。部屋の中を凝視すれば横たわるウィリディスとその傍らに膝をつく影があった。
クラートのほうにマスクをつけた顔が向いている。彼はうなずくとクラートもマスクをつけたのを確認してからウィリディスに肩を貸して半ば引きずるようにして部屋を出てきた。
「顔と体に斑点が出ている。間違いなくウイルスを吸った」
「薬は」
「体内に入り込んで五分以内にはいれた。しかし…」
「変異している可能性か」
「お前は言っただろう、遺伝子操作がされたウイルスだと」
「あぁ」
「そうなるとこちらでも予測がつかない。毒性を下げたとしても変異が起きてしまうかもしれないから」
「そうか…」
「連れて行こう。早いに越したことはない」
「あぁ」
クラートも肩を貸して部屋を出る。
ウィリディスの呼吸はほぼないに等しい。可能な限り早く酸素マスクを取り付けねば後遺症が残るとも限らない。
クラートが連絡したからかすでに研究所の外には迎えの車が来ていた。
ことが事なだけに救急車ではなく病院で特注したものだ。外部へのウイルスを漏らさぬように完全に密閉し、患者の容体が運転席からでもわかるようにガラス面がある。
ウィリディスを運び込み、車内の機械を取り付ける。
腕に針を刺して血液をいくらか抜き取れば検査に回すため丁寧にしまい込んだ。
「急げ」
「了解」
サイレンを鳴らして病院へ向かう。クラートの頭の中ではリューイに告げるべきか否か悩んでいた。
悩む間にも端末で連絡したのはウィリディスの実家である。
事故のことを話せば電話口に出たアカテスは予想外に落ち着いた声で、息子をお願いします、と告げてきた。
「リューイに泣かれたらあとでどやされそうだ」
重たいため息と共にこぼれた言葉に苦笑する。
リューイに泣かれるわけにはいかない。クラートはリューイに連絡をいれることに決めた。
直接告げるか、とリューイの端末の番号を呼び出す。
だが、悩み悩んだ末に直接は告げないことにした。ウィリディスの自宅に連絡をいれる。
ピータが出れば御の字である。
「つきました」
「急ぎ治療室へ。それからアルセナールを用意しろ」
クラートの傍らで青年が指示を出す。
呼び出し音がなるだけの端末を耳に宛ながら先程抜いた血を青年に渡した。
「血でも状態はわかるか」
「わかる。うまくいけば体に合わせた抗ウイルス薬もできる」
「任せた」
血を預けウィリディスが運ばれた治療室に向かう。
感染性の強い病気の患者のためにあつらえた部屋だ。
部屋にはいるまでに抜ける扉は二つ、間の空間で除菌を行う。
慌ただしく医師が動き回る。すでにウィリディスは室内に横たわっていた。
「ちっ…ピータはいないな…」
先にフォートへことの次第を告げる連絡をした。
仕事中だったのか簡潔に承諾の連絡が入る。彼は彼で職場で聞いたのかもしれない。
しばらくウィリディスの研究所は閉めることになるだろう。
仕方のないことである。
ウィリディスの自宅へ子供たちを迎えにいくために一人スタッフを派遣しつつ、再度自宅にかければ今度はリューイでない声が応答した。
フィーディスであった。フィーディスに事の次第を告げればかなり立腹したようであった。
だがリューイがいなければウィリディスの治療に集中的に当たることは難しい。
フィーディスはさんざん文句を言ったうえでリューイを連れてくることを了承した。
「……ごめんな、リューイ…教授を守ってやれなくて」
端末をしまいこみ、病室に横たわるウィリディスを見つめた。
リューイはどう思うだろうか。泣き叫ぶのだろうか。彼がウィリディスに少し依存しかけていることに気づいていた。
今の彼はウィリディスがいて成り立っている。大切な、生きるための柱なのだ。
「クラート、少しいいか」
「どうした」
「先ほど渡された血を検査してみたんだが、これを見てくれ」
それは検査結果である。
ウイルスはやはり体内に入り込んでいるようでいくつか異常な値が見受けられた。
結果を読み進めていくうちにウィリディスのものとは思えない記載がいくつかあることが分かった。
眉を寄せ顔をあげたクラートの言いたいことが彼はわかっていた。
「本当か?別の人間のものが混ざったのではなく?」
「間違いなくあの教授のみの結果だ」
「…どういうことだ…ありえるはずがない」
「これは俺とお前しか知らないことだ」
「結果を差し出した医師は」
「まともに読んでいない」
「そうか…」
クラートは少し考え込んでしまう。
ありえてはいけない結果はそこにはあった。
「…ひとまずこれについては教授が復活してからだな。俺の部屋は?」
「ちゃんとある。院長はまだお前をあきらめてないから」
「そうか。俺の部屋の金庫にいれておいてくれ。番号はわかってんだろ」
「あぁ」
「頼んだ」
うなずいて歩き去る姿を見送ってから再びため息をついた。
予期せぬことが起きてしまった。頭をがしがしとかいてから病室を見つめつつリューイがくるのを待った。
『クラート、せんせーは今どんな状態なの?』
リューイがくるまでを想起していたが、耳に入った言葉にはっと意識を戻す。
リューイはこちらに背中を向けたままであった。
「教授の体内にウイルスが入っている。そのウイルスはαの細胞を破壊するもので、各内臓に付着すればわずかな間に細胞を壊死させて死に至らしめる」
『助けるには』
「ウイルスが体内に入り込んでから十分以内の投薬だ。教授には五分で投薬を済ませた。だがウイルスは体内で暴れまわっているようで自発的な呼吸ができていない。それから血の巡りも悪くなっている。下手をすると脳に機能障害が残る可能性も捨てきれない」
リューイの体に力が入ったのがわかる。
下手に隠してもよくないと思ったから真実を伝えた。
可能性はあくまでも可能性に過ぎないが、この先ウィリディスの体次第ではそうなることもありうるのだ。
「…定期的に抗ウイルス薬を点滴している。それが体中のウイルスを破壊しつくせば教授は何事もなく起き上がるはずだ」
『…二日間俺に様子見ろって言ったよね。それは、せんせーの体に障害が残らないぎりぎりのラインってことでいい?』
「…あぁ。二日はこちらの医療器具で生命維持は通常通りできる。だが、それ以上となると難しい」
『そう』
リューイの言葉が途切れた。
クラートからリューイの表情が見えないのがもどかしい。
できれば顔を見ながら大丈夫だと伝えてやりたい。クラートも全力を尽くすつもりでいるのだから。
だがリューイの視線はウィリディスから動かなかった。
「リューイ、こっち向け」
『いやだ』
「リューイ」
『俺、今ひどい顔してる…せんせーが…心配で…めっちゃひどい顔してるから見ないで』
「ここには俺しかいないから」
のろのろと振り向いたリューイの目は濡れていた。
泣きたいのを堪えているのだろうか。泣いてもどうにもならないとわかっているから泣くに泣けないのか。
リューイはふらふらと立ち上がって近づいてくる。
『クラート…せんせー…起きるかな』
「信じろ、あのバカは何が何でも起こしてやる。だからリューイ、俺に力を貸してくれるな?」
『うん…』
「大丈夫だ。薬は問題なく作用しているはずだ。あと三十分ほどしたら付箋のところの数値を教えてくれ。あと、体がきつかったりしたらすぐに言え」
言葉なくうなずいたリューイの顔の輪郭をガラス越しに指先で辿る。
本当は自分が中に入りたかった。リューイに無理を強いたくはなかったのだ。
『クラート?』
「ごめんな、リューイ…」
『なんでクラートが謝るのさ』
「もっと俺が研究していたらお前にこんなことをさせずに済んだかもしれないのに」
リューイはクラートの言葉にわずかに笑った。
類は友を呼ぶようだ。クラートとウィリディスは似ている。
『せんせーもだけど、クラートもまだ、三十代だろ。そんな台詞を言えるのはもっと年食った人だけだよ』
リューイはそう言い残すとガラスから離れてまたベッドの脇に戻った。
クラートはリューイの後ろ姿を見つめる。
ベッドの上のウィリディスは全く動く気配はない。心電図がなかったら死んでいるとすら思う。
ガラスに額を当ててクラートはウィリディスの無事を祈るほかなかった。
手は尽くすつもりである。手を尽くしたその先は神に祈るほかない。
「クラート、大丈夫か」
「…大丈夫に見えるなら医学生からやり直せ」
「憎まれ口ってことは大丈夫そうだな。具合は」
「悪いな…お前の見立てで薬は投入するつもりだ…あとは数値の改善と、内臓の損傷がないかってところだな」
「今はどの数値がよくない?」
「肝臓と肺だな…肺はわかりきっていたことだ。だが、どうして肝臓なんだ……それにほほの切り傷にも付着したか、少し膿んでいた」
「そうか。ならば少し薬を変える。ほほの傷には確か塗り薬があったはずだから探しておく」
クラートはちらりと隣の青年を見た。
自分より少し下、青年というには少し老けてはいるかもしれない。
父に憧れてこの病院にきたと言っていた。今回のウイルスに詳しい教授に学んでいたと聞いていた。
彼がいなかったら果たしてどうなっていたか。
「ありがとうな…」
「クラートが素直に礼を言うとは思いもしなかった」
「…言わなきゃよかった」
「もったいないからありがたく受け取っておく」
青年は笑い声を残してその場を去る。彼の知識が今回は重要だった。
クラートにできることはほとんどないに等しい。まったくもってウイルスは専門外だからだ。
クラートは歯を食いしばりつつリューイのための飲み物を準備しにいったんその場を離れた。
リューイは二日間寝ることはできない。ならば自分も休むつもりはなかった。
自分の病院で働く者たちに連絡を入れる。一週間緊急で病院を閉じると告げた。
すぐさま返事がいくつか戻ってくるがそれを開くことなくクラートはリューイのためにお茶やスポーツドリンクのボトルを手にした。
手軽にとれる食事とリューイが室内で着る服、簡易トイレを手に戻る。
彼ら二人のいる病室は、この病院の中でも奥まった場所にあり、入るためには特別なICカードが必要になる。
今ここに立ち入れるのはクラートと院長、先ほどの青年のみである。
クラートは病室に一番近い事務室から椅子を一つ借り受けてそこに腰かけた。
先ほどと変わらずにリューイは座っている。
「リューイ、少し何か口にするか」
『うん。ついでに今の数値言っておくね。156、43、120、72…』
「やっぱり心臓の動きが悪いな…酸素濃度も低い…ウイルスには酸素を遮断する働きでもあるのか」
リューイはクラートのぼやきは聞こえていないのかドアを開けてきた。
着替える服はすでに置かれている。強い風に吹かれたリューイは下着まで一式すべてを着替えた。着替えた服はどうするべきだろうかときょろきょろとすれば、足元の部分に穴があるではないか。
ダストシュートだろうか。少し服がもったいない気がするものの、もしこの服にウイルスがついていたらクラートにも迷惑が掛かり兼ねない。
リューイは服をその穴に入れて静かに病室を出た。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
31
1 / 3
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる