世界は万華鏡でできている

兎杜唯人

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実験その二

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「ねぇ、ウィル…今度研究所行っていい?」
「どうした」
「また四人とも出かけるんだって。泊りで。それで、その…」

リューイを抱いた夜、少しねだるような顔をしてリューイが口を開いた。
隣に横たわり、汗で顔にはりついた髪を静かにはがしてからリューイの言葉の先を待つ。

「昼間、一人だから行っちゃだめ?」
「この前見れなかったからな。いいだろう」
「ほんと?」
「あぁ」

ウィリディスがうなずけばリューイは顔をほころばせる。
リューイが先日告げたようにリューイがとろけてしまうほどに抱くことはできなかった。
ウィリディスの頭の中で何度もレックスとシルバとの話がよぎっていたのだ。リューイを抱いていたところを見られてしまった恥ずかしさがある。
もやもやするものを抱えていたがリューイはそれを目ざとくかぎつけた。

「ウィル、何かあった?少し考え込んでるだろ」
「聞きたいのか」
「ウィルが話していいって思うなら聞く」

リューイに告げたらどんな反応をするのか気にはなった。
まさか大事な弟二人に自分の情事を覗き見されていたとは思いもしないだろう。
話してしまったせいで彼らの仲が悪くなるのは本意ではない。

「そのうちに話そう…」
「えー」
「気になるのか。あまりいい話ではないぞ。俺と、お前に関することだ」
「何、何かあったの」

リューイが体を起こす。伝え方がまずかったか、逆に心配をさせてしまったようである。
リューイの腕を引いて胸元に頭を乗せた。大丈夫だと告げる。

「今はまだ伝えられないだけだ。心配するな、何もお前に大きな病気があったとか、俺が明日には死ぬというような話ではない」
「それめっちゃ不吉では…」

ウィリディスの胸元に顎を乗せてリューイはほほを膨らませる。
間近に見るウィリディスの瞳が子供のような輝きを灯した。
楽しそうに色を変えていく様子を見つめるのが好きだった。少しでも彼の視界に入りたいと思ったこともある。
こうして抱かれている間は少なくともウィリディスの視界にはリューイしかいない。

「そうだ、あと俺、クラートに出かけないかって誘われてるんだけどいってもいい?」
「…は?」

わずかな間のあとウィリディスは困惑した様子でリューイを見つめた。
リューイはウィリディスの鎖骨を撫でながら口元に笑みを浮かべた。
クラートがなぜリューイを外出に誘うのだろうか。
じーっとウィリディスを見つめるリューイにダメだと言えれば膨れた顔を見せてくれるのだろう。

「……構わない。好きにすればいいだろう」
「いいの?」
「だめだと言って納得するか」
「しないと思う」
「ならば好きにすればいい」

リューイは少し口を開けたままウィリディスを見つめていたが嬉しそうに笑うと甘えるように胸元にほほを当てた。
その様子を見つめつつ静かに頭に手をやる。
汗ばんだ髪をかきあげていればまぶたが重たくなってくる。
ウィル?と名前を呼ばれそれに返答したまでは覚えているがそれ以後の記憶がない。
リューイを胸元に抱いたまま眠ってしまったらしい。
朝起きればリューイはウィリディスの体に腕を巻き付けて寝ていた。重みが心地よく感じる。

「…リューイ、朝だが」
「う、ん…ん、はよ、ウィル…」
「あぁ、おはよう」

リューイに声をかければ少しかすれた声でリューイが名を呼ぶ。
眠たそうな目がウィリディスを向いた。
頬をくすぐるように撫で少し体を起こして額に口づける。窓のほうから朝日が差し込んでいる。

「ウィル、今日のお弁当何がいい…?」
「…今日はいい。お前はまだ寝ていろ」
「起こしたくせに」

大きなあくびを漏らしながらリューイは体を起こす。二人でかけていた薄手のブランケットが滑り落ちた。
昨夜交わった証にリューイの胸元や背中にはウィリディスが残した跡がある。
ウィリディスも体を起こして指先でそのうちの一つに触れた。わきの下、骨を感じるところである。
触れれば驚いたリューイがウィリディスを見つめる。
いたずらにリューイの骨をなぞればリューイはウィリディスを止めようと手をつかんだ。

「朝食作らないぞ」
「それは困るな」
「だったらいたずらすんな」

ウィリディスから手を放させベッド下に散らばった自分の服を身にまとう。
その様子を眺めつつウィリディスはふとリューイと始めて寝た時のことを思い出していた。
すれ違ったΩがいきなり発情し、倒れこんだ体を支えたはいいが自分までフェロモンに酔いかけてあわててホテルに入ったのだ。
そういったことを目的としたホテルだったがためにフロントで部屋を取りがてら避妊剤も、通常よりもはるかに高値ではあったが、手に入りそのまま部屋でリューイを抱いた。
その時も服はベッド下に投げ捨てていた。

「ウィル、ぼんやりしていたら研究室に行くの遅れるよ」

リューイの声で我に返る。新しい服と下着を身に着けてリビングに行く。
まだ上のフロアで寝ている子供たちは起きていないようだった。

「今日は目玉焼きな。弁当は確か冷凍のから揚げとかがあったはず…ぁ、グラタンあるじゃん」

リューイはフライパンを火にかけながら冷蔵庫を覗いては弁当の中身を考えている。その様子を眺めては鞄の中身を確認していた。
リューイの料理のレベルは着実に上がってきていた。ピータがいるときにはかなり厳しく教わっているらしい。

「できたよ、ウィル」
「すまない」
「ちょっと焦がした」

目玉焼きやパンを乗せた皿がテーブルに置かれた。確かに黄身がいい塩梅に固まっている。
苦笑してから構わないと告げた。

「パンにはさむんだ。垂れるよりはましだろう」
「そう?」

リューイは弁当箱の中身を何にしようかと冷凍品を見ながら考えている。
その姿から視線を外してウィリディスは食事をとった。
リューイも自分の分を作って食べながら弁当をつめていく。せめて座ればいいものを想っているが上にいる子供の分も作らねばならないから時間を短縮したいのだろう。

「リューイ、今日は何か帰りに食べるものを買ってこようと思うが何がいい」
「別にいいよ。冷蔵庫の中いろいろ入ってるし」
「たまには手を抜いてもいいだろうに」
「でも…」
「リューイ」

再度名前を呼べば少しの間のあとうなずいた。
百貨店に寄ってから帰るべきだなと考える。

「夕飯は七時だよ」
「それまでには必ず帰ろう」
「本当にいいの?」
「構わない」

リューイは目を丸くしてそれから嬉しそうに笑った。
食事を終えればエレベーターの前までリューイが見送る。
いってらっしゃい、と笑顔で見送られると少しむずかゆいものがある。それを顔には出さず研究所へと向かって行った。
三日ばかり休みとしたが研究はどうなっただろうか。
自分の部屋に入ればたった三日休んでいただけとは思えない書類の山が出来上がっていた。
今日はリューイとの約束がある。通常よりも作業スピードを上げなければならないだろう。

「おはようございます、教授」
「リューイ青年の発情はもういいんですか」
「あぁ、おさまった。俺がいなかった間の報告を」

レナータとセリーニは顔を見合わせるとウィリディスのいなかった間の報告を行っていく。
事務的な面では特に変化はないようだが実験で一部α細胞に攻撃性を持つウィルスを培養できたらしい。
それがこの報告書の山か、とウィリディスは悟る。
α細胞のみに攻撃するそのウィルスは完全に効果のある治療薬がないものであるという。

「気を付けなければならないのは空気感染しやすいウイルスであるということだそうです。毒性はある程度ダウンできたものの、やはりウイルスに感染した場合α性は体調不良を起こしかねないと」
「そうなると実験でウイルスを使うならば相当の注意と教授含めたαの研究員は手が出せないわけだな」
「いや、ならばなおのこと俺がやろう」
「だめだろ、それ」
「なぜだ。お前たちを俺のわがままにつき合わせているようなものだろう」
「間違ってはいないですけど、何かあったらどうするんです」
「…それはその時だ」

ウィリディスは顔を背ける。
実験に関わっていないレナータやセリーニに強く言うことはできない。
決して安全とは言い切れない実験であるのは理解しているが、さすがに危険すぎるのではないだろうか。
二人は黙ってウィリディスを見た。ウィリディスは二人の視線を感じつつ口を開く。

「ここにいるΩもαも、家族がいるだろう。実験で何かあれば、番相手が悲しむ」
「教授もでしょう。天涯孤独なわけじゃないし、今はリューイ青年だっているじゃないですか」
「そうだな。俺に何かあればリューイは泣く気がする…それでも、俺が始めたことだ。終わらせるのも、俺でなければならない」
「うちの教授、本当強情すぎない?」
「それは私も思います」

レナータがわざとらしいほどにため息をついた。
二人とも完全に止めることは無理だとわかっているのだが、あまり無理はしてほしくないのも確かである。
念のためウイルスを使う実験の際にはクラートに連絡しておくのが良策なのかもしれない。
個人経営の病院を切り盛りしているクラートだが、それは彼の一族もまた大きな病院を経営しているからだと聞いたことがある。
現在中心となって固有病の治療にあたっているのも彼の実家の病院だ。
今後の話を二人でしつつ、もし万一にも誰かしらが、それはウィリディスに他ならないだろうが、ウイルスに触れた場合の対応は決めておくことにした。

「教授、おはようございます!」
「おはよう、朝から元気でいいことだな」
「ふふん、実は報告がありまして」
「なんだ」
「この薬品なんですが」

レナータとセリーニを部屋に残して研究部屋へと向かっていたウィリディスに声をかけたのはマリッサであった。
彼女はウィリディスのいない間に、使用予定だった薬品のより細かな効用を調べていたらしい。

「わずか一瞬の反応ではあったのですが、同じものが何度か見られましたので」
「動画…?」
「はい。ひとまず見てください」

マリッサは手持ちの小型端末の動画を再生した。
そこに映るのはα細胞である。顕微鏡に特殊なカメラを付けて撮影できるように改造してあるものだ。
細胞には突起が見られる。これがΩの細胞を攻撃し破壊していくのである。映像に針先のようなものが入り込み細胞に液体を垂らした。
その瞬間細胞にあったはずの突起が砕けて消えたのである。
言葉なくそれを見つめていたウィリディスだがマリッサの肩をぐっとつかめば顔を寄せた。

「よくやった。少なくともこれで一つの仮定については臨床実験ができそうだ。何度かこれを試してくれ。α細胞は何種類か用意してあるはずだろう。この結果から先にいれてやるか…」
「教授、私役に立てました?」
「十分すぎるほどだ。よくやった」
「…えへへ」

マリッサは嬉しそうに笑う。
Ωたちが使う研究部屋に向かっていくのを見送りウィリディスはこぶしを握り締めた。自分の仮定は間違っていない。
そのまま研究部屋に入れば重厚なガラス面の向こうに人体を模した箱が見える。
あの箱の中は環境を極限まで人体に近づけたのだ。研究を行うためには自分たちが余計な菌類を持ち込まないように最大限の注意がいる。
あれを作るだけでも相当の労力を要したのだ。無駄にはできない。今だってαの研究員一人が交代制で箱の様子を見ている。
箱につないだ機械の数値が少しでも異変を示せばウィリディスに連絡がくるようになっている。

「…研究員を全員集めろ。指示を出す」

失敗するわけにはいかない実験が続く。気を引き締めなければなるまい。
数値観測をしていたαの研究員に告げればすぐさまセリーニとレナータを除いた研究員たちが集まる。
先ほどマリッサに見せられた動画の件についても触れつつ実験内容の説明を行っていく。
先に危険度合いの高いウィルスを使ったものから行っていくこと、一度実験を行ったあとにはその実験に対しての考察と結果をまとめる時間を設けるため次の実験までに間が開くこと、すべての実験に全員が関わるのではなく実験内容別に担当を分けることを伝えた。
一番物言いたそうな顔をしていたαの研究者に発言を許した。

「恐れながらウィルスを使用した実験はかなり危険が伴います。万全には万全を期したほうが良いかと思います。ウィルスに対しての知識がありそうな外部の研究者や医者に助力を求めたほうがいいのでは?」
「そうだな。動くかはわからないが知り合いにあたってみよう」

その知り合いにこんなことをすると告げたら何を言われるかわかったものではない。
しかしウィリディスが一番信頼できる相手であることも確かであった。それに一つ聞いておかねばならないこともある。

「クラート…どうしてリューイに声をかけた…」
「クラート先生ならこのあと時間があるからこちらに寄られるそうですが」

研究員たちに各々の担当へと戻ってもらったのち研究部屋を出たところで思わずつぶやけばレナータの声が後ろからした。
振り向けば彼女は少し目を丸くしているようだがややあってから笑みを浮かべる。

「教授、勝手ながら私とセリーニでウィルスを使う実験の際の万一に備えてクラート先生に待機をお願いしました」
「…うなずいたのか」
「はい。先生自身も興味があるようで一も二もなくうなずかれましたよ」
「そうか」
「クラート先生がどうかなさいましたか」
「…あいつがリューイを出かけないかと誘ったそうだ」

レナータはおやまぁ、と口元に手を当てた。
なかなかにリューイ青年はもてるようだと内心でつぶやく。セリーニがいたら面白がっていただろうがあいにくと彼は明日から始まる実験の手順や機器の調整にてんやわんやしているところである。
レナータは微笑みを浮かべた。

「おいやですか」
「自分が少なからず想っている相手に横恋慕されているんだぞ…あまりいい気分ではないだろう」
「そうですね、失言でございました」
「行くな、とは言えなくて…大人げないな、俺は」
「恋した相手にはだれでもそうでしょう?」

目のまえで微笑む彼女も同じだというのだろうか。
富豪というわけではないが彼女の番もまたそれなりに裕福な部類に入るものである。レナータをとても大切にしているのは目に見えてうかがえる。
番となった彼はアパレル会社を営む一家である。古く洋裁を行ってきた一族が時代をおうごとにうまく品を変え、大きくなってきたらしい。
身に纏う服も自分達のブランドのものであり、それが他人から一番きれいに見えるように立ち居振舞いには厳しい。

「仕事とはわかりつつ、やはりモデルに触れるのはもやもやといたしますから」
「服の写真のためか」
「はい。さわらないで、といいたくなるから仕事の様子をあまり見ないようにしております」

レナータは穏やかに笑いつつ今後一週間で届く予定の薬品をどうするかと聞いた。
リストを見ればなるほどとうなずく。こうも容易く実験に入れるようになるとは思わなかったのもあり、余分に薬品を取り寄せていたのだ。
できれば実験を終えるまではほかのことにはかかりたくはない。しかし置き場もそう広くはない。

「ほかの研究室で利用できないか問い合わせてみろ。いる、というところがあれば回せ」
「かしこまりました」

レナータはうなずいてから離れていく。
ウィリディスは再び研究部屋の内部に鎮座した箱を見つめた。
自分の望み続けた結論がようやく得られそうである。待ち望んだものを少しでも早く手にするために、念には念をいれてウィリディスは実験手順の確認を行うことに決めた。
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