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楽しみが積みあがる毎日 3
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お弁当を食べ終えればレックスとシルバはまた遊びに行く。
おなかが膨れてうとうとしだしたクラルスを膝に寝かせてリューイはしばらくぼんやりとしていた。
フィーディスはそんなリューイを見つめている。
「リュー、大丈夫?」
「ん、なにが?」
「元気ないよ。疲れてる?」
フィーディスの言葉に少しリューイは戸惑った。そんなつもりはまったくなかったからだ。
視線を落としてクラルスの柔らかな髪を静かに撫でた。
「…フィーディスだから、言うんだぞ。レックスやシルバには内緒な」
リューイはそうつぶやいてから顔を上げた。
「俺、せんせーが好き。たぶん、恋愛対象として。好きだけど、せんせーがそういう風に俺を見てないことも知ってるし、この先もないんだろうなって思ってる。せんせーには死んじゃってるけど大事な番がいて、俺なんて目に入るわけないのにさ」
「あの先生は見る目がないんだよ。リューがいったいどれだけ頑張って料理もしてると思ってるのか…そりゃピータさんにはまだまだ負けるけど、リューのごはんだっておいしいし、献身的じゃないか」
「フィーディス、褒めてくれるのはうれしいけどめちゃくちゃ恥ずかしいよ…?」
こぶしを握ってフィーディスは力説する。リューイは苦笑交じりにその言葉を聞いていた。
「俺はリューが好きだよ。無理やり、抱いて傷つけたけど本当はもっと優しくしたかった。リューに気持ちよくなってほしくて。何より俺の気持ち伝えたくて」
フィーディスを見つめる。リューイから顔をそらしたフィーディスはそれに気づかない。
クラルスを起こさないように静かに体を寄せればフィーディスの目が丸くなる。
少しリューイよりも高い位置にある肩に頭を預けた。
「フィーディスが、せんせーが選ぶ俺の番だったらよかったのかもな。まぁそうは言っても、俺はこの首輪を絶対に外さないって決めているからフィーディスの番になってやることなんてできないんだけど」
「外さないの…?」
「外して、うなじを噛まれたら、俺がせんせーに抱いてるこの想いもなくなりそうじゃん。それは、いやだなって…会えなくなるのは承知の上だけど、気持ちまではなくしたくないんだ」
フィーディスは唇を引き結んだ。
リューイの気持ちはわかる。自分とリューイの立場が逆転していたとしてもきっと同じようにしたからだ。
たとえそばにリューイがいたとしても、その目には自分が映っていない。リューイの瞳にはこの先もずっとウィリディスしか見えないのだ。
それを想う相手から言われてしまいフィーディスはつらくなる。
「リュー…好き…大好きだよ」
「ありがと、フィーディス。俺も好きだよ」
「リューの好きと俺の好き違うし…」
口をとがらせて不満そうにする顔を見てリューイは笑う。
フィーディスに体を寄せたままにすれば肩を抱かれる。触れてくる手は優しかった。
フィーディスから感じる優しい空気に飲まれリューイもうとうととしだす。頭に手が触れた。一瞬だけ意識を浮上させリューイは目を閉じる。
寝息を立てだしたリューイを見つめフィーディスは小さく微笑んだ。
リューイの告げる好きという言葉にこもる感情は恋愛ではないことはわかりきっている。リューイの恋愛感情は完全にウィリディスに向いているのだ。
どうしたら自分を見てくれるのだろうかとフィーディスは思い悩む。
「ねぇリュー…俺の番になって…君がいるなら俺はこの先どんなことだって乗り越えられるよ」
眠っているリューイに囁く。返事がくるはずもないと思いつつも願わずにはいられない。
リューイの幸せを願うのはウィリディスと同じだが、リューイにはともに幸せになってもらいたいのだ。
静かに額に唇を寄せる。
「必ず迎えにいくよ、リュー…せめてそれまでは誰にもうなじを噛ませないでね」
「あー、フィーちゃんがリューちゃんに抱きついてる!」
「ずるい!俺もリュー兄をだっこしたい」
一通り遊んで満足したのかシルバとレックスが戻ってきながら叫んだ。
目を丸くしつつ、おいで、と誘えば靴を脱いでレジャーマットにあがった二人はリューイとクラルスを起こさないように各々が抱きついた。
少しリューイの眉が寄るものの起きる気配はない。
眠るリューイに甘えるように二人はぐりぐりと頭をこすりつけた。
「う、うん…なんか痛い」
「起きた?」
「…シルバ、痛いからそこはだめだ」
肩甲骨付近に頭を押し付けていたシルバはリューイの声に顔をあげて笑う。
二人が体を放せばリューイは少し瞬きをしてフィーディスを見た。
「寝ちゃってたか」
「うん」
「フィーディスのそばは落ち着くからな。そろそろ買い物して帰るか。今日はハンバーグがいいって、せんせーのリクエストだから」
「ハンバーグ!」
「お手伝いする!」
「よし、じゃぁレックスはみんなのお弁当もって、シルバはレジャーマットもって帰ろう」
「なんのハンバーグ?」
レックスに問いかけられてリューイは少し首をかしげた。
フィーディスがクラルスを抱き両手をシルバとレックスに握られる。
ハンバーグははじめて作るが何がいいだろうか。
デミグラスソース?大根おろし?チーズを乗せるのもありかもしれない。
「買い物しながら決める。うまくできるかわかんないけど」
「大丈夫だよ、焦げてもリューが作ったものなら食べるから」
「リューちゃん、お野菜もいれて」
「おー、じゃぁスープも作るか。またレックスとシルバで野菜きる?」
「やる!」
賑やかな二人の返事にリューイは笑った。
買い物のためのスーパーにつけばカートを押しリューイが歩く。
かごのなかにレックスが肉を入れたかと思えばシルバが野菜を持ってきた。
時おりお菓子もいれていくが見てみない振りをした。
野菜売り場で立ち止まりトマトのハンバーグもいいな、とリューイは思った。
「りゅーちゃ、これぇ」
クラルスの声に振り向けばツヤツヤのナスを手にクラルスが笑っついた。
クラルスを抱くフィーディスは心底嫌そうな顔をしている。
「ナスならまだ冷蔵庫にあるからまた今度。クラルス、トマト好き?」
「好きー!」
「クラルスは好き嫌いがなくてえらいなー。ならトマトのハンバーグにしようか」
新鮮そうなトマトをいくつかかごにいれた。つぶしてソースにしようか、煮込もうか。
焼きトマトというのはどうだろう。
リューイのなかでぐるぐると考えが回る。。
「ハンバーグの中身は決めたの?」
「トマトと煮込もうかなって。味が染みそうだし、煮込む時間でサラダとかもできそうじゃん?スープはあっさりしたやつのほうがバランスとれるかな。キャベツとベーコンとかさ」
「うん、いいんじゃない?ご飯は添えるの?」
「あったほうが嬉しい?」
「俺はうれしい」
リューイは足を止めて少し考える。
ハンバーグにスープ、それからサラダを添えたらあまりごはんはいらないような気もするのだ。
とはいえ、ほしいと言われたら準備をしないわけにはいかない。朝食よりも少ない量を炊き込もうかと考えた。
「じゃぁこれで必要なものは終わりだな。お菓子もいれたし、レックスとシルバにはきっちりお手伝いしてもらわないといけないな?」
「はーい」
お手伝いと聞いて幾分声が小さくなるものの二人の返事を聞けばリューイはカートを押してレジへと向かう。
フィーディスは一足先に出口そばにいた。リューイが代金を支払い、レックスとシルバが協力してカートを台まで押していく。財布をしまいつつリューイはフィーディスを見ると満面の笑みを浮かべた。
「ねぇ、クラルス。リューの笑顔かわいいねぇ」
「りゅーちゃ、かわい」
「うん、かわいい。クラルスも十分かわいいけどね」
みんなで荷物をつめる。手分けして買ったものを持てば帰る足取りは軽い。
フィーディスはクラルスにほおずりをしてから、リューイがレックスたちに野菜の入った袋を持たせる姿を眺めていた。リューイは野菜以外の重たいものを持っている。
クラルスはリューイにだっこされたそうに見つめているものの荷物を持っているリューイに無理はさせられない。フィーディスは少し体を動かすクラルスを抱えなおすとリューイの隣に立った。
「クラルスはリューにだっこされるのが一番好きみたいだね」
「あんまり長時間抱っこできなくなってきたんだよな…これってやっぱり成長してるってことでいいんだよな」
「そうだと思うよ。クラルスはリューのごはんいっぱい食べてるから」
「りゅーちゃのごはん、おいしー」
「うん、そっかー」
リューイはクラルスの言葉に嬉しそうに笑った。おいしいといってくれるならばなおのこと頑張らなければならない。
それはプレッシャーでもあるが、リューイが頑張る力にもなる。
目の前を歩くレックスやシルバもおいしいと言ってくれる。まずいものは食べさせたくはない。
五人で歩いて帰ればレックスとシルバがキッチンに野菜を持っていく。今日はウィリディスも食べるため下のフロアにおいてもらうことにした。
リューイがほかのものを片付ける間にフィーディスがレックスたちを手洗い場へと連れていく。
「リュー兄、準備できたー」
「たー!」
レックスとシルバが駆けてくれば後ろから遅れてクラルスもついてくる。
クラルスも手伝ってくれるようだと判断した。何ができるだろうか、と台を二つ用意しながら考えた。
シンクにどうしても届かない二人には台が必要不可欠なのだ。ピータが用意してくれたエプロンをつける二人を横目で見つつ、クラルスは何をしたいだろうかと考える。
野菜とピーラーを用意しつつ考えていればフィーディスもやってきた。
「フィーディス、クラルスも手伝いたいみたいなんだ。一応ごはんは炊くつもりだから少量なら砥げるんだけど一緒にやってくれないか?」
「わかった」
フィーディスはうなずいて米を普段保管してあるところからリューイの言うままに米をはかりだしボールにいれた。
野菜の皮をむいているレックスの邪魔にならないようにシンクの端に立ってボールに水をいれる。フィーディスを見上げてくるクラルスに一度笑いかければしゃがみこんでボールに手をいれて混ぜた。
「クラルス、こうやってお米はとぐんだよ。できる?」
「できりゅ!」
ずぼっとボールに手をいれたクラルスは勢いよく手を動かした。
米と水が飛び散りフィーディスの顔にもついた。一部始終を見ていたリューイはくすくすと笑う。
フィーディスは顔にとんだ米をとりつつ、できた、というように笑顔を向けてくるクラルスに苦笑した。
「クラルス、それじゃお米がなくなっちゃうからこうやってみようか」
クラルスの手を取って一緒にボールにいれるとかき混ぜる。白く濁った水を入れ替えてから一緒に混ぜてみればクラルスは真剣な顔をしている。
はじめてみたクラルスの表情にフィーディスは目を丸くした。
「ふぃーちゃ、できた」
「うん、すごい。できたね」
二度ほど繰り返せば米と新しい水を炊飯器にいれてセットした。
炊きあがりの時間をセットしてからクラルスの手を洗う。クラルスは興味津々といったようにレックスとシルバを見ている。
二人はリューイに言われるままサラダ用とスープ用に人参を切っていた。
リューイはハンバーグの種を作っている。
「よし、二人ともそれができたらハンバーグの形作るか。フィーディスとクラルスも一緒に」
「やるやる!」
「やるー!」
ハンバーグのたねを各々好きなように成形していく。
リューイはトマトを切ってはレシピを眺めながらどのように煮込むのか調べていた。
端末をいじり動画を見つければそれを再生し、時おり止めながら手を動かす。
トマトはあとからの盛り付け用に少量を残して残りは潰してから調味料とともに火にかけた。
スープの味を見ては火から下ろし代わりにハンバーグを焼くためのフライパンをのせる。
クラルスはフィーディスが手伝い丸い形のハンバーグを仕上げていた。凝った形にはできないがレックスやシルバも丸や俵型に仕上げていた。
「できたよ、リュー兄」
「たくさんできたな。じゃぁ先に焼くぞ」
「はーい」
油を引いたフライパンでハンバーグを焼く。じゅーと音をたて煙があがる。手を洗った四人がそばでながめていた。
「フィーディス、皿を用意して。レックスとシルバはサラダのお皿をテーブルに並べて。ドレッシングはピータさんが作ったやつが冷蔵庫にあるからそれをおいて」
「わかった」
両面を焼き上げたハンバーグをソースの鍋へと移して煮込む。トマトの味が染み込むように少しケチャップも追加した。
ソースの味を見て上出来と一人思えばそのまま火にかけつつ人数分のグラスを用意した。冷蔵庫から作りおいたお茶のボトルを出せばグラスとともにテーブルに持っていく。
「いいにおいがする!」
「うん、お腹減ってきた」
「いっぱい食べられそうだな」
煮込んだハンバーグの様子を見ればいい具合になっていた。
火を止めて皿に盛る。盛り付けに残していたトマトを乗せれば炊飯器が炊き上がりの合図を出す。
盛り付けた皿を運んでもらいご飯をよそう。
「せんせー、まだかな」
「帰るには少し早いかもね」
「じゃぁ先に食べるか。冷めてももったいないし」
四人で食卓につけば、声を揃えていただきますと言う。
さっそくハンバーグを頬張ったレックスは顔を輝かせてリューイをみた。
「おいしい!」
「本当か?よかったぁ…」
「ちょっと焦げてるけどかりかりしていておいしいよ」
「焦げてるは余計だろ」
ハンバーグを頬張る姿を端末を出して写真におさめた。笑顔が眩しい。
クラルスは小さく切ったハンバーグをフォークでさしては一口に頬張った。口の端にソースをつけては咀嚼し飲み込む。
次々に消えていくハンバーグにリューイは嬉しそうに笑う。
背後で足音がすれば振り向いた。
「おかえり、せんせー」
「うまくできたのか」
帰宅したウィリディスに椅子から降りたシルバが近寄り鞄をその手から奪ってとことことソファまで運んでいった。
ウィリディスはそれを見送りキッチンで手を洗う。あまりいい顔をしないリューイを見て肩を軽くすくめると戻ってきたシルバを見つめ礼を告げた。
シルバは照れ臭そうにするともとの椅子に座る。
ウィリディスもできた料理を盛ろうとするもののリューイがそれを止めた。
「俺がやるからせんせーは座って」
「いいのか」
「うん。フィーディスの正面の席ね。真ん中は俺が座るから」
「わかった」
リューイはご飯を器によそえば、さらにハンバーグを盛った皿とスープのカップを器用にもって運ぶ。
ウィリディスの前に皿をおけば中身を見たウィリディスが少し眉を寄せた。
「おいしくなさそう?シルバたちはおいしいって」
「いや…そうではなく」
デミグラスソースならいけたな、とウィリディスは思う。
お茶用のグラスを持ってきたリューイはもとの椅子に座りながら首をかしげ、もしかして、と思うことを口にした。
「せんせー、トマト嫌い?」
「…あぁ」
「ケチャップは食べたじゃん」
「ケチャップとトマトそのものは違うだろう」
「先生、トマトだめなの?好き嫌いだめだよー」
渋い顔をしていればリューイが横から手を伸ばして俵型のハンバーグを一口サイズに切った。フォークにつきささるそれをウィリディスの口許まで運ぶ。
「せんせー、あーんして?」
「お前はまたそんな…」
「レックスたちの前で好き嫌いはダメだろ?ほら、口開けて」
「リューちゃん、強情だから食べるまでやめないよ、先生」
「リュー兄、好き嫌いさせたがらないから」
レックスとシルバが他人事のように告げた。経験したことはあるのだろうか。
フィーディスは見ない振りをしようとするもののウィリディスが目の前に座っているため不自然な角度に顔を向けている。
「…がんばったし、みんなで作ったのに食べたくない?せんせーがハンバーグっていったから」
リューイの眉が下がる。すすっ、と手が離れれば手首をつかんで引き留めハンバーグを口に入れた。
驚くリューイとフィーディス、レックスとシルバは目を丸くしていた。
「…悪くない」
目を閉じて噛み、飲み込めばそう告げた。リューイは嬉しげにフォークを返した。
「りゅーちゃ、あー」
くい、と服を引かれてクラルスを見れば盛大にソースで机と服を汚したクラルスが目にはいる。
リューイはぎょっとしたもののクラルスが差し出すフォークの先にある野菜を頬張り噛みながらクラルスを抱きあげた。
リューイの服にもソースがつく。
「このままだとシミになりそうだから脱がせてくる。そのまま食べてて」
「わかった」
「おいしかったんだな」
「はんばーぐ、すき」
クラルスの笑顔を見れば服を汚したことなど些細なことに思える。
本来ならもっと幼いときから汚してこぼして、少しずつ食べ方を学ぶところだろうが、それができるわけもなかったから致し方ない。
少しずつできるようにすればいい。
クラルスの服を脱がしながらリューイはどうしたらいいかと考えた。
「話せる言葉もできることも増えてるもんな。いいことだ」
一人でうなずくリューイを不思議そうに見つめるクラルスだが口の回りをタオルで拭かれれば嫌そうに顔を背ける。
赤子のように駄々をこねることも少ないし、それこそトイレなども行きたいと口に出せる。
だが、日常の生活リズムはうまくいかない。食べたら眠る、というのが定着してしまっている。
「寝る子は育つけどな…」
「リューイ、服は洗えたのか」
「せんせー、ご飯は?食べた?」
「…まだだ。お前が遅いから」
「いろいろ考えながらやってたから。いまから染み抜きするからせんせーはクラルスつれて戻っていいよ」
ウィリディスは抱っこをせがむように腕を伸ばすクラルスの前にしゃがめば腕を引いて立ち上がらせた。
ウィリディスの手にしっかりとつかまるクラルスは一瞬きょとんとする。
「クラルス、歩いて席に戻るか。椅子にはあげてやるから…と、その前に裸のままではいかんな」
クラルスをその場に残したウィリディスはその場を離れてすぐに戻ってくる。
手には白いシャツを持っていた。
クラルスの前にしゃがみこめば頭からそのシャツを着せる。かなりサイズの大きなもので半袖なのにクラルスにとっては長袖となっているし、丈も小柄なクラルスでは足首まできてしまっている。
「…研究の合間に着替えすら面倒になって適当に買ったシャツだったがこれはこれで…」
「大きすぎない?」
「いい。もうどうせ着ないものだから思う存分に汚していい」
「そっか…じゃぁ先に戻ってて。あ、フィーディスたちに食べ終わったらシンクに皿置いてお風呂行っておいでって伝えて」
「…リューイ」
「なに?」
洗剤を探すリューイに声をかける。手を止めて振り向いたリューイは近い位置にあった顔に手を止める。
「お前も早く来い。ハンバーグ、食べ終わらない」
「……って、俺に見張れってこと?」
「そうともいえるかもな」
「えー…せんせー、いい大人なんだから自分で食べてよ」
リューイがため息をつけばウィリディスは少し笑ってからクラルスを連れて戻って行ってしまう。
取り残されたリューイはよし、と腕まくりをしてからクラルスの服の染み抜きをしていく。せっかく買ってもらった服であまり着ていないのに捨ててしまうのは惜しいではないか。
とはいえどたっぷりとソースがついてしまっている。落ちるかどうかは天に任せることに決めてリューイは時間をかけてある程度汚れを落とした服を洗濯機に放り入れて回した。
自分の服も汚れていることに気が付いたが見ないことにして戻った。
「おまちどー」
「遅かったな」
「染み抜き大変だったんだぞ…」
「そうか」
「…って、ハンバーグ全部食べたの?」
リューイとウィリディスの皿以外残っていないテーブルの上にはリューイの食べかけのハンバーグ以外残っていない。
ウィリディスの皿にもだ。
「…せんせー、全部食べられたんじゃん」
「あぁ。レックスやシルバが面白がってこちらに食べさせてくるものでな…断れば泣かせてしまうだろうし、フィーディスのこちらを見る目も冷たかったから」
「そっか。にしても、意外だったなぁ」
ウィリディスの隣に座りリューイはつぶやいた。
お茶を飲んでいるウィリディスは聞かぬふりをしている。
「せんせーがトマト嫌いだったなんて」
「一応聞いておくが、お前に嫌いなものはないのか」
「ないよ。とはいっても捨てられてから、の話だけど。捨てられる前はピーマンとかナスとかいろいろ嫌いなもののほうが多かった」
「そうか」
「普通に食材買って何か作って食べることのほうが少ないからさ」
ウィリディスはリューイの話に言葉が出なかった。
冷めてしまったハンバーグを頬張り時折スープをすするリューイは幸せそうに微笑む。手を伸ばしほほについた米粒を取ってはそれを口にいれた。
「リューイ…」
「なに、せんせー」
「うまかったよ」
リューイの手が止まった。瞳が零れ落ちてしまうのではないかと思ってしまうほど大きく目を見開いてリューイがウィリディスを見つめる。
そんなに驚くようなことを自分は言っただろうか。ウィリディスは首を傾げた。
リューイはうれしくなった。トマトが嫌いだと知って失敗してしまったと思っていたのに、くれた感想は予想以上のものだったからだ。
「今度はトマトじゃないものも食べたいものだな」
「訂正、トマト料理を極めてやる」
「冗談じゃない。体が赤くなってしまう」
「ならないよ。でもどうせだから一緒に住んでいる間にはトマト嫌いなくせるようにトマト料理のレパートリー増やすね!ピータさんにも聞いてみようかな」
「やめてくれ」
頭を抱えかねない姿にリューイは笑い声を漏らした。自分の食べ終わった分の皿を片付けようかと思ったがいったん手を止めればソースを一掬いしてウィリディスの口元に垂れないように運んだ。
「でも、動画とか見て頑張って作ったのは本当だから嫌いなのもわかるんだけどちょこっと食べてほしい」
拒否してもリューイは引き下がったと思う。しかし拒否をしたあとのリューイはきっと悲しそうな顔をするのだろうと思うとそれはできなかった。
少し逡巡しつつソースを口にした。トマトの香りがする。
「そんな顔をせずとも十分においしいと思う。トマト嫌いな俺がそういうのだから何も気にせずにまた作ればいい」
「本当にトマト料理増やすよ?」
「お前は食べてほしいのか食べてほしくないのかどちらだ」
「食べてはほしいけど嫌がるものを無理には食べさせたくないというか…」
「作ればいい。お前が作ったものならば食べよう」
少し照れ臭くなり席から立ち上がって二人分の食器をシンクへと運んでいく。
「リューイ、そのまま風呂場へ行くといい。レックスたちはリューイが戻るまで待つと言っていたが眠たそうにしていた。フィーディスだけでは大変だろう」
「片付けは」
「俺がたまにはやろう。気にせずにそのまま寝るといい」
「ありがとう、せんせー…」
「あぁ」
リューイは席を立てばキッチンを通り過ぎて上のフロアへと上がっていく。
その足音が聞こえなくなればウィリディスは長く長く息を吐き出して口元を抑えた。
だめだものはダメなわけだがアレルギーではない以上できる限りリューイの造ったものは食したいという気持ちもそこにはあった。
眉を顰め口の中に残った味を押し流すべくグラスにたっぷり入れた水を一気飲みした。
まだ口内にトマトの味が残っている気がしてならない。
自分もさっさと眠りについてしまえば忘れてしまうだろう。そう考えたウィリディスは六人分の食器を洗うためにスポンジに手を伸ばした。
おなかが膨れてうとうとしだしたクラルスを膝に寝かせてリューイはしばらくぼんやりとしていた。
フィーディスはそんなリューイを見つめている。
「リュー、大丈夫?」
「ん、なにが?」
「元気ないよ。疲れてる?」
フィーディスの言葉に少しリューイは戸惑った。そんなつもりはまったくなかったからだ。
視線を落としてクラルスの柔らかな髪を静かに撫でた。
「…フィーディスだから、言うんだぞ。レックスやシルバには内緒な」
リューイはそうつぶやいてから顔を上げた。
「俺、せんせーが好き。たぶん、恋愛対象として。好きだけど、せんせーがそういう風に俺を見てないことも知ってるし、この先もないんだろうなって思ってる。せんせーには死んじゃってるけど大事な番がいて、俺なんて目に入るわけないのにさ」
「あの先生は見る目がないんだよ。リューがいったいどれだけ頑張って料理もしてると思ってるのか…そりゃピータさんにはまだまだ負けるけど、リューのごはんだっておいしいし、献身的じゃないか」
「フィーディス、褒めてくれるのはうれしいけどめちゃくちゃ恥ずかしいよ…?」
こぶしを握ってフィーディスは力説する。リューイは苦笑交じりにその言葉を聞いていた。
「俺はリューが好きだよ。無理やり、抱いて傷つけたけど本当はもっと優しくしたかった。リューに気持ちよくなってほしくて。何より俺の気持ち伝えたくて」
フィーディスを見つめる。リューイから顔をそらしたフィーディスはそれに気づかない。
クラルスを起こさないように静かに体を寄せればフィーディスの目が丸くなる。
少しリューイよりも高い位置にある肩に頭を預けた。
「フィーディスが、せんせーが選ぶ俺の番だったらよかったのかもな。まぁそうは言っても、俺はこの首輪を絶対に外さないって決めているからフィーディスの番になってやることなんてできないんだけど」
「外さないの…?」
「外して、うなじを噛まれたら、俺がせんせーに抱いてるこの想いもなくなりそうじゃん。それは、いやだなって…会えなくなるのは承知の上だけど、気持ちまではなくしたくないんだ」
フィーディスは唇を引き結んだ。
リューイの気持ちはわかる。自分とリューイの立場が逆転していたとしてもきっと同じようにしたからだ。
たとえそばにリューイがいたとしても、その目には自分が映っていない。リューイの瞳にはこの先もずっとウィリディスしか見えないのだ。
それを想う相手から言われてしまいフィーディスはつらくなる。
「リュー…好き…大好きだよ」
「ありがと、フィーディス。俺も好きだよ」
「リューの好きと俺の好き違うし…」
口をとがらせて不満そうにする顔を見てリューイは笑う。
フィーディスに体を寄せたままにすれば肩を抱かれる。触れてくる手は優しかった。
フィーディスから感じる優しい空気に飲まれリューイもうとうととしだす。頭に手が触れた。一瞬だけ意識を浮上させリューイは目を閉じる。
寝息を立てだしたリューイを見つめフィーディスは小さく微笑んだ。
リューイの告げる好きという言葉にこもる感情は恋愛ではないことはわかりきっている。リューイの恋愛感情は完全にウィリディスに向いているのだ。
どうしたら自分を見てくれるのだろうかとフィーディスは思い悩む。
「ねぇリュー…俺の番になって…君がいるなら俺はこの先どんなことだって乗り越えられるよ」
眠っているリューイに囁く。返事がくるはずもないと思いつつも願わずにはいられない。
リューイの幸せを願うのはウィリディスと同じだが、リューイにはともに幸せになってもらいたいのだ。
静かに額に唇を寄せる。
「必ず迎えにいくよ、リュー…せめてそれまでは誰にもうなじを噛ませないでね」
「あー、フィーちゃんがリューちゃんに抱きついてる!」
「ずるい!俺もリュー兄をだっこしたい」
一通り遊んで満足したのかシルバとレックスが戻ってきながら叫んだ。
目を丸くしつつ、おいで、と誘えば靴を脱いでレジャーマットにあがった二人はリューイとクラルスを起こさないように各々が抱きついた。
少しリューイの眉が寄るものの起きる気配はない。
眠るリューイに甘えるように二人はぐりぐりと頭をこすりつけた。
「う、うん…なんか痛い」
「起きた?」
「…シルバ、痛いからそこはだめだ」
肩甲骨付近に頭を押し付けていたシルバはリューイの声に顔をあげて笑う。
二人が体を放せばリューイは少し瞬きをしてフィーディスを見た。
「寝ちゃってたか」
「うん」
「フィーディスのそばは落ち着くからな。そろそろ買い物して帰るか。今日はハンバーグがいいって、せんせーのリクエストだから」
「ハンバーグ!」
「お手伝いする!」
「よし、じゃぁレックスはみんなのお弁当もって、シルバはレジャーマットもって帰ろう」
「なんのハンバーグ?」
レックスに問いかけられてリューイは少し首をかしげた。
フィーディスがクラルスを抱き両手をシルバとレックスに握られる。
ハンバーグははじめて作るが何がいいだろうか。
デミグラスソース?大根おろし?チーズを乗せるのもありかもしれない。
「買い物しながら決める。うまくできるかわかんないけど」
「大丈夫だよ、焦げてもリューが作ったものなら食べるから」
「リューちゃん、お野菜もいれて」
「おー、じゃぁスープも作るか。またレックスとシルバで野菜きる?」
「やる!」
賑やかな二人の返事にリューイは笑った。
買い物のためのスーパーにつけばカートを押しリューイが歩く。
かごのなかにレックスが肉を入れたかと思えばシルバが野菜を持ってきた。
時おりお菓子もいれていくが見てみない振りをした。
野菜売り場で立ち止まりトマトのハンバーグもいいな、とリューイは思った。
「りゅーちゃ、これぇ」
クラルスの声に振り向けばツヤツヤのナスを手にクラルスが笑っついた。
クラルスを抱くフィーディスは心底嫌そうな顔をしている。
「ナスならまだ冷蔵庫にあるからまた今度。クラルス、トマト好き?」
「好きー!」
「クラルスは好き嫌いがなくてえらいなー。ならトマトのハンバーグにしようか」
新鮮そうなトマトをいくつかかごにいれた。つぶしてソースにしようか、煮込もうか。
焼きトマトというのはどうだろう。
リューイのなかでぐるぐると考えが回る。。
「ハンバーグの中身は決めたの?」
「トマトと煮込もうかなって。味が染みそうだし、煮込む時間でサラダとかもできそうじゃん?スープはあっさりしたやつのほうがバランスとれるかな。キャベツとベーコンとかさ」
「うん、いいんじゃない?ご飯は添えるの?」
「あったほうが嬉しい?」
「俺はうれしい」
リューイは足を止めて少し考える。
ハンバーグにスープ、それからサラダを添えたらあまりごはんはいらないような気もするのだ。
とはいえ、ほしいと言われたら準備をしないわけにはいかない。朝食よりも少ない量を炊き込もうかと考えた。
「じゃぁこれで必要なものは終わりだな。お菓子もいれたし、レックスとシルバにはきっちりお手伝いしてもらわないといけないな?」
「はーい」
お手伝いと聞いて幾分声が小さくなるものの二人の返事を聞けばリューイはカートを押してレジへと向かう。
フィーディスは一足先に出口そばにいた。リューイが代金を支払い、レックスとシルバが協力してカートを台まで押していく。財布をしまいつつリューイはフィーディスを見ると満面の笑みを浮かべた。
「ねぇ、クラルス。リューの笑顔かわいいねぇ」
「りゅーちゃ、かわい」
「うん、かわいい。クラルスも十分かわいいけどね」
みんなで荷物をつめる。手分けして買ったものを持てば帰る足取りは軽い。
フィーディスはクラルスにほおずりをしてから、リューイがレックスたちに野菜の入った袋を持たせる姿を眺めていた。リューイは野菜以外の重たいものを持っている。
クラルスはリューイにだっこされたそうに見つめているものの荷物を持っているリューイに無理はさせられない。フィーディスは少し体を動かすクラルスを抱えなおすとリューイの隣に立った。
「クラルスはリューにだっこされるのが一番好きみたいだね」
「あんまり長時間抱っこできなくなってきたんだよな…これってやっぱり成長してるってことでいいんだよな」
「そうだと思うよ。クラルスはリューのごはんいっぱい食べてるから」
「りゅーちゃのごはん、おいしー」
「うん、そっかー」
リューイはクラルスの言葉に嬉しそうに笑った。おいしいといってくれるならばなおのこと頑張らなければならない。
それはプレッシャーでもあるが、リューイが頑張る力にもなる。
目の前を歩くレックスやシルバもおいしいと言ってくれる。まずいものは食べさせたくはない。
五人で歩いて帰ればレックスとシルバがキッチンに野菜を持っていく。今日はウィリディスも食べるため下のフロアにおいてもらうことにした。
リューイがほかのものを片付ける間にフィーディスがレックスたちを手洗い場へと連れていく。
「リュー兄、準備できたー」
「たー!」
レックスとシルバが駆けてくれば後ろから遅れてクラルスもついてくる。
クラルスも手伝ってくれるようだと判断した。何ができるだろうか、と台を二つ用意しながら考えた。
シンクにどうしても届かない二人には台が必要不可欠なのだ。ピータが用意してくれたエプロンをつける二人を横目で見つつ、クラルスは何をしたいだろうかと考える。
野菜とピーラーを用意しつつ考えていればフィーディスもやってきた。
「フィーディス、クラルスも手伝いたいみたいなんだ。一応ごはんは炊くつもりだから少量なら砥げるんだけど一緒にやってくれないか?」
「わかった」
フィーディスはうなずいて米を普段保管してあるところからリューイの言うままに米をはかりだしボールにいれた。
野菜の皮をむいているレックスの邪魔にならないようにシンクの端に立ってボールに水をいれる。フィーディスを見上げてくるクラルスに一度笑いかければしゃがみこんでボールに手をいれて混ぜた。
「クラルス、こうやってお米はとぐんだよ。できる?」
「できりゅ!」
ずぼっとボールに手をいれたクラルスは勢いよく手を動かした。
米と水が飛び散りフィーディスの顔にもついた。一部始終を見ていたリューイはくすくすと笑う。
フィーディスは顔にとんだ米をとりつつ、できた、というように笑顔を向けてくるクラルスに苦笑した。
「クラルス、それじゃお米がなくなっちゃうからこうやってみようか」
クラルスの手を取って一緒にボールにいれるとかき混ぜる。白く濁った水を入れ替えてから一緒に混ぜてみればクラルスは真剣な顔をしている。
はじめてみたクラルスの表情にフィーディスは目を丸くした。
「ふぃーちゃ、できた」
「うん、すごい。できたね」
二度ほど繰り返せば米と新しい水を炊飯器にいれてセットした。
炊きあがりの時間をセットしてからクラルスの手を洗う。クラルスは興味津々といったようにレックスとシルバを見ている。
二人はリューイに言われるままサラダ用とスープ用に人参を切っていた。
リューイはハンバーグの種を作っている。
「よし、二人ともそれができたらハンバーグの形作るか。フィーディスとクラルスも一緒に」
「やるやる!」
「やるー!」
ハンバーグのたねを各々好きなように成形していく。
リューイはトマトを切ってはレシピを眺めながらどのように煮込むのか調べていた。
端末をいじり動画を見つければそれを再生し、時おり止めながら手を動かす。
トマトはあとからの盛り付け用に少量を残して残りは潰してから調味料とともに火にかけた。
スープの味を見ては火から下ろし代わりにハンバーグを焼くためのフライパンをのせる。
クラルスはフィーディスが手伝い丸い形のハンバーグを仕上げていた。凝った形にはできないがレックスやシルバも丸や俵型に仕上げていた。
「できたよ、リュー兄」
「たくさんできたな。じゃぁ先に焼くぞ」
「はーい」
油を引いたフライパンでハンバーグを焼く。じゅーと音をたて煙があがる。手を洗った四人がそばでながめていた。
「フィーディス、皿を用意して。レックスとシルバはサラダのお皿をテーブルに並べて。ドレッシングはピータさんが作ったやつが冷蔵庫にあるからそれをおいて」
「わかった」
両面を焼き上げたハンバーグをソースの鍋へと移して煮込む。トマトの味が染み込むように少しケチャップも追加した。
ソースの味を見て上出来と一人思えばそのまま火にかけつつ人数分のグラスを用意した。冷蔵庫から作りおいたお茶のボトルを出せばグラスとともにテーブルに持っていく。
「いいにおいがする!」
「うん、お腹減ってきた」
「いっぱい食べられそうだな」
煮込んだハンバーグの様子を見ればいい具合になっていた。
火を止めて皿に盛る。盛り付けに残していたトマトを乗せれば炊飯器が炊き上がりの合図を出す。
盛り付けた皿を運んでもらいご飯をよそう。
「せんせー、まだかな」
「帰るには少し早いかもね」
「じゃぁ先に食べるか。冷めてももったいないし」
四人で食卓につけば、声を揃えていただきますと言う。
さっそくハンバーグを頬張ったレックスは顔を輝かせてリューイをみた。
「おいしい!」
「本当か?よかったぁ…」
「ちょっと焦げてるけどかりかりしていておいしいよ」
「焦げてるは余計だろ」
ハンバーグを頬張る姿を端末を出して写真におさめた。笑顔が眩しい。
クラルスは小さく切ったハンバーグをフォークでさしては一口に頬張った。口の端にソースをつけては咀嚼し飲み込む。
次々に消えていくハンバーグにリューイは嬉しそうに笑う。
背後で足音がすれば振り向いた。
「おかえり、せんせー」
「うまくできたのか」
帰宅したウィリディスに椅子から降りたシルバが近寄り鞄をその手から奪ってとことことソファまで運んでいった。
ウィリディスはそれを見送りキッチンで手を洗う。あまりいい顔をしないリューイを見て肩を軽くすくめると戻ってきたシルバを見つめ礼を告げた。
シルバは照れ臭そうにするともとの椅子に座る。
ウィリディスもできた料理を盛ろうとするもののリューイがそれを止めた。
「俺がやるからせんせーは座って」
「いいのか」
「うん。フィーディスの正面の席ね。真ん中は俺が座るから」
「わかった」
リューイはご飯を器によそえば、さらにハンバーグを盛った皿とスープのカップを器用にもって運ぶ。
ウィリディスの前に皿をおけば中身を見たウィリディスが少し眉を寄せた。
「おいしくなさそう?シルバたちはおいしいって」
「いや…そうではなく」
デミグラスソースならいけたな、とウィリディスは思う。
お茶用のグラスを持ってきたリューイはもとの椅子に座りながら首をかしげ、もしかして、と思うことを口にした。
「せんせー、トマト嫌い?」
「…あぁ」
「ケチャップは食べたじゃん」
「ケチャップとトマトそのものは違うだろう」
「先生、トマトだめなの?好き嫌いだめだよー」
渋い顔をしていればリューイが横から手を伸ばして俵型のハンバーグを一口サイズに切った。フォークにつきささるそれをウィリディスの口許まで運ぶ。
「せんせー、あーんして?」
「お前はまたそんな…」
「レックスたちの前で好き嫌いはダメだろ?ほら、口開けて」
「リューちゃん、強情だから食べるまでやめないよ、先生」
「リュー兄、好き嫌いさせたがらないから」
レックスとシルバが他人事のように告げた。経験したことはあるのだろうか。
フィーディスは見ない振りをしようとするもののウィリディスが目の前に座っているため不自然な角度に顔を向けている。
「…がんばったし、みんなで作ったのに食べたくない?せんせーがハンバーグっていったから」
リューイの眉が下がる。すすっ、と手が離れれば手首をつかんで引き留めハンバーグを口に入れた。
驚くリューイとフィーディス、レックスとシルバは目を丸くしていた。
「…悪くない」
目を閉じて噛み、飲み込めばそう告げた。リューイは嬉しげにフォークを返した。
「りゅーちゃ、あー」
くい、と服を引かれてクラルスを見れば盛大にソースで机と服を汚したクラルスが目にはいる。
リューイはぎょっとしたもののクラルスが差し出すフォークの先にある野菜を頬張り噛みながらクラルスを抱きあげた。
リューイの服にもソースがつく。
「このままだとシミになりそうだから脱がせてくる。そのまま食べてて」
「わかった」
「おいしかったんだな」
「はんばーぐ、すき」
クラルスの笑顔を見れば服を汚したことなど些細なことに思える。
本来ならもっと幼いときから汚してこぼして、少しずつ食べ方を学ぶところだろうが、それができるわけもなかったから致し方ない。
少しずつできるようにすればいい。
クラルスの服を脱がしながらリューイはどうしたらいいかと考えた。
「話せる言葉もできることも増えてるもんな。いいことだ」
一人でうなずくリューイを不思議そうに見つめるクラルスだが口の回りをタオルで拭かれれば嫌そうに顔を背ける。
赤子のように駄々をこねることも少ないし、それこそトイレなども行きたいと口に出せる。
だが、日常の生活リズムはうまくいかない。食べたら眠る、というのが定着してしまっている。
「寝る子は育つけどな…」
「リューイ、服は洗えたのか」
「せんせー、ご飯は?食べた?」
「…まだだ。お前が遅いから」
「いろいろ考えながらやってたから。いまから染み抜きするからせんせーはクラルスつれて戻っていいよ」
ウィリディスは抱っこをせがむように腕を伸ばすクラルスの前にしゃがめば腕を引いて立ち上がらせた。
ウィリディスの手にしっかりとつかまるクラルスは一瞬きょとんとする。
「クラルス、歩いて席に戻るか。椅子にはあげてやるから…と、その前に裸のままではいかんな」
クラルスをその場に残したウィリディスはその場を離れてすぐに戻ってくる。
手には白いシャツを持っていた。
クラルスの前にしゃがみこめば頭からそのシャツを着せる。かなりサイズの大きなもので半袖なのにクラルスにとっては長袖となっているし、丈も小柄なクラルスでは足首まできてしまっている。
「…研究の合間に着替えすら面倒になって適当に買ったシャツだったがこれはこれで…」
「大きすぎない?」
「いい。もうどうせ着ないものだから思う存分に汚していい」
「そっか…じゃぁ先に戻ってて。あ、フィーディスたちに食べ終わったらシンクに皿置いてお風呂行っておいでって伝えて」
「…リューイ」
「なに?」
洗剤を探すリューイに声をかける。手を止めて振り向いたリューイは近い位置にあった顔に手を止める。
「お前も早く来い。ハンバーグ、食べ終わらない」
「……って、俺に見張れってこと?」
「そうともいえるかもな」
「えー…せんせー、いい大人なんだから自分で食べてよ」
リューイがため息をつけばウィリディスは少し笑ってからクラルスを連れて戻って行ってしまう。
取り残されたリューイはよし、と腕まくりをしてからクラルスの服の染み抜きをしていく。せっかく買ってもらった服であまり着ていないのに捨ててしまうのは惜しいではないか。
とはいえどたっぷりとソースがついてしまっている。落ちるかどうかは天に任せることに決めてリューイは時間をかけてある程度汚れを落とした服を洗濯機に放り入れて回した。
自分の服も汚れていることに気が付いたが見ないことにして戻った。
「おまちどー」
「遅かったな」
「染み抜き大変だったんだぞ…」
「そうか」
「…って、ハンバーグ全部食べたの?」
リューイとウィリディスの皿以外残っていないテーブルの上にはリューイの食べかけのハンバーグ以外残っていない。
ウィリディスの皿にもだ。
「…せんせー、全部食べられたんじゃん」
「あぁ。レックスやシルバが面白がってこちらに食べさせてくるものでな…断れば泣かせてしまうだろうし、フィーディスのこちらを見る目も冷たかったから」
「そっか。にしても、意外だったなぁ」
ウィリディスの隣に座りリューイはつぶやいた。
お茶を飲んでいるウィリディスは聞かぬふりをしている。
「せんせーがトマト嫌いだったなんて」
「一応聞いておくが、お前に嫌いなものはないのか」
「ないよ。とはいっても捨てられてから、の話だけど。捨てられる前はピーマンとかナスとかいろいろ嫌いなもののほうが多かった」
「そうか」
「普通に食材買って何か作って食べることのほうが少ないからさ」
ウィリディスはリューイの話に言葉が出なかった。
冷めてしまったハンバーグを頬張り時折スープをすするリューイは幸せそうに微笑む。手を伸ばしほほについた米粒を取ってはそれを口にいれた。
「リューイ…」
「なに、せんせー」
「うまかったよ」
リューイの手が止まった。瞳が零れ落ちてしまうのではないかと思ってしまうほど大きく目を見開いてリューイがウィリディスを見つめる。
そんなに驚くようなことを自分は言っただろうか。ウィリディスは首を傾げた。
リューイはうれしくなった。トマトが嫌いだと知って失敗してしまったと思っていたのに、くれた感想は予想以上のものだったからだ。
「今度はトマトじゃないものも食べたいものだな」
「訂正、トマト料理を極めてやる」
「冗談じゃない。体が赤くなってしまう」
「ならないよ。でもどうせだから一緒に住んでいる間にはトマト嫌いなくせるようにトマト料理のレパートリー増やすね!ピータさんにも聞いてみようかな」
「やめてくれ」
頭を抱えかねない姿にリューイは笑い声を漏らした。自分の食べ終わった分の皿を片付けようかと思ったがいったん手を止めればソースを一掬いしてウィリディスの口元に垂れないように運んだ。
「でも、動画とか見て頑張って作ったのは本当だから嫌いなのもわかるんだけどちょこっと食べてほしい」
拒否してもリューイは引き下がったと思う。しかし拒否をしたあとのリューイはきっと悲しそうな顔をするのだろうと思うとそれはできなかった。
少し逡巡しつつソースを口にした。トマトの香りがする。
「そんな顔をせずとも十分においしいと思う。トマト嫌いな俺がそういうのだから何も気にせずにまた作ればいい」
「本当にトマト料理増やすよ?」
「お前は食べてほしいのか食べてほしくないのかどちらだ」
「食べてはほしいけど嫌がるものを無理には食べさせたくないというか…」
「作ればいい。お前が作ったものならば食べよう」
少し照れ臭くなり席から立ち上がって二人分の食器をシンクへと運んでいく。
「リューイ、そのまま風呂場へ行くといい。レックスたちはリューイが戻るまで待つと言っていたが眠たそうにしていた。フィーディスだけでは大変だろう」
「片付けは」
「俺がたまにはやろう。気にせずにそのまま寝るといい」
「ありがとう、せんせー…」
「あぁ」
リューイは席を立てばキッチンを通り過ぎて上のフロアへと上がっていく。
その足音が聞こえなくなればウィリディスは長く長く息を吐き出して口元を抑えた。
だめだものはダメなわけだがアレルギーではない以上できる限りリューイの造ったものは食したいという気持ちもそこにはあった。
眉を顰め口の中に残った味を押し流すべくグラスにたっぷり入れた水を一気飲みした。
まだ口内にトマトの味が残っている気がしてならない。
自分もさっさと眠りについてしまえば忘れてしまうだろう。そう考えたウィリディスは六人分の食器を洗うためにスポンジに手を伸ばした。
応援ありがとうございます!
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