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君の名前を星に捧ぐ 3
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時おり思うのだ。
誰か優しい番を見つけて、フィーディスをはじめとした家族とともに暮らせることはかなうはずのない夢でしかないのでは、と。
でも、今ここで暮らしていると、たった半年の期限つきではあるがその夢が叶ったような気がするのだ。
リューイはぱら、とページをめくりながら顔をあげた。
目の届く場所でクラルスも同じように絵本をめくる。
「りゅーちゃ、いぬ」
「うん。大きな犬だな」
クラルスが読んでいた絵本を示す。
白い犬が冒険をする絵本だ。クラルスは犬が好きなのか繰り返しこの本を読んでいる。
ピータがきてからフィーディス、レックス、シルバを買い物の手伝いに連れていってほしいと頼んだ。
すぐにピータは了承してくれ、三人と食材の買い物に出ていった。
静かなフロアで本を読み進めているといままで身を売ったり、あまり食事もとれない日々が続いた生活が夢であったかのようだ。
今が現実で、夜になれば自分の番が帰宅し、おかえり、と出迎える。みんなで食事をとってから団欒の時間をすごし、共に入浴する。そのあとは番に優しく抱かれるのだろうか。
「って、何考えてんだ」
「りゅーちゃ?」
クラルスがこちらを見つめる。なんでもないよ、と笑いながら本へと視線を戻す。
朝食のために早起きしたらメモ書きと共に一冊の本があったのだ。
自分の研究の基礎内容が記されていること、興味があるなら読んでみればいい、と。
それから合鍵もおかれていた。自由に出入りできるように、と用意してくれたらしい。うれしい、と素直に思った。
朝食をとって出かけるピータたちを見送ってから、クラルスのために絵本を数冊もって二人でリビングでごろごろとしながら読んでいるのである。
「『αとΩにはβにないものがDNA上に見られる。それを因子と呼ぶが人体でどのような働きを行うのかはわかっていない』…そんなのが俺の中にあるのかぁ」
本をめくってみるとどんどん難しくなっていく。
眉を寄せつつ、解説書がほしいとぼやいた。
「『Ωの発情期にはαを誘惑する香りが出てくる。それがαの攻撃性を引き出すことがある。Ωは発情期にαの精を受けることで子供を作ることができる』うん、それは知ってる。男Ωにも子供孕む場所のための器官があるって。で、女αにはΩを孕ませることもできるって…α同士で子供もできるけど確率は低いからやっぱりΩとαがいいって……俺もいつか、αの子供作るのかな」
自分の下腹部に触れてみる。
発情期が来るたびに腹部の奥のほうが熱さを増す感じがしていた。
発情期中は妊娠してしまわないように避妊薬を飲んでいる。この人の子供なら、と思える日がきたらきっと飲むのをやめるのだろう。
男のΩは総数が少ない。物珍しさから番にされることも多い。番になるのにそこに相手への敬意や好意が一切ない番の関係は結びたくない。
自分か相手が死ぬまでの関係なのだ。丁寧に互いの気持ちをはぐくんでから、というのが隠れたリューイの希望であったりする。
「なぁクラルス…俺も誰かを好きになれるかな」
読んでいた本を閉じてクラルスのそばに座れば白い犬の冒険は終わり家に帰って家族と抱き合うシーンだった。
クラルスは、よかったねぇと笑っている。その頭を優しくなでてリューイは微笑んだ。
「クラルス、お昼は何にしようか。ピータさんたちはお昼には戻れないって言っていたから俺たち二人でゆっくりできるよ」
「りゅーちゃのごはん?おむあいす」
「オムライスかぁ…うまくつつめるかな」
ごはんは残っていただろうかと立ち上がってキッチンの冷蔵庫を開く。
タッパーに入ったごはんを見つけた。卵もあるし、ハムもある。ケチャップもあるからちょうどいいかもしれない。
「くらる……せんせー?」
振り向けばクラルスが抱き上げられたことにきゃっきゃと喜んでいる。お昼なのになぜ家に戻ってきているのだろうか。
驚いて見つめていればこちらに近寄ってくる。
「あまりに実験が煮詰まって研究所全員が頭を抱えたから今日は早めにみんなをあがらせてきた」
「そうだったの…せんせーもお昼食べる?」
「…いただこう」
「うん」
気配もなくいたことに驚いた。彼は床に散らばった絵本や様々な書籍を見つめている。
やがてしゃがみこむとそのうちの一冊を手に取った。自分が朝方リューイ宛に残していったものだ。
同じところをずっと読んでいたのだろうか、渡して一日と経っていないのに開き癖がついている。
腕に抱えたクラルスは文字ばかり並ぶそれがお気に召さないらしく眉を寄せている。
「絵本がいいか」
問いかけ再びしゃがみこんでから散らかる絵本を手にして渡す。
先ほど遠目から見ていたときは白い犬の絵本を見ていたはずだから今度は森の動物たちが営むパン屋の話にしてみた。
気に入るだろうかと伺えば絵本を見る目がきらきらと期待に満ちているのがうかがえた。
お気に召したようである。
「よんで」
絵本をぺしぺしとたたいて腕の中の子供は自分に読み聞かせをしろと強請る。
リューイがはらはらとした様子でこちらをうかがっているのが見えたが彼は自分の分も含めて昼食を作るところだ。邪魔はできない。
諦めた。
リビングの床に腰を下ろして、膝にクラルスを座らせた。彼の目の前で絵本を読みだす。
本の中に広がる世界にくぎ付けのようだった。
リューイはその様子を伺いながら炒めたごはんにハムとケチャップをいれて混ぜ合わせる。少し焦げ付いた部分は自分の分にしてしまえばいいだろう。
「そしてくまさんはハチミツを届けます。『ハチミツたっぷりのパンは甘くて元気が出るから風邪もすぐに治るよ。』パン屋のリスさんはハチミツを受け取りさっそくパンを焼き始めました」
ふふ、と笑いが漏れる。たまごをかき混ぜながら耳に入るどこか幸せな話。
クラルスを膝にのせた彼の姿はよき父親になることをうかがわせる。
読み終えたのに、もう一度とせがむクラルスに困った顔をする。薄く広げた卵の気泡を潰しながら、クラルス、と呼ぶ。呼ばれたクラルスはリューイに顔を向けると、キッチンに行きたいと言い出した。
「だめだよ、せんせーを困らせたら。もうすぐでできるから我慢な?」
焼けてきた卵に炒めたごはんを乗せて皿にひっくり返す。
わりときれいにできたな、と満足する。三人分作ればテーブルに運び、ケチャップとスプーンを添える。
「クラルス、自分の椅子に座って」
「やだ」
このままがいいと、自分をだっこする彼に抱きつく。抱きつかれた当人は困惑しかない顔をしているが無理に引き離すのもよくはない。
眉を下げてその顔を見上げる。
「俺が食べさせるからそのままでいい?」
「かまわない」
食べさせやすいように抱き直して椅子に腰を下ろす。
そのとなりの椅子に座ったリューイはケチャップをクラルスに持たせた。
「なにか描く?」
「りゅーちゃ!」
「俺?」
クラルスはリューイのオムライスにケチャップを絞り、かろうじて『り』と読めるものを書いた。満足そうにそれをみてクラルスはリューイにケチャップを差し出す。
リューイはケチャップを受けとれば代わりにクラルスのオムライスに、星形を書いた。
「せんせーはなにがいい?ハートにする?」
「リューイの好きにしたらいい」
二人のやり取りを特になにも言わずに見つめていたがリューイに問いかけられるとそう答えた。
リューイは言葉のまま、彼のオムライスにハートマークを描いた。やっておいてなんだが少し恥ずかしくなる。
「いただきます」
声をあわせて告げればリューイはクラルスの分のオムライスをまずはスプーンでとり口許に運ぶ。
大きな口を開けてスプーンを頬張るクラルスはもぐもぐと咀嚼する。
「…この子はいくつだ?」
「クラルスはたぶん五歳ぐらい、体の大きさ的に」
「あまり言葉が話せないのだな?なにか」
「クラルスは俺と会ったときには言葉なんてなにも知らなかったよ。あー、とか、うー、とか、それこそ野生の動物みたいな唸り声しか出してなかった」
自分の分を食べるのと交互にクラルスに食事を与える。
繁華街区の奥に仕事で行った時、鴉と争う姿を見た。子供が襲われていると思って近づいたのだがそれがクラルスだったのだ。
がりがりで骨は見えていたし、何よりその口から漏れる音は野良犬のようだった。事実野良犬に育てられたのかもしれない。
思い出せば手が止まる。もっと、とクラルスに急かされてまた口にオムライスを運ぶ。
「クラルスが一番俺といるのが長いんだ。二年ぐらい…かな。繁華街区のやぶ医者に見せて借金して治療して、レックスやシルバと暮らすようになるまでは俺も死にそうになるほどだった」
「そこまでしてなぜこの子を拾った」
「さぁ?なんとなくだと思う。俺もこいつもひとりぼっちだったから」
自分のオムライスを食べてリューイはクラルスの口もとについたケチャップを拭う。
当初は野生児といえたクラルスも、リューイたちの会話を聞きながら言葉を覚えて人の子となっていった。
それでも自分ができることには限度があった。文字を教えるためのものがないし、なにより誰かに何かを教える時間はなかった。
「せんせーの渡してくれたあの本、難しすぎるよ。全然進まない」
「専門書ではあるからな…お前にもわかるもののほうが楽しいだろうか」
「うーん、楽しいかって言われるとそうなんだろうけど…でも、あれ読み切りたい。読み切ったらせんせーのこともっと知れそうじゃん」
「……そんなことを言われるとは思いもしなかったな」
リューイはきょとんとして彼を見つめる。
オムライスを食べようとしているため彼はリューイのほうへ目をやることはない。
何か読むことを手助けできるような書物はあっただろうかと考えていることなどリューイは知るわけがない。
ケチャップを自分の口元につけたままクラルスにオムライスを与えている。
自分のスプーンを置いて少し体を動かせばそれに合わせてリューイも動く。
指先を伸ばして静かにリューイの口元を拭った。
「せんせ…?」
「…お前もまだまだ子供だな。口についてるぞ」
指先についたケチャップをなめて告げればリューイは顔を赤くし、魚のように口を開閉している。
スプーンが口に運ばれないためクラルスは身を乗り出してスプーンに食らいついた。
動揺しているらしいリューイを見ていたずらをしたくなってしまった。そっとクラルスの目を手で覆い、リューイに顔を近づける。
リューイは何をされるのか察して身を引きかけるがそれを許さずに口づける。舌を絡めればケチャップの香りがした。
せんせ、と漏れる声がする。クラルスがいなければこのまま押し倒していたかもしれない。
ちゅ、と口を放せばリューイは少し放心したかのようだった。リューイの手からスプーンをとれば代わりにクラルスにオムライスを食べさせていく。
「うまいか?」
「おいしー」
こちらの顔を見上げて無邪気に笑う。目隠しをされたことなどすぐに頭から飛んで行ってしまったらしい。
彼が満腹になるまで食べさせれば次は自分が食べる番である。いまだにリューイが固まっているのが気になるところではある。
横目で見れば自分の唇に指をあててうつむいている。
「リューイ」
「なななな、なに?!」
名を呼べば明らかに動じた声で返答する。
その様子を見れば笑えてくる。クラルスは二人を交互にみながら首をかしげていた。
「クラルス、だったか。食べ終えたならまた本を読んでくるといい」
椅子を降りて本の広がるそこへと連れていく。
下に下ろせば目をぱちくりして見上げてくるものの興味のある本があったのかそちらに歩いていき広げて読み始めた。
もとの場所に戻ればリューイはオムライスをかきこんでいた。
「ごちそうさまっ」
「リューイ」
「せんせーなんて知らない!」
ぷいっとそっぽを向いてリューイは三人の食事が終わった皿をシンクへと運ぶ。
自分も立ち上がり皿を洗うリューイを後ろから抱き締めた。
体が強張るのを感じる。耳をすませば心臓の音が聞こえてきそうである。
リューイの顎の下を指で優しく撫でる。わずかに上を向いたリューイの顔が何か堪えるようだった。
「リューイ…頭をスッキリさせたい。抱いてかまわないか」
「な、な…なんで、そんな」
リューイの戸惑う様子に手が止まる。なぜ、と自分でも思う。
それでも触れたくてたまらない、と体が声をあげる。
わずかに開いた唇に引き寄せられる。唇同士が重なればリューイからわずかに甘い香りが漂った。
「せんせ、だめ。いつピータさんたちが戻るかわからないから」
「なら、戻ったのを確認してからでもかまわないか」
リューイの片手を取れば自分の昂りをさわらせる。
どうして、と自分でも思うのだ。強烈な欲が沸き上がってしまった。
「…せんせーはそんなに性欲ある方だったの?見えないんだけど」
リューイは布越しでもわかる昂りをさする。唾を飲み込めば、みんなが帰宅するまで時間がないと再度思いながらうなずいた。
体を反転させ向き合えば少し背伸びをして自分から唇を重ねた。
「また、あとで」
「あぁ」
静かに体を放す。
リューイを残して部屋に戻れば扉を閉めてそのまま座り込んでしまった。
疲れているのだろうか。無性にリューイを抱きたくてたまらなかった。
頭を振って息をつく。室内の小さな棚を開けて薬箱から錠剤を一粒だして口にいれた。そのまま口のなかで溶けていくのを感じながら箱を戻す。薬が無駄になればいいと思うのと、期待する思いと反したものがせめぎあう。
ベッドに向かえばそこに倒れこんだ。
先程リューイを抱き締めたときの香りが残る。
くどくなく、甘ったるくもないそれは、彼が発情した証だろうか。
リューイは果たしてやってくるのだろうか、くるとは言ったが本当に?
そんなことを考えながら目を閉じた。
誰か優しい番を見つけて、フィーディスをはじめとした家族とともに暮らせることはかなうはずのない夢でしかないのでは、と。
でも、今ここで暮らしていると、たった半年の期限つきではあるがその夢が叶ったような気がするのだ。
リューイはぱら、とページをめくりながら顔をあげた。
目の届く場所でクラルスも同じように絵本をめくる。
「りゅーちゃ、いぬ」
「うん。大きな犬だな」
クラルスが読んでいた絵本を示す。
白い犬が冒険をする絵本だ。クラルスは犬が好きなのか繰り返しこの本を読んでいる。
ピータがきてからフィーディス、レックス、シルバを買い物の手伝いに連れていってほしいと頼んだ。
すぐにピータは了承してくれ、三人と食材の買い物に出ていった。
静かなフロアで本を読み進めているといままで身を売ったり、あまり食事もとれない日々が続いた生活が夢であったかのようだ。
今が現実で、夜になれば自分の番が帰宅し、おかえり、と出迎える。みんなで食事をとってから団欒の時間をすごし、共に入浴する。そのあとは番に優しく抱かれるのだろうか。
「って、何考えてんだ」
「りゅーちゃ?」
クラルスがこちらを見つめる。なんでもないよ、と笑いながら本へと視線を戻す。
朝食のために早起きしたらメモ書きと共に一冊の本があったのだ。
自分の研究の基礎内容が記されていること、興味があるなら読んでみればいい、と。
それから合鍵もおかれていた。自由に出入りできるように、と用意してくれたらしい。うれしい、と素直に思った。
朝食をとって出かけるピータたちを見送ってから、クラルスのために絵本を数冊もって二人でリビングでごろごろとしながら読んでいるのである。
「『αとΩにはβにないものがDNA上に見られる。それを因子と呼ぶが人体でどのような働きを行うのかはわかっていない』…そんなのが俺の中にあるのかぁ」
本をめくってみるとどんどん難しくなっていく。
眉を寄せつつ、解説書がほしいとぼやいた。
「『Ωの発情期にはαを誘惑する香りが出てくる。それがαの攻撃性を引き出すことがある。Ωは発情期にαの精を受けることで子供を作ることができる』うん、それは知ってる。男Ωにも子供孕む場所のための器官があるって。で、女αにはΩを孕ませることもできるって…α同士で子供もできるけど確率は低いからやっぱりΩとαがいいって……俺もいつか、αの子供作るのかな」
自分の下腹部に触れてみる。
発情期が来るたびに腹部の奥のほうが熱さを増す感じがしていた。
発情期中は妊娠してしまわないように避妊薬を飲んでいる。この人の子供なら、と思える日がきたらきっと飲むのをやめるのだろう。
男のΩは総数が少ない。物珍しさから番にされることも多い。番になるのにそこに相手への敬意や好意が一切ない番の関係は結びたくない。
自分か相手が死ぬまでの関係なのだ。丁寧に互いの気持ちをはぐくんでから、というのが隠れたリューイの希望であったりする。
「なぁクラルス…俺も誰かを好きになれるかな」
読んでいた本を閉じてクラルスのそばに座れば白い犬の冒険は終わり家に帰って家族と抱き合うシーンだった。
クラルスは、よかったねぇと笑っている。その頭を優しくなでてリューイは微笑んだ。
「クラルス、お昼は何にしようか。ピータさんたちはお昼には戻れないって言っていたから俺たち二人でゆっくりできるよ」
「りゅーちゃのごはん?おむあいす」
「オムライスかぁ…うまくつつめるかな」
ごはんは残っていただろうかと立ち上がってキッチンの冷蔵庫を開く。
タッパーに入ったごはんを見つけた。卵もあるし、ハムもある。ケチャップもあるからちょうどいいかもしれない。
「くらる……せんせー?」
振り向けばクラルスが抱き上げられたことにきゃっきゃと喜んでいる。お昼なのになぜ家に戻ってきているのだろうか。
驚いて見つめていればこちらに近寄ってくる。
「あまりに実験が煮詰まって研究所全員が頭を抱えたから今日は早めにみんなをあがらせてきた」
「そうだったの…せんせーもお昼食べる?」
「…いただこう」
「うん」
気配もなくいたことに驚いた。彼は床に散らばった絵本や様々な書籍を見つめている。
やがてしゃがみこむとそのうちの一冊を手に取った。自分が朝方リューイ宛に残していったものだ。
同じところをずっと読んでいたのだろうか、渡して一日と経っていないのに開き癖がついている。
腕に抱えたクラルスは文字ばかり並ぶそれがお気に召さないらしく眉を寄せている。
「絵本がいいか」
問いかけ再びしゃがみこんでから散らかる絵本を手にして渡す。
先ほど遠目から見ていたときは白い犬の絵本を見ていたはずだから今度は森の動物たちが営むパン屋の話にしてみた。
気に入るだろうかと伺えば絵本を見る目がきらきらと期待に満ちているのがうかがえた。
お気に召したようである。
「よんで」
絵本をぺしぺしとたたいて腕の中の子供は自分に読み聞かせをしろと強請る。
リューイがはらはらとした様子でこちらをうかがっているのが見えたが彼は自分の分も含めて昼食を作るところだ。邪魔はできない。
諦めた。
リビングの床に腰を下ろして、膝にクラルスを座らせた。彼の目の前で絵本を読みだす。
本の中に広がる世界にくぎ付けのようだった。
リューイはその様子を伺いながら炒めたごはんにハムとケチャップをいれて混ぜ合わせる。少し焦げ付いた部分は自分の分にしてしまえばいいだろう。
「そしてくまさんはハチミツを届けます。『ハチミツたっぷりのパンは甘くて元気が出るから風邪もすぐに治るよ。』パン屋のリスさんはハチミツを受け取りさっそくパンを焼き始めました」
ふふ、と笑いが漏れる。たまごをかき混ぜながら耳に入るどこか幸せな話。
クラルスを膝にのせた彼の姿はよき父親になることをうかがわせる。
読み終えたのに、もう一度とせがむクラルスに困った顔をする。薄く広げた卵の気泡を潰しながら、クラルス、と呼ぶ。呼ばれたクラルスはリューイに顔を向けると、キッチンに行きたいと言い出した。
「だめだよ、せんせーを困らせたら。もうすぐでできるから我慢な?」
焼けてきた卵に炒めたごはんを乗せて皿にひっくり返す。
わりときれいにできたな、と満足する。三人分作ればテーブルに運び、ケチャップとスプーンを添える。
「クラルス、自分の椅子に座って」
「やだ」
このままがいいと、自分をだっこする彼に抱きつく。抱きつかれた当人は困惑しかない顔をしているが無理に引き離すのもよくはない。
眉を下げてその顔を見上げる。
「俺が食べさせるからそのままでいい?」
「かまわない」
食べさせやすいように抱き直して椅子に腰を下ろす。
そのとなりの椅子に座ったリューイはケチャップをクラルスに持たせた。
「なにか描く?」
「りゅーちゃ!」
「俺?」
クラルスはリューイのオムライスにケチャップを絞り、かろうじて『り』と読めるものを書いた。満足そうにそれをみてクラルスはリューイにケチャップを差し出す。
リューイはケチャップを受けとれば代わりにクラルスのオムライスに、星形を書いた。
「せんせーはなにがいい?ハートにする?」
「リューイの好きにしたらいい」
二人のやり取りを特になにも言わずに見つめていたがリューイに問いかけられるとそう答えた。
リューイは言葉のまま、彼のオムライスにハートマークを描いた。やっておいてなんだが少し恥ずかしくなる。
「いただきます」
声をあわせて告げればリューイはクラルスの分のオムライスをまずはスプーンでとり口許に運ぶ。
大きな口を開けてスプーンを頬張るクラルスはもぐもぐと咀嚼する。
「…この子はいくつだ?」
「クラルスはたぶん五歳ぐらい、体の大きさ的に」
「あまり言葉が話せないのだな?なにか」
「クラルスは俺と会ったときには言葉なんてなにも知らなかったよ。あー、とか、うー、とか、それこそ野生の動物みたいな唸り声しか出してなかった」
自分の分を食べるのと交互にクラルスに食事を与える。
繁華街区の奥に仕事で行った時、鴉と争う姿を見た。子供が襲われていると思って近づいたのだがそれがクラルスだったのだ。
がりがりで骨は見えていたし、何よりその口から漏れる音は野良犬のようだった。事実野良犬に育てられたのかもしれない。
思い出せば手が止まる。もっと、とクラルスに急かされてまた口にオムライスを運ぶ。
「クラルスが一番俺といるのが長いんだ。二年ぐらい…かな。繁華街区のやぶ医者に見せて借金して治療して、レックスやシルバと暮らすようになるまでは俺も死にそうになるほどだった」
「そこまでしてなぜこの子を拾った」
「さぁ?なんとなくだと思う。俺もこいつもひとりぼっちだったから」
自分のオムライスを食べてリューイはクラルスの口もとについたケチャップを拭う。
当初は野生児といえたクラルスも、リューイたちの会話を聞きながら言葉を覚えて人の子となっていった。
それでも自分ができることには限度があった。文字を教えるためのものがないし、なにより誰かに何かを教える時間はなかった。
「せんせーの渡してくれたあの本、難しすぎるよ。全然進まない」
「専門書ではあるからな…お前にもわかるもののほうが楽しいだろうか」
「うーん、楽しいかって言われるとそうなんだろうけど…でも、あれ読み切りたい。読み切ったらせんせーのこともっと知れそうじゃん」
「……そんなことを言われるとは思いもしなかったな」
リューイはきょとんとして彼を見つめる。
オムライスを食べようとしているため彼はリューイのほうへ目をやることはない。
何か読むことを手助けできるような書物はあっただろうかと考えていることなどリューイは知るわけがない。
ケチャップを自分の口元につけたままクラルスにオムライスを与えている。
自分のスプーンを置いて少し体を動かせばそれに合わせてリューイも動く。
指先を伸ばして静かにリューイの口元を拭った。
「せんせ…?」
「…お前もまだまだ子供だな。口についてるぞ」
指先についたケチャップをなめて告げればリューイは顔を赤くし、魚のように口を開閉している。
スプーンが口に運ばれないためクラルスは身を乗り出してスプーンに食らいついた。
動揺しているらしいリューイを見ていたずらをしたくなってしまった。そっとクラルスの目を手で覆い、リューイに顔を近づける。
リューイは何をされるのか察して身を引きかけるがそれを許さずに口づける。舌を絡めればケチャップの香りがした。
せんせ、と漏れる声がする。クラルスがいなければこのまま押し倒していたかもしれない。
ちゅ、と口を放せばリューイは少し放心したかのようだった。リューイの手からスプーンをとれば代わりにクラルスにオムライスを食べさせていく。
「うまいか?」
「おいしー」
こちらの顔を見上げて無邪気に笑う。目隠しをされたことなどすぐに頭から飛んで行ってしまったらしい。
彼が満腹になるまで食べさせれば次は自分が食べる番である。いまだにリューイが固まっているのが気になるところではある。
横目で見れば自分の唇に指をあててうつむいている。
「リューイ」
「なななな、なに?!」
名を呼べば明らかに動じた声で返答する。
その様子を見れば笑えてくる。クラルスは二人を交互にみながら首をかしげていた。
「クラルス、だったか。食べ終えたならまた本を読んでくるといい」
椅子を降りて本の広がるそこへと連れていく。
下に下ろせば目をぱちくりして見上げてくるものの興味のある本があったのかそちらに歩いていき広げて読み始めた。
もとの場所に戻ればリューイはオムライスをかきこんでいた。
「ごちそうさまっ」
「リューイ」
「せんせーなんて知らない!」
ぷいっとそっぽを向いてリューイは三人の食事が終わった皿をシンクへと運ぶ。
自分も立ち上がり皿を洗うリューイを後ろから抱き締めた。
体が強張るのを感じる。耳をすませば心臓の音が聞こえてきそうである。
リューイの顎の下を指で優しく撫でる。わずかに上を向いたリューイの顔が何か堪えるようだった。
「リューイ…頭をスッキリさせたい。抱いてかまわないか」
「な、な…なんで、そんな」
リューイの戸惑う様子に手が止まる。なぜ、と自分でも思う。
それでも触れたくてたまらない、と体が声をあげる。
わずかに開いた唇に引き寄せられる。唇同士が重なればリューイからわずかに甘い香りが漂った。
「せんせ、だめ。いつピータさんたちが戻るかわからないから」
「なら、戻ったのを確認してからでもかまわないか」
リューイの片手を取れば自分の昂りをさわらせる。
どうして、と自分でも思うのだ。強烈な欲が沸き上がってしまった。
「…せんせーはそんなに性欲ある方だったの?見えないんだけど」
リューイは布越しでもわかる昂りをさする。唾を飲み込めば、みんなが帰宅するまで時間がないと再度思いながらうなずいた。
体を反転させ向き合えば少し背伸びをして自分から唇を重ねた。
「また、あとで」
「あぁ」
静かに体を放す。
リューイを残して部屋に戻れば扉を閉めてそのまま座り込んでしまった。
疲れているのだろうか。無性にリューイを抱きたくてたまらなかった。
頭を振って息をつく。室内の小さな棚を開けて薬箱から錠剤を一粒だして口にいれた。そのまま口のなかで溶けていくのを感じながら箱を戻す。薬が無駄になればいいと思うのと、期待する思いと反したものがせめぎあう。
ベッドに向かえばそこに倒れこんだ。
先程リューイを抱き締めたときの香りが残る。
くどくなく、甘ったるくもないそれは、彼が発情した証だろうか。
リューイは果たしてやってくるのだろうか、くるとは言ったが本当に?
そんなことを考えながら目を閉じた。
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BL
20XX年。人間と人外は共存することとなった。そう、僕は朝のニュースで見て知った。
向こうが地球の平和と引き換えに、僕達の中から選んで1匹につき1人、人間を飼うとかいう巫山戯た法を提案したようだけれど。
「まあ何も変わらない、はず…」
ちょっと視界に映る生き物の種類が増えるだけ。そう思ってた。
ほんとに。ほんとうに。
紫ヶ崎 那津(しがさき なつ)(22)
ブラック企業で働く最下層の男。悪くない顔立ちをしているが、不摂生で見る影もない。
変化を嫌い、現状維持を好む。
タルア=ミース(347)
職業不詳の人外、Swis(スウィズ)。お金持ち。
最初は可愛いペットとしか見ていなかったものの…?

【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。
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