世界は万華鏡でできている

兎杜唯人

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体の熱を冷ます方法(でも再燃しちゃう) 4

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リューイが熱を出して入院してから三日目、無事に熱も下がり退院していいとクラートから言われた。
教授が研究所から迎えにくるというためリューイは病院の待合室でぶらぶらとしていた。
おりしも今日は休診日で待合室にはだれもいない。リューイの引き渡しと治療費を受け取るためにクラートがともにいた。

「まじでこの三日間あいつが寝泊まりするとは思いもしなかった」
「そうなの?」
「いいか、同棲しているっていってもお前とあいつは完全に赤の他人だろ。恋人でもなんでもねぇし。しかも入院費用その他まで出すか??お前以外にも一緒に暮らしてるんだろ?」

クラートの言葉にリューイはぐっと言葉に詰まった。
赤の他人という言葉が突き刺さる。それはリューイも入院している間中ずっと考えていたことなのだ。
たった数日の同居生活ではあるが、リューイを含めて五人分の食事を追加したばかりか、衣服や勉強道具までそろえてくれた。
リューイは住まわせてもらっている代わりの文字通りの肉体労働をしているが、それでも彼からしてみればマイナスのほうが大きいはずなのになぜだろう。

「まぁ、教授が何か思ってお前たちを住まわせているなら俺は特にいうことないしな。教授のこと、なんも知らないみたいだからその点でも安心だし」
「…せんせーってお金持ちで頭いいってことしか知らないんだけど」
「それだけ知ってりゃ十分。むしろあいつの名前を知らないやつがいるほうが驚きだよ」

クラートはそう言って笑う。
名前、と言われてもリューイはあまりテレビや雑誌類を読まなかったためか一般的な有名人や芸能人といった名前の多くを知っているわけではない。
むぅっとほほを膨らませた顔を見てクラートはさらに笑っていた。

「お前がしばらく教授といるつもりならいずれわかるさ。俺はあいつの友人であれることに誇りを持ってる。俺はあいつほどまっすぐには生きられないしな」
「クラートさんは、せんせーと知り合って長いの?」
「フォートよりは短いけどな。あいつらと会ったのは大学だからまぁざっと十年はともにいるよ」
「せんせーって、いくつ?」
「教授もフォートも俺も同い年でみんな三十五」
「うそだ!みえない!」

リューイのどこか悲鳴じみた声が上がった。
クラートは軽快に笑う。リューイが誰のことで驚いているのかは知る由もないが、少なくとも自分は年相応に外見が老けているとは思っていない。
医療者たるもの常に健康には気を使っているし、老化防止でいろいろと手入れもしている。
フォートは高校から屋外スポーツにうちこんでいたと聞くし、大学でも体を鍛え続けていたこともありよく日に焼けている。自分たち三人の中で一番老化とは縁遠いのではないだろうかと思う。
年齢相応なのは教授だろうか。学生のころはあまりに落ち着きすぎていて年上なんじゃないだろうかと思っていたぐらいである。

「せんせー、俺より十以上上だったのか…」
「まだまだ若いやつには負けないだろうけどな、いろいろ」
「じゃぁ、クラートさんは番っているの」
「俺はいない。今は番作るよりも医者稼業のほうが楽しいしな。いずれ見つかればいいなとは思うけど。あと敬称略、で頼むわ」

クラートは楽しそうに笑っている。
かなり年上ではあるがいいのだろうかと悩む。当人がいいと言っているのだからいいのだろうと判断して次に口を開いたときは敬称をなくしていた。

「番がほしいとは思わないの?」
「思う…ときもある。運命の番だなんだに憧れを持っているわけじゃないけどな。今はただ出会うときじゃないってことだ」
「うーん。かっこいいというのかなんというか」
「そういうお前は?番ほしいとか思わないわけ」

クラートに問いかけられてリューイは少し考えた。
性の分化以前は普通に女の子を意識したはずだった。今はどうなのだろうか。Ωであると判別された今は身をゆだねてきた相手は男ばかりだし、正直日々を生きていくことに必死だったから好きななんだと考えたことはなかった。

「俺は…どうなんだろ。誰かのそばにいたい気持ちはあるけど、それを番がほしいっていう気持ちと判断していいのかわかんない」
「教授は?」
「…せんせーは運命の番がいたんだろ…もう死んじゃったって話だけど。その人が死んで、今のせんせーの研究があるなら俺はせんせーの番になりたいって望んでも入り込めるわけないだろ」
「お前も鈍いなぁ」

クラートはわざとらしくため息をついて肩をすくめた。
この二人はなかなか面白いから自分としてはくっついてもらいたいものである。くっついたときには外野でやんややんやといじり倒したい。
世の中の幸せの全体量は決まっているらしい。それがどのくらいの量なのかは知らないが、クラートととしては身近な人間が幸せであればいいと思うのだ。
たとえば長く悲しみを抱えすぎて今自分が何をやりたいのかわからなくなりだしている友人も、狭い足場が今にも崩れそうなのにそれにすら気づかず立ち尽くす目の前の青年も、幸せであればいい。
二人が手を取って幸せになってくれたらいじり倒しがいもあるというものだ。
うんうんと一人でうなずくクラートを見ながらリューイは自分の番に思いをはせた。
いつか出会うのだろうか。いつか出会えたとして、自分は心から愛することができるのだろうか。

「お、迎えがきたな」

クラートが立ち上がる。
ノックの音が聞こえた。病院の玄関は締まっているがそちらからくるようにと伝えてあるのだ。
鍵を開ければやはりリューイの迎えがきていた。

「遅くなった」
「いいよ、どうせお前のことだから追加で研究してたんだろ。それで時間忘れたってところだな」
「なぜわかる」
「…だってなぁ?わりと約束にはうるさいくせにそのお前が一時間ほど遅れてくるんだもん。連絡もないし」
「……すまなかった」
「それはリューイに言ってやれ。まぁその前に払うもん払ってもらうけど」

中に入ればリューイに気づいたのかわずかに口元に笑みを浮かべた。
本当にわかっているのかいないのか、いっそのことフォートといつ気づくのか賭けでもしようかと思いはじめる。
こちらから物語のエンディングは見えているのにどうやらこの二人には見えてはいないようである。
薬の残りを手渡しつつ、リューイに薬をすべて飲み終えたらまた診察にはくるようにと告げた。
リューイは礼を述べ、荷物を肩にかける。

「教授、また研究の話聞かせてくれ。お前も誰かに話して整理すべきだろ」
「あぁそうだな…」
「…どうした?いつも根暗に見えるけど今日はなおさらだな」
「いつも、は余計だ」

重たいため息が漏れる。何かあったようだと判断する。
それが何か彼は言うつもりはないらしい。だが、言葉の端に隠し切れない怒りを感じていた。
リューイもただならぬものを察したのか不安そうに眉を寄せて見つめている。
クラートはその頭に手を置いてから大丈夫、と笑いかけた。

「教授、十以上年下の子供を怖がらせるなよ?わかったな」
「怖がらせるつもりなど」
「ないかもしれないけどはたから見たら十分怖い。なぁ、リューイ?」

突然話を振られてリューイは目を丸くする。
こちらを見つめる二対の目にあたふたとしながら怖くはないと首を振った。

「クラート…あまりリューイをいじるな」
「ははは、悪かったな。それじゃ、リューイ、お前は自分の体に無頓着でいるなよ」
「はい」

クラートに再度礼を告げてリューイは彼とともに病院を出ていく。
三日ぶりの空にリューイは目を細くして顔を上げた。
風が気持ちいい。

「せんせー、車で帰るの?」
「俺は車がないからな…歩いてもそう時間はかからないが…嫌ならば電車でも使うか」
「ううん。少し歩きたい」
「なら荷物を持とう」

リューイの手からバッグをとれば肩にかける。
二人並んで歩き出せば会話がない。
リューイはちらちらと自分よりもいささか高い位置にある顔を盗み見した。
思い切って話してみようか。拒絶はしないだろうが、話すのを嫌がられないだろうか。
そんなことが頭のなかをぐるぐると回る。

「どうした」
「ぁ、あの!」

突然声をかけられ少し声が裏返る。
足を止めて少し目を丸くする顔を直視はできずリューイも足を止めて視線を落とした。

「せんせー…あのさ…俺、せんせーのしてることもっと知りたい。たった数日だけどまた勉強しだしてすごく楽しいし、いろんなこと知りたいって思ったんだ。せんせーのことも、だし、世界のこともだし…俺ΩだけどΩなりに何かできるんじゃないかって思いはじめて、それで」
「驚いたな。そういったことを言われるのははじめてた」
「せんせーの迷惑になるならいいんだ…」
「迷惑ではない。クラートも言った通り、誰かに話せば頭の中も整理できるだろう…俺からもお前に話しておきたいことがある」
「俺に?なに」
「帰ってからだ」
「うん」

話したいこととはなんだろうか。
出ていってほしいとのことか。リューイの眉がさがる。
出ていけ、とのことならば仕方がない。しかし自分以外はしばらく置いてもらわなければ、と思う。
そう考えてはそんなはずはないと首を振る。

「そういえばピータがリューイをいたく心配していた」
「謝らなきゃ。なんも手伝いできなかったし」
「手伝いならばほかの子供達がお前の代わりに率先してやっていた」
「ほんと?」
「あぁ」

リューイは目を丸くし、やがて嬉しそうに笑った。
できることはまだ少ないだろうけれど、増やしていけるならばそれに越したことはない。

「せんせー、ありがとう」
「あらためてどうした」
「言っておかなきゃって思ったんだ。俺のこともみんなのことも、せんせーの負担にしかならないのに面倒を見てくれてるから」

リューイは少し顔を赤くしながら告げた。
礼を言われることではないというのに。
『持つべきものは持たざるものに与えるべし』
母や父に言いつけられていた教えのひとつを実践したに過ぎない。
たまたま出会って、手を貸そうかと思ったのがリューイだったのだ。
気恥ずかしくなる。リューイも、研究所にいるΩたちもよく感謝の言葉を告げる。
言わなくてもいいと思うのだが、言われるとやはり嬉しくはなった。

「俺、頑張ってせんせーの好きなもの作れるようになるね。なにかリクエストある?」
「まずは俺の好きな固さに米を炊けるようになってからだな。下の子供達の方がうまかったぞ」
「俺は料理苦手なんだって言ったじゃん」
「ならば精進あるのみだな」

リューイは不満そうにほほを膨らませた。幼い子供のようにその表情はくるくると変わる。見ていて飽きない。
リューイと歩いて帰りながら自宅そばにさまざま店があったのかと驚く。
あまり出歩かないし行きつけの道もいつも同じところなため知らないところがたくさんある。
今度きてみるか、と考えながら自宅へ向かう。リューイに目をやれば通りすぎる店を時おり足を留めてみていた。

「なにか気になるものでもあったか」
「うん。いい感じの服があった」
「ほしいか?」
「いい。せんせーに買ってもらうわけにはいかないし」
「そうか」

リューイの目が一度ショーウィンドウに並ぶマネキンに移る。
同じようにマネキンへと視線を移動すれば彼は着物を見ていたらしい。紺地のものだ。
珍しい、と目を見張る。リューイに視線を戻せば目を伏せている。
今時着物を着るものは少ない。高価であることと着付けられる者がいないことが理由だろうか。
かつて多く好まれていたというが廃れていくばかりである。

「着物が好きか」
「…ばあちゃんが写真を見せてくれたことがあるんだ。今よりずっと前のばあちゃんとじいちゃんの写真。着物を着て二人で写っているやつ。洋服も好きだけど、ばあちゃんがよく着物着ていたから着物も好き」

リューイの言葉にそうか、とうなずいた。
歩き出せば名残惜しそうにリューイもついてくる。
歩いたのは一時間もないだろうか、マンションに入り、エレベーターに乗り込む。
病み上がりではあるがリューイは疲れていないだろうか、と顔を向けた。
ばち、と音がしそうなほどに目があった。

「…鍵を渡さねばならないな」
「鍵?」
「うちの鍵だ。このエレベーターは居住フロアにいくために鍵がいる。エレベーターが開けばすぐに居住フロアだからな」
「ハイテクだった…」
「ほかのフロアの住人とかぶらないようにエレベーターも複数台あるしな」
「うぅん、俺には縁遠い世界すぎる」

リューイの言葉に笑いをこぼす。
エレベーターのドアが開けばリューイを先に部屋に向かわせる。
合鍵はどこにやっただろうかと考える。
リビングのほうでリューイの姿を見つけたらしい子供の声がした。

「リュー兄!」
「おかえりぃっ!」
「わわっ…ご、ごめんな?心配かけて」
「リュー…」
「フィーディスも。ごめん。次は気を付ける」
「ほんとだよ」

飛び付いてきたレックスやシルバを抱き締め、さらにリューイは腕を伸ばしてフィーディスの頭を撫でた。
いつもならば子供扱いするな、といわれるが今回はおとなしくフィーディスは撫でられている。
和気あいあいとした光景を見つつ近寄ってきたピータに入院の間の荷物を預け、食事を頼むとひとり自室へと戻った。
ベッドに倒れこみ働かない頭を無理矢理動かした。
レナータから渡されたΩの結果は予想していたものだったがそれにあわせてもたらされた報告に怒りが込み上げた。

『教授、現在Ωの固有病で入院する患者と死亡した患者にはいずれも番を持たないこと、発症がαとの性交後二日以内の共通点があります。ただ、ひとりだけ番持ちのΩがいたのですが、発症前に番を持たないαに無理矢理されたようで胎内より、番のαとは異なる体液を採取してます』
『…番持ちのΩは拒絶反応を出すだろう』
『どうやら、"それ"自体を楽しむαがいるようです』
『…Ωを、殺すつもりか…っ』

唇を噛み締めた。
世の中には気が狂ったようなαもいるのだと認識する。
番持ちのΩは番以外のαを受け付けなくなる。体が拒絶反応を見せ、下手をすると命すら落としかねないのである。
番がいるΩのうなじにはαが残した咬み痕が残るため、すぐにそうだとわかる。
それを知ってなお、体を繋げるものがいることが信じられない。
念のため事実としてフォートには連絡をしてあるが、被害を受けたΩが証言できない以上捜査されるかは不明である。
αは能力的に優れているが人間として優れているのと同一ではないのだと判断する。
気が重い。こんなことを知りたくはなかったものの、知らなければもしかしたら被害はさらに増えていくかもしれない。
どす黒い感情が自分の中に生まれてくる。醜い、と思った。
自分が正義であるとは到底思っていなかったが、だれかをひどく恨むこともなかった。だから自分の中に生まれてきた感情が醜すぎて吐き気すらした。

「せんせー、ごはんできたって。食べないの?」

生まれてしまった感情をどう消そうかと思案していればリューイの声がした。
目を開けて上体を起こせばリューイがこちらをうかがっているのが見えた。

「…今いく」
「うん。今日は俺の快気祝いだって、ピータさんがいろいろ作ってくれたよ」

リューイの声は楽しそうだった。
それを聞いていると身の内でくすぶっていた暗い感情が少し鳴りを潜める気がした。
ベッドを降りてドアを開けて待っているリューイとともにリビングへ向かう。
フィーディスをはじめとした子供たちもいた。
ピータが大皿に乗った魚の煮つけをテーブルへと置いた。

「旦那様もゆっくり召し上がってくださいね。リューイくんが戻ってきましたので私は明日からしばらくお休みをいただきます」
「あぁ。悪かったな、いきなり泊まりにさせてしまって」
「いいえ。子供たちもみんないい子でしたので」

ピータは家を出ていった。
リューイはそれをエレベーター前で見送ってから食卓に戻る。
カチャカチャと食器の鳴る音がしている食卓で食事を進めつつ、先ほど帰ってから、と言われた話はなんだろうかとぼんやりと考えた。
恋愛感情はない、この関係性がこのまま続けばいいのに、とリューイは思う。
いつか自分以外の子供も性分化判定が行われてどこかに行かなければならないとしても、それまではせめてこの場所で暮らしたいとリューイは願った。
自分がΩである以上それがどれだけ難しいかはわからない。
リューイは視線を魚の切り身を頬張る姿へ向けた。難しい研究書を読み、かつて喪った番のために研究をしている彼を放っておくこともできないと思ったのだ。
そこにどんな感情があるにしろ、願うのはいけないことだろうか。

「ごちそうさま」
「リュー、もう食べないの?」
「一応病み上がりだぞ。そんなにぱくぱくいけないって」
「りゅーちゃ…ごはん…」
「大丈夫だよ、クラルス。風呂入ってくるからみんなは食べ終えてな?そのあと俺が片付けるからフィーディスと風呂入っておいで」

心配そうにこっちを見つめる三つの顔それぞれと視線を合わせて笑う。
言葉の通り腹は膨れた。上のフロアへと上がり着替えを手にして浴室へと向かって行く。
話を聞くのが怖いわけではない。しかし、何か自分が予期していなかったことを言われて自分が取り乱さないか心配であった。

「大丈夫…大丈夫、きっとせんせーはそんな変なことを言い出すはずがない…きっと、大丈夫」

リューイは鏡にうつる自分を見つめて、自分に言い聞かせるかのようにつぶやいた。
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