世界は万華鏡でできている

兎杜唯人

文字の大きさ
上 下
9 / 102

体の熱を冷ます方法(でも再燃しちゃう) 2

しおりを挟む
病院につけば看護師が一人出迎えに出てきた。
可動式のベッドを転がしてきておりリューイをそこに横たわらせれば検査につれていかれた。
看護師と入れ違いでこちらに向かってきたのはこの病院の院長にして、大学で同級生だったクラートだ。半年に一度きている健康診断と定期健診のほかに病院にかかることもないためこうして会うのはかなり久しぶりである。
長く伸ばされた髪は診療や治療の邪魔にならないように普段はうなじ付近でまとめられお団子状にされているが今は休憩中なのか、下ろして右肩に流している。

「お前が血相変えて連絡してくるもんだからなにかと思った」
「クラート、顔を見ての通話はしてないぞ」

黒縁の眼鏡の奥で赤茶色の瞳が楽しげに細められた。
白衣を脱いでラフなシャツを着ているが、首から下げられたネームホルダーには『内科・外科専門』と記載がある。
外科は現在進行形で色々学び途中らしい。厳密には"まだ"専門じゃないだろうと思っているが口には出さない。
ほら、と差し出されたのは問診票である。ペンを手に記入しようとするが手が止まった。
リューイには現在法的に有効な戸籍はない。手を止めた姿を見てなにかを察してくれたか、来いと招き入れたのは待合室となりの隔離室である。
彼を患者用の椅子に座らせ自分は隔離室そばから適当に椅子を引っ張ってきた。

「わけありか、教授」
「あぁ。少し故あって居候させている。他にも何人か」
「…珍しすぎて目んたま落ちそうだわ」

現在も会うことがある同級生たちは揃いも揃いってそんなことを言う。
いったい何が珍しいのかと目をすがめる。

「まぁ、いいや。とりあえず住所はお前の家。名前は適当に書いておけ、あとでどうにでもなるし、もしかしたらお前と同じ名前になるかもしれないしなー??」
「は?」
「まてまてまて、教授、顔が怖い」

冗談ではないというのに、なぜそこまでにらまれるのだろうか。
この同級生、頭もいいし身体能力も飛びぬけていいαのなかのαだというのに、どうしたわけか自分のこととなると鈍くなる。
頭のいい人間が周りのことにはよく気が付くというのに自分に対してはとても鈍い、というのはそこらへんに転がっている話だと思うし、当人が意図的にやっているわけではないと知っているから面白いと思う。

「そんで?お前は最近どうなんだ」
「どうとは」

問診表に記入していく姿を眺めながら問いかけた。
彼の研究内容は自分の職にも非常にかかわりが深い。見つめる未来は違うものの、歩んでいる道は似たようなものだ。
医者を目指した自分とはその道に進んだ経緯は異なれど、時折意見も交わしている。

「お前のおかげでΩの発情抑制剤の質が向上したし、αのヒート抑制剤も増えた。だが、お前の目的はそれじゃないだろ。どこまで研究が進んでるんだ」
「……αの細胞がΩの細胞を攻撃するということはわかった」
「確定か」
「九割は」

返答を聞いて、ぎぃっと音を立て椅子の背もたれに寄りかかる。
そうか、とつぶやいたきり次の言葉が出てこない。
しばらくペンの走る音しか聞こえなかったがやがてあちら側から口を開いた。

「血液だけでなくほかの細胞でも試した。なんなら精液、唾液その他でも試した…いずれも同じだ。α細胞はΩ細胞へ攻撃を加え、破壊する。それが体内で起きればまず治らない」
「今のところは、だけどな。治療法は見つけられそうなのか」
「体内に入ったα細胞をどう動きを止めるかというところだろうな。体内への経路はαとΩの接触機会なんてたかがしれているからそこをたたけ、という話だが」
「まぁ、無理だな。αの体液を発情期中に摂取しなければΩはいつまでも発情しっぱなしだ」

言葉なくうなずいた。
記入を終えた問診票を手渡しその顔を見る。何でもないときはへらへらと笑っているクラートであるが、今は厳しい顔つきをしていた。
話すべきではなかったかとふと思うものの、やがて一息いれた彼は笑った。

「厄介なもんだな、性の分化というのは」
「仕方ないだろう。人間が自然と進化したのか、意図的に生み出されたのかは知らないがそれに生まれついてしまったのだから」
「言えてる。いいことばかりではないしな…」

二人そんな会話をしていれば隔離室のドアがノックされて先ほどリューイを連れて行った看護師が顔を出した。
どうやらリューイが目を覚ましたらしい。クラートはいくつか看護師から報告を受ける。
わかった、とうなずいて看護師を見送ればクラートを見た。

「ひとまず顔を見に行くか。俺も診察しないといけないし」
「あぁ」

二人立ち上がって病室へ向かう。
病院といえば聞こえはいいが、都市中心付近にある大型病院ではないため入院できる部屋などたかが知れている。ましてやそんなに看護師を雇っているわけではないため、そうそう経過観察が必要でない限りこの病院に入院することはまれである。
クラート自身、この病院から少し離れた場所で生活しているし、ほかに勤務している医者はここにはいない。

「まぁ、あの様子だと二、三日は入院して安静ってところだろうなぁ」
「悪いのか」
「いや、栄養失調が見受けられたらしい。あとは疲れだな。思い当たるところあるか?」
「あるといえばある」
「…一応突っ込んでおくが、毎夜毎夜抱いているわけじゃないよな」

αは基本的に性欲が強いと言われている。
Ωのように発情とまではいかないまでも、基本的に性交の時間は長いし多い。
口を閉ざしてしまえばきっと誤解されるだろうから仕方なしにリューイと関係ができたまでを話した。
話しながらひと月ぐらい経っていたと勝手に思い込んでいたことに気づいた。
出会ってまだたったの数日ではないか。そんな事実に気づけば足が勝手に止まった。
何故そんなことを思ったのだろうか。

「教授、今回あの子が倒れたのはほぼほぼ間違いなく薬の件とそれまでの疲れの積み重ねだと思うぞ。今までは自分が年長だからってことで気を張っていたのかもな」
「そう…なのか」
「お前はあんまり人とコミュニケーションとらないからわからないんだろうけど、だれにも頼らず誰かを支えて生きている人間っていうのは脆いんだよ。安心できる存在ができたから一気に力抜けたんだろうな」

聞けば年齢は二十歳だというではないか。自分の言葉にうんうんとうなずきながら病室のドアを開ける。
白い部屋の中、リューイはベッドに横たわっていた。
扉が開けば音がしたほうへ顔を向けてくる。

「せんせ…?」
「リューイ、大丈夫か」
「ん…」

小さな声で呼ばれればベッド脇まで近寄った。
まだ熱はあるのか瞳は潤んでいる。そばの小さな丸椅子に腰かけてこちらを見る瞳と視線を合わせた。

「教授、お前がそこに座ってどうすんだ。俺が診察できないだろ」
「…すまない」

立ち上がれば少しベッドから距離を置いた。クラートが入れ替わりにそこへ腰かけて聴診器を準備する。
リューイの視線がクラートへ移動した。
視線に気づいたクラートは笑う。

「起き上がれそうか。少し心音が聞きたい」
「…起きれる」

リューイはうなずいて上半身を起こした。クラートは背中に手を添えてそれを支える。
服の間から聴診器をいれれば目を閉じてリューイの心音を聞いていた。
クラートに身を預けながらリューイは視線を寄こす。

「どうした、リューイ」
「…せんせ、いつまでいる?」
「診察が終わるまでは少なくともいる。大丈夫だ、家にはピータもいる」
「…よかった」

聴診器を放せばクラートはまたリューイを横にさせて顎の下まで布団をかけた。
顔色や血の流れも確認する、

「やっぱり今までの疲れが一気に出たんだな。やっぱりしばらく入院は必要。ゆっくり休め」
「でも、俺せんせーに…」
「話は聞いてる。けど無理したら治るものも治らないから」
「リューイ、家のことは気にするな」
「でも」
「家に住まう代わりの家事やそのほかだったな。今は体を休めることだけを考えていろ。いいな?」

念押しすればリューイは渋々ながらうなずいた。
クラートと場所を入れ換えればベッド脇にまた腰かけた。
クラートは部屋を出ていき二人きりになる。しばらく無言が続いた。
リューイは心配と迷惑をかけてしまったことが悔しくてならない。なにも言わない彼に不安が募る。

「参ったな」
「ごめんなさい…」

思わず漏れてしまった言葉にリューイから謝罪がこぼれた。
静かに首を振り、彼が熱をだしたことではないと告げる。
入院のための荷物はあとで取りに行くとして、入院患者が普段いないこの病院にあまり負担はかけられない。
クラートに話をつけて夜だけでも泊まりにくるか、と考えた。
リューイも一人きりよりは安心できるだろうか。
この病院は研究所からも比較的近い。日々の業務を終えたあとにくれば十分だろう。

「せんせ…」
「今は身体を休めることだけ考えておけ。いいな?」
「…うん」

少し震えた声だった。
リューイの頭に手を置いて繰り返し優しく撫でる。
リューイが何を思っているのかはわからないが自分を責めているのではないかと判断できた。
クラートの言うとおり、下の面倒を見ることで自分を保ってきたのかもしれないと予想がつく。
Ωはαが保護、管理すべきという考えが一部にもあるが、今はそれがわからなくもないと思う。Ωの負担はあまりにも大きいものがあるからだ。
リューイの件は氷山の一角に過ぎず、こうして病に倒れて人知れず死ぬものもいるのかもしれない。
考え込んでしまえば背後から肩に手をおかれた。振り向けばクラートがいた。

「で、教授、あんたはどうする」
「どうするとは?」
「泊まる?知ってるだろ、ここには通常入院が必要なやつがこないこと」
「そうだな…夜の間だけここにくることは可能か?」
「お前がそうしたいならいいぞ。俺が帰る前にきてくれりゃ、玄関の扉の施錠すれば済むし、ちゃんと布団も用意するし」
「ならばそうする」
「了解」
「リューイ、お前の入院に必要なものを持ってくるから少しおとなしく寝ておけ」
「うん」

素直にうなずく姿を見てからクラートにあとを任せて出ていく。
リューイは息を吐き出して体から力を抜いた。クラートという名の医者が近寄ってきて椅子に腰かけた。

「教授とはうまくやってるのか?会って数日ほどだと聞いたが」
「うまく…できて、ないと思う」
「そうか?」

今だって熱を出して迷惑をかけてしまった。
あきれられているような気がしている。クラートはそんなことを考えているリューイの気持ちを見抜いていた。
しかし追及するようなことは言わなかった。
クラートが知る彼はたまたま出会ったからといって家にあげるようなこともしないし、ましてや連絡先を交換してたまたま見た相手の居場所が素行の良くない企業だったからといって助けに行くようなことはしない。
少なからず彼はリューイに思うところがあって行動しているような気がするのだ。本人は完全に無自覚なようであるが。
電話口で、学生時代からほとんど聞いたこともない焦った声を思い出す。
彼自身意識はしていなかっただろう。だが、昔の彼を知っている者としては驚きしかなかった。
とはいえ、今回焦っていたのはリューイ自身が原因なのではなく、彼が今の道を進むと決めた原因によるところが大きいのだろうけれど。

「…あいつ、相当慌ててたな」
「そう、なの…?」
「あぁ。お前は意識なかっただろうから聞こえてないだろうけど冷静、冷酷で知られてるあいつの焦った声なんてめったに聞けるもんじゃないな」

クラートはそう言って笑った。
いい変化だと思う。危なげな歩き方をしていた友人が少し立ち止まって足場を確認しているかのようだ。
このままうまくいってほしいものだと願う。
出会ったばかりの目の前の彼とどんな話をしているのかは聞いてないからどこまで話したのかは知らない。
知らないままではいられないかもしれないがもしもリューイに話したのなら喜ばしいことだろう。願わくば同じ場所でリューイが生きてくれればいいと思うのだ。

「俺は午後の診療あるから行くけど何かあれば枕元のボタン押せば看護師がくるからな」
「…はい」

手をヒラヒラと振りながらクラートは出ていってしまう。
途端に静かになった室内でリューイひとりぼんやりとしていた。
まだ熱はひかない。目が覚めたとき看護師に簡単に診察をされ、あとで担当医が診察したら薬を出すからと言われた。
薬なんて、発情抑制剤以外飲んだことはない。
性がわかる前は風邪ひとつ引いたことはないほどの健康体だったのだ。
ベッドに沈みこみリューイは目を閉じた。
頭が回らないなかでも、フィーディスは心配してないだろうか、ほかのみんなの朝御飯はどうしただろう。
そんなことを思っていた。回復したら謝らなければ。

「せんせー…」

リューイは小さく呼ぶ。応える声は今度はない。
身体を丸めてリューイは眠りだした。
それから数時間経ってから戻ってきた姿にクラートは笑った。
入院のための荷物はさておき、なぜか彼は子供を四人つれている。
子供達はリューイの見舞いらしい。
似合わないその姿を写真におさめればやはりにらまれるも削除はしない。なんならフォートにも送信しておいた。

「大所帯だな、彼は」
「…面倒見がいいのだろう」

一番年下だという五歳児を抱えた姿は、父親のようである。本人は即否定しそうであるが、見ることもないだろうと思っていた友人の子連れ姿に感慨深くなる。

「クラート、何を考えている」
「教授の子連れ姿なんて学生のときは想像しなかったなって」
「黙れ」

唸るような声で言われまた笑う。
リューイのいる病室につけばノックをするも返事はない。
静かにドアを開ければまた眠っているのが見てとれた。
顔色はいくぶんよくなっている。
子供達がリューイのそばにかけよりその寝顔を覗きこんだ。

「りゅーちゃ」
「リュー兄」

年下のクラルスをベッドに下ろしてやれば彼はリューイに抱きついた。
ほかの二人もベッド脇に近寄り寝顔を見守る。フィーディスは予想していたよりも穏やかな寝息に肩の力を抜いた。
クラートは子供達の様子を横目で伺いつつ薬のはいった袋を渡した。

「入院費と診療と薬はお前が払うんだろ?ひとまず風邪のための抗生物質出すから食後に三回、飲ませてやれ。それと栄養をしっかりとらせること、いきなり肉々しいものを食わせるなよ、胃が驚いてそれこそ具合が悪くなるから。ほかの子供もだがゆっくり栄養をとらせろ、いいな?」
「…医者らしいな、クラート」
「間違いなく医者だよ」

やれやれと肩を竦めれば看護師に呼ばれた。患者のようだ。
クラートは、静かになー?と言い残して診察に向かう。
子供達はリューイを静かに見ていた。クラルスが乗ったままだが重くはないだろうか。どかすべきかと悩むも泣かれてリューイが起きては困る。
気が済むまで好きにさせることにした。
だが、リューイの上でクラルスは眠りだしてしまうし、レックスやシルバもうとうとしだす。さすがに三人とも眠られてしまうと困るため、病院から離れたスーパーで買い物中のピータに連絡をいれて迎えを頼んだ。

「おまえたち、ピータが迎えにくるからそろそろ帰れ」
「リュー兄と一緒がいい」
「リューイが休めないだろう。早く治すためにもおとなしく家で待っていろ」

いやだと首をふる子供の対応に手を焼いた。
子供の扱いなどわからない。ただでさえリューイ以外にはなつかれるはずもなく、未だに言葉は交わしてこなかった。
手をやくさまを見たフィーディスは眠るクラルスを静かに抱き上げてレックスやシルバと視線をあわせた。

「二人とも、リューイを静かに休ませてやろう?また元気にただいましてほしいよな?」
「フィー…」
「リュー兄戻ってくる?」
「当たり前だ。だから今日はおとなしく戻ってピータさんのご飯食べような」

フィーディスの言葉に泣きそうだったレックスやシルバがうなずいた。
フィーディスは顔を上げると少しにらむかのような視線を向けてくる。

「シルバたちに何かあれば自分を責めるのはリューだから今日は帰る。けど」
「俺は医者ではない。ここにはクラートがいるから何かあっても問題はない」

そう告げれば彼はうなずいてからまだ少し名残惜しそうな子供たちを連れて出ていった。
にらまれる意味がいまだにわからないものの、これで静かに休ませてやれる。
だが自分もこのままここでぼーっとしているわけにはいかないため少し研究資料をもってきた。
部屋の明かりがリューイの眠りを妨げないようにベッド周りをカーテンで覆った。ある程度明かりが差し込んでしまうことを確認すれば室内の電気を自分が資料を読むのに影響がない程度に暗くした。

「…ゆっくり休め、リューイ」

寝顔を見て小さくつぶやいてからカーテンを閉じた。
つぶやいたその声が、普段より優しい声音だったことを知るものは誰もいなかった。
しおりを挟む
1 / 3

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

消えない思い

BL / 完結 24h.ポイント:28pt お気に入り:121

ローズゼラニウムの箱庭で

BL / 完結 24h.ポイント:248pt お気に入り:1,713

僕とあなたの地獄-しあわせ-

BL / 連載中 24h.ポイント:14pt お気に入り:250

抱き締めても良いですか?

BL / 連載中 24h.ポイント:7pt お気に入り:342

ひとりぼっちの嫌われ獣人のもとに現れたのは運命の番でした

BL / 完結 24h.ポイント:205pt お気に入り:522

異世界で大切なモノを見つけました【完結】

BL / 完結 24h.ポイント:113pt お気に入り:941

処理中です...