世界は万華鏡でできている

兎杜唯人

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現実世界に物語のような前置きはない 4

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Ωなんかに生まれたくはなかった。
生活すら危ういし、家族には捨てられる。
挙句の果てに体目当てか別の理由かαに騙され薬を盛られ死ぬかもしれない恐怖を味わう。
助けてくれる友はいない。
家族なんてもってのほかだった。
寂しさを隠すために孤児を拾い共に暮らした。
働けない孤児に頼られると、Ωの自分でも生きていていいのだと思えた。
情けない、と思いつつやめられなかった。

『リューにいちゃん』
『リューちゃん、大好き』

無垢の愛は少し重たくもあった。
しかしそれがなければ立つこともままならなかった。
助けて、と叫べたらどんなによかったことか。
そんなことをいつだって思いながらリューイは孤児たちと住んでいる古ぼけた家の屋根で空を見上げていた。
繁華街区の奥、ならず者のほうが多いその場所はいつも騒がしかった。
夜中でも騒ぎ声がする、荒事の音がする。
子供たちは眠れているだろうかと考えながら自分は眠りにつくことができない。
時折体の熱を持て余し、そういったならず者に抱かれることも少なくはなかった。
乱暴に扱われ、見えないところに痣を残して朝方戻れば子供たちに心配される。
小さな手の温かさに彼らの知らない場所で何度涙したことだろうか。
繁華街区手前ですれ違った先生は今までのαとは違った。
突然発情したリューイに驚きを見せていたものの行為自体は優しく、そのあとの朝食も奢ってくれた。
どうして、と疑問が沸き起こる。
聞いてもいいだろうか。

「せん、せー…」

自分の声で目が覚めた。
白い天井とそこから下がるオレンジ色のライト。
視線を動かせば壁一面が窓となっており遠くまで見渡せた。
本日は快晴、空が青い。
自分がどこにいるのか見当もつかなかった。
ただ体の下にあるベッドは柔らかく、体を覆う布団すら肌触りがいい。
かなり上質なもののようだ。

「起きたのか、リューイ」

低めの声に首を動かした。
部屋にあるドアが開いてそこから顔を出す者がいた。
なんで先生が…とぼんやりとした頭で考える。
ここはホテルなのだろうか、それにしては高級感がありすぎる。
ベッドに近寄ってきた彼は端に腰かけてリューイの額に触れた。
ひんやりとした手が気持ちいい。
目を閉じれば手は離れて行ってしまう。

「中和剤は間に合ったか。体はつらくはないか」
「…中和剤……俺、薬盛られた?!」

ばっと勢いよく体を起こせば服は何も着ていない。
意識を落とす前の出来事がよみがえる。
そうだ、確かモデルをやらないかと声をかけられてうなずいたはいいものの、法外な発情誘発剤によって危うく手を出されかけたのだ。
確かそこに彼が、とベッドにいまだ腰かけたままの男を見つめた。
リューイの視線に疑問を感じ取ったのかわずかに首をかしげながら彼は口を開いた。

「お前が受けた発情誘発剤はその作用が強すぎるために中和剤が存在している。俺の研究所にそれがあったからそこへ行ってお前に飲ませた」
「そうじゃなくて…なんで俺を助けたの。俺Ωだよ?それも自分で勝手にあんなところへ行って事件に巻き込まれたわけだし…放っておけばよかったじゃん、せんせーはαでしょ」
「…マップを起動させたら表示されたお前の位置が悪名高い企業のビル内だったからだ。Ωであることを自ら商売道具にしている分には俺は特段何も思わないが、優位であるはずのαが己の利益のためだけにΩを食い物にするのだけは許せないものでな」

彼の言い方から彼自身はΩが嫌いなのだろうかと考えては少し胸の奥が痛む。
痛みを気にしないようにしていたら勝手に視線は彼から外れて下に向いていた。

「まだ体がつらいか」

かけられたのは優しい声だった。
泣きそうになってぐっと気持ちを押し込む。
笑顔で顔を上げれば大丈夫と首を振った。

「それより、俺行かないと」
「どこへだ」
「繁華街区の俺の居場所。ちびたちがいるんだ。戻らないと心配する。昨夜だってせんせーと一緒にいたから戻らなかったわけだし」

彼が腰かけるのと反対側から降りようとした。
それなのにベッドから降りられない。
振り向けば手をつかまれていた。
顔を見れば彼自身もどこか驚いたような顔をしている。
どうして、と声は出なかったが口が動いた。
少し視線をさまよわせた挙句リューイは彼に近づく。
まだ少しだけ体に違和感はある。
近づいてその顔を覗き込む。昨日会ったときには気にも留めなかったが彼の目は日の光できらきらと色合いを変える緑色をしていた。
きれい、と思わずつぶやく。
顔を近づければ自然と唇が重なった。

「おーい、教授いるか」

一度目の口づけから二度目に入るところへ声がかかった。
知らぬ声に動きを止めれば目の前の彼は盛大にため息をついてからリューイの手を離し振り向いた。
手が離れたことに対して安堵と残念な気持ちとないまぜになっていた。

「…邪魔したか?」
「いいや。それで」

扉のところにがたいのいい男が立っていた。
そういえば助けてもらったときもう一人いたな、と思い出す。
どうやら彼とは知り合いらしく、リューイとの距離感を見ながら笑っていた。

「そいつも目を覚ましたかちょうどいい。報告してやる」

そう言って話し始めた彼は現役の警官ということが分かった。
リューイによからぬことをしていた企業は、Ωの誘拐および人身売買、果ては規制のある発情誘発剤所持と使用によって関係していたと思わしき上役が悉く逮捕されたらしい。
さらにはその企業に誘発剤を無断で渡していた医師も同時に逮捕されたという。
リューイのほか、誘拐されたと思わしきΩの足取りも追えるだけ追っているとのことだった。
身よりのないΩならば連れ去られたところで問題があるわけではないと踏んだのだろう。
確かにリューイも含めΩは身寄りがいるほうが少ない。
そういった報告をしてから彼はベッドそばにある椅子に腰かけた。

「教授、そいつはどうする。わりと重要な立ち位置にいるぞ」
「…俺の身内ということにすれば捜査の手は伸びないな?」
「伸びないだろうなぁ…お前のところを敵に回すほどいくら賄賂で腐った警察といえどしたくはないだろうし」
「ならそうしろ。マップの件はおりを見て俺が聞く」
「そうしてくれ。頭がいいのならΩだとしても働ける場所は見つかるだろうしな」

リューイのあずかり知らぬところで勝手に話が進んでいく。
口を出すべきかと悩んでいれば二人のほうからリューイに話を振ってきた。

「悪いな。いいところを邪魔して。俺は警官をやっているフォティアという。教授の古い友人だ。気軽にフォートと呼んでくれ」

にこやかに自己紹介された。
リューイです、とこちらも告げては笑顔のまままじまじと見られる。
みられて同じように視線を追ってはっとした。
若干パニックになりながら掛布を体に巻く。
何も着ていなかったことをすっかり忘れていた。
それは確かに、"邪魔したか"になるわけだ。

「…フォート、もう一つ仕事を頼む」
「ん、なんだ。なんでもいいぞ、俺はいいものを見たからなぁ」
「お前の番に告げ口しておく」
「それはやめてくれ」

彼の言葉に慌てたフォートだが、少し耳打ちされると真顔となりリューイへと視線を移してからうなずいた。
部屋を出ていくときにはまた笑顔で手を振って出ていったがいったい何を言ったのだろうか。

「お前の居場所だが、お前の持っていた端末の位置情報の履歴を見させてもらった。だいたい場所はわかったからその子供たちはフォートに迎えに行かせる。
「でも…」
「あんな強面だがあいつの番が一緒なら問題ない」
「…ねぇ、せんせー…番ってなに」

彼の動きが止まる。
信じられないものを見ているような目で見つめられて居心地が悪い。
そうか、とつぶやいては考え事があるのか腕を組んで黙り込む。
何か良くないことを言ってしまっただろうか。
彼の気に障るようなことを、とリューイは不安になる。
きゅっと唇をかみしめて次の言葉を待った。

「リューイ、物は相談だがこのまま子供たちとここに住むつもりはないか」
「……え?」

突然の言葉に思考が止まる。
なんでそんなことをいきなり言うのか。
子供達と、と言われても迷惑だろう。
今偽装結婚しているβはいなさそうではあるが、そこに転がり込むのも違う気がする。
第一生活費用の問題もある。
ぐるぐると様々なことを考える。

「このマンションはフロア単位で所有できる。この真上のフロアも俺が所有しているからそこに子供達と住めばいい。どうせ余り物だ」
「で、でも生活費とか…なんで、そんなこと」
「生活費…ふむ」

再びなにか思案顔。
リューイからしてみれば困惑もあるが自分以外の子供にはいい条件である。
寒さに震えなくていいし、安全でもある。
だが自分達は会って、まだたったの三日ほどではないか。
互いを知らないのに何故そんなことを申し出るのだろうか。

「…ならばたまに俺の相手をしてもらおうか。それと俺がいない間勉強をすること。週に四回ほど来るヘルパーの手伝いをすること。この条件を生活費代わりにする」
「せんせーの相手って、つまりはセックスでしょ。ヘルパーの手伝いも構わないけど、勉強って」
「お前はものを知らなさすぎる。16で捨てられたにしては基本知識があまりにもない。学生のための教材はいくつか用意もあるし、足らない分は追加で購入しよう。知識のあるのとないのとでは後々の身の振り方も変わる」

開いた口が塞がらないとは正にこの事か。
彼の考えがリューイにはまったくわからない。
どうする、と答えをせかされた。
リューイはうなずくほかない。
助けてもらった恩をどこかで返せるかもしれない。
彼は満足そうな様子だった。
リューイをみて、服がないな、などとつぶやけば一度部屋を出ていってしまう。
半ば呆然としながら見送れば顔も火照りだす。
落ち着こうと胸に手を当てて何度か深呼吸を繰り返した。
うれしい、と思う自分がいて、そこまで世話になっていいのかと思う自分もいる。

「リューイ、サイズは大きいかもしれないがこれを着ろ」

戻ってきた彼がベッドに放り投げたのはボタンシャツとスラックス。
彼のものだろうか、広げて袖を通せば少し腹回りがダブつく。
袖も少し長い。

「フォートのものだが、新しく服を買いに行くまではそれを着ていろ」
「さっきの、警官の?私物?なんで」
「番と喧嘩したとき時おり泊まりに来る。それでだ」
「へぇ…」

ベッドがわずかにきしんだ。
リューイが顔をあげれば思ったよりも近くに彼の顔があった。
心臓が跳ねる。
教授の目からはなにを考えているのかわからない。
その緑色の瞳に見つめられては身体も思考もいうことをきかなくなる。
手が伸ばされ頬を撫でられる。
少し骨ばった手ではあるが、撫でられるのは嫌ではない。
鼓動が早くなる。

「せんせ…」
「…フォートが子供をつれて戻るまでは此処でおとなしくしていろ、いいな」
「あ、うん」

手が離れれば少し寂しくなる。
残念そうな表情に気づいたかまた手が伸びてきて今度は頭を撫でられた。少し髪を乱され触れられた場所にリューイがさわれば彼はさっさと部屋を出ていってしまう。
力が抜けた。ベッドに再び倒れ込み息を深く吸う。
どきどきと、耳の奥で音がする。
掛布を抱え込めば少しはその音も和らぐ気がした。
先生、と小さく呼ぶ。彼の名前を知らない。
フォートも、教授、としか呼ばない。
名前を聞いてもいいだろうか、いやがられるだろうか。
ベッドを降りればズボンの裾もやはり長い。腰回りの緩さもあり、リューイは裾を折り込んで、ウエストも落ちないように抑えながら歩いた。
窓に近寄る。

「う、わ…高い…」

窓の外に広がるのはビルの連なりであった。
ここはどこなのだろうと考えてみる。
目の前には政治区の中心部たるコスモタワーが見える。
少し視線をずらせば繁華街区も見える。人気の百貨店やアミューズメント施設で人がわらわらと動いているのが見て取れた。
相当高い位置にあるらしい部屋だと判断する。
振り返って室内も見てみる。
先ほどまで寝ていたキングサイズのベッドはマットレスも適度に反発があり寝返りも打ちやすかった。
彼やフォートが入ってきた部屋唯一の入口があるほうには大きなクローゼットと一人掛けのアンティークの椅子、机が置かれている。
クローゼットも椅子も机も同じ職人が作ったのだろうか、手作業と思われるつる草の紋様がキレイに彫られ、長く使われているのか新品とは違う味が出ている。
家具の置かれた場に対して窓際は家具が一切ない。
大きな窓から外が見えるだけである。
窓が大きすぎて朝日が差し込むな、と考えていれば壁にスイッチがあるのに気づいた。
何が起きるだろうかとわくわくしながらスイッチを押せば透明だった窓に暗い色がついて不透明になった。

「すごい…カーテンいらないんだ」
「リューイ、なにをしてる?」
「せんせー!ねぇ、この窓すごいね。自動で色が変わって外見えなくなった」

振り向いて無邪気に笑う。
みたことのない窓が楽しい。
近寄っていけば別室に通される。
そこはリビングダイニングであるらしかった。
アイランドキッチンと独り暮らしにしてはわりと大きな冷蔵庫、六人かけのテーブルに壁掛けの大型モニターやスピーカーと革張りのソファ。
いろいろなジャンルの雑誌が並ぶブックトラック、そばにはハードカバーの書籍が並ぶ。

「…すごい」
「一人にはあまりに広い部屋だな」
「せんせーの住んでるのってフロア全部なの?これ、一部屋じゃなくて?」
「ワンフロア丸ごとが部屋になっている。エレベーターを降りればすぐ部屋だ」
「…せんせーってもしかしてかなりのお金持ち?」
「もしかしなくとも金持ちだな」

腕を組んで事も無げに告げる横顔を見つめて住む世界の違いを実感した。
αとは生活基準すら相容れない。その事実に胸が痛んだ。

「上のフロアも複数部屋はあるから好きに使うといい。あと十分もすればフォートが戻るそうだ。このフロアからはエレベーターそばの階段から上がれるようになっている。鍵は不要だ。子供達がきたならばそこへいけ」
「せんせーは?」
「研究所へ戻る。昨日運ばれたΩがいる」

わかった、とうなずく姿をみてから彼はバッグをひとつ手にした。
部屋から離れつつふと足を止めてリューイを振り向く。

「ヘルパーに臨時できてもらうから必要な服や日用品を言いつけろ。代わりに買ってきてもらえ。金は給料に追加するから立て替えろとも伝えてある」
「わ、わかった」

リューイが何度もうなずいたのを確認してから彼はさっさと行ってしまった。
目まぐるしく変わる状況に少しついてはいけない。
リューイはふらふらとソファに近づき倒れこむ形で身を預けた。
此処まで世話になってよいのだろうか、と考える。
彼といると甘えたくなる。
もう成人したというのに。
遠目からみた成人の祝いの儀を思い出す。
数ヵ月前に執り行われたそれにリューイは出席していない。
家族に追い出され、リューイの居場所はなくなったからだ。
自分がβであったならば今も家族と暮らして成人の儀に出ていたのだろう。
αの仲間を羨ましく思い、Ωを下に見ながら生きていたのだろうか。
家族が恋しい。母の作る料理が、父の少しタバコ臭い手が。
三人でふざけた明るいリビング、リューイだけのベッドや物、たくさんのアルバム。
もう二度と手に戻らないそれらを思い出して少し涙ぐむ。
他に誰もいない室内でリューイは声をあげずに泣いた。
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