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現実世界に物語のような前置きはない
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目が覚めれば隣には肌をさらす青年が気持ち良さそうに寝息をたてていた。
見える部分だけでも昨夜残した情事のあとが見受けられる。
ぽり、と頬をかいて俺は体を起こした。
乱れた服がベッド脇に散乱し、使用済みのゴムが散らばる。
どうみても、致している。
「今日が休みでよかった」
ぽつりとひとりごちてからベッドを降りた。
わずかな振動に寝ていた青年が起きてしまわないかと振り向くも変わらず寝ている。
まだ年若いのだろう肌は傷やしみなどひとつもなく、滑らかでさわり心地がよかった。吸い付くような、という表現が適切なのだろうか。
そんなことを考えてから頭をふり、余計な考えを吹き飛ばす。
部屋にあるシャワー室に向かえば頭から高めの温度にしたお湯を浴びる。
不快な汗のべたつきがとれれば思考もクリアになる。
「起きたの、せんせー」
「…先生?」
タオルを腰に巻いた姿で戻ればベッドのうえに青年があぐらをかいて座っていた。
下半身は毛布をかけているため隠れているが上半身は惜しげもなくさらされている。
窓際から差し込む朝日に照らされて健康的に見えた。
うなじを隠すほどの黒い髪は少し寝ぐせがついているものの彼が顔を動かすたびにさらさらと流れていく。
首には太くしっかりとした素材のチョーカーをつけていた。首筋から鎖骨付近にかけて幾度も吸い付いたあとが残っている。
「うん、どっかの研究者なんでしょ。せんせーじゃん」
「間違いではないが俺にはちゃんと名前が」
「聞かない。どうせ今限りだし」
そう、行きずりの相手。
昨夜すれ違ったときに彼がいきなり発情フェロモンを出したのだ。
俺は口を閉ざした。
人の性別が男女以外に細分化された現在。
α、β、Ωという三つが見つかった。
いずれも、男女の区別なく存在したため、人の性別は二種類から六種類へと増えた。
人口に占める割合はβが一番多く、逆にΩの存在は希少である。
また、α性は男女問わず様々な能力に秀でており、社会のなかで特権を持っていた。
だが、子孫を残すためにはΩが必要となる。
αとΩは男も女も生殖器官を持つ。
そのため、αとΩならば男女ではなく、女同士、男同士での妊娠も可能であり、αの女がΩの男を孕ませることもある。
「昨日は驚いたよ。せんせーを見た瞬間発情するとは思わなかったし。発情期は少し前にきたはずなんだけどなー?」
青年は首をかしげていた。
Ωは数か月に一度、一週間程度続く発情期がやってくる。
α性相手に強力なフェロモンを出し誘惑するのである。発情期のΩのフェロモンに当てられたαは攻撃性が増してしまう部分もある。
そのためΩである者たちはなかなか安定した働き口を探せない。
日雇い紛いの仕事をして暮らしている。
生まれつき性の判別がつくものではなく、段階的に性の成熟を迎えていく十二才以降十八才までに確定するといわれている。
そのため該当年齢の子供は各学校で年に一度判別を受ける。
血を採取した上検査を行うのだ。
Ωかαかβか、結果は当人だけに伝えられる。
だが、Ωであったものはかなりの数がそのまま学校を辞めていくため周囲に広まる。
Ωは社会的な差別を受けているのが実情であった。
「せんせーは気持ちよかった?俺、わりと人気なんだけど」
昨夜を思い出してみれば彼は豹のようなしなやかな身体と声変わりをしているだろうに澄んだ喘ぎを漏らしていた。
彼の年齢を二十歳前後と予想し、その年頃のΩの男を思えばかなり上玉といえようか。
無駄のない筋肉と、締まりのよいそこ、何度でも聞きたくなる喘ぎ、こちらを煽り立てる濡れた視線、いずれも経験したことはなかった。
「普段なら金もらうんだけど、せんせーとは約束していたわけじゃないし、突発的な事故ってことで、あさめしで我慢する」
にこやかに彼は告げた。
少し口を開けた俺は間抜けな顔をしていたのかもしれない。
くすくすと笑う姿に我にかえれば、どこかに食事ができるところはあっただろうかと思案する。
都市中心から少し外れてはいるがまだ治安のいいここはホテル街ではあるもののいくつか食堂はあるはずと思い直し散らばった服を集めてベッドに近寄る。
自分の服以外を渡せば彼はそのままベッド上で服を着出す。
黒のボタンシャツ、同じく黒のスキニーパンツを履く。
ベッドから離れたところに擦りきれたブーツを見つければ小さく息を吐き出して立ち上がりベッドを降りた。
素足のまま歩きブーツを手にすればこちらを見る。
「そういや、せんせーは結婚してるのに俺とヤっちゃってよかったの?」
「結婚…あぁ」
指摘された左手を見る。
薬指にはなんの装飾もない指輪がはめられている。
ゆる、と首を振り俺は彼の言葉を否定した。
「形式的なもので互いを好きあったわけではない」
「相手はβなんだ?」
「よくわかったな」
「αの中にはΩとの婚姻をいやがってβと結婚するやつがいるって、他の客が話してたからな。せんせーもそうかと思った」
わりと頭が回るらしい。
感心していれば鼻歌まじりに彼は荷物を手に扉のそばで待っていた。
隣に並べば頭一つ分身長が低いことがわかる。170はない。160後半といったところか。
少し寝乱れてはいるが細い髪は痛みなど見当たらない。
指通りも滑らかそうだ。
「わかった。何か、希望はあるのだろうか」
「せんせーが食べたいものでいいよ。俺は特にないし」
「そうか」
一緒に部屋を出ながら考える。
このΩの青年は何を気に入るだろうか。
普段自分一人で食事をとっているから何かを気にしたことはない。
冷蔵庫の中に入っているものがあればそれにするし、適当に外で目についたもので済ませることもある。
外に行くことすらも億劫なときはインスタントで終わらせてしまうこともある。
「ねぇ、せんせー。俺、あれがいいかも」
行くあてもなく歩いていればある一点で彼は子供のように瞳が輝いた。
指さした方向にはバーガー屋がある。
朝早いということで食堂やレストランはまだ開店しておらず、そういった軽食を扱う店が目立つ。
早く、と俺の腕をとり彼は半ば引きずるように店へ近づいた。
「とりあえずチーズが入ったやつとコーラとポテトを二つ、大きいサイズで。あとは、これ。この肉が二倍入っているやつ」
「朝からよく入るな…俺はコーヒーと、この普通のものでいい」
「せんせーのおごりだしね。俺も食べられるときに食べておきたいし」
「そういうものなのか」
「そういうものだよ。腹が減ったら動けないから簡単に死んじゃうしね」
告げられた金額分の小銭とお札を財布から取り出しながら横目で彼を見る。
いまだに名も知らないな、と思いつつも実年齢よりも大人びた表情に彼がどんな生活を送ってきたのか想像ができるような気がした。
用意ができる前に彼は一人席を取りに向かった。
窓際の、道路が見渡せる場所である。
トレーに置かれたコーヒーの香りを一度吸い込んでからトレーに山盛りに乗ったポテトやバーガーを運ぶ。
「ありがとう、せんせー」
「どういたしまして」
彼の前に彼の分を置いて自分の分はバーガーは手に持ち、コーヒーはそのままテーブルに置いた。
バーガーにかぶりついてはポテトをつまむ。
その姿を見つつ、今日はどうしたものかと頭の隅で考える。
昨夜はちょうどいいところで研究を終えられた。
つかの間の休日である。
「せんせー、食べないの?手が止まってるけど」
「食べる」
目の前の青年はこちらが物思いにふけっている間にチーズの入ったバーガーとポテトを一つ食べきったらしい。
朝は内臓がまだまだ目を覚ましていないというのに、これが若さというものだろうかと考える。
一息ついてからバーガーにかぶりつく。
肉汁がバンズにしみていた。
一口食べただけでもわりと腹が膨れてしまう。
もそもそとバンズを食しながら目の前で次々とポテトを消費していく姿を見つめる。
あの細い体のどこにあれだけのものが入るのか不思議でならない。
自分がようやくバーガーを食べ終えたときには彼は満面の笑みでコーラを飲んでいた。
「満足したのか?」
「もちろん!せんせーに会えてよかったー!」
少し目を瞬いた。
コーヒーを一口飲んでから彼をまじまじと見つめる。
服に少しよれはあるものの、元の素材がいいのか古びた印象はない。
顔立ちもいいし、ほんのわずかに見せる挙動からある程度はきちんと教育を受けた存在であると判断できる。
何故都市の中心から離れた場所で体を売っているのかと考えてから、そんなものの答えは一つしかないだろうと自分で自分に突っ込んでいた。
Ωゆえに、であろう。
発情期があるΩの定職に就ける確率は非常に低い。
仮につけたとしても発情期に理解がある企業でなければ、休暇などもらえないし、下手をするとそこにいるαやβと何か問題を引き起こすというのがまぁまぁある。
Ωはαやβと違い、マイナス面が目立つ。だからこそ、中心部から離れた場所で暮らしているものが多いのだ。
「お前はいつからここにいるんだ」
「十六の時から。どうしたの、いきなり」
「なんとなく、気になった」
「はは、せんせー、俺に興味持ってくれたの」
「そういうわけじゃ…第一互いの名前も知らないし、行きずりの関係だろう」
「うん、そうだね」
一瞬だけ、寂しそうに笑顔が曇った。
その理由を俺は知らない。
知る必要はないだろう。
「俺はリューイ。一緒に暮らしている子供たちからはリューって呼ばれてるよ、せんせー」
「リュー?」
「うん。俺は十六でΩってわかって、βの両親に家を追い出された。だから今ここにいる。ここで会った孤児を養うために日雇いやって発情期の時は変態の相手して育ててるの。えらいでしょ?」
本当か嘘かは判断がつかない。
コーヒーが入っていた器を置いてから静かに彼を見た。
彼からしてみると俺も都合のいい客かもしれない。
俺も、似たようなものだ。
「そうか。ならばまた会うとするか?次は食事ではなく、きちんと金銭を渡すのもいいかもしれない」
「え、なになに。何の風の吹き回し?」
目を丸くし彼は見つめてくる。
何故自分でもこんなことを言ったのか不思議でならないのだが、口をついて出てしまっていたことだし、今更撤回をするわけにはいかない。
丸くなって驚きを示していた目が今は嬉しそうな色を宿しているのだ。
嘘だ、と言って悲しませるのも忍びない。
それに、どうせ有り余るほどの金銭は持っている。
使い道など考えもつかない。
「じゃぁさ、連絡先ちゃんと登録しないとね。端末あるでしょ」
「ある」
「登録方法は?」
「知らん」
「貸してよ、俺がいれるからさ」
鞄から端末を出した。
小型のものであるが、最新式のものである。
ロックを外して差し出せば彼は手早く数字を入力していった。
満足そうにうなずけば、自分のだろうか、少し古びた端末を出してこちらの端末を何か操作しながら同じように数字を入力していく。
「終わったから返す」
「何をしたんだ?」
「俺の個体識別番号を入力したの。せんせーは特別だよ。マップ開いてみて」
うなずいてマップを起動させる。
端末上に3Dで表示されたマップには現在の自分の位置ともう一つの点が表示されていた。
これは、と無言の問いかけを読み取ったのか彼はニコニコとしてこちらを見ていた。
「俺の居場所も表示できるの。発情期には客を自分でとりに行くけど、せんせーは発情期以外でもウェルカムだからいつでも俺の場所がわかるようにしてある。ついでに俺の端末だとせんせーの位置が一発でわかるよ」
「すごいな。こんな機能があったのか」
「αの中には自分の家族や気に入ったΩの動向を把握したがる人もいるからね」
マップを見ながら感心していれば端末が着信を知らせる。
彼に断りをいれて店を出れば研究室からの連絡だった。
『教授、休日に申し訳ありません。少し気になるデータが出たので急ぎご連絡しました。本日研究室に来ること可能でしょうか』
「問題ない。支度をするから二時間以内にはそちらに向かう」
『かしこまりました。お待ちしております』
通話が切れる。
軽く息を吐き出して店内に戻れば彼は何やら嬉しそうに端末をいじくっていた。
「済まない。もう少しいるつもりだったのだが予定ができた」
「せんせーの仕事?」
「あぁ。また時間ができたときに会えたら」
「そうして。あと、ごちそーさま」
ゴミだけになったトレーを示して彼、リューイは笑った。
その笑顔を見れば、こういったのも悪くない、と思い直す。
自分の荷物と食べ終わったトレーをもって席を立った。
「またね、せんせー」
「あぁ、また」
店の入り口で分かれる。
彼はまた客を探しに行くのだろうか、人ごみにその姿を消した。
俺は中心部へと戻っていく。
また、と言いながらどうせもう会うことはないかもしれないだろう、と考えながら。
見える部分だけでも昨夜残した情事のあとが見受けられる。
ぽり、と頬をかいて俺は体を起こした。
乱れた服がベッド脇に散乱し、使用済みのゴムが散らばる。
どうみても、致している。
「今日が休みでよかった」
ぽつりとひとりごちてからベッドを降りた。
わずかな振動に寝ていた青年が起きてしまわないかと振り向くも変わらず寝ている。
まだ年若いのだろう肌は傷やしみなどひとつもなく、滑らかでさわり心地がよかった。吸い付くような、という表現が適切なのだろうか。
そんなことを考えてから頭をふり、余計な考えを吹き飛ばす。
部屋にあるシャワー室に向かえば頭から高めの温度にしたお湯を浴びる。
不快な汗のべたつきがとれれば思考もクリアになる。
「起きたの、せんせー」
「…先生?」
タオルを腰に巻いた姿で戻ればベッドのうえに青年があぐらをかいて座っていた。
下半身は毛布をかけているため隠れているが上半身は惜しげもなくさらされている。
窓際から差し込む朝日に照らされて健康的に見えた。
うなじを隠すほどの黒い髪は少し寝ぐせがついているものの彼が顔を動かすたびにさらさらと流れていく。
首には太くしっかりとした素材のチョーカーをつけていた。首筋から鎖骨付近にかけて幾度も吸い付いたあとが残っている。
「うん、どっかの研究者なんでしょ。せんせーじゃん」
「間違いではないが俺にはちゃんと名前が」
「聞かない。どうせ今限りだし」
そう、行きずりの相手。
昨夜すれ違ったときに彼がいきなり発情フェロモンを出したのだ。
俺は口を閉ざした。
人の性別が男女以外に細分化された現在。
α、β、Ωという三つが見つかった。
いずれも、男女の区別なく存在したため、人の性別は二種類から六種類へと増えた。
人口に占める割合はβが一番多く、逆にΩの存在は希少である。
また、α性は男女問わず様々な能力に秀でており、社会のなかで特権を持っていた。
だが、子孫を残すためにはΩが必要となる。
αとΩは男も女も生殖器官を持つ。
そのため、αとΩならば男女ではなく、女同士、男同士での妊娠も可能であり、αの女がΩの男を孕ませることもある。
「昨日は驚いたよ。せんせーを見た瞬間発情するとは思わなかったし。発情期は少し前にきたはずなんだけどなー?」
青年は首をかしげていた。
Ωは数か月に一度、一週間程度続く発情期がやってくる。
α性相手に強力なフェロモンを出し誘惑するのである。発情期のΩのフェロモンに当てられたαは攻撃性が増してしまう部分もある。
そのためΩである者たちはなかなか安定した働き口を探せない。
日雇い紛いの仕事をして暮らしている。
生まれつき性の判別がつくものではなく、段階的に性の成熟を迎えていく十二才以降十八才までに確定するといわれている。
そのため該当年齢の子供は各学校で年に一度判別を受ける。
血を採取した上検査を行うのだ。
Ωかαかβか、結果は当人だけに伝えられる。
だが、Ωであったものはかなりの数がそのまま学校を辞めていくため周囲に広まる。
Ωは社会的な差別を受けているのが実情であった。
「せんせーは気持ちよかった?俺、わりと人気なんだけど」
昨夜を思い出してみれば彼は豹のようなしなやかな身体と声変わりをしているだろうに澄んだ喘ぎを漏らしていた。
彼の年齢を二十歳前後と予想し、その年頃のΩの男を思えばかなり上玉といえようか。
無駄のない筋肉と、締まりのよいそこ、何度でも聞きたくなる喘ぎ、こちらを煽り立てる濡れた視線、いずれも経験したことはなかった。
「普段なら金もらうんだけど、せんせーとは約束していたわけじゃないし、突発的な事故ってことで、あさめしで我慢する」
にこやかに彼は告げた。
少し口を開けた俺は間抜けな顔をしていたのかもしれない。
くすくすと笑う姿に我にかえれば、どこかに食事ができるところはあっただろうかと思案する。
都市中心から少し外れてはいるがまだ治安のいいここはホテル街ではあるもののいくつか食堂はあるはずと思い直し散らばった服を集めてベッドに近寄る。
自分の服以外を渡せば彼はそのままベッド上で服を着出す。
黒のボタンシャツ、同じく黒のスキニーパンツを履く。
ベッドから離れたところに擦りきれたブーツを見つければ小さく息を吐き出して立ち上がりベッドを降りた。
素足のまま歩きブーツを手にすればこちらを見る。
「そういや、せんせーは結婚してるのに俺とヤっちゃってよかったの?」
「結婚…あぁ」
指摘された左手を見る。
薬指にはなんの装飾もない指輪がはめられている。
ゆる、と首を振り俺は彼の言葉を否定した。
「形式的なもので互いを好きあったわけではない」
「相手はβなんだ?」
「よくわかったな」
「αの中にはΩとの婚姻をいやがってβと結婚するやつがいるって、他の客が話してたからな。せんせーもそうかと思った」
わりと頭が回るらしい。
感心していれば鼻歌まじりに彼は荷物を手に扉のそばで待っていた。
隣に並べば頭一つ分身長が低いことがわかる。170はない。160後半といったところか。
少し寝乱れてはいるが細い髪は痛みなど見当たらない。
指通りも滑らかそうだ。
「わかった。何か、希望はあるのだろうか」
「せんせーが食べたいものでいいよ。俺は特にないし」
「そうか」
一緒に部屋を出ながら考える。
このΩの青年は何を気に入るだろうか。
普段自分一人で食事をとっているから何かを気にしたことはない。
冷蔵庫の中に入っているものがあればそれにするし、適当に外で目についたもので済ませることもある。
外に行くことすらも億劫なときはインスタントで終わらせてしまうこともある。
「ねぇ、せんせー。俺、あれがいいかも」
行くあてもなく歩いていればある一点で彼は子供のように瞳が輝いた。
指さした方向にはバーガー屋がある。
朝早いということで食堂やレストランはまだ開店しておらず、そういった軽食を扱う店が目立つ。
早く、と俺の腕をとり彼は半ば引きずるように店へ近づいた。
「とりあえずチーズが入ったやつとコーラとポテトを二つ、大きいサイズで。あとは、これ。この肉が二倍入っているやつ」
「朝からよく入るな…俺はコーヒーと、この普通のものでいい」
「せんせーのおごりだしね。俺も食べられるときに食べておきたいし」
「そういうものなのか」
「そういうものだよ。腹が減ったら動けないから簡単に死んじゃうしね」
告げられた金額分の小銭とお札を財布から取り出しながら横目で彼を見る。
いまだに名も知らないな、と思いつつも実年齢よりも大人びた表情に彼がどんな生活を送ってきたのか想像ができるような気がした。
用意ができる前に彼は一人席を取りに向かった。
窓際の、道路が見渡せる場所である。
トレーに置かれたコーヒーの香りを一度吸い込んでからトレーに山盛りに乗ったポテトやバーガーを運ぶ。
「ありがとう、せんせー」
「どういたしまして」
彼の前に彼の分を置いて自分の分はバーガーは手に持ち、コーヒーはそのままテーブルに置いた。
バーガーにかぶりついてはポテトをつまむ。
その姿を見つつ、今日はどうしたものかと頭の隅で考える。
昨夜はちょうどいいところで研究を終えられた。
つかの間の休日である。
「せんせー、食べないの?手が止まってるけど」
「食べる」
目の前の青年はこちらが物思いにふけっている間にチーズの入ったバーガーとポテトを一つ食べきったらしい。
朝は内臓がまだまだ目を覚ましていないというのに、これが若さというものだろうかと考える。
一息ついてからバーガーにかぶりつく。
肉汁がバンズにしみていた。
一口食べただけでもわりと腹が膨れてしまう。
もそもそとバンズを食しながら目の前で次々とポテトを消費していく姿を見つめる。
あの細い体のどこにあれだけのものが入るのか不思議でならない。
自分がようやくバーガーを食べ終えたときには彼は満面の笑みでコーラを飲んでいた。
「満足したのか?」
「もちろん!せんせーに会えてよかったー!」
少し目を瞬いた。
コーヒーを一口飲んでから彼をまじまじと見つめる。
服に少しよれはあるものの、元の素材がいいのか古びた印象はない。
顔立ちもいいし、ほんのわずかに見せる挙動からある程度はきちんと教育を受けた存在であると判断できる。
何故都市の中心から離れた場所で体を売っているのかと考えてから、そんなものの答えは一つしかないだろうと自分で自分に突っ込んでいた。
Ωゆえに、であろう。
発情期があるΩの定職に就ける確率は非常に低い。
仮につけたとしても発情期に理解がある企業でなければ、休暇などもらえないし、下手をするとそこにいるαやβと何か問題を引き起こすというのがまぁまぁある。
Ωはαやβと違い、マイナス面が目立つ。だからこそ、中心部から離れた場所で暮らしているものが多いのだ。
「お前はいつからここにいるんだ」
「十六の時から。どうしたの、いきなり」
「なんとなく、気になった」
「はは、せんせー、俺に興味持ってくれたの」
「そういうわけじゃ…第一互いの名前も知らないし、行きずりの関係だろう」
「うん、そうだね」
一瞬だけ、寂しそうに笑顔が曇った。
その理由を俺は知らない。
知る必要はないだろう。
「俺はリューイ。一緒に暮らしている子供たちからはリューって呼ばれてるよ、せんせー」
「リュー?」
「うん。俺は十六でΩってわかって、βの両親に家を追い出された。だから今ここにいる。ここで会った孤児を養うために日雇いやって発情期の時は変態の相手して育ててるの。えらいでしょ?」
本当か嘘かは判断がつかない。
コーヒーが入っていた器を置いてから静かに彼を見た。
彼からしてみると俺も都合のいい客かもしれない。
俺も、似たようなものだ。
「そうか。ならばまた会うとするか?次は食事ではなく、きちんと金銭を渡すのもいいかもしれない」
「え、なになに。何の風の吹き回し?」
目を丸くし彼は見つめてくる。
何故自分でもこんなことを言ったのか不思議でならないのだが、口をついて出てしまっていたことだし、今更撤回をするわけにはいかない。
丸くなって驚きを示していた目が今は嬉しそうな色を宿しているのだ。
嘘だ、と言って悲しませるのも忍びない。
それに、どうせ有り余るほどの金銭は持っている。
使い道など考えもつかない。
「じゃぁさ、連絡先ちゃんと登録しないとね。端末あるでしょ」
「ある」
「登録方法は?」
「知らん」
「貸してよ、俺がいれるからさ」
鞄から端末を出した。
小型のものであるが、最新式のものである。
ロックを外して差し出せば彼は手早く数字を入力していった。
満足そうにうなずけば、自分のだろうか、少し古びた端末を出してこちらの端末を何か操作しながら同じように数字を入力していく。
「終わったから返す」
「何をしたんだ?」
「俺の個体識別番号を入力したの。せんせーは特別だよ。マップ開いてみて」
うなずいてマップを起動させる。
端末上に3Dで表示されたマップには現在の自分の位置ともう一つの点が表示されていた。
これは、と無言の問いかけを読み取ったのか彼はニコニコとしてこちらを見ていた。
「俺の居場所も表示できるの。発情期には客を自分でとりに行くけど、せんせーは発情期以外でもウェルカムだからいつでも俺の場所がわかるようにしてある。ついでに俺の端末だとせんせーの位置が一発でわかるよ」
「すごいな。こんな機能があったのか」
「αの中には自分の家族や気に入ったΩの動向を把握したがる人もいるからね」
マップを見ながら感心していれば端末が着信を知らせる。
彼に断りをいれて店を出れば研究室からの連絡だった。
『教授、休日に申し訳ありません。少し気になるデータが出たので急ぎご連絡しました。本日研究室に来ること可能でしょうか』
「問題ない。支度をするから二時間以内にはそちらに向かう」
『かしこまりました。お待ちしております』
通話が切れる。
軽く息を吐き出して店内に戻れば彼は何やら嬉しそうに端末をいじくっていた。
「済まない。もう少しいるつもりだったのだが予定ができた」
「せんせーの仕事?」
「あぁ。また時間ができたときに会えたら」
「そうして。あと、ごちそーさま」
ゴミだけになったトレーを示して彼、リューイは笑った。
その笑顔を見れば、こういったのも悪くない、と思い直す。
自分の荷物と食べ終わったトレーをもって席を立った。
「またね、せんせー」
「あぁ、また」
店の入り口で分かれる。
彼はまた客を探しに行くのだろうか、人ごみにその姿を消した。
俺は中心部へと戻っていく。
また、と言いながらどうせもう会うことはないかもしれないだろう、と考えながら。
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