クローバーの指輪

兎杜唯人

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若頭とその側近、同衾する 3

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『しゅんちゃん、しゅんちゃん…』
泣いている。
『しゅんちゃん、しんじゃやだぁ』
泣かせてしまった。ぽたぽたと顔に涙が落ちてくる。
泣かないで、と口にしたいのにいまだに流れ続ける血がそれを許さない。
腹に受けた銃弾も、手のひらで受けたナイフも、気にするほどのものではないが彼の涙が自分の心をえぐった。
『しゅんちゃん…』
ケガはしていないだろうか。痛むところはないだろうか。恐怖にその小さな心は押しつぶされていないだろうか。
自分の体に縋り付いて泣く姿を見て自分の非力さを痛感する。
せっかくの晴れ着が自分の血で汚れてしまっている。彼の母君が選んだというその晴れ着を一番に自分に見せに来てくれた。
『いたぞ、こっちだ』
『坊ちゃんは無事だ。けが人がいるぞ』
彼の声が届いたのか人の声が聞こえてくる。涙で汚れた顔を上げた彼は自分の顔を覗き込む。
『しゅんちゃん…だいじょうぶだよ、きっと助けるから』
かろうじてそう聞こえた。意識を途切れさせないよう痛む手に力をこめる。
血の流れる手をもっと小さな手が握り締めた。
『つぎは、俺がまもるよ』
薄れゆく意識の中でその言葉はやけにはっきりと届いた。



「若頭、ひとまず次で終わりです」
「…そうか」

声をかけられ意識を過去から引き戻す。
身を起こせばまだ車は揺れていた。
朝から暁傘下の組を複数回っていた。
御大の生誕まで一か月を切った今よからぬことをたくらむものが出ないとも限らない。
そのため若頭である俊介自らが引き締めに出ているのだった。だが、ここ最近夜に寝付けないこともあり、移動中に寝てしまっていたらしい。
隣に座る皐月に寄りかかっていたようで顔を上げれば少し嬉しそうな笑みを浮かべていた。


「……はぁ」
「若頭、疲れました?なら、ほら口開けて」
「なんだ」


いいから、と皐月は笑う。
毒でも飲ませるつもりかと言いたかったものの、皐月が自分を殺すはずはないとわかっているからこれ以上しつこく言われないようにおとなしく口を開けた。
ころん、と小さな飴玉が口にいれられた。甘ったるい苺の味が広がる。

「この前出入りの業者の子どもがくれたんです。彼のお気に入りだそうで。うまい?」
「甘い」
「飴玉だしね」

カラコロと口の中で転がして溶かす。そう大きくはないため次の場所に着くまでには食べきれるだろうと判断した。

「俊…」

小さな声で皐月が呼ぶ。
自分たちだけではない。運転手ももちろんいる。
車は狙撃に備えて防弾仕様ではあるし、運転席とも隔たりがある。ほかの組員の手前、名前を呼ぶとは何を考えているのか。
眉を寄せにらみつければ皐月の手が自分の顔に触れた。


「皐月…」
「俺も舐めさせて」
「だめに決まってるだろう」
「いいじゃん。俺も舐めたくなった」

拒絶をしたのもつかの間皐月は俊介と唇を合わせた。シートベルトのせいで抵抗がしにくい。
昨夜のように皐月の舌は俊介の唇を割って入り、苺の飴をなめる。一度皐月の口へ取り込まれた飴は再び俊介の口へと戻ってくる。

「ふっ…ちゅ……あー甘い……俊の唇やわらけー…」
「お前…こんなところで…!」
「俊の舌も柔らかくて肉厚で……でも、口の中狭くて…ここに俺の突っ込んだら気持ちいいかな…」
「っ!!!」


がりっと手に爪を立てられた。痛みに眉を寄せてから体を放す。
己が口づけたせいで俊介の口元に垂れた涎を指先で拭い、さらにそれをなめる。俊介は赤い舌を凝視してしまった。

「なぁ、俊…楽しみにしておけよ?昨日言った通り、今夜も行くから」
「馬鹿なことを言うな」
「馬鹿じゃねぇし。それに…」



俊介が自分のそばではなく、別の遠い場所に行ってしまうのだけは避けたい。


無理だ。彼がいなくなるのは想像もつかない。
座席に座りなおした皐月は俊介から視線を外して窓の外を見た。猶予は一か月しかない。
ならば何度も抱いて俊介の心の壁を突き崩す他ないのではないだろうか。抱いたところで果たして素直になるかどうかはわからない。
どうしてか俊介は皐月に対して壁も溝もあるような気がしているのだ。


「若頭…今夜のごはん何がいいですか。今日は若頭もめちゃくちゃ頑張ったし何か好きなものを」
「必要ない」

皐月の言葉をぴしゃりと跳ね除けて返答すれば車が止まる。シートベルトを外し、外に出る。
皐月もそれを追いかけて外に出た。


「…おや、若頭と若がそろっていらっしゃるとは珍しい。今は生誕祭の準備で忙しいと思っていたのに」
「忙しいからなおのこと様子を見に来た。こちらが見て見ぬふりをして余計なことをされても困るのでは」
「はて、余計なこととは?」
「言葉の意味のままだよ。生誕祭に乗じて御大だけじゃなくて若頭も襲っちゃおうぜーなんて考えられたら困るんだよ。俺の若頭に手を出すなって釘を刺しにきた」

俊介の言葉の前に皐月が告げた。
俊介と、車を運転してきた組員が同時に皐月へと視線を移した。
目の前にいる傘下足立を率いる男は一瞬呆けた顔をするもののすぐに大きな声で笑い出す。
何を言っているのかということのようだった。


「この馬鹿は放っておいて…浮かれている組員が少なからずいることは知っている。引き締めろ、ということだ。毎年毎年、どこかの組が抗争を起こして処罰されているのはお前でも知っているだろう。同じ目にあいたくなければ、より一層引き締めをしておけ」


それだけを言い放って俊介は再び車に乗り込んだ。
皐月はこぶしを握り締めて震えている男へと視線を寄こす。




「釘は刺したぞ。俺の目があるうちは…御大はもちろん、若頭にも手は出させねぇ」
「……男狂いの跡継ぎを持つ御大の身にもなってみるんだな」


ぽつりと聞こえた言葉に皐月は車のドアにかけていた手を放した。
車の中で俊介が動くのが見える。

「その無駄に回る口も閉じられないのなら閉じさせてやろうか」
「今ここでやるというんですかな?言葉のままでしょう。御大や幹部の前で若頭にならないと言い放ったばかりか、そこにいる女にも男にも興味を示さない男の尻ばかり追いかけて…これが男狂いと言わずになんというんです」
「俊介のケツ追いかけているのは否定しないけどな。仕方ねぇじゃん。俺、こいつのことずーっと好きだし。お前にぎゃーぎゃー言われる筋合いなんてかけらもねぇんだよ」
「皐月」


静かな声が二人の間に割って入った。
車に乗ったままの俊介は窓を開けて皐月を見上げている。その目に引き寄せられるように振り向いた皐月はため息をついた。
ちらりと足立組の男を見てからそれ以上何も言わずに車へと乗りこんだ。


「俺の側近が悪いことを言ったな。だが…口は禍の元にもなるというのは知っておくといい……これはお前のようなものが相手にしていいものではない」

俊介はそう言葉を残して窓を閉めた。
走り出す車を憤怒の形相で見送る男は身を翻し己の組へと向かって行った。



「皐月」
「…謝らない」


車の中、皐月と俊介の間に重たい空気が流れた。
皐月があの男に告げていた言葉が聞こえなかったわけでもない。男が皐月に言った言葉ももちろん聞こえていた。
俊介はため息をついた。どうして皐月はこうも自分に執着するのかわからない。
皐月が若頭にならないと言い放ったのは確かで、幹部たちも絶句していたのを思い出す。自分よりも俊介のほうが才能もあり、人望もある。ならば自分はその俊介の元で側近として動きたいと言ったのだ。
当時幹部とはいえど末端に位置していた俊介はその場には居合わせなかったがすぐに御大から呼び出しを受け、事の次第を聞いて絶句したものだ。

「謝れというんじゃない。時と場をわきまえろというんだ。お前が何を言おうが俺は関与するつもりはないが、お前が御大の跡をついたとき、味方がいなくなったら困るだろう」
「味方なんて…」
「いらないとは言わせない。関東一帯の裏を支配する暁の頭に味方がいなければ簡単に組織は瓦解する。ましてや幹部たちにも何を言われるか…」
「それは…」
「……皐月、お前が何をしたいのかはわからないが、いい加減子供じみたことは止せ」

話しは以上だ。そういうかのように俊介は皐月を意識から追い出した。
ふたたび車の中を沈黙が支配する。本家に帰っても同じだった。俊介はさっさと御大に報告に行ってしまい、皐月は置いていかれる。
若頭つきの側近とはいえ、報告に一緒に行く必要はない。とぼとぼと己の部屋に戻った皐月は棚から小さな瓶を取り出した。
薄桃色の液体が入るそれを見つめて、どうしたものかと思案する。
時間がないことばかりで焦ってしまう。
己の唇に触れて、昼間車の中で味わった俊介の唇の感触を思い出した。ぞくぞくと背中を駆け上がるものがある。
昨夜は彼の体をみて動揺してしまったが今夜はそうはいかない。瓶を握りしめ、ポケットに忍ばせると夜が更けるのを待つ。



「皐月、若頭のところに行くのか」
「皐月様、命じられていた仕事を終えました」


夕飯をとりおえ、部屋を出て少し庭を歩いていけば声がかかる。
市居と常盤が立っていた。
常盤は腕にファイルを持っている。耳にかかる位置できれいな黒髪を切りそろえ、邪魔になる前髪はいつもピンで留めている。少し切れ長の瞳は皐月を見てほころんだ。

「あぁ、悪いな。どうだった」
「皐月様のおっしゃる組を調べ切りました。武器の調達、人員の整備を行っていたのは三組、足立もそこに入っています」
「そうかぁ…完全やる気満々じゃねぇか」
「毎年のことではあるけど、よくやるよなぁ…」

市居がため息交じりに告げた。常盤が傍らでうなずく。


「"御大の生誕祭の日、御大の命を取ったものが次の組を率いる頭となる"だっけ?よくよく考えると肝が座ってるなぁって思う」
「何でそんなことを言いだしたのか不思議でなりません。毎年つぶされる組もあるのに、それでもまだやろうとするなんて」
「短慮なんだよなぁ、そういうやつらって」
「楽しんでるんだよ、うちのおやじは」


常盤の頭を撫でながら皐月は告げた。常盤は嬉しそうにほほを染めて皐月を見上げる。

「市居、常盤、いつもありがとな?」
「いいえ、とんでもない!皐月様のためならばなんだって…その…夜も……」
「常盤、その気持ちは嬉しいけどいつも答えられなくて悪いな」

頬を染め口ごもる常盤を見て苦笑した皐月は触れるだけのキスをその赤いほほにした。
目を丸くする常盤を見て、かわいい、と言えばより一層常盤は赤くなる。
市居は大げさにため息をついてから手を振った。


「皐月、若頭は」
「今から行ってくる」
「今度はうまくいくといいな?」
「抱けたとしても、あいつが落ちるかはわからないさ」


おやすみ、と皐月は俊介の部屋へと向かって行く。
常盤は少し寂し気な顔をして見送った。

「お前もわかってるだろ。あの人の心は永遠に若頭のものだって」
「わかってる。俺なんて入る隙もないさ。でも…夢ぐらい、見たっていいだろ」
「……そんな夢で幸せか」
「少なくとも今はね。皐月様の役に立てることが嬉しい。だから一層お前に負けたくないとも思う」
「俺だって」

寝るか、と常盤は身を翻す。
負けたくないのは自分も同じ。叶うはずのない恋心を抱くことすら同じである。
市居は、貧乏くじ引きやすい体質だなぁ、とつぶやきながら常盤のあとを追いかけた。しかし一度足を止めると皐月が歩いていったほうを振り向く。
二人がどうなるかは神のみぞ知るというところか。願わくば丸く収まってほしいと思いつつ、あと少しだけ常盤のために結ばれないでほしいとも同時に願っていた。
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