クローバーの指輪

兎杜唯人

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若頭とその側近の話

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『しゅんちゃん、これあげる』
『…おや、指輪ですか』
『しゅんちゃんのことが大好きだから俺が大きくなったらお嫁さんにするの。その約束だよ』
『そうですか……これ、俺も作れますか』
『教えてあげる!…でも誰かにあげるの?』
『あなたが俺にくれたので、俺からあなたにもあげます。約束の証です』



幼い時の口約束だった。
それでも後生大事に俺はその指輪を持っていた。
もう色あせて干からびて、触ればきっと崩れてしまうほどに時間は経ってしまったけれど、まだその約束は時効を迎えていないと思っている。
彼はきっと、そんな約束なんて忘れているだろうけど。




「おはようございます、若頭」


声をかけて中から何も返事がなければそのまま障子を開ける。
布団が一組あるだけの部屋。
いると思っていた布団に姿はない。
どこにいるのかと視線を動かせばすでに身支度を終えて立っていた。
皺ひとつないスーツをまとい、右手には黒い皮の手袋をつけている。
こちらを振り向いた瞳は青、日本人離れした細い顔立ちをしているが正真正銘の日本人であることを知っている。
オールバックに整えられた髪は混じりけの一切ない黒、右目に前髪がかかり瞳を隠してしまうのが惜しいと思っていた。



「……動いて平気なんですか」
「なんのことだ」


部屋に入りそばに近寄った。
自分よりも少し下にある顔を見つめる。指先で顎の下に触れれば体が震える。
口を耳元に寄せた。
柔らかな耳たぶに光る赤いピアスを舌で舐め、それから囁く。

「昨日、俺の下であれだけよがったのに、腰、痛くない?若頭」

一瞬で耳が赤くなる。同時に振り上げられた手が自分のほほをたたく前に手首をつかんで動きを止めてしまう。
苛立ちを含んだ瞳が自分を見つめれば背筋が震えた。
昨夜もまた、彼は自分の下で淫らな声を上げていた。
鍛えているだけあって、無駄な贅肉などかけらもない体は引き締まり、筋肉質であるため決して抱き心地がいいとは言えない。
しかも自分とさして変わらない背丈である。
女性であればその特有の柔らかさを堪能することもできただろうが、それは味わうことはできない。
だが、自分を咥えこんだその部分は女性などもう抱くことができないほどに心地よかった。


「それとも何度目かになると慣れる?」
「その口を閉じろ、汚らわしい」


ぴしゃりと跳ね除けられてしまう。苦笑して、すみません、と謝ってからともに部屋を出た。
廊下を歩いていけば外面のよろしくない男たちが頭を下げていく。
彼の後ろについて歩きながら一番広い部屋へとたどり着けば立ち止まる。
自分は入ることを許されていない。だが、縁側で待つことは可能だった。




「いってらっしゃいませ、若頭」
「あぁ」


短く言葉を返して目の前でぴしゃりと障子が閉まった。
肩をすくめて部屋から少し距離をおいた場所に正座をした。
そこからは庭が一望できる。
時折野太い声が聞こえてくるが朝の鍛錬でもしているのか肉を打つ鈍い音もかすかに混じっていた。
しばらくして背後の部屋の中から一糸乱れぬ声が聞こえてきた。日課の挨拶だろう。
いつもと変わらぬ日が始まる。


「おや、皐月ぼっちゃん、また若頭待ちですか」
「河嶋、ぼっちゃんはやめろ。一応もう成人してんだ」
「それはすみません」
「…お前がここにいるなんて珍しいな」


庭に立ち、竹箒で落ち葉を掃く男は笑った。
その顔の左には引き連れたような傷跡がある。左目にまで至る傷跡がはるか昔のものであることも、できたわけも知っている。
普段彼はこの場所のより奥深くにいた。昼間表に出てくることは殆どないと言っていい。傷跡を見られたくはないと思っていたが違うらしい。


「今日は曇りですから、少しは」
「またその傷は痛むのか…日に当たるとひどいと聞いたが」


彼の傷ができたのは今より二十年近く前、この近所であった抗争によるものだと聞いた。
傷そのものはすでに治っているが跡は残ったし、日にあたると痛むらしい。
うなずきながらも少しばかり照れたように河嶋は笑う。

「皐月様の父上であり、この暁を率いる御大を守れましたのでこれしきのこと。それにこの奥に住まわせてもらいながらも組の手伝いができます。それを考えると痛みなどあってないものでしょう」


河嶋の話を聞きつつ、誰も見ていないのをいいことに足を崩してあぐらをかいた。そして膝に手をおいて河嶋をただ見つめた。



暁、それが名前だった。場所の名前であると同時に関東に広く支配圏をもつ極道の一家をも示す。
現在のトップは六十代であるにもかかわらず今もなお精力的に支配圏を拡げていた。


「…そろそろ次の会合だろ。俊が忙しそうで見てられない。無理やり寝かさないと朝まで仕事している」
「若頭は色々と期待を背負われてますから」
「俺があとを継がないと言ったから親父の期待があの肩に乗ったんだろうな」
「そうでしょうね」


大きなため息をこぼす。
本来ならばあの部屋にいて、若頭と呼ばれていたのは暁の名を持つ自分だった。
だが、今現在若頭と呼ばれているのは暁の名を持たぬ男である。
長く恋い焦がれた男に仕えられるのならばそれでいいと思っていた。
かつて自分のせいで、彼に癒えることのない傷をその体に負わせてしまった。
気にしなくていい、と彼は言った。だが気にしないなんてことができるはずもない。
誰にも頼れるはずのない彼に頼ってほしかった。だから無理強いをした。


暁皐月は暁組若頭の村藤俊介を抱いた日を思い出した。
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