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第33話 「トシキィィィィィィィィィィィィィィッ!」

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「トシキィィィィィィィィィィィィィィッ!」

 こっちの躊躇を見てとったか、ミツが奇声を発しながら突っ込んでくる。
 俺は頭が真っ白で、その突撃に咄嗟に反応できなかった。

「橘君!」

 という、音夢の声に俺はハッとして、反射的に収納庫から取り出した盾を構える。
 アルスノウェで数えきれないくらい奇襲を受けた経験がここで生きた。が、

「ぐっ、……ッ!?」

 だが、そんな防御に意味などなかった。
 ミスリル銀とドラゴンの鱗を素材とする盾が、ミツの一撃にひしゃげて割れる。

 俺は、床と水平に引き飛ばされた。
 ニュートンの振り子のように、ミツの持っていた運動力をそのまま渡された。

「ク、ソッ!」

 このままでは、先週と同じように外に投げ出される。
 そう思った俺は強引に身を捻って、片手を床に叩きつけた。

 柔道の受け身と同じ要領だ。
 叩きつけによって体に帯びる慣性を相殺し、余った威力で俺の身は宙に浮く。
 そこでまた身を捻って、俺は床に着地した。

「さすがに先週の二の舞にはならないね、トシキ」
「ミツ……」

 俺はミツを呼ぶが、しかし、そこから言葉が続かない。
 今の一撃は体が反応してくれたからいいものの、依然として激しく動揺している。

 意識の三割ほどは冷静だ。
 その冷静な部分が、警鐘を鳴らし続ける。このままでは嬲り殺される。

「フフッ、ハハハハ! トシキ、トシキィィィィィィ!」

 ミツが、再び襲いかかってくる。
 その顔には悦に歪んだ狂喜の、そして凶気の笑み。だが、真っすぐは来ない。

「――ッ、く!」

 思わず呻く。ミツの動きが予測できない。
 速く鋭いだけでなく、不規則にステップを踏んで捉えにくくさせている。
 俺は右手に聖剣を掴み、後退しながら何とか対応する。

「どうしたんだい、随分と消極的じゃないか! なぁ、トシキ!?」

 無遠慮に突っ込んでくるミツが、俺に殴りつけてくる。
 この拳が、また小癪。一発一発軌道が違う上、その全てが急所を狙ってきている。

 まだ、冷静さを取り戻せていない俺は、必死になって聖剣の腹で受け止める。
 すると、手首に負荷がかかって、手がしびれてきた。拳のしなりが尋常じゃない。

 ミツは肩と肘と手首とを強引に捻じり、腕を鞭のようにして打っている。
 こうした打ち方は、ただのパンチよりも衝撃が伝わりやすい。

 防いでいるうちに腕がジンジンと疼き始めた。
 不味い。追い込まれる。
 俺の中で焦りが加速していく。全身が、じっとりと汗にまみれた。

「一方的だなぁ、トシキ。もう殺していいかい? 君を殺したら次は音夢だ!」

 音夢を殺す。
 その言葉が耳に入ってきた瞬間に、俺の意識は沸騰した。

 感情が形を成さないままに膨張して、絶叫しかける。
 しかしその前に、一片だけ残った俺の冷静な部分が一つの決断を下した。

「……おや?」

 ミツが、俺から一度距離を取った。
 乱打に押し込まれつつあった俺はそこで体勢を立て直して、ミツと向かい合う。

 腕、足、胴、頭。
 俺の全身は無限収納庫から転送した純白の武装に包まれていた。

「――その姿はもしかして『戟滅戦仕様カーネイジ』?」

 どういうワケか、ミツはこの姿を知っているようだった。
 この姿になる前の俺なら、それもまた動揺の材料になっていただろう。

 しかし『戟滅戦仕様』になると、スイッチが切り替わり余計な思考をしなくなる。
 もう、俺にとってミツはダチではなく、戟滅するべき対象だ。

「冷たい凄みを感じるよ、トシキ。殺気はないクセに、まぶたを閉じられない状態で眼球スレスレのところに氷の針を突きつけられたような、そんな凄みだ。怖いね」

 饒舌に語りながら、だがミツの顔は笑ったままだ。
 しかし、俺はそこに乗ることはしない。ミツを見たまま、意識は別の部分に注ぐ。

 肩、腰、つま先。
 およそ『行動』と呼べるものの全ては、この三カ所から開始される。
 それら動きの『起こり』さえ視認できれば、ミツ程の速度といえど対応はできる。

「……嗚呼」

 ミツが、笑ったままの唇から熱い吐息を漏らした。

「感無量だよ、トシキ。君は今、僕だけを見てくれているんだ。音夢よりも、僕を、この僕を、この三ツ谷浩介だけを、橘利己が見てくれているんだ。ああ、ああッ!」

 漆黒の肌ではわかりようもないが、それを叫ぶミツの頬はきっと紅潮していた。
 俺はそれに何も思わない。抑揚のない平たい声で、ただ告げる。

「――来い」
「ああ、行くとも!」

 誘う俺と、張り切るミツ。

「やめなさいよ、二人とも!」

 音夢が必死になって叫んでくるが、その声はミツには届かず、俺にも遥か遠い。
 ミツが動く。その『起こり』は腰。上体を前に傾け、走り出そうとする。

「見えている」

 俺は、それよりも刹那分だけ速く動いた。
 武術でいうところの『対の先』。相手の動き始めに合わせたカウンター行動だ。

「フハハッ、合わせてくるんだ。すごいね!」

 右上段からの片手袈裟切りを、だが、ミツは驚嘆しつつ左手の甲で受けて捌く。
 聖剣の腹に当てた手をそのままクンと下げて、軌道が逸らされてしまう。

「次は、こっちの番だよ、トシキ!」

 声と共に、ミツの姿がブレて消えた。
 風がマントをはためかせる。一瞬で、ミツは俺の右斜め後ろに回り込んでいた。

 そちらを向こうとしても、受け流された右腕が邪魔で咄嗟に振り向けない。
 それを見越して、ミツは俺の一撃を弾くのではなく捌いたのだろう。

「隙だらけだよ、トシキィ!」
「――焔戟ブレイズ

 殺気を漲らせるミツに、俺は無詠唱で火属性魔法を発動。
 突然の爆炎にさすがに驚いたらしく、ミツは「チッ!」と舌打ちをして一歩退く。

 俺は、そこへ一歩踏み込んだ。
 聖剣を両手で掴み直し、腰をグルンと回しての大振りの横薙ぎ。

「フフッ!」

 しかし、ミツは軽やかにバックステップをキメて、その一閃をギリギリでかわす。
 漆黒の瞳が、これでもかというほど見開かれている。

「楽しいね、トシキ! これまでそんな本気の殺意、君から向けられたことがない。だから嬉しいんだ、トシキ。僕を殺すために、君が僕だけを見てくれることが!」
「そうか」

 ミツの長広舌に付き合うつもりはない。
 俺は最低限の反応だけを返し、またミツへと切りかかった。

 極限まで感情が削ぎ落とされた状態で、俺は現状を分析する。
 今のミツの速度と攻撃力は『戟滅戦仕様』の俺と完全に比肩しうるものがある。

 しかも、ミツの動きにはほとんど無駄がなく、生物的だ。
 機械的な精密さで動いている俺に対して、ミツの動作には直線が存在しない。

 流れるような動き
 という言葉があるが、ミツの動きはまさにそれ。

 狙うべき一点へ最短で迫る俺と、対照的に一か所に留まらず流動し続けるミツ。
 川の流れか、蛇の這いずり。
 それらを思い起こさせるミツの動きは、狙う側としては非常にやりにくい。

「フハハハハハハハハ、アハハッハハハハハハハハハハハハッ!」

 笑いながら、ミツが攻勢に転じる。
 こいつの攻め方は合理的だ。決して真っ向からは来ず、常に死角を狙おうとする。
 しかも一つの動きに幾重にもフェイントをかぶせて、こちらを惑わせに来る。

 フェイントの多用や死角狙いは、本来、力に劣る者の戦い方だ。
 技巧を凝らし、工夫を重ねて、そこに生じるわずかな隙から一点突破を狙う。
 その戦い方を、圧倒的な速度と膂力を有するミツが行なっているのだ。

 強い。
 単純に強い。

 アルスノウェで戦った敵の中でも、ここまでの敵はそうはいなかった。
 魔王城に陣取っていた魔王軍の中核戦力と同格。――いや、あるいはそれ以上か。

 そして、何より――、

「アハハッ、ハハッ、ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ! トシキ、トシキ、トシキィ! トシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキトシキ! トシキィィィィィィィィィィィィィィィィィィ――――ッッッッ!!!!」

 殺意。
 炎よりも熱く、氷よりも冷たく、刃よりも鋭く、針よりも尖った殺意が俺を衝く。

「僕だけを見てくれ、トシキ! 他の誰も見ないでくれ。僕を、僕だけを! 世界でただ一人、僕だけを見てくれ、トシキ! なぁ、トシキィィィィ――――ッ!」
「うるせぇよ、ミツ」

 俺とミツは、刃と拳を交えた。
 互いの体に触れるのは最低限に留まって、切って、避けられ、打たれ、避けて。

 時間にすれば、まだ開戦から一分も経っていない。
 だが、その一分は体感にして一日にも等しい。それだけの、濃密に過ぎる戦いだ。

 互いに疲労は蓄積して、確実に消耗しつつあった。
 だが、ミツの動きは鈍らない。それどころか鋭さを増しているようにも思える。

「楽しいなぁ、トシキ! この時間が永遠に続けばいい! 心からそう思うよ!」
「そうかよ」

 互いに、まだ傷一つ与えられていない。
 しかしその傷一つで、完全に互角のまま保たれている今の均衡は破綻する。

 一度でも相手からダメージを受ければ、即敗北、即死亡。
 この一分、俺とミツが繰り広げている戦いは、そうしたバランスの上にあった。

「――――ッ!」

 外野の音夢が、瞳を涙に潤ませて何かを叫ぶ。
 だが残念ながら、その声は俺達までは届かない。聞こうとした瞬間、死ぬ。

 戦いの余波によって、市長室は廃墟同然にまで荒れていた。
 未だ崩れていないのは、それだけ市庁舎が頑丈に設計されているからだろう。
 そして――、

「ッハハハハハハハ!」
「…………」

 数十秒続いた俺とミツとの攻防に、やっとインターバルが入る。
 俺達は同時に後方に跳んで、大きく間合いを空けた。

「フッ、フゥッ、フゥ! フフ、フフフフッ! ハハッ!」
「――フゥ」

 ミツは笑っていた。
 それは、高校時代には見たことのない、心の底からの明るい笑みだった。
 今が楽しくて仕方がないというミツの本心が、そのまま顔に現れているようだ。

「楽しいなぁ、トシキ。ああ、本当に楽しいよ!」
「……ミツ」

 俺は、兜を脱いだ。
 すると、俺の顔を見たミツが、その笑顔を崩す。

「トシキ、何で泣いているんだい?」

 ミツの言う通り、俺は泣いていた。
 俺は、あふれる涙を止めることもできないまま、霞む視界でミツを見る。

「何でだよ、ミツ」

 涙ながらに問う。その声は震えていなかった。

「何がだい? 今さら、この戦いの理由を僕に問うのかい?」
「違う」

 きっぱりかぶりを振って、俺はミツへと問いを重ねた。

「何で、そんなに強くなっちまったんだよ、おまえ」
「何だって……?」

 ああ、何てこった。何てこったよ。俺の中で悲嘆が渦を巻いている。
 音夢は絶対殺させない。ミツは俺が止める。
 だが、そのために俺が取れる手段は、もうたった一つしかなくなっちまった。

「ルリエラ」

 俺が呼ぶと、市長室の破れた窓の向こうから白い小鳥が飛んできた。

『わたくしを呼びまして、トシキ様』
「ああ。何で呼んだか、わかってるよな?」
『ええ、もちろん。ですが、よろしいのですね?』

 ルリエラが俺に確認してくる。
 俺はそれに、涙を流し続けながらも、強くうなずいた。

「シンケンを使う」
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