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第六章 愛と勇気のデッドリーサマーキャンプ

第109話 初日/温泉/水着があるからこそ許される温泉の話:後

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 ケントが気絶していた時間は、ほんの一分もなかった。
 気がつけば、彼はどこかに寝させられていた。

「……ぅ――」

 意識がほんのり目覚め、耳に音が入るようになる。
 すると聞こえるのは、一緒に風呂に入っている二人の声。

「なぁ、なぁ、大丈夫か? ケントしゃん、大丈夫……?」

 タマキは、不安に声が震えていた。
 いや、これは怖がっている声だ。何てことだと、ケントは驚いた。
 自分が彼女を怖がらせてしまうなんて……。

「大丈夫、すぐに目を覚ますわよ。だからそんな泣きそうな顔をしないの」

 次いで、真理恵の声が耳に届く。
 ああ、こちらはしっかりしている。しっかりと環も気遣っている。
 自分を信じてくれている。それだけでなんて心強い。

 ――とはいえ、このまま寝ていても二人に心配させるだけ。

「う……」

 小さく呻き、ケントはゆっくりまぶたを開ける。
 起きて、自分が大丈夫なことをちゃんと伝えないといけない。そう思っていた。

「ケントしゃん!」
「賢人君!」
「ぅ、あ、二人とも、す、すいませ――」

 ケントの声が途中で止まる。
 目を開けたら、視界の左右を二人の顔が占めていた。

 右側には、菅谷真理恵。
 左側には、タマキ・バーンズ。

 どっちも風呂から出てケントを介抱していたらしく、間近で顔を覗き込んでいる。
 近いよ、近い。すごく近い。二人の吐息を鼻先に感じられるくらいに、近い。

「え、あ、う、お……?」

 眼前にある天国の如き光景に、ケントは日本語を忘れた。

「ケントしゃん!」

 タマキが嬉しそうに笑うが、その瞳にはうっすら涙が浮かんでいる。
 それを見た瞬間、ケントの脳内に嵐が吹き荒れた。自殺願望を確かに自覚した。

 お、お嬢を泣かせちまったァァァァァァァァ――――ッ!?

 罪悪感と罪悪感と罪悪感が徒党を組んで押し寄せてくる。これは勝てない。

「賢人君、大丈夫? 痛むところはない? まずは深呼吸をして、ゆっくりよ」

 一方で、真理恵はまだ安心していないようだった。
 真剣な面持ちでこっちを見て、指示をくれようとしている。安心できる。

 ああ、楽な気分になれる。
 真理恵に従い、身を委ねることで、こんなにも気分は穏やかになっていく。

「ぁ~、大丈夫です。はい、深呼吸ですね、わかりました……」

 眼福すぎる光景は心臓に悪いので一度目を閉じて、ケントは深呼吸を繰り返す。
 風呂から出てまだ熱が残る体が、少し落ち着いた気がした。

「ケントしゃん……」
「いや、すいません。お嬢。もう大丈夫ですから」
「ホント?」

 タマキは、まだ泣きそうな顔のままだ。
 それがまだケントの心に罪悪感の刃を突き立てて、息が一瞬詰まりそうになる。

「マジで大丈夫っす。せっかくのお風呂なのに、お騒がせしました」

 努めて平静を装いつつ、ケントはタマキの頭を撫でた。
 すると、彼女の表情はパッと明るくなって「うん!」と元気よくうなずく。

「よかった~! ケントしゃ~ん!」

 そして抱きつかれた。

「うぉっほ!?」

 ケントが、のどの奥から変な声を漏らす。
 当然の話だが、今、二人は水着姿であって、ケントなどは上半身裸だ。

 だから、よりダイレクトに伝わってしまった。
 タマキの、その大きな胸の感触が。
 瞬間、またしても脳髄が沸騰し、ケントの意識は昇天してしまう。

「あ、あれ、ケントしゃん? ケントしゃん!?」

 ぐったりするケントに幾度も呼びかけ、タマキがさらに強く抱きしめた。
 つまり、タマキのおっぱいがもっと強く押しつけられるということだ。

「ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~~~~……」

 お年頃の中坊にとって、これはもはや拷問だ。幸福という名のオーバーキルだ。

「何してるの、環さん!? 彼、のぼせて倒れたところなのよ!」

 違うんです、違うんです。
 のぼせたワケじゃないんです。確かに血圧は急上昇しましたけど違うんです。

 そう釈明したいところではあったが、いかんせん体が動かない。
 いや、具体的に述べると、少しでも長くこの感触を感じたいので動きたくない。
 どれだけダメージを受けようと、こういうところは健全な青少年のケントだった。


  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 タマキがションボリしてしまった。
 そんな彼女を、真理恵が腕組みしてジト~っとねめつけている。

「あの、菅谷さん、もうそのくらいに……」
「いいえ、ダメよ賢人君。環さんはメンタルが鋼よ。叩けるときに叩かないと」

 何とか真理恵を止めたいケントだが、不本意ながら同意せざるを得なかった。

「うぅ~、オ、オレェ~……」
「環さん」
「ひぅ……ッ」

 真理恵に名を呼ばれ、タマキがビクリとする。
 二度目のケントの失神は、半分意識が残っていたが、傍目にはわかりようもない。

 タマキも、二度目は自分が原因と理解しているようで、しおらしくなっている。
 だが、真理恵はそんなタマキを前にしても、怒りを緩めようとはしない。

「わかってるの、環さん。賢人君は目が覚めたからよかったけど、もしかしたら危険な状態かもしれなかったのよ? そこに、抱きついてショックを与えるなんて……」
「ううう、ごめんなしゃい……」

 いつものタマキを考えれば、本当に信じがたいほどに大人しくなっている。
 ただ、ケントとしても別に怒っているワケではない。

 むしろ、こんな風にうなだれるタマキはあまり見たくないのが本音だ。
 だが、真理恵が厳しい態度で臨んでいる。

 それはケントを心配してのことなのだろう。
 真理恵の気遣いと怒りが嬉しく感じられもするため、賢人も強く出られない。

「ねぇ、環さん。あなたが賢人君のお友達なのはわかるわ。仲がいいことももう十分に伝わってるわよ。でもね、賢人君はまだ中学生なの。それはわからない?」
「……わかる」

 唇を尖らせ半べそをかいている状態だが、ケントのこととなるとタマキは素直だ。
 こんな状況、ケントこそ申し訳なくなる。彼は真理恵におずおずと声をかける。

「あの、菅谷さん、俺はもう本当に大丈夫ですから……」
「賢人君」

 名を呼ばれ、真理恵に真っすぐ見つめられてしまう。ドキリと胸が跳ねた。

「あなたが優しいのは知ってるわ。でもね、そういう性格だから環さんに強く出ることができないのは、違うわ。それじゃあ、今みたいにあなたが辛い目に遭うわよ?」
「うぐ……」

 自分が辛い目に遭うのは別にいい。そこはどうでもいい。
 だが、タマキに強く出られない部分を指摘されると、ケントも言い返せなくなる。

「大体、何で賢人君の方が気を遣っているの? 年上は環さんなんだから、環さんが賢人君の面倒を見てあげるのが筋なんじゃないかしら。って、私は思うけど……」
「それについては、本当に何と言えばいいのやら」

 菅谷真理恵には『出戻り』については口外しないこと。
 それは、アキラから通達されたことだ。タマキですらしっかりと守っている。

「環さん、あのね」
「な、何だよぅ……」
「お願いだから、もう少し賢人君に優しくしてあげて。この子は、守られる側なの」

 言われた瞬間に、ケントの胸の奥がズキリと痛んだ。
 やっと収まりかけていた黒い熱が、少しだけ大きさを増したように感じた。
 だが、それを知る由もなく、真理恵は言葉を続けていく。

「賢人君はね、ご家庭の事情もあって甘えられる相手がいないの。あなたが彼のお友達だっていうのなら、その辺りをもう少し考えてあげてくれないかしら。私も至らない部分がったら言ってほしいわ。私だって、賢人君には安心していてほしいもの」

 真理恵の、落ち着いた声音での、配慮に溢れた説得。
 それはケントに黒い熱を思い出させたが、同時に感動も呼び起こすものだった。

 菅谷真理恵は正義の人だ。
 ケントは、それを改めて思い出した。そして、尊敬の念を新たにする。
 だが、言われたタマキは――、

「何それ、ヤダよ」

 全否定であった。

「え……」

 これには、真理恵も絶句する。
 だが、それまでシュンとなっていたタマキは態度を一変させて、口を開く。

「何だよそれ、ふざけんなよ。菅谷真理恵! おまえ、ケントしゃんを弱いヤツみたいに言うな! ケントしゃんはスゴいんだぞ! オレなんかよりずっとずっと、スゴくて強いんだ! そんな、弱虫みたいな言い方するな! 失礼なんだよ、おまえ!」
「環さん……」

 真理恵は言葉を失っていた。ケントも何も言えなかった。
 これまで、はしゃいで暴れることはあっても、決してネガティブな感情は見せてこなかったタマキの、突然の激昂。それを前に、二人は揃って固まるしかなかった。

「ケントしゃんは今は年下だけど、でも、でも――、オレを守ってくれるんだ!」

 怒っていたタマキだが、その言葉だけは、本当に嬉しそうな笑顔で。
 だけど、その笑顔にケントの胸はまた痛みを増す。何でだよ、と、自分でも思う。

「賢人君が、環さんを守る? 逆、じゃなくて?」
「そうだよ! ケントしゃんがオレを守ってくれるの! だろ、ケントしゃん?」
「え、そ、そうなの、賢人君……?」

 満面笑顔のタマキと戸惑いを浮かべた真理恵が、ケントのことを見る。
 一体、この状況で何と答えろと言うのか。もう何度目かもわからない窮地だった。

「お、俺は……」

 追い詰められて、小さく呻く。何と答えるのが正解なのか。
 真理恵の言い分に乗って、タマキの言葉にかぶりを振るべきなのか。
 それとも、タマキの言い分にうなずいて、真理恵に強がって見せるべきなのか。

 わからない。どうにも、判断できない。
 あまりに色々ありすぎたせいで、頭の中は真っ白で、何だかムズムズもして――、

「…………ッッくしょん!」

 くしゃみが出てしまった。
 それを見た真理恵がハッとして、

「いけない、長く外に出過ぎていたわね。話はあとにして、お風呂に入りましょ」
「う~、そうする~、すっかり冷えちゃったぜ。夏でも風はちめた~い」

 辺りはすっかり夜。
 気温はそこそこあるけれど、そこに風が加わればやはり体は冷える。

 三人は、体が冷め切る前に改めて露天風呂に使った。
 冷えかけた体に、熱が染みていく。心地よくてケントは「はぁ」と息をついた。

 そこにタマキが近寄ってきた。
 ちょっとうなだれて、元気なさげである。

「あの、ケントしゃん……」
「お嬢?」
「ごめんね、オレ、調子に乗って、ケントしゃんに……」

 ここでちゃんと反省できるのが、タマキ・バーンズのいいところでもあった。
 ケントは彼女に笑いかけて、軽く頭を撫でた。

「大丈夫っすよ、あのくらい。どってことないっすから」
「本当? 本当に大丈夫?」

 撫でられたタマキは、だがまだ不安そうに上目遣いで彼を見ている。
 それが「うっわ、可愛いッ!」なケントだが、さすがにそれは表に出せない。

「マジっす、マジ。だからそんな顔せんでくださいよ」
「……うん!」

 言われたタマキはまた笑顔になって、大きくうなずいた。

「やっぱりケントしゃんだね、ケントしゃんはスゴくて、強いんだ!」
「いや、俺はそんなスゴくねぇし、強くもないっすよ」

 それは、タマキには謙遜にしか聞こえなかっただろう。
 だがその言葉は、今のケントにとっては、ただの本音でしかなかった。

 ――黒い熱が、彼の胸をジリジリと焦がし続けていた。
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