笑顔の花は孤高の断崖にこそ咲き誇る

はんぺん千代丸

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30 ルリカの日記

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 私が感じたそれは、間違いなく怒気でした。

「読む必要はない」

 これまでにない拒絶を示して、ラングリフ様は部屋を出ていこうとします。

「どいてくれ、リリエッタ。そこを通してくれ」
「それは、できかねます。ラングリフ様」

 日記帳を差し出した格好のまま、私は彼の頼みにかぶりを振ります。

「リリエッタ。通してくれ」

 わずかに語気を強めて、彼は再度頼んできます。

「いいえ、ラングリフ様。ここはどけません」

 そして私は、また首を横に振るのです。

「この日記をお読みください。お願いいたします」
「読むつもりはない」

 逆に私の方からお願いすれば、返ってくるのはやはり拒否の言葉です。
 わかっています。今のラングリフ様にとって、ルリカ様がどういう存在なのか。

「どけ、リリエッタ」
「どきません、ラングリフ様」

 彼は言葉を荒げ、私はそれに否と返します。

「読んでくださいませ、ラングリフ様」
「断る。無用だ」

 私は日記を差し出し、彼はそれに否と返します。
 しばらく、私達はそんなやり取りを繰り返しました。徐々に、熱が高まります。
 先に我慢の限界を迎えたのは、ラングリフ様の方でした。

「いいかげんにしてくれ、リリエッタ!」

 私に浴びせられる、厳しい声。
 でも、それを言う彼の顔は、激しい苦痛に歪んでいるのです。

「リリエッタ、君は俺の母がどういう人間か知っているはずだ。俺が笑えなくなったのは、あの女のせいだ。俺に呪いをかけたのがルリカという女だ!」

 叩きつけてくるような、激しい調子の言葉。
 そこに感じる強烈な圧は、彼の人柄を知る私であっても心竦ませるものです。

「俺は、母に何の幻想も抱いていない。ましてや期待など持つはずもない!」
「ラングリフ様……」
「俺にはアンジェリカ様がいてくれた。あの方が俺の母だった。それで十分だ。ルリカの書いた日記など、目にも入れたくない! そこをどいてくれ!」

 抑えきれぬ怒りを、それでも必死に堪えながら、彼は私にそう叫びます。
 内心で、私はずっと彼に謝り続けていました。

 でもそれは、どうしても自分の意を通そうとする私自身への慰めに過ぎません。
 それでも、それでも今だけは、退くわけにはいきません……!

「ラングリフ様。これを、お読みください」

 私は、両手に持った日記を、彼の前に突き出しました。
 その瞬間、ラングリフ様の瞳が、見たこともないほどに大きく見開かれます。

「リリエッタ――」

 彼は右手を振り上げました。
 私は『殴られる!』と思って、身を縮こまらせて目を閉じました。

 けれど、それから数秒経っても、何も起きません。
 ゆっくりとまぶたを開いていくと、力なく私の肩に手を置く彼が見えました。

「……できるものか」

 直前まで見せていた怒りを失速させて、ラングリフ様が苦しげに呻きます。

「どれほどの怒りに駆られようと、俺が君を殴れるわけがないだろう……。君はずるい。俺という人間を知っていて、こんな真似をする。本当にずるいよ……」
「ラングリフ様……」

 そうです。私は卑怯な人間です。それを自覚して、今、ここに立っています。

「どうしても、どいてくれないのか?」

 彼は、泣きそうな顔で、私にそれを確かめてきました。
 笑うことができないラングリフ様は、泣くまいと決めた強い人でもあります。

 その彼にこんな顔をさせてしまう。
 それだけでも、私は罪深く、愚かしいのでしょう。それでも――、

「どけません。ごめんなさい」

 謝る自分に反吐が出そうです。
 彼は、その顔をますます辛そうに歪めて、最後にこれだけ尋ねます。

「そんなにも、君は俺に苦しめというのか。母のことで、苦しみ続けろと」
「いいえ、逆です。ラングリフ様」

 私はかぶりを振って、ルリカ様の日記を胸の内に抱きしめました。

「私は、これ以上あなたに苦しんでほしくないのです。だから、どけないのです」
「何なんだ、それは……」
「これをお読みいただければ、きっとご理解いただけます」

 受け取ってもらえる。
 その確信と共に、私はみたび日記帳を彼に示しました。

「俺の母ルリカの日記か……」
「はい」

 うなずく私を、ラングリフ様が凝視します。
 私は目を逸らすことなく、それを受け止めてジッと彼の反応を待ちます。

「……わかった」

 伸ばされた手が、ルリカ様の日記を掴みました。
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