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6 私の心は死にました
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ここからが私にとって最悪の記憶となるのです。
「だがなぁ、侯爵。俺も、おまえに一方的に泥を飲めと言うつもりはないぞ」
「……それは、どういう?」
「そこに突っ立っている女の嫁ぎ先を紹介してやる。俺の弟だ」
ハッ、と、お父様が息を呑むのが伝わってきました。
サミュエル様の弟君。それは、王家にいらっしゃられるもう一人の王子。
「――まさか、リリエッタを『断崖の君』に?」
「そうだ。その呼び名を知っているのならば、アレが宮廷でどういう扱いを受けているかも知っているだろう? おかげで、なかなか相手が見つからなくてな」
お父様が呟かれた『断崖の君』の名は、私も知っていました。
殿下の腹違いの弟である第二王子で、自ら王位継承権を返上された方です。
将来的には大公位を与えられることが内定しておられます。
母君が異国の方で、サミュエル様とは違って黒い髪と瞳をお持ちと聞きます。
かの方は、生来一度も笑ったことがなく、いつも険しい顔をしているとのこと。
夜会や、公式の場に顔を出すことはあまりなく、真偽は不明ですが。
それでも常に険しい顔つきをされているのは、本当のようです。
その、他者を寄せ付けない雰囲気から貴族の方々は彼を他者に心を開かず、単身で断崖に立つ孤高なるお方――、『断崖の君』と呼ぶようになったのです。
そんな御方のところに、私を……?
「どうだ、侯爵。娘二人が揃って王家に嫁ぐのだぞ。王妃の父親という立場のみならず、そっちの女も俺のお下がりとはいえ、弟の妻になる。宮廷におけるおまえの影響力は今とは比べ物にならないものとなるだろう。おまえの時代が来るぞ」
……サミュエル様の、お下がり。
サミュエル様の一言が、私の心臓を深く深く抉ります。
けれども、誰もそれを気にかけてくれません。サミュエル様も、シルティアも。
お父様は腕を組んで深く考え込んでいるようでした。
その隣に立つ私を、サミュエル様は一瞥して、不快そうに言ってきます。
「この期に及んでも笑い続ける、か。気味が悪い女だ」
「それはさすがにひどいわよ、殿下。お姉様はそれしかできないんだもの。それしかできない人にさせられたのよ。せめて憐れんであげなくちゃダメよ」
「フン、気味が悪いという点では、弟と同じだな。むしろ似合いの組み合わせか」
殿下とシルティアの会話が、私の心を切り刻んでズタズタにしていきます。
それが終わると同時に、お父様が一歩、前に踏み出しました。
「殿下、このたびは御婚約おめでとうございます! シルティアの父として、殿下のような素晴らしい方に娘をもらっていただけることを心より嬉しく思います!」
そう言って、お父様はへりくだった笑顔でサミュエル様に握手を求めます。
当然、彼はその手を握り返して、満面の笑顔でうなずきました。
「そう言ってくれるか、感謝するぞ、侯爵」
二人は、ガッシリと強くその手を握り合っていました。
そして殿下の隣で、シルティアが明るい笑顔でそれを見てうなずいています。
……私は、何を見せられているのでしょうか?
お父様、殿下と、妹がそこにいて、独り、私だけが離れた場所で。
どうしてなのです、お父様。
何でそんな顔に嬉しそうな顔をして、殿下と手を握っているのですか。
今日は私と殿下の御目見えの日ではないのですか。
私は、今日のために、これまでお父様のもとで学んできたのではないのですか。
なのに、殿下の隣にいるのはシルティアで。
どうしてお父様はそれを認めてしまうのですか。それでは、私は? 私は……?
「……お父様」
「リリエッタよ」
私の漏らした呟きに応じるように、お父様がこちらに向き直ります。
「祝福しなさい、リリエッタ」
「え……」
「殿下とシルティアの婚約を、この場でおまえも祝福して差し上げるんだ。さぁ」
そん、な……。
「祝福して差し上げるんだ。おまえの笑顔で、二人を祝って差し上げなさい」
お父様は、これまで私に言い聞かせてきたのと同じ調子で命じてきたのです。
私は、イヤでした。
サミュエル様を私から奪った妹を祝福するなんて、イヤに決まっています。
「さぁ、祝福しなさい、リリエッタ!」
けれども、お父様は私の気持ちなんて一つも斟酌することなく、怒鳴りました。
私、は――、私の気持ちは……、
「サミュエル様、シルティア。婚約、おめでとうございます」
いつも通りの笑顔で、私は二人を祝福しました。
変わることのない笑顔で、これまで教えられてきた通りの、最高の笑顔で。
「……声の震えの一つもなしとは。よくもここまで仕込んだものだな、侯爵よ」
「恐れ入ります、殿下」
「別に褒めちゃいないがな。最初から最後まで、気味が悪い女だったな」
「仕方がないわよ。だってお姉様だもの。ね、お父様?」
「いやぁ、ハハハハ。シルティアには敵わんなぁ、全く……」
気分悪げなサミュエル殿下と、明るく笑うシルティアと、恐縮するお父様と。
目の前の三人にとって、私はたった今、過去の人間になりました。
それでも私は笑っていました。
怒りも泣きもせず、ただ笑っていました。デュッセル家の『花の令嬢』として。
――私の心は、このとき死にました。
「だがなぁ、侯爵。俺も、おまえに一方的に泥を飲めと言うつもりはないぞ」
「……それは、どういう?」
「そこに突っ立っている女の嫁ぎ先を紹介してやる。俺の弟だ」
ハッ、と、お父様が息を呑むのが伝わってきました。
サミュエル様の弟君。それは、王家にいらっしゃられるもう一人の王子。
「――まさか、リリエッタを『断崖の君』に?」
「そうだ。その呼び名を知っているのならば、アレが宮廷でどういう扱いを受けているかも知っているだろう? おかげで、なかなか相手が見つからなくてな」
お父様が呟かれた『断崖の君』の名は、私も知っていました。
殿下の腹違いの弟である第二王子で、自ら王位継承権を返上された方です。
将来的には大公位を与えられることが内定しておられます。
母君が異国の方で、サミュエル様とは違って黒い髪と瞳をお持ちと聞きます。
かの方は、生来一度も笑ったことがなく、いつも険しい顔をしているとのこと。
夜会や、公式の場に顔を出すことはあまりなく、真偽は不明ですが。
それでも常に険しい顔つきをされているのは、本当のようです。
その、他者を寄せ付けない雰囲気から貴族の方々は彼を他者に心を開かず、単身で断崖に立つ孤高なるお方――、『断崖の君』と呼ぶようになったのです。
そんな御方のところに、私を……?
「どうだ、侯爵。娘二人が揃って王家に嫁ぐのだぞ。王妃の父親という立場のみならず、そっちの女も俺のお下がりとはいえ、弟の妻になる。宮廷におけるおまえの影響力は今とは比べ物にならないものとなるだろう。おまえの時代が来るぞ」
……サミュエル様の、お下がり。
サミュエル様の一言が、私の心臓を深く深く抉ります。
けれども、誰もそれを気にかけてくれません。サミュエル様も、シルティアも。
お父様は腕を組んで深く考え込んでいるようでした。
その隣に立つ私を、サミュエル様は一瞥して、不快そうに言ってきます。
「この期に及んでも笑い続ける、か。気味が悪い女だ」
「それはさすがにひどいわよ、殿下。お姉様はそれしかできないんだもの。それしかできない人にさせられたのよ。せめて憐れんであげなくちゃダメよ」
「フン、気味が悪いという点では、弟と同じだな。むしろ似合いの組み合わせか」
殿下とシルティアの会話が、私の心を切り刻んでズタズタにしていきます。
それが終わると同時に、お父様が一歩、前に踏み出しました。
「殿下、このたびは御婚約おめでとうございます! シルティアの父として、殿下のような素晴らしい方に娘をもらっていただけることを心より嬉しく思います!」
そう言って、お父様はへりくだった笑顔でサミュエル様に握手を求めます。
当然、彼はその手を握り返して、満面の笑顔でうなずきました。
「そう言ってくれるか、感謝するぞ、侯爵」
二人は、ガッシリと強くその手を握り合っていました。
そして殿下の隣で、シルティアが明るい笑顔でそれを見てうなずいています。
……私は、何を見せられているのでしょうか?
お父様、殿下と、妹がそこにいて、独り、私だけが離れた場所で。
どうしてなのです、お父様。
何でそんな顔に嬉しそうな顔をして、殿下と手を握っているのですか。
今日は私と殿下の御目見えの日ではないのですか。
私は、今日のために、これまでお父様のもとで学んできたのではないのですか。
なのに、殿下の隣にいるのはシルティアで。
どうしてお父様はそれを認めてしまうのですか。それでは、私は? 私は……?
「……お父様」
「リリエッタよ」
私の漏らした呟きに応じるように、お父様がこちらに向き直ります。
「祝福しなさい、リリエッタ」
「え……」
「殿下とシルティアの婚約を、この場でおまえも祝福して差し上げるんだ。さぁ」
そん、な……。
「祝福して差し上げるんだ。おまえの笑顔で、二人を祝って差し上げなさい」
お父様は、これまで私に言い聞かせてきたのと同じ調子で命じてきたのです。
私は、イヤでした。
サミュエル様を私から奪った妹を祝福するなんて、イヤに決まっています。
「さぁ、祝福しなさい、リリエッタ!」
けれども、お父様は私の気持ちなんて一つも斟酌することなく、怒鳴りました。
私、は――、私の気持ちは……、
「サミュエル様、シルティア。婚約、おめでとうございます」
いつも通りの笑顔で、私は二人を祝福しました。
変わることのない笑顔で、これまで教えられてきた通りの、最高の笑顔で。
「……声の震えの一つもなしとは。よくもここまで仕込んだものだな、侯爵よ」
「恐れ入ります、殿下」
「別に褒めちゃいないがな。最初から最後まで、気味が悪い女だったな」
「仕方がないわよ。だってお姉様だもの。ね、お父様?」
「いやぁ、ハハハハ。シルティアには敵わんなぁ、全く……」
気分悪げなサミュエル殿下と、明るく笑うシルティアと、恐縮するお父様と。
目の前の三人にとって、私はたった今、過去の人間になりました。
それでも私は笑っていました。
怒りも泣きもせず、ただ笑っていました。デュッセル家の『花の令嬢』として。
――私の心は、このとき死にました。
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