笑顔の花は孤高の断崖にこそ咲き誇る

はんぺん千代丸

文字の大きさ
上 下
6 / 36

6 私の心は死にました

しおりを挟む
 ここからが私にとって最悪の記憶となるのです。

「だがなぁ、侯爵。俺も、おまえに一方的に泥を飲めと言うつもりはないぞ」
「……それは、どういう?」
「そこに突っ立っている女の嫁ぎ先を紹介してやる。俺の弟だ」

 ハッ、と、お父様が息を呑むのが伝わってきました。
 サミュエル様の弟君。それは、王家にいらっしゃられるもう一人の王子。

「――まさか、リリエッタを『断崖の君』に?」
「そうだ。その呼び名を知っているのならば、アレが宮廷でどういう扱いを受けているかも知っているだろう? おかげで、なかなか相手が見つからなくてな」

 お父様が呟かれた『断崖の君』の名は、私も知っていました。
 殿下の腹違いの弟である第二王子で、自ら王位継承権を返上された方です。

 将来的には大公位を与えられることが内定しておられます。
 母君が異国の方で、サミュエル様とは違って黒い髪と瞳をお持ちと聞きます。

 かの方は、生来一度も笑ったことがなく、いつも険しい顔をしているとのこと。
 夜会や、公式の場に顔を出すことはあまりなく、真偽は不明ですが。

 それでも常に険しい顔つきをされているのは、本当のようです。
 その、他者を寄せ付けない雰囲気から貴族の方々は彼を他者に心を開かず、単身で断崖に立つ孤高なるお方――、『断崖の君』と呼ぶようになったのです。
 そんな御方のところに、私を……?

「どうだ、侯爵。娘二人が揃って王家に嫁ぐのだぞ。王妃の父親という立場のみならず、そっちの女も俺のお下がりとはいえ、弟の妻になる。宮廷におけるおまえの影響力は今とは比べ物にならないものとなるだろう。おまえの時代が来るぞ」

 ……サミュエル様の、お下がり。

 サミュエル様の一言が、私の心臓を深く深く抉ります。
 けれども、誰もそれを気にかけてくれません。サミュエル様も、シルティアも。

 お父様は腕を組んで深く考え込んでいるようでした。
 その隣に立つ私を、サミュエル様は一瞥して、不快そうに言ってきます。

「この期に及んでも笑い続ける、か。気味が悪い女だ」
「それはさすがにひどいわよ、殿下。お姉様はそれしかできないんだもの。それしかできない人にさせられたのよ。せめて憐れんであげなくちゃダメよ」
「フン、気味が悪いという点では、弟と同じだな。むしろ似合いの組み合わせか」

 殿下とシルティアの会話が、私の心を切り刻んでズタズタにしていきます。
 それが終わると同時に、お父様が一歩、前に踏み出しました。

「殿下、このたびは御婚約おめでとうございます! シルティアの父として、殿下のような素晴らしい方に娘をもらっていただけることを心より嬉しく思います!」

 そう言って、お父様はへりくだった笑顔でサミュエル様に握手を求めます。
 当然、彼はその手を握り返して、満面の笑顔でうなずきました。

「そう言ってくれるか、感謝するぞ、侯爵」

 二人は、ガッシリと強くその手を握り合っていました。
 そして殿下の隣で、シルティアが明るい笑顔でそれを見てうなずいています。

 ……私は、何を見せられているのでしょうか?

 お父様、殿下と、妹がそこにいて、独り、私だけが離れた場所で。
 どうしてなのです、お父様。
 何でそんな顔に嬉しそうな顔をして、殿下と手を握っているのですか。

 今日は私と殿下の御目見えの日ではないのですか。
 私は、今日のために、これまでお父様のもとで学んできたのではないのですか。

 なのに、殿下の隣にいるのはシルティアで。
 どうしてお父様はそれを認めてしまうのですか。それでは、私は? 私は……?

「……お父様」
「リリエッタよ」

 私の漏らした呟きに応じるように、お父様がこちらに向き直ります。

「祝福しなさい、リリエッタ」
「え……」
「殿下とシルティアの婚約を、この場でおまえも祝福して差し上げるんだ。さぁ」

 そん、な……。

「祝福して差し上げるんだ。おまえの笑顔で、二人を祝って差し上げなさい」

 お父様は、これまで私に言い聞かせてきたのと同じ調子で命じてきたのです。
 私は、イヤでした。
 サミュエル様を私から奪った妹を祝福するなんて、イヤに決まっています。

「さぁ、祝福しなさい、リリエッタ!」

 けれども、お父様は私の気持ちなんて一つも斟酌することなく、怒鳴りました。
 私、は――、私の気持ちは……、

「サミュエル様、シルティア。婚約、おめでとうございます」

 いつも通りの笑顔で、私は二人を祝福しました。
 変わることのない笑顔で、これまで教えられてきた通りの、最高の笑顔で。

「……声の震えの一つもなしとは。よくもここまで仕込んだものだな、侯爵よ」
「恐れ入ります、殿下」

「別に褒めちゃいないがな。最初から最後まで、気味が悪い女だったな」
「仕方がないわよ。だってお姉様だもの。ね、お父様?」
「いやぁ、ハハハハ。シルティアには敵わんなぁ、全く……」

 気分悪げなサミュエル殿下と、明るく笑うシルティアと、恐縮するお父様と。
 目の前の三人にとって、私はたった今、過去の人間になりました。

 それでも私は笑っていました。
 怒りも泣きもせず、ただ笑っていました。デュッセル家の『花の令嬢』として。

 ――私の心は、このとき死にました。
しおりを挟む
感想 7

あなたにおすすめの小説

とまどいの花嫁は、夫から逃げられない

椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ 初夜、夫は愛人の家へと行った。 戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。 「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」 と言い置いて。 やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に 彼女は強い違和感を感じる。 夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り 突然彼女を溺愛し始めたからだ ______________________ ✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定) ✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです ✴︎なろうさんにも投稿しています 私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ

踏み台令嬢はへこたれない

IchikoMiyagi
恋愛
「婚約破棄してくれ!」  公爵令嬢のメルティアーラは婚約者からの何度目かの申し出を受けていたーー。  春、学院に入学しいつしかついたあだ名は踏み台令嬢。……幸せを運んでいますのに、その名付けはあんまりでは……。  そう思いつつも学院生活を満喫していたら、噂を聞きつけた第三王子がチラチラこっちを見ている。しかもうっかり婚約者になってしまったわ……?!?  これは無自覚に他人の踏み台になって引っ張り上げる主人公が、たまにしょげては踏ん張りながらやっぱり周りを幸せにしたりやっと自分も幸せになったりするかもしれない物語。 「わたくし、甘い砂を吐くのには慣れておりますの」  ーー踏み台令嬢は今日も誰かを幸せにする。  なろうでも投稿しています。

いつの間にかの王太子妃候補

しろねこ。
恋愛
婚約者のいる王太子に恋をしてしまった。 遠くから見つめるだけ――それだけで良かったのに。 王太子の従者から渡されたのは、彼とのやり取りを行うための通信石。 「エリック様があなたとの意見交換をしたいそうです。誤解なさらずに、これは成績上位者だけと渡されるものです。ですがこの事は内密に……」 話す内容は他国の情勢や文化についてなど勉強についてだ。 話せるだけで十分幸せだった。 それなのに、いつの間にか王太子妃候補に上がってる。 あれ? わたくしが王太子妃候補? 婚約者は? こちらで書かれているキャラは他作品でも出ています(*´ω`*) アナザーワールド的に見てもらえれば嬉しいです。 短編です、ハピエンです(強調) 小説家になろうさん、カクヨムさんでも投稿してます。

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

ヒロインは辞退したいと思います。

三谷朱花
恋愛
リヴィアはソニエール男爵の庶子だった。15歳からファルギエール学園に入学し、第二王子のマクシム様との交流が始まり、そして、マクシム様の婚約者であるアンリエット様からいじめを受けるようになった……。 「あれ?アンリエット様の言ってることってまともじゃない?あれ?……どうして私、『ファルギエール学園の恋と魔法の花』のヒロインに転生してるんだっけ?」 前世の記憶を取り戻したリヴィアが、脱ヒロインを目指して四苦八苦する物語。 ※アルファポリスのみの公開です。

【完結】子爵令嬢の秘密

りまり
恋愛
私は記憶があるまま転生しました。 転生先は子爵令嬢です。 魔力もそこそこありますので記憶をもとに頑張りたいです。

タイムリープ〜悪女の烙印を押された私はもう二度と失敗しない

結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
<もうあなた方の事は信じません>―私が二度目の人生を生きている事は誰にも内緒― 私の名前はアイリス・イリヤ。王太子の婚約者だった。2年越しにようやく迎えた婚約式の発表の日、何故か<私>は大観衆の中にいた。そして婚約者である王太子の側に立っていたのは彼に付きまとっていたクラスメイト。この国の国王陛下は告げた。 「アイリス・イリヤとの婚約を解消し、ここにいるタバサ・オルフェンを王太子の婚約者とする!」 その場で身に覚えの無い罪で悪女として捕らえられた私は島流しに遭い、寂しい晩年を迎えた・・・はずが、守護神の力で何故か婚約式発表の2年前に逆戻り。タイムリープの力ともう一つの力を手に入れた二度目の人生。目の前には私を騙した人達がいる。もう騙されない。同じ失敗は繰り返さないと私は心に誓った。 ※カクヨム・小説家になろうにも掲載しています

婚約破棄を、あなたのために

月山 歩
恋愛
私はあなたが好きだけど、あなたは彼女が好きなのね。だから、婚約破棄してあげる。そうして、別れたはずが、彼は騎士となり、領主になると、褒章は私を妻にと望んだ。どうして私?彼女のことはもういいの?それともこれは、あなたの人生を台無しにした私への復讐なの?

処理中です...