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6 美しい束縛の証
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「僕らも逃げなくちゃ…。」
そう言い掛けてひばりは自らの言葉を閉じ込めた。彼の目に入って来たのは彼にとってはにわかに信じられない光景であったが、本来なら十分に想像し得る光景であったに違いない。しかし、彼は夢現の中に見た生身のエリアーデの残像を抱いて居たが為に、とっさに脳内認識を新たにする事が出来なかったのである。
光景…それは、あまりに近未来的であった。
二人を取り囲むように二体のオートマタが旧日本軍のような軍服を着て、生々しく露わにされた機関銃を両腕から垂らして居た。ひばりの鼻にガソリンの匂いが香る。彼らは人間のシルエットを保って居るが、既に皮膚とその他の人間を模した部分は風化して落ちてしまったらしく、内部の銀色のメカニックをそのままに確認する事が出来た。
ひばりが言葉を失ったのはそんな事共などでは無かった。彼が驚いたのは、それらのオートマタに対抗するようにして、両腕の皮膚が落ちて自分の半身程の長さもある機関銃の銃口を装填して見せたエリアーデの姿であった。
背中を向ける彼女からはモーターの鋭く回転する音が聞えている。恐らく、狂暴な弾薬が放たれる時を今か今かと待って居るのであろう。
「エリアーデ?」ひばりは情けない程に微かな声をして言った。
エリアーデは振り向いてにこりと笑うと、悲しそうに目を閉じた。
「ひばり、…これが、今の私らしいの。」
「そんな。いや、君がオートマタである事はわかってたんだ。でも、君は、確かに人間だったはずじゃないか。」
「何を言ってるの?」エリアーデは奥で歯を噛み締めるようにして言った。
「私は、人造人間よ。唯の機械仕掛けの人形よ?」
「だって、君は。」
「夢現の区別は付けなきゃ駄目よ。」エリアーデは笑う。「あなた、昔からそう言う所があるから。」
そう言うと彼女は正面の敵を向据えて、雪煙を大いに荒げながら何発も、何発も銃弾を撃ち込んだ。ひばりは唯頭を抱えてしゃがみ込んでいる事しか出来なかった。
銃声が止んで、ひばりが顔を上げると辺りからは排煙が立ち上って居て、その中心には哀れに顔面の右側の皮膚を失ったエリアーデが立って居た。その足下には先程の二体がスクラップされたように四肢ばらばらに倒れて居る。エリアーデの身体からは運動の後の蒸気のように排煙が漏れ出して居る。「大丈夫」とエリアーデは言う。
「でも、この人たちが何処かと通信していたから、早く逃げた方がいいわね。」
「でも、何処に?」
「そうね、私たち理性と本能のどちらにも属してはいけないみたい。」
「僕らは、きっと置いてかれてしまったんだね。早過ぎる進歩と退廃のどちらにも居られない。」
「それなら二人でずっと居れば良いじゃない。」
「そうだね。」ひばりはようやく立ち上がる。「これから何処に行こうか?」
そのようにして、二人はまた歩き出した。足跡はエリアーデが熱線を出して溶かして消した。時折上空を小型戦闘機が飛ぶのが見えたが、それは二人を探しに来たのでは無く、パガニーニのような反乱分子を殺戮しに行くのであった。そのような時、決まって遠くの空が黒煙に濁って見えた。何度かオートマタやら人間のゲリラに襲われたが、エリアーデはそれらを意に介さずに機関銃を持って追い払った。その度に彼女は禍々しい機関銃を隠すようにして後ろ手に遣って、にこりと笑いながら「行こう」と言った。
日が経る毎に、口に出さない寂寥感が二人を包み込んで行く。ひばりは夢に見る彼女の生身を知って居るが為に、それが単に夢でしかないのか、それとも昔あった現実の反芻であるのかわからないままに、機械化した彼女の姿をまじまじと見つけてしまっては苦しんで居る。
エリアーデはエリアーデで、自らの腕に装填されて居た機関銃を夜な夜な一人眺めて見ては、眠るひばりの横顔にそっと手を伸ばしてみて、触れる前に流せぬ涙を流して頭を抱えて居る。
月の夜の事であった。その日は一日、どちらの陣営にも出会う事も無く、それだけでなく食料豊かなフィルターを見つけた事もあって、二人に漂う哀しみの雰囲気は軽減されて居た。ひばりは、コンビーフをスプーンで掬う。
「月が綺麗ね。」エリアーデが言う。
「漱石かい?」ひばりは笑う。
「そんな月並みな事は言わないわよ。」彼女も笑う。静かな夜に月明かりに照らされる彼女はあまりに美しかった。
「ねえ、月の夜と吸血鬼のお話を知って居る?」彼女は言った。
「吸血鬼は勿論知って居るけど、具体的な物語は思い付かないな。」ひばりがそう答えると彼女は何処か感じ入るように目を見開いて、それから取り繕うように口元だけで笑った。エリアーデはこの時、確かに過去を思い出して居たのである。
「話してみてよ。」ひばりは促した。
「ええ。」彼女は物語を始めた。それは吸血鬼となってしまった男と恋人との哀しき終わりの物語であった。
「…僕、その話を知って居る。」全て聞き終えて、ひばりは呆然として言った。
「そうよ。だって、あなたが描いた物語だもの。」彼女は笑う。
「僕が?」
「そう、もう覚えて居ないかも知れないけれど、私、あなたの書く物語が大好きだったわ。」
「今日の君はどうしたんだ?やっぱり僕らは既に出会っていたの?」
「いえ…。」それから深く考えるように目を閉じて、決心し難い事を泣く泣く決心するかのように彼女は口を開いた。その声は確かに震えて居た。
「アンインストールも必要なのよね。またあなたと居られて良かったわ。」
エリアーデがそう言うと同時にひばりの意識は遠くなっていった。ひばりの食らうコンビーフには睡眠導入剤が仕込まれて居たらしい。深い眠りに落ちていく最中、彼は今まで気が付かなかった光を彼女の左の薬指に見た。それは世にも美しい束縛の証に他ならなかった。
そう言い掛けてひばりは自らの言葉を閉じ込めた。彼の目に入って来たのは彼にとってはにわかに信じられない光景であったが、本来なら十分に想像し得る光景であったに違いない。しかし、彼は夢現の中に見た生身のエリアーデの残像を抱いて居たが為に、とっさに脳内認識を新たにする事が出来なかったのである。
光景…それは、あまりに近未来的であった。
二人を取り囲むように二体のオートマタが旧日本軍のような軍服を着て、生々しく露わにされた機関銃を両腕から垂らして居た。ひばりの鼻にガソリンの匂いが香る。彼らは人間のシルエットを保って居るが、既に皮膚とその他の人間を模した部分は風化して落ちてしまったらしく、内部の銀色のメカニックをそのままに確認する事が出来た。
ひばりが言葉を失ったのはそんな事共などでは無かった。彼が驚いたのは、それらのオートマタに対抗するようにして、両腕の皮膚が落ちて自分の半身程の長さもある機関銃の銃口を装填して見せたエリアーデの姿であった。
背中を向ける彼女からはモーターの鋭く回転する音が聞えている。恐らく、狂暴な弾薬が放たれる時を今か今かと待って居るのであろう。
「エリアーデ?」ひばりは情けない程に微かな声をして言った。
エリアーデは振り向いてにこりと笑うと、悲しそうに目を閉じた。
「ひばり、…これが、今の私らしいの。」
「そんな。いや、君がオートマタである事はわかってたんだ。でも、君は、確かに人間だったはずじゃないか。」
「何を言ってるの?」エリアーデは奥で歯を噛み締めるようにして言った。
「私は、人造人間よ。唯の機械仕掛けの人形よ?」
「だって、君は。」
「夢現の区別は付けなきゃ駄目よ。」エリアーデは笑う。「あなた、昔からそう言う所があるから。」
そう言うと彼女は正面の敵を向据えて、雪煙を大いに荒げながら何発も、何発も銃弾を撃ち込んだ。ひばりは唯頭を抱えてしゃがみ込んでいる事しか出来なかった。
銃声が止んで、ひばりが顔を上げると辺りからは排煙が立ち上って居て、その中心には哀れに顔面の右側の皮膚を失ったエリアーデが立って居た。その足下には先程の二体がスクラップされたように四肢ばらばらに倒れて居る。エリアーデの身体からは運動の後の蒸気のように排煙が漏れ出して居る。「大丈夫」とエリアーデは言う。
「でも、この人たちが何処かと通信していたから、早く逃げた方がいいわね。」
「でも、何処に?」
「そうね、私たち理性と本能のどちらにも属してはいけないみたい。」
「僕らは、きっと置いてかれてしまったんだね。早過ぎる進歩と退廃のどちらにも居られない。」
「それなら二人でずっと居れば良いじゃない。」
「そうだね。」ひばりはようやく立ち上がる。「これから何処に行こうか?」
そのようにして、二人はまた歩き出した。足跡はエリアーデが熱線を出して溶かして消した。時折上空を小型戦闘機が飛ぶのが見えたが、それは二人を探しに来たのでは無く、パガニーニのような反乱分子を殺戮しに行くのであった。そのような時、決まって遠くの空が黒煙に濁って見えた。何度かオートマタやら人間のゲリラに襲われたが、エリアーデはそれらを意に介さずに機関銃を持って追い払った。その度に彼女は禍々しい機関銃を隠すようにして後ろ手に遣って、にこりと笑いながら「行こう」と言った。
日が経る毎に、口に出さない寂寥感が二人を包み込んで行く。ひばりは夢に見る彼女の生身を知って居るが為に、それが単に夢でしかないのか、それとも昔あった現実の反芻であるのかわからないままに、機械化した彼女の姿をまじまじと見つけてしまっては苦しんで居る。
エリアーデはエリアーデで、自らの腕に装填されて居た機関銃を夜な夜な一人眺めて見ては、眠るひばりの横顔にそっと手を伸ばしてみて、触れる前に流せぬ涙を流して頭を抱えて居る。
月の夜の事であった。その日は一日、どちらの陣営にも出会う事も無く、それだけでなく食料豊かなフィルターを見つけた事もあって、二人に漂う哀しみの雰囲気は軽減されて居た。ひばりは、コンビーフをスプーンで掬う。
「月が綺麗ね。」エリアーデが言う。
「漱石かい?」ひばりは笑う。
「そんな月並みな事は言わないわよ。」彼女も笑う。静かな夜に月明かりに照らされる彼女はあまりに美しかった。
「ねえ、月の夜と吸血鬼のお話を知って居る?」彼女は言った。
「吸血鬼は勿論知って居るけど、具体的な物語は思い付かないな。」ひばりがそう答えると彼女は何処か感じ入るように目を見開いて、それから取り繕うように口元だけで笑った。エリアーデはこの時、確かに過去を思い出して居たのである。
「話してみてよ。」ひばりは促した。
「ええ。」彼女は物語を始めた。それは吸血鬼となってしまった男と恋人との哀しき終わりの物語であった。
「…僕、その話を知って居る。」全て聞き終えて、ひばりは呆然として言った。
「そうよ。だって、あなたが描いた物語だもの。」彼女は笑う。
「僕が?」
「そう、もう覚えて居ないかも知れないけれど、私、あなたの書く物語が大好きだったわ。」
「今日の君はどうしたんだ?やっぱり僕らは既に出会っていたの?」
「いえ…。」それから深く考えるように目を閉じて、決心し難い事を泣く泣く決心するかのように彼女は口を開いた。その声は確かに震えて居た。
「アンインストールも必要なのよね。またあなたと居られて良かったわ。」
エリアーデがそう言うと同時にひばりの意識は遠くなっていった。ひばりの食らうコンビーフには睡眠導入剤が仕込まれて居たらしい。深い眠りに落ちていく最中、彼は今まで気が付かなかった光を彼女の左の薬指に見た。それは世にも美しい束縛の証に他ならなかった。
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