排煙のヴィーナス

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4 ひばりの見ている夢模様(二) 前編

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 灰色の倦怠に晒されて散らかった1LDKの真ん中、真赤な二人掛けソファの上にひばりは横たわっていた。

 動こうと思うと頭痛がした。どうやらこれは酒に飲まれてしまった後の痛みのようだった。夢現の一夜の物語、あらゆる事が走馬燈のように一気に目の前に現れては消えてしまったようだ。しかし、何が起きて、何が起きなかったものかさえわからない。

 今度の夢の中で、ひばりは成人していた。イアフォンからは周囲の騒音を遮断するように、重低音にアメリカン・ロックが聞えている。誰にも侵入されないで居られる世界が何処かに在ると言うのなら、ひばりは唯息を吸って吐いて、ひたすらに生きて居たいと願っただろう。しかし、その望みは実現する予感さえ与えられずに破られてしまう。誰かが二度程ひばりの頰を軽く叩いた。

 「何、聞いてるの?」

 薄眼に目を開くと滲んだ世界にピントの合わない女性が居た。彼女は成人したエリアーデであった。ひばりは重たい体をゆっくり起こすと、イアフォンを外して彼女の耳に当てた。彼女はしばらく静かに聞いて居たが、やがて飽きたように見えて、唯音に合わせながら全身で大袈裟なリズムを取り始める。ひばりは笑う。
 
 「これは何て曲?」とエリアーデが聞いたので、ひばりは眼差し優しく「Change the world」と答えた。
 「好きなの?」と聞かれたので、「そうだ。」と答える。

 「あなた、世界を変えたいの?」悪戯に彼女は言う。

 「違うよ、君の為に世界を変えて見せようっていうラブ・ソングさ。」

 「素敵ね、あなたは私の為に世界を変えてくれる?」

 「世界を?」ひばりは寸瞬だけ考える。「…君はどんな世界が良い?」

 「そうね、秩序立ったありきたりな世界は嫌よ。」あなたみたいなありきたりさよ、とでも言うように彼女はにやりと笑った。
 
 「ありきたりが賛美されるような世界なんて壊してしまってよ。」彼女は言う。「何処かで見た事のあるような映画や音楽や絵画に拍手が当てられて、誰も見た事の無いような芸術に、頭の固いお偉いさんたちがNo goodを裁決する世界なんて。考えただけでも吐き気がするわ。」

 「君の考えは良く知って居るよ。それに、僕もそう思う。」ひばりは身体を起こして珈琲テーブルに置かれていた紅茶を一口喉に流し込む。

 「誰かの通った道が歩きやすいのは当然じゃない。誰かが通った道を上手く歩けるのは当然じゃない。そうよね?」

 「その通りだね。でも、相当の危険は伴う。」

 「危険を愛する女、平凡を憎む女。私、そんな人間では無いのよ? あなたとの退屈は大好きなの。」

 「矛盾してるね。」ひばりは噴き出して笑う。「…でも、君らしい。」

 「そうでしょう。」と彼女が言って、ひばりは深く頷いた。

 「矛盾は寛大に赦してやらないといけないわ。その葛藤が人間なんだもの。昨日までNOと言っていた人間が、今日になってOKと言ってもいいのよ。だって、毎日変わらずに居る人間なんて人間に思えないじゃない。そういうのはオートマタに任せておけばいいの。」そう言い切ると、エリアーデはひばりの手から紅茶を奪って一口飲んだ。

 共に暮らし始めたのはもう4年も前の事だった。時代の流れは年を追うごとに速度を速めるようで、二人でジェラートを食べて居た頃と今とでは全ての景色ががらりと変わってしまって居る。

 「技術の進歩も恐ろしいものだよね。ここ十年くらいで、いつの間にか町中にオートマタが溢れてしまって居る。」そう言って窓外に目を向けると数多雑踏が見えた。その中の誰が人間で、誰が機械であるか、最早見分けは付けられない。

 「そうね、いつか人間が一人も居なくなって、いつの間にかオートマタだけの世界になってしまうかも知れないわね。オートマタは死なないから、半永久的に変わらない世界の日常を繰り返し続けるの。地球に隕石か何かが衝突して壊れてしまうまで、ずっと。」

 「恐ろしいな。」

 「恐ろしいけれど、現実に起きつつある未来だわ。知ってる? 都市伝説でしかないんだけど、闇の組織みたいなのが居て、人間を誘拐しては記憶だけをダウンロードしてオートマタにインストールするの。それから、人間の方を処分して、それから何事も無かったかのようにオートマタを生活に送り込む。家族も恋人も、誰もその事に気付かないんだって。」

 「どうしてそんな事をするって言うの。だって、人間にとって良い事なんて一つも無いじゃないか。」

 「それって『私たちが想像するに』でしかないでしょう? 悪い事をする人たちの行動の動機なんて、私たち善良な市民には想像し得ないのよ。」

 「それも、そうだね。」ひばりは窓を外に開けて、煙草に火を付けた。

 「あれ、さっきの曲は何て言ったかしら?」エリアーデは頭を傾げている。

 ひばりは呆れた顔を作って振り向くと、にやりと笑って言った。

 「Change the world」
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