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27.父と話す①

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 輝美は大学卒業後、病院に就職して忙しい日々を過ごしていた。

 3交代制の勤務で残業も多く、帰りは夜遅くなることも多かった。





 その日の夜も遅くなり、輝美は駅の改札を出て、シャッターの閉まったショッピングモールの入り口の前を通った。



 マンションに繋がる通路を歩いていると、見慣れた背中を見つけたので声を掛ける。

「父さん」





 声を掛けられた次朗は振り向く。

 その顔には疲れが滲んでいるが、息子と偶然会った嬉しさに緩んでいる。



 昔はこんな顔しなかった、と輝美は思う。

 子供の頃の次朗はいつも冷たい目で自分を品定めしていた。

 それに応えるだけで必死だった。



 いつのまにか次朗も自分も歳をとったのだ、と背の丸まったスーツ姿の父を見て輝美は思う。





「輝美、偶然だな。ちょうど話をしたかったんだ」

 次朗は少し飲んで帰ろう、と輝美を誘う。



 正直、疲れていたので帰りたかったが、断りにくかったので誘われることにした。

 少し狭い路地に入ってしばらく行き、小さな店に入る。

 次朗が時々通っている店だと言う。



 そこは創作系和食居酒屋で、内装は黒を基調としたシンプルでモダンな雰囲気だった。

 店員にテーブル席かカウンター席かを聞かれて、テーブル席を選ぶ。

 店の隅の小さなテーブルに2人で向かい合う。





 ビールで良いか、と次朗に聞かれたが、輝美はビールが飲めない。

「ごめん。グレープフルーツサワーにする」

 次朗は頷く。

「乾杯はビールで、っていう時代じゃないもんな。俺も焼酎の水割りにしよう」

 次朗はサラダと揚げ物も頼む。





 ローストポークと揚げたゴボウの入った、ボリュームのあるサラダが来る。

 2人で乾杯して、飲む。



「美味しいよ、これ」

 サラダを一口食べて、輝美が言う。

「やっぱり、若者は肉だな。女子でも『肉の入ってないサラダは食べる気起こらないよ』って言うからな」

 表情を変えずに次朗は言う。





 この町に引っ越してきてしばらくの間、次朗は前いた場所にある塾に通って仕事をしていた。

 幸美が発情期のときは2人で近くのホテルに泊まり、そこから通ったりもしていた。

 その間、輝美はマンションに1人で暮らした。





 約1年後、塾の経営から完全に手を引いた次朗は、私立の中高一貫の女子校に講師として就職した。

 家から一駅で行けることと、時間の融通を利かせてくれるということが決め手だった。



 配偶者の幸美が発情期のとき以外は精力的に働き、人望もあったので、翌年からは担任を受け持つようになった。

 吹奏楽部の顧問も務め、合宿に同行することもある。





 …そう情報として幸美から聞いてはいるが、次朗が女子校でどんな風に先生をしているのか、輝美には想像もつかない。



「ここは焼き鳥も上手いから適当に頼むよ」

 そう言って次朗は店員を呼んで注文する。

「プチトマトっていうのもあるんだ。甘くて美味しいぞ。女子は『生のトマトは嫌いだけど、加熱したら好き』っていう子が多いな」



「女子だけじゃないよ。俺だってそうだし」

 次朗は輝美を少し見た後、苦笑いする。



「学校で接している生徒たちのことばっかりだな、俺は。実の息子のことなんて全然分かってない…」

「父さんの前で好き嫌いするのはダメだと思ってたから隠してたんだ…なんか今日は言っちゃった」

 お酒のせいで気が大きくなってるのかもしれない、と輝美は思う。

 怖くて仕方なかった眼鏡の奥の細い目を、今は普通に見ることができる。





「今日は俺の方から誘ったけど…特に話らしい話はないんだ。ただ…自分のクラスのΩの子に最近なぜか懐かれて…話を聞いていると、昔の輝美のことを考えてしまったんだ」

 次朗は芋焼酎の水割りを喉を鳴らして飲む。



「今の学校はかなり進歩的なところで、全てのバースは平等だ、という信念が行き届いているところだ。でもな、いくら学校がそういう方針でも…ひとりひとりの生徒や教師がそう考えてなかったら意味ないんだよな…」



 こういう話をされるのは初めてで、輝美はどういう顔をすれば良いのか分からない。





「俺に相談してくれた子の話を聞くと、信じられなくて…俺の前ではとても良い生徒で…成績とかじゃなくて、ちゃんと優しさとか気遣いもある子たちが、その子には酷いことを言ってしまえるし、やってしまえるんだ、って驚いたよ」

「そうなんだ…」

「輝美が中学生だったときのことを思い出して、背筋が寒くなったよ。あの頃、俺は塾講師をしていて、帆和くんや刈留くんを教えていた。とても良い生徒たちで…俺に対しての態度だけじゃなくて、授業について来れない他の生徒をサポートしたりしていて、俺は感動したりしていた。でも…今思えばあの塾にはαとβしかいなかった…帆和くんや刈留くんはΩの輝美にどんな風に接したんだろう?」





 いじめを主導していた奴らの名前を聞いただけで、輝美の心臓の音が早まる。

 胸が詰まって、息苦しくなる。





 胸を押さえて震える輝美を見て、次朗は悟る。



「やっぱりそうか…そうだよな。俺は当時、幸美から相談を受けていたのに、幸美も輝美も信じることがで

きなかった…俺はあの人工的に作られた『楽園』に相応しい人間なんだ、と信じたくて…」



 山奥の静かで自然豊かな環境。

 何より、充実した教育環境が子供にとっての「楽園」だと言われていた場所…



 悪い冗談だな、と輝美は思う。





「輝美が生まれて、薬の効かなくなった幸美の発情期のために高校教師を辞めたとき、教師仲間は俺を可哀想な奴だと笑った。αの中でも特に優秀なαだった俺の最初の挫折だった。だから、俺たちは可哀想なんかじゃない、って思いたくて、『楽園』から離れたくなかったんだ」

「そうだったんだ…」

「輝美や幸美にとっては『地獄』だっただろうな。本当に、すまん」



 

「俺は…」

 輝美は何を言って良いのか分からなくなる。



「あの頃、発情期の幸美を抱いたとき…変な場所を痛がったり、逆に変に敏感だったりしたことがあったな。幸美に聞いても答えてくれなくて…浮気を疑って責めたりもした。番のいるΩが浮気できるわけないのに…」



 輝美は胸が痛くなる。



「はあ…なんかもう…パパには本当に悪いことしたよ…ただ…申し訳なくて…」





 串焼きの盛り合わせが来る。

 好きなものを取るように次朗は輝美に促す。



 輝美はつくねを取り、次朗はキモを取る。



「輝美が中学生のとき、幸美と何があったのかは知らないが…これだけは確信しているよ。幸美がいなかったら…俺だけでは輝美を守るとはできなかった」



 輝美は頷く。

「その通りだね」

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