壊れた番の直し方

おはぎのあんこ

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3.旅立ち

25.閉塞の中

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 灯と響一郎は田んぼの中のワンルームのアパートで暮らし始めた。

 林はすぐに上天神家に戻ったが、アパートの大家に代理を頼んでいた。必要なものは大家が買って持ってきてくれた。




 しかし、また居場所がバレる可能性はある。

 元々響一郎は外出していなかったが、灯も外出することをやめた。
 2人は仕事も休むことにした。

 自分達で望んだこととはいえ、狭い部屋で暮らす閉塞感と不安が2人を蝕んでいく……





「俺たち、いつまでここで暮らすんだろう? 他にいくあてなんてないし、未来もないよ」

 床に直置きのホットプレートでお好み焼きを焼きながら灯はぼやく。
 少しでも気分を変えるために大家からホットプレートを借りて料理しているのだが、そんなことでは気分は晴れない。
「黄丸がツテを頼って探してくれているけど、難しそうだし……」

 響一郎は灯に申し訳なさそうに言う。
「じいやも探してくれているけど、たとえ報酬貰ってもREDを囲うなんて危険なこと、誰もしたがらないからなぁ……藤江も俺を取り逃したから酷い目にあったようだし・・・・・・」

「藤江が?」
 お好み焼きをひっくり返しながら灯は聞く。美味しそうな焦げ目が次々に現れる。




「色羽が適当な理屈付けて多額の借金を負わせたんだ。もともと藤江は色羽の持っている高級マンション住まいだったんだけど、そこからも追い出されて、今はホームレスさ」
「容赦ねぇな」
「色羽は可愛がっていたヤツの羽を折って惨めな姿を見るのが趣味だからな」
「悪趣味過ぎるだろ」
 灯は呆れる。


「金は羽だから、いくら有能でもある程度金がなけりゃ飛ぶこともできない。藤江は考え方は間違っていなかったが、やり方をしくじって羽毛まで毟り取られたんだ」
「そうか……」
 灯はお好み焼きを全部ひっくり返し終えて、蓋をする。


「やっぱり、灯は貴崎みどりさんに頼った方が良かったのかもな」
 響一郎に言われ、灯はムッとなる。
「やめてよ、響ちゃん。おせっかいおばさんの世話になるなんて嫌だよ」

 響一郎は苦笑する。
「おせっかいおばさんって……貴崎さんは飛び級で大学入学、卒業したから、灯と同い年なのに……それに、灯も貴崎さんに憧れていたじゃないか」

 灯は恥ずかしくなって言う。
「だって、あんな堂々として格好良いΩ、見たことなかったんだもん……でも、俺達の関係のことに口出しするなんてやっぱりおせっかいだろ」

「貴崎さんは日本のΩにはあまりいないタイプだからな。同じ希少種だし。灯が影響されたのも分かるよ。A国に行ったら、灯ももっとのびのび生きられるのかもしれないな」
 爽やかな口調で響一郎は言う。
「灯の気持ちも分かったけど、気が変わったらいつでも言ってくれよな」

 響一郎の優しさは痛いくらいに感じる。
 でも、灯は寂しい気持ちになる。



 響ちゃん、簡単に言うなよ。
 俺は響ちゃんと離れるなんて絶対に考えられないのに……



 灯は響一郎の首に付けられた、国の管理番号付きの首輪を恨めしそうに見つめる。
 お好み焼きが蓋の中で熱され、中まで火が通されていく音が耳に入っていく……





 八畳一間のフローリングに2枚布団を敷いて寝る。


 布団に入ってすぐに眠りについたはずが……
 夜中、灯は目を覚ましてしまう。


 布団の中は温かいが、吸い込む空気は冷たい。
 部屋の中にはまだお好み焼きの匂いが篭る。
 黙々と2人で食べた、紅生姜の効き過ぎたお好み焼きの味を灯は思い出す。



 響ちゃん……



 響一郎のことを思い出し、ふと横を見ると、響一郎が起きていることに灯は気づく。


 灯と反対方向を向いているので顔は見えないが、肘を床に突いて手で頭を支えて寝そべり、外を見ている。寝るときにはカーテンは閉まっていたはずだが、響一郎が開けたようだ。

 外は真っ暗で、幾つかの星だけが光っている。冬の空は暗く、星がよく見える。




「星がきれいだね」
 思わず灯は呟く。


 沈黙が流れる。


 その長さに耐えきれずに灯が口を開こうとしたとき、響一郎が小さな声で言った。
「俺、すっごい馬鹿なこと考えていた」

 馬鹿なこと、というのが笑い話ではないことは灯にも分かる。
 冷えた空気に溶けてしまいそうな、心細い声だから……


「自分の家に帰りたい、と考えていたんだ……」
「自分の家って、実家のこと?」

 響一郎は頷く。

「ほんと、馬鹿だよな。笑ってくれ……家に帰りたくないから、こんなところにまで灯を連れてきて、振り回しているのにな」
 響一郎の顔は見えない。
 とても悲しい顔をしているのだろう。


「どうしたの?」
 灯は純粋に疑問に思って聞く。
 響一郎が実家に帰りたいと思う理由がよく分からない。


 色羽や音二郎をはじめ、響一郎に害を与える人間が多くいる家なのに……


「ごめん……心細くて……自分で自分が分からなくなってしまったんだ」
「響ちゃん……」
「自分の家に帰りたい、っていうのは本当の解決策ではないのは分かっているんだけど、どうすれば良いのか分からないよ。俺の未来は真っ暗だし、灯の未来まで奪っているし……もう、本当に、分からない……」
 その声が寂しそうで、迷子の子供みたいで、灯は泣きたくなる。

 灯は声に力を込めて言う。
「響ちゃんの家は、ここだよ。住むところは変わったけど、2人がいる場所が家なんだと俺は思うよ」
「『2人がいる場所が家』……良い言葉だな。誰の言葉だろ?」
 響一郎の声に揶揄うような、楽しそうな空気が混じる。

「もう! 俺が両親と縁を切って家を出たときに響ちゃんが言ったんでしょ!」
 灯は呆れながらもホッとして言う。


「道理で。すごく良い言葉だな、って思ったよ」
「ったく……ちゃんと覚えておけよな。実家に帰りたいとか訳分かんねぇこと言うなよ」
「ん……」


 響一郎は返事をするが、そのまま動かず窓の外に瞬く星を見ている。
 まだ心の中に解消されないものがあるのだろう……


 灯は心の中に浮かんだ考えを響一郎に伝える。
「『消えない証』欲しい?」
 返事はないが、響一郎は布団の中で動き、布が擦れる音がする。

「消えない証」も昔響一郎から灯が聞かされた言葉だ。


「俺らの『証』を響ちゃんに刻んであげようか? 2年前、俺に響ちゃんがしてくれたように」
 響一郎の体が強張っているのが後ろ姿からでも見て取れる。動揺しているのだろう。


「俺はαじゃないから、噛んでもただの傷にしかならないけど…簡単に消えることはないと思う……」
 灯の本気の言葉に、響一郎の呼吸が荒くなり、動揺が隠せなくなる。



 灯は響一郎のうなじに手をやり、忌々しい首輪を掴む。

「ぐっ」
 力を入れ過ぎた灯は響一郎の首を絞めてしまう。響一郎は呻く。
「ごめん、響ちゃん……でも、1人で不安になるくらいなら、俺のものになって欲しい」
「灯……」



 響一郎は軽く咳き込みながら寝返りを打ち、灯の方に向く。逆光で顔は見えない。灯は響一郎に近づき、背中を撫でる。

「灯……」

 響一郎の声は弱々しい。
 自分でもよく分からない衝動に掻き立てられ、灯は響一郎の唇を奪う。
 慣れ親しんだ、程よい弾力のある唇に何度か唇を押し当て、さらに頬や額にもキスをする。慣れ親しんだ火傷跡の凹凸を確かめる。


「くすぐったい……」
 響一郎はクスクス笑う。
 逃げようとする響一郎を灯は捕まえる。
「逃げないで」

 響一郎は数分考えて、言う。

「……そうだな。灯に迷惑かけたくないとか思ってたけど、灯が一番安心することは、俺が覚悟を決めることなんだな」


 響一郎は体を起こし、首輪に暗証番号を打ち込む。
 国が支給したRED専用の首輪の暗証番号は上天神家の者に伝えられていたが、もちろん響一郎には伝えられていなかった。
 しかし、林が極秘で暗証番号を入手し、響一郎に伝えていた。



 響一郎は自分の意志で首輪を外す。
 伸びた髪を掻き上げると、外の星と月の光が白いうなじを浮かび上がらせる。

「灯の番になりたい」



 響一郎の姿の美しさに灯は息を呑む。
 灯には響一郎が自分を誘っているかのように見える。


 灯は布団に響一郎を押し倒す。
 窓からの光が当たってやっと見れた響一郎の顔は、何とも言えない微笑みを讃えている。


 それは灯にとって、たまらなく扇情的な顔だった……
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