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2.檻の外で始める生活
15.近付く幸せ
しおりを挟むお風呂上がり、響一郎の顔をマッサージするのが灯の日課だった。
薬品で大火傷を負って2年以上経ってもまだ痛みや違和感があるようで、マッサージは欠かせなかった。
頼まれた訳ではなかったが、灯は進んで響一郎の顔にオイルを塗り、擦り込んだ。
3人がけのソファの端に灯は座り、その膝の上に響一郎が頭を乗せる。響一郎は、膝を曲げて、ソファの上に仰向けに寝る。
つまり、膝枕である。
柑橘系の良い匂いのするオイルが、灯の手によって、凹凸のある肌の上を滑っていく……
「ごめんな。こんな醜い顔で……」
灯の手がピクリと止まる。
「こんな俺のために、灯は外に出ることもほとんど出来ないな……」
そんなことを言われたのは再会して初めてだ。
なぜ今更そんなことを言うのだろう? と灯は考える。
「交代しよう。今日は俺も灯をマッサージしたい」
響一郎は珍しく灯にもマッサージしたいと申し出た。
2人は交代して同じ体勢を取る。
響一郎はオイルを手に取る。かなり多めに取ったが、響一郎の大きな手に擦り込むと丁度良い感じになる。
「すべすべだなぁ……」
響一郎は表情を崩して笑う。
響一郎の両手が、灯の小さな顔をすっぽり包んでしまう。
「くすぐったい……」
あまり上手ではない響一郎の手の動きだが、灯は幸せを感じる。
両手の隙間から響一郎の顔を見る。
オイルの光沢を帯びた瘢痕の目立つ響一郎の顔だが、灯は愛しく思う。
その顔をもっと笑顔にしたい、と思う。
「灯、笑ってる」
響一郎はそう言って笑う。
下唇は薬品で溶けて不自然に固まってしまっている。
それでも、多少無理をしてでも灯に分かるように笑ってくれる響一郎を見て、灯は胸が苦しくなる。
灯は気づく。
響一郎も灯と同じように、灯に笑って欲しいのだ、と……
響一郎がそういう気持ちになったのは最近のことだろう。
ここに来た当初は、響一郎は死にたかったのに死ねなかった憎しみを灯に抱いていた。
灯の望むままに「生きてあげている」態度が見え隠れしていた。
1ヶ月が過ぎた頃には、そういう態度は見えなくなっていたが。それでも灯に対して受け身なところはあった。
しかし、今は、灯に対する積極性を響一郎の方から見せてくれている……
積極的に灯を笑わせたい、一緒に幸せになりたい、と思うようになったからこそ、響一郎は自分の顔の醜さや境遇の不自由さが気になるようになったのだ。
今までは「灯が自分を望んだんだから……」という言い訳があったが、響一郎も灯を望むようになり、それらの障壁を自分から気にするようになったのだろう……
「あれ……灯……泣いてる……?」
響一郎に上から覗き込まれて、涙を隠しようがない。
灯は正直な気持ちを話す。
「俺……響ちゃんと一緒にいれて、幸せだよ。どんな響ちゃんでも、俺は好きだよ」
「俺も……」
響一郎はサイドテーブルに置かれたティッシュボックスからティッシュを数枚取って、灯の涙を拭う。
灯はその手つきの繊細な動きから響一郎の愛情を感じる。
それで十分満足すれば良いのに、灯は響一郎の唇で直接涙を吸い取って欲しい、と思ってしまう。
こんなこと思うなんて、響ちゃんが知ったら呆れるかなぁ……?
でも、もっと、もっと、近づきたいよ……
深いところに、触れたいよ……
灯は膨らんでいく欲望を抱きながら、ティッシュ越しに響一郎の指の熱を感じていた……
翌日の朝早く、黄丸から灯に連絡があった。
「灯と響一郎さんを助けてくれそうな人がいるんだ。貴崎みどりというA国に住むΩで、俺の上客でもあり、友人でもある。色々な理由で困っている世界各地のΩをA国に亡命させる活動をしているんだ。あちこち飛び回ってるから中々捕まらなかったんだけど、今こっちへ来ていて、少しだけなら話聞いてくれるって」
「そうか。ありがとう」
黄丸は楽しそうに言う。
「灯に負けずとも劣らない、すっげぇ美人だよ」
灯は首をかしげる。
「今そんなことどうでも良いけど」
「会ったら分かるよ-」
黄丸は気にせず満足そうな様子だ。灯は短い挨拶をして通話を切る。
灯はいつもよりも念入りに変装をした。
普段から、灯は変装をしては度々出かけていた。しかし、色羽や警察の関係者に正体がバレるのが怖くて、近所のスーパーやドラッグストアに買い出しに行く位だった。
今回は多くの人の目に触れるから、完璧な変装をしないといけない。
大きな駅前のホテルのカフェで、灯はみどりと会った。
それなりに広く混雑しているフロアで灯はすぐにみどりを見つけた。
まるで吸い寄せられるかのように……
みどりは一目見ただけで強烈な印象を残す人物だった。
有名ブランドのTシャツに白いジャケットを羽織り、黒いショートパンツから真っ直ぐ伸びた脚にヒールのブーツ。
ふわふわのウェーブのかかった髪と、バッチリメイクに負けないくっきりとした猫顔。
顔が小さく手足が長いので、小柄なのにスタイルよく見える。顔も体も人形のようだ。
Ωは美しい人が多いと言われるが、ここまで美しい上に強いオーラを放つ人は見たことがない。
年齢的には灯と同じくらいのようだ。
「君が灯くんだね?」
その声は見た目からの想像と比べてずっと低く、よく通る声だ。
「はい」
灯は席に着き、近付いてきた店員にコーヒーを頼む。
「君、変装しているけど、髪が金で瞳が青い希少種の日本人Ωだね?」
みどりは声を潜めて言う。灯は驚く。
「なんで分かったんですか?」
「経験で。あと、僕も同じだから」
灯はみどりの顔を凝視する。
目にはグリーンのカラコンを入れているし、髪もブラックにグリーンを入れていて、その面影は全くない。
それでも、みどりが嘘を言っているとは考えにくいし、同じ希少種のΩなのだろう。
灯は生まれて初めて自分と同じ希少種のΩと出会った。
灯はなんともいえない気持ちになる。嬉しさが優勢ではある。
黄丸はみどりが希少種のΩであることを伏せるために、含みを持たせた言葉を言ったのだろう。
みどりの口からその事実を灯に伝えて欲しかったのだろう、と灯は推測する。
「貴崎さんのご両親もΩなんですか?」
「みどりで良いよ。僕は生まれてすぐに親に捨てられたから顔も知らないけど、多分そうだろう。施設をたらい回しにされた挙句、A国に性奴隷として売られたんだ」
「そうだったんですか……」
灯は心を痛める。
「当時はまだ12で、知らない土地で言葉も分からないオジサンの相手をしていた。でも、A国におけるΩの立場は大幅に回復したんだ」
灯はテレビやネットで知るA国のことを思う。
もともとA国は、Ωに対して苛烈な差別があった国だった。
しかし、10年前、前国王が思いがけず急逝したとき、兄弟で後継者争いが起こった。
そのときに、第二王子はライバルである第一王子に対抗するため、Ωやβの権利回復を唱えてΩやβの人々の支持を得た。数年の内戦の後、圧倒的な数の力で第一王子に勝利した第二王子は国王になった。
どこよりも平等な国を謳うA国は、移民を積極的に受け入れている。国王の政策の良さもあって、目まぐるしい経済成長を続けている……
「僕は、生まれ変わったA国の支援を受けて大学に行き、実業家として成功した。今はA国の観光事業に携わりながら、世界各国のΩを支援する活動もしている。日本国内のΩの扱いは世界全体で見ると悪くはないが、それでも日本では幸せになれないΩも多くいる。僕はそういう人たちをこっそりA国に入国させる活動をしているんだ」
「素晴らしい活動ですね」
灯は素直に賛同した。
「君も今困っているんだって?」
みどりは直球で聞く。
「はい。黄丸から話は聞いているかと思います。どうかA国へ僕と僕の元番を連れて行ってくれないでしょうか?」
灯はテーブルに額が付くギリギリまで頭を下げた。
「どうか……他に頼れる人がいないんです……お願いします!」
みどりは綺麗にネイルを塗った手でグラスを掴んでクリームソーダを一口飲む。
グラスを置いて、口を開く。
「結論から言うよ。答えはNOだ」
灯は目の前が真っ暗になる。
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