泡沫の夢物語。-男と女の物語。短編集-

久遠 れんり

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ある朝、パンを咥えた女に撥ねられた

第3話 北村美保

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「A大学に落ちました。どうしましょう?」
「美保の好きにすれば良いが、したい事はないのか?」
「何か静かにじっくりできること。人とあまり関わらなくていいもの」
 正面にはお父さんとお母さん。

 A大学の法科と人文を受けたが滑った。
 今も言った、要件を満たす学部だったのだが。

「どこか私学か、専門学校か」
 そう言ってパンフレットを見ていると、歯科技工士という文字が目にとまる。

 中学生の時、私の蹴りが滑ったときに、プロテクターごと拭き飛ばし一緒になって飛んで行った白い歯。
「何もかも懐かしい」
 口から血を流しながら、「気にしなくて良いんだよ」と笑顔で言ってくれた師範代。

「これが、良いかもしれない」
 そう言って、短大の歯科技工士学科へ入った。
 普通なら二年だが、三年コースで衛生士も一緒に取った。
 そうすることで、患者さんに合わせてかぶせ物などを作ることができる。
 普通口腔ケアは衛生士。工作や加工は技工士で分業。
 だがダブル免許で両方できるのだぁ。
 給料もちょっと増える。

 だけどね、出会いはないのよ。
 学校でも、専門性が高いと実習や工作。
 空き時間で法律。

 就職をしてからもそう。
 こちらは、きっちりマスクだし。ライトが当たっているから、患者さんからこっちは見えないし、患者さんも大口を開けて寝ているし。
 一瞬美形でも、口の中を見てげんなりすることも多い。

 オーラルケアができていないという事は、色んな方面がずぼらではないのだろうかと考えてしまう。

 そして、気がつけば二五歳。
 そのくらいから、縁起物を集め出した。
 パワーストーンとか、水晶とか。
 良縁のお守り。

 そして暇つぶしで、人形を削り出してみたりを始める。
 アニキャラをワンオフで作る。
 技工士の技術を、さびさせないためにも指先は使う。

 そんなかで、年々なぜか歳が増え、二十八歳まで積み上がる。

「出会いが無い」
 そしてその日。禁断の技に挑む。
 ものすごく恥ずかしい。

 町中を下着で走るような緊張感。

 パクッと咥え。一気にドアから飛び出す。
 だが、その命をかけた冒険は、あっという間に終了する。

 目の前に現れた男性。
 あっパンが飛んで行く。
 つい手を伸ばすが届かない。
 膝にぐにゅっとした感覚。
 見なくてもわかる。金的。男性においての急所だ。
 見ず知らずの相手に。

 ああ、倒れていく。
 とっさに、右手をついてしまう。やばい、この勢いなら折れるかも。
 体をひねる、だが、癖で固めた肘が男性の胸に刺さる。
 体をひねったせいでかなり強力に決まってしまった。
 すべてが裏目。

 あっと思ったときには、ガツンと顔が当たった。
 唇が痛い。
 それにやっぱり右手首も痛い。
 折れてはいないようだが。

 そして、左肘は胸骨横。本当にハートブレイクショットという禁じ技。
 下手をすれば、心臓震盪しんぞうしんとうといって心臓が止まる。心室細動を起こしそれにより発生をすると言われている。

 つまり出会い頭に、金的から心臓への肘打ち。
 殺人の意思有りと言われそうだ。

 それに、彼の唇が切れて血が出ている。
 あっ私も。
 ――ということは、初めてなのに。
 なんて熱烈な。ぽっ。

 なんて、言っている場合じゃないいぃ。

 心臓は、動いている。
 呼吸はある。ちゅっ。あっまたしちゃった。腫れているから、不可抗力。

 頭出血はない。
 でも意識無し。
「良し救急車。でもこの人。なんだかかっこいい。八代将軍みたい」
 ぼそっと言っていたら、定型の質問が来た。
「火事ですか?救急ですか?」
「救急です。ここの住所は……」

 とまあ、そんな感じでした。

 退院をして、隣のお部屋。
 ここには三年以上住んでいるのに、出勤と帰宅時間が違うのかめったに会うことはないし、普通合っても目をそらすものね。全然知らなかった。

 最近の病院は薄情で、命に別状が無いと簡単に放り出される。
 私は一瞬仕事に行こうかと思ったが、右手が痛いと言ってこの人の休みに合わせて休んだ。

 歩きにくそうな歩行。
 少し内出血をして痛いらしい。
 私のせい。

 彼は咳き込み、そのたびに胸を押さえる。
 ひねり込んだ肘のせいです。
 私のせいです。

 痛みで少し涙を浮かべる彼。
 私も折ったことがあるから知っています。痛いです。
 その口びるには絆創膏。
 私とおそろいです。

 私が軽はずみに、出会いを求めたいがために、軽はずみに使ってしまったヒロイン限定の技。
 パンを咥えたヒロインが、曲がり角で運命的な出会いをする。
 ヒロインじゃない人間が行うと、こんなに危ないものだとは知らなかった。
 あれはきっと、属性特有の保護が効いているのね。

 それにあんなにも、恥ずかしいものだったとは。
 そう騒ぎで集まってきた住人。
 救急車の救命士さん。
 明らかに、端っこに落ちた、角が囓られてた食パンを見ていた。
 そしてその目は、あんたがヒロイン? マジかよと訴えていた。

 少しゾクゾクしたが、二度とするまい。
 危険すぎる。

 それに、この出会い。悪くない気がする。
 彼の名前が呼ばれるので、付いていく。

「えっ奥さんも怪我。事故ですか?」
「彼女と出会い頭にぶつかっただけで、事故ではありませんね」
「そう言うのを事故と言います。会社の出勤途中の事故なので、お二方が同僚でなければ多分保険が出ますので、一時的に全額をお願いしますね」
「カード使えますよね」
「はい」
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