かあさん、東京は怖いところです。

木村

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番外編 木島コーヒーにて(本編の十六年前の話)

第三話 晩秋の恋人

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「またのお越しをお待ちしております」

 店を継ぐと決めてから、わたしは毎日店に立つようになっていた。体も働くことに慣れ、父のかわりにコーヒーをいれることさえあった。順調な毎日だ。端から見ればそうだろう。

「相変わらず……、その席にお客様を案内しないね?」
「満員の時は案内いたします……」
「やっぱり彼が好きだったのかい?」
「……お客様ですから」

 季節はもう秋、冬の気配さえしてきている。
 彼が座っていた席を撫でる。西日であたたまった席は、まだ白檀の匂いがするようだった。けれど彼がもう来ないことをわたしも父もわかっていた。
 ニュースで、跡目抗争が終わり、彼が組長となったことを知った。
 こうなればさすがにもう知らぬ存ぜぬはできなかった。彼は五言時のトップだ。子どもでも関わってはいけないと知っている。なのに、わたしはこの席を大切に思ってしまう。

「少し、……寂しいだけですよ……」

 常連さんがある日突然来なくなるなんてことは、この商売、よくあることだ。
 だからただそれだけのことだとわたしが強がれば、父は眉を下げて悲しそうに微笑んだ。



 しかし、予想外にわたしは彼と再会することになった。といっても彼にとっても、わたしにとっても不本意な再会だった。
 何故なら、まずわたしが誘拐されたからだ。そして誘拐した相手は、彼の敵対者だったらしい。わたしは最初から最後まで麻袋に包まれたままだったから詳細はわからなかった。ただ、袋から出されたときに、彼の拳は血まみれだった。

「久しぶりだね、由希さん」
 
 なのに、なにも変わらずに彼はそういった。思わずこちらも注文をうかがいそうになるぐらい普通に、そういった。

「お怪我を……」
「私の血ではない。……きみの方がひどい怪我だ。痕がついている」
「縛られていましたから……」
「君の手は、こんな風になるべきものじゃないだろう」

 彼はわたしの手首にキスをした。それから「すまない」と謝った。わたしはなんと返したらいいのかわからなかった。

「……ここは、どこなのでしょう?」
「ここは五言時所有の倉庫だ。悪いものがたくさんあるが……ここなら安全だ。朝になったら店まで送る」
「そう、ですか……」
「……でも君は、もう安全な夜など過ごせないかもしれない……私のせいだな……」

 わたしは少し考えて「ご友人の話でしょう?」といつかのように尋ねた。彼は少し黙ってから微笑んだ。

「友人の話を、していいか?」
「ええ、もちろん」
「……友人がね、毎日大変なんだよ。そうだな、マア……きみの店でいうならブレンドコーヒーを頼んでおいて、『頼んだのはアイスコーヒーだ、よくも間違えたな』と殴ってくるような客がね、毎日来るんだよ。……ひどい話だろう?」
「……ええ、ひどいお話です」
「……きみなら友のために……どうする?」

 彼の瞳に光はない。悪魔のような角を背負い、彼は冷たくわたしを見下ろす。だからわたしの口は乾く。背中は汗をかく。しかし、それを顔には出さずに、わたしは彼を見上げる。

「仕返しをしてやろうとは思わないか? ろくでもないやつらみんな、殺してやればいいと思わないか?」

 彼の瞳は黒くよどむ。人を殴る前の人間の目だ。眠たそうな瞳、どうでもよさそうに、まるでごみのようにその目がわたしを見下す。
 しかしわたしは目をそらさない。

「叱りこそすれ、仕返しなど求めません」
「……きみは殴られたら、相手を叱るのか?」
「ええ、殴られたなら叱ります。きっちり謝罪していただくまで叱るだけです」

 彼が、右手を急にわたしに伸ばしてきた。殴られるのかと少し身構えてしまったが、彼の手がわたしの頭を軽く小突くだけだった。
 見上げれば、彼は微笑んでいた。

「ほら、叱ってくれ」

 その目には、もう、よどみはなかった。

「……セルヴーズに触れてはいけませんよ、お客様」
「……なら、きみが触れてくれ、……私に」
「……あなたに?」

 彼は泣きそうなのをこらえるかのような、ひどく、辛そうな顔をしていた。迷子の子どものようだった。
 手を伸ばし、その頬にふれると、彼はすがるようにわたしの手をとった。冷たい手だ。
 彼と目が合う。そらすこともできず、吸い込まれるように近づいてしまう。

「いけないよ、由希さん。男にこんな風に触っちゃいけない」
「あなたが、触れろと……」
「……そうだね……、悪いのは私だ」

 近づいた鼻が触れ合い、彼がわたしにキスをした。
 その手は恐る恐るわたしに触れ、しかしすぐに、決して逃がさないというように強くわたしをつかむ。身じろぎできないほど強く抱き締められているのに、少しも怖くなかった。キスなんて数えるほどしかしたことがなかったけれど、彼のキスは他のものとは比べ物にならないほど優しい。
 白檀の匂い。彼の匂い。
 彼の襟をつかみ、彼のキスにこたえると、彼はわたしをつかむのをやめ、わたしの背をなでた。それがとても優しくて泣いてしまった。それに気がついた彼は、わたしの目蓋にキスをした。

「……由希さん、きみは……あの店そのものだ。居心地がよくて……清潔で……なのに不意に悪魔に見える」
「悪魔、ですか……?」
「……可愛い悪魔だ、……」
「だめですよ……」
「わかってる。わかっている……」
「いなくなっちゃだめです……そばにいて……」

 私が泣くと、彼は困ったように眉を下げて笑った。

「なんてことをいうんだ、俺みたいなのを相手に」
「あなたにしかこんなこと、いわない……」
「阿呆め。俺はなんも渡せない。将来も、誓いも、幸せなんか絶対に無理だ。……なのに、なんで……」
「知りません、そんなの、……そんなのわかっていたら、あなたなんてはじめから店にいれません。あなたなんか……美しいばっかり……優しいばっかり……ひどい人……」

 彼はわたしを抱き締めた。わたしも彼にすがり付いた。

「抱くぞ。いいか?」
「……優しくしてくださいますか?」
「許されるなら目一杯優しくする。どうでもいい女じゃなく惚れた女を抱くなんて、はじめてなんだ」

 彼はそう笑った。彼らしい冷たい笑顔だった。だからわたしは彼にしがみついた。

「ありがとう。大事にする」

 その夜が最初で最後だった。

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