かあさん、東京は怖いところです。

木村

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番外編 絶海と柳の話

眠れるうちの美丈夫 視点 桜川朱莉

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 ハロウィーンが過ぎ、街がクリスマスに染まりつつある。ヒロさん曰く、後一週間もすれば通りはイルミネーションに包まれるらしい。東京は目まぐるしく景色をかえる、そこにかかる費用を考えて私はすこし気が遠くなった。
 そんな十一月の始めのことだ。
 私は冬休み前の試験に向けて、リビングで復習に根をつめていた。絶海ぜっかいさんの淹れてくれたココアを飲みながら、苦手な古文に取り組んでいると、ガンと絶海さんの部屋から大きな音がした。
 時刻は夜十時をまわっている。絶海さんが部屋に戻ったのは一時間も前だし、きっと今は寝ているはずだ。でも、とても大きな音だった。
 もしかして……ベッドから落ちたのだろうか。

「もしそうなら、風邪ひいちゃうわ……」

 私はすこし心配になり、様子を見にいくことにした。廊下は冬の空気が一杯で、寒くてピンとはりつめていた。私はカーディガンの前を合わせ、早足で絶海さんの部屋に向かった。

「絶海さん、今の音なあに?」

 呼び掛けても、ノックをしても返事がない。いよいよこれは危ないと扉を開けると、ベッドから上半身が落ちている絶海さんがいた。色鮮やかな彼の背中の鯉がよく見える。
 脚だけはかろうじてベッドの上に残っているが、その状態で眠り続けられるのは彼ぐらいだろう。

「絶海さん、ベッドに戻って。パジャマも着ないで、布団もかけないなんて……寒くないの? ねえったら……」

 絶海さんの背中をたたきながら話しかけるが、その寝息は深い。起きるつもりはなさそうだ。でも、さすがにこのままでは腰を痛めるだろうし風邪もひくだろう。
 私一人でもその巨体は持ち上げられずともベッドの上には戻すぐらいはだろうと、彼の腕を肩にかける。それから彼の腰をつかんで立ち上がろうとした。

「えっ……キャア!」

 ベッドの上に戻すつもりだったのに、絶海さんはベッドから完全に落ちてしまった。しかも、私を下敷きにして彼は床に転がる。

「重いわ! 起きて!」

 彼は小さく唸ると、私の上から転がり落ちてはくれたが、その両腕でまるで私を抱き枕のように抱きかかえてしまった。怪力の持ち主である絶海さんに腰をガッチリとホールドされてしまった私は、立ち上がることも抜け出すこともかなわなかった。
 彼は私の肩に頭をつけて、スヤスヤと眠っている。その頭を撫でても彼はウニウニとなにか寝言を呟くだけで、起きる気配はない。こうなってしまった彼は、叩いても、叫んでも少なくとも朝までは起きないだろう。ヒロさんに助けを求めようにも携帯はリビングだ。

「……もうー……試験勉強あるのにー……」

 しかしこうなってはもうどうにもならない。腕を伸ばしてベッドから落ちかけていた掛け布団をつかみ、私たちにかける。床で寝るなんて、ちょっとしたキャンプみたいだ。
 だから怒らないことにした。彼のこの眠りは、多分、彼の意思ではどうにもならないものだ。病気なのかもしれないし体質なのかもしれないけど、彼のせいではない。だから彼の頭を撫でる。

「おやすみ、絶海さん。良い夢を見てね」

 目を閉じて、彼の寝息に合わせて呼吸をして、彼の穏やかな心拍を聞いていたら、私もすぐに眠ってしまった。



 ……夢を見ている。
 そうわかるのは明晰夢めいせきむというものらしい。私の場合はこういうときは、夢ではなく過去の記憶であることが多い。また絶海さんのことを思い出すのかなと考えながら辺りを見渡す。
 見覚えのない場所に私は立っていた。
 そこは幼稚園のようだ。背の低い長机に背の低い椅子が並ぶ。子ども用であろうその机に、だれかが腰かけていた。真白の髪に、すこし丸くなった背中だけど老人ではないだろう。体格からして私よりすこし年上ぐらいの男性らしい。
 子ども用だろうとしても机に腰かけるなんて不良だと考えていたら、その人が振り返った。
 彼の白い髪は目深に伸ばされ、そこから覗く瞳は透き通る青い色をしていた。どこか幼さを残した顔立ちをしているから年は二十代だろう。その髪は生まれつきのものなのか若白髪なのか私には判断がつかなかった。
 彼は、覚えのない人だ。彼もそうらしく、私を見て不思議そうに首をかしげた。その仕草はすこし、絶海さんに似ていた。

「きみ、だれかな?」
「あなたもだれ?」
「僕は、……久遠くおん
「私は朱莉あかりよ」

 彼はおっとりとした口調で話した。そんな大人の男の人に、やはり私は覚えがなかった。彼もやはりそうらしく「知らない名前だ」と呟いた。

「きみはどこから来たんだろう。ここは僕の走馬灯そうまとうのはずなのだけど……」
「走馬灯? あなた、死にそうなの?」
「いや……僕はもう死んでいるはずだ。ウウン、そうなると僕は幽霊なのかな? きみは?」
「私は死んでないと思うわ。それにこれは私の夢なんじゃないかしら?」
「夢? ……そうだね。僕はまた夢を見ているのかも」

 彼はにこりと笑った。
 たしかに笑っているのに、その目はどこか冷たい。爬虫類はちゅうるいみたいだ。すこし背中が寒くなるような目は、父のものを思い出させた。
 そんな彼は、ゆっくりと立ち上がった。見上げるほど大きいその人は、ゆっくりと私の前に歩いてきた。

「きみ、……」

 彼は、手の甲で私の頬に触れた。

「少し、絶海に似ている」
「……絶海? 五言時ごごんじ 絶海のこと?」

 他にこんないかつい名前の人いなきだろうと思いながらそう聞くと、彼は目を丸くした。

「ウン、……知り合いなの?」
「知り合いというか叔父おじよ」
「叔父? ……ということは、きみは一二三ひふみくんの娘なのかな」
「一二三?」
「五言時 一二三。絶海の弟だよ。あの子には苦労ばかりさせられた」
「そう。……あの人、そんな名前なの。知らなかったわ……私、あの人に育てられていないの。二歳までは、絶海さんが私の育てのお父さんらしいわ」
「へえ、フフ、絶海にこんなかわいい娘ができたってこと? フフ、おかしいの」

 私が肩をすくめると彼はクスクス笑った。その笑い方も、すこし絶海さんに似ていた。彼はまた机に座ると、私を隣にうながした。

「机に座るなんて不良だわ」
「ヤクザだよ、僕は」
「あら。私はヤクザじゃないわ。絶海さんももう、ヤクザじゃないのよ?」
 
 彼は目を丸くした。そのことに私は驚いた。

「……絶海がヤクザじゃない?」
「元組長くみちょうだけど、今はもう堅気かたぎって言ってたわ。前科もないんですって、言い訳してたわ。ちょっと寝すぎること以外はとっても元気なおじさんよ」
「……ソウ、……そっか……」

 彼は口元に手をあててしばらく黙った後、「アハッ……アハハッ」と笑いだした。

「そっか、フハ、絶海は組長になったんだ、……それで堅気になったのか……アハハッ……しかも、そんな、子育てなんて……アッハッハッ……」
「なにがおかしいの?」
「おかしいよ、ウン、それはおかしい。だって、そんなのハッピーエンドじゃないか! そんなの……そんな風に、なれるなんて……」

 彼は笑っていた。
 だけど、その目からは涙が落ちていた。彼は泣いていた。その笑い声は嗚咽になり、その目からはボタボタと大粒の涙が落ちる。とても苦しそうに、彼は泣いた。
 彼の前に立ち、その頬に触れる。

「泣かないで……どうして泣くの?」
「……僕、……本当は怖かったんだ……」
「怖い?」
「……絶海が、死んでたらどうしようって……僕が死んだせいで、絶海も死んだら、……イヤだったんだ。でも、……そっか……いいことを聞いたなあ……」

 彼は私の手にその手を重ねた。

「ありがとう、教えてくれて」
「……どういたしまして?」
「ねえ、朱莉ちゃん、……夢から覚めたら絶海に伝えてほしいことがある」
「なあに?」

 彼はその空色の瞳で私を見上げた。



 ……目を開ける。
 カーテンの隙間から朝日が差し込んでいる。光の具合からして七時ぐらいだろう。私は、寝る前と変わらず私にしがみついている絶海さんの頬をペタペタと叩いた。

「ンン……」
「朝よ、起きて。そろそろ離してくれないと困るわ」
「……ウウン、……朱莉か?」

 絶海さんが目を開けた。まだ半分夢の中にいる瞳をしていたが、私から手を離してくれた。だから私は起き上がる。腰がピキリと痛んだ。

「床で寝たから腰が痛いー、絶海さん、二度寝しないの。起きて!」
「ウウウ……」
「唸っても駄目!」

 布団に潜り込もうとするので、掛け布団を奪うと、彼は渋々目を開けて、上体を起こした。そして不思議そうにまわりを見渡す。

「……なぜ私は床で寝ているんだ?」
「それだけじゃないわ。寝ぼけて私を抱き枕にしちゃったのよ? おかげで私も一晩床で寝ることになったんだから」
「それは……すまなかったな」
「良いわ。一緒に朝御飯食べてくれたら許してあげる。ほら、起きて」

 彼の手首をつかんで引っ張ると、彼はゆっくりと立ち上がった。それから億劫そうに前髪をかきあげると「シャワー浴びてくる」といつもの言葉。気にしなくて良いのに、彼は律儀な人だ。

「いいけど、すぐ浴びてきてね。早くしてくれないと私、久遠さんからの伝言忘れちゃいそうだから」
「ウン? ……え?」

 思った通り、絶海さんは目を丸くした。
 絶海さんのベッドメイキングをしながら「夢で会ったの」と言えば、絶海さんはやっぱり私の肩をつかんだ。その顔は真剣そのものだった。

「だれから聞いたが知らないが、そんな冗談はやめろ。言って良いことと悪いことがある」
「……冗談じゃないわ」
「私は、……私にとって、彼はとても大事な友人なんだ。気軽に死人を語るな……」

 絶海さんは珍しく怒っているようだった。同時にとても混乱しているようにも見えた。そして、困っているようでもあった。

「そう、……やっぱり亡くなってるのね」

 目を閉じて、夢の中の彼の言葉を思い返す。

「朱莉、いいか」
「『絶海は僕より鈍間なんだから、死に急ぐなよ』」
「……ハ?」

 目を開けると、絶海さんが口を戦慄かせていた。彼の手に自分の手を重ねると、彼は私の肩を強く握り直した。

「『死んじゃったことについては謝んなきゃいけない気もするけど、絶海もたくさん僕にひどいことしたんだからチャラだよね』とも言ってたわ……ええと、それから……」
「な、にを……」
「『死んだらたくさん僕と喧嘩しよう。そう約束してくれたら、絶海が生きている間は我慢できるようにしてあげる。幽霊だからね、僕は、大体なんでもできるさ』……だったかしら……意味、わかる?」

 ヒュ、と絶海さんが息を飲んだ。

「本当に夢で会ったの。髪が白くて、目が青い人。……こんな嘘はつかないわ。私、あなたを泣かさないって約束したでしょう?」

 絶海さんは私を咎めることはなく、私を抱き締めた。
 いつものハグと違って、それにはすがりつくような痛みがあった。だから私は首を腕を回し、その頭を撫でた。彼の首からは生きている人の匂いがする。

「……ごはん食べよう、絶海さん」

 彼はしばらく黙ったあと、「ウン」と言った。だけど彼は私を離すことなく、抱き締めていた。
 肌寒い十一月の朝だった。
 この日から絶海さんは眠り続ける症状は、ピタリと出なくなった。何度か理由を聞いたけれど、絶海さんは笑うだけで答えてくれなかった。そうして、私が『彼』の夢を見ることは二度となかった。

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