かあさん、東京は怖いところです。

木村

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第一話 東京駅に車で迎えにいけますか?

04

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 今、――一瞬で男の人たちを昏倒こんとうさせたであろう『絶海さん』は、しかしそんな気配は少しも感じさせない優しい微笑みを浮かべながら、私の頬をムニムニと触っている。思い返してみても、やはりどうしてこうなったのかはよくわからない状況だった。

「マア、帰ると言っても車が来るまで少し待つがな……」

 彼の触り方は無遠慮ぶえんりょだったがさっきの男の触り方とは比べ物にならないぐらい安心できた。これは犬や猫を触る手付きだ。

「ぷにぷにだな。子どもらしい頬だ」
「……子どもだもの」
「そりゃそうだ。まだ十五か……」

 なにが楽しいのか、彼はクスクスと笑っている。なんとなく気まずくて視線を下ろすと、彼の視線も追うように私のスマホ画面を落ちた。

「は?」

 途端、彼の笑顔が消えていた。なんでだろうと私も自分のスマホの画面を見て気が付く。SNS画面のままだったのだ。

「あ、違うのこれは、冗談じょうだんで……」
「冗談にならない。そんなことやめなさい。なんでそんなことを……」

 彼の顔は呆れているというよりは困惑こんわくしていて、その声は怒っているというよりは怯えていた。どうやら心配をかけてしまったらしい。私はアカウントを消して、頭を下げた。

「……心配かけて、ごめんなさい」
「いや、……もとを正せば、遅れた上に携帯をなくした私が悪い」

 そりゃそうだなと思ったので「そりゃそうね」と言ったら、「怖い思いをさせたな」と彼は眉を下げた。彼の表情に私も眉を下げる。

「迎えに来てくれると思わなかったの。電話もつながらないし一人でどうにかしないといけないと思って……もちろん本当にやるつもりはなかったんだけど……」
「……すまない」
「どうして絶海さんが謝るの?」
「きみが本当に東京に来るのか少しだけ疑っていたんだよ。私の夢なんじゃないかって……そんなことを考えていたら遅れてしまった」
「どういうこと? 母さん、ちゃんと連絡してたんでしょ?」

 絶海さんは気まずそうにえりを直した。

「きみのお母さんから手紙が届いたのは昨日なんだ。あまりに突然で、……しかしよく考えたら、きみのお母さんは突発的なことをする人だが嘘つきではなかったな」
「……昨日私が来るって知ったの?」
「ウン。でも遅れた。すまないな」
「待って。昨日知って、それで私を居候いそうろうさせてくれる、……」

 そこまで言ってから気がつく。『そんなはずがない』。普通に考えて、いきなり小娘を居候させることになんて誰が了承するだろうか。つまり絶海さんはここに私を迎えに来たのではなく、断るために来たのだ。

「ごめんなさい! 私、知らなくて……どうしよう、……ごめんなさい。私、帰るわ!」
「ウン? ウン、マア、これから帰るんだが……?」
「佐渡に帰る……お世話になりました……」
「ハ? きみの帰るところは私のもとだろう。どうした? 泣きそうなのか?」

 きびすを返そうとした私の頬を絶海さんの両手がつつみ、またムニムニされた。

「ハムスターみたいにしないでよっ!」
「なぜ泣く? 泣くようなことはなにもないだろう……と、そろそろ車が一周するか」

 彼は私の頬から手を離すと、代わりに私のトランクケースを持ちあげた。自分で持つと言おうとしたが、先に「まさか私より力持ちとは言わないだろう?」と笑われた。たしかにそれはその通りで、私はなにも言えなくなった。

「ほら帰るよ、朱莉」
「でも、私……」
「私たちの家に帰ろう」

 絶海さんにうながされるままにロータリーに出ると、ちょうど黒い車が入ってくるところだった。その車の窓が開き、誰かが窓から身を出して、こちらに向かってブンブンと手を振っている。

「はやくはやく! ここ、車寄せてらんないんすよ!」
「朱莉、走るぞ」
「あ、うん!」

 うながされるままその車に小走りでかけより後部座席に乗り込んだ。
 運転席に座っていた男性はちらりとミラー越しに私たちを見て「東京駅に車で迎えなんて無理っすからね! 少しは考えてくださいよ! 待っている間、駅の周りぐるぐるさせられる運転手の気持ちを!」と口先を尖らせた。大人の男の人なのに、男の子みたいな表情だ。
 そんな彼を見て絶海さんはクスクスと楽しそうに笑う。

「すまんな、ヒロ。無茶を言った」
「ほんとっすよ……あ、朱莉ちゃん、遠路はるばる……ってな話をしてる時間もねえや! とにかく出ますよ。ここに車止めてるとすぐお巡りがピイピイ言いやがる。あと、若! 車にスマホ置きっ放しでしたよ! 携帯けいたいしてくださいって言ってるじゃないですか!」

 ペラペラと話す彼の運転でロータリーを抜ける。車が道路に出てから、ようやくヒロさんが「ああ、まったく……」と息を吐いた。どうやらもう大丈夫らしい。
 私もシートベルトを締めて、ほっと息を吐いた。長時間移動で少し疲れていた。が、ふと気になって「若ってなんのこと?」と絶海さんと尋ねる。スマホをふところに仕舞った絶海さんは「ああ……」と低く呟いた。

「きみはどの程度私のことを聞いているんだ?」
「東京のおじさん」

 間髪いれずにそう返すと絶海さんは気まずそうに咳払いをし、運転席のヒロと呼ばれた人はケラケラと笑った。

「……他にはなにも聞いていないのか?」
「うん、それでも高校に通いたかったから」

 私の言葉に彼はフッと笑った。

「そうだった。おめでとう。国立に受かるなんて頭がいいね……他に下宿先はなかったのか?」
「あそこは父か母と同居してなきゃ駄目なのよ」
「……なるほど、そういうことか……ククッ」

 なにがおかしいのかと見上げると「きみのお母さんは昔も今も私の人権を無視する人だよ」と彼は笑った。どういうことか質問しようとしたら、彼は手で私を制した。

「色々と説明をしなくてはいけないが、先に腹ごしらえだ。ヒロ、樫乃屋かしのやに回してくれ」
「やり! 久しぶりですね、焼き肉!」

 なんだかわからないけれど、どうやら焼肉屋さんに行く事になったらしい。絶海さんは電話をかけながらフとこちらを見た。

「彼は香坂 広文こうさか ひろぶみ。彼は私が五言時組若頭筆頭ごごんじぐみわかがしらひっとうだった頃から私のために働いてくれている。だから彼は私のことを若と呼ぶ。……ああ、もしもし、今から三人入れないだろうか。……、ありがとう。五言時の名前で予約させてもらうよ」

 絶海さんは電話を切ると、にんまりと笑った。
 ゾッと寒気がするぐらい冷たい瞳だ。
 まるで値踏みするかのように彼は私の頭の先から体をじっとりと見ている。

『蛇ににらまれた蛙ってこういう気持ちかしら……』

 私がゴクリと生唾を飲み込むと、運転席から「アッハッハッ」と、冷たい空気を切り裂く、高く明るい笑い声がとんできた。ヒロさんは涙を流すほどに笑っている。

「若、やりすぎっすよ! 朱莉ちゃん、本気でビビってます!」

 ヒイヒイ笑うヒロさんを『なにがそんなにおかしいのかしら』と見ていると、絶海さんが手を伸ばしてきて私の頭をわしゃわしゃと撫で始めた。それは気安い手つきだった。言うなれば、家族の愛情を感じる手付きだ。

「冗談だよ、朱莉」
「……じゃあ絶海さんはヤクザじゃない?」
「ああ。組はとうに解散した……今はすっかり堅気かたぎだよ」

 絶海さんは私の頭をワシャワシャと撫でている。

「……それも冗談よね?」
「ン? これは事実だ。私は組長だったんだよ」
「……組長……」

 私がボストンバックを抱え直して「えぇ……」と言うと、絶海さんはクスクス笑い、ヒロさんはげらげらと笑った。
 
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