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Theme:懇親会のご案内
エピローグ:平和な日常は愛せる時に愛しておこう
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懇親会があった日から、私たちの関係が変わった。
けれど生活に変化があったかといえば、予想外のことに、まったく変化はなかった。なぜそうなったかと言うと――話も始まりは、懇親会翌日の昼のことだ。
□
「……せっかく君の体に入れるようにしたのに……こんな……こんな中途半端なところでやめろというのはさすがに酷ではないか?」
「中途半端もなにもないでしょ! ノーコンティニュー! 私の腰骨がイカれます!」
「嘘は良くないぞ、六花。君の体に負担をかけるようなことはしていない。あるとすれば疼きだけのはず……君だってまだしたいんじゃないか……?」
「この話はおしまいです! お、し、ま、い! そんな顔をしても駄目! コーヒー淹れて!」
「……いいさ、私は君の下僕として喜びを持って働こう」
「そういう言い方やめてくれない!?」
なんとか再度セックスに持ち込もうとするヤトと、なんとか休ませてほしい私との攻防が、私の勝ちで一旦落ち着き、リビングでコーヒーを飲んでいたときだ。
コーン、と高い音が寝室の窓からした。
「何事? 石でも投げつけられた?」
ヤトは片眉を上げ、嫌そうに目を細める。
「……面倒なのが来た」
「え、誰か来たの?」
「ツキナルだ」
「つ……? 誰? 知り合い?」
ヤトは目を閉じ、言葉を選んでから口を開いた。
「私たちが毛刈りしていた人面の獣たちがいるだろ?」
「いるね」
「あれらの飼い主だな」
コーヒーを一口飲み、考える。
「……化け物狩りって、飼い主さんに謝ったら、許してもらえるレベルの所業だったけ?」
ヤトはコーヒーを飲み、首を傾げた。
「毛刈り程度でおさえたことを褒められこそすれ、やつが怒る理由はない。そもそもあいつが管理しきれていないのが悪いのだし……」
コーン、とまた高い音がしたので、私は覚悟を決めた。
「ついに土下座をする日が来たのね……人生初の土下座、ちゃんと決めないと……」
「しなくていい、しなくていい。そもそもなぜあいつは寝室から入ろうとしているんだ? ……変態なのか……?」
「それは確かにそう。玄関から来てもらいたいね、……迎えに行こうか」
それで、私たちは玄関に向かったのだ。
□
玄関の戸を開けると、リン、と頭上から鈴音がした。
見上げると、軍服に山伏が着るような上着を着ている、超きれいな中性的な人が宙に浮いていた(山伏の服についている、あのモフモフ。何の意味があるんだろうと毎回思うけど、可愛いなとも思う。あの、ごつい杖も、一体何なんだろう……。そもそもこの軍服の上に、和装。一体どういう世界観なんだ)。
タマキさんに似た服装だから、多分タマキさんの部下だろう(顔の系統もそっちだ)。この世界の人はみんな着飾っているあたり、ヤトが異端者と呼ばれる理由がなんとなくわかる。ちらりと横を見ると、今日も着流し。異常なほどに軽装だ。
とにかく、その人は私たちを見ると、とても嫌そうに降りてきた。
「どうして、そちらからでてきはるん?」
その人はしぶしぶといった様子で私たちの前に着地した。
「お前が入ろうとしておったのは寝室だぞ。無礼極まりなかろう。食い殺されたいのか?」
「寝室? ……どないな作りしてはるん、ここは……チッ、靴汚れるとちがうか……あぁ、かなん、服汚れるちゅうのんがいっちゃんやなことよ……」
「それで何用だ」
ぷちぷち勝手に一人で文句を言っているその人は、「来とて、来てるとでも……」と言った後、不自然なほど整った笑みで、ヤトではなく私を見た。
「タマキ様の側近で、お洋服係を務めております、ツキナル、と申します。以後お見知りおきを」
おっとりとそう言うと、ツキナルさんははんなりとお辞儀をしてくれた。久しぶりにまともな自己紹介をされた気がする私は、その人にお辞儀を返した。
「はじめまして、いっ……」
「名乗らなくていい。私が紹介する。……私の番だ」
そして名乗り返そうとしたら、その前にヤトに口を塞がれた(なぜ)。それに対し、ツキナルさんは「いややわぁ」とはんなりと嘆く。
「過保護どすなぁ。うちらはあんたとちゃいますさかい、名乗られたぐらいで縛ることはできしまへん。ええ年になって若い子捕まえてはしゃいで……」
「用件を言え。二度と話せなくさせるぞ」
ツキナルさんは嫌そうに目を細めてヤトを見たあと、「堪忍してくださいな、男どもはみぃんな、こう」となぜか私に笑いかけた(そう言えばこの人、男なのか、女なのか、……なんか綺麗だからどっちでもいいか……)。ヤトがグルグルと威嚇音を出すと、ツキナルさんは「余裕ない男やわ」と鼻で笑ったあと、袂から書類を取り出した。
「タマキ様からの伝言。『おまえはそこにいたらいい』、と……」
ヤトは目を丸くした。
「タマキが? そう言ったのか?」
「えぇ、代わりに花屋に仕事を依頼したいそうどす。くわしゅうはこちらに……店長はんはお嬢はんどしたなぁ。ほな、こちらを」
渡された書類を受け取り、開いてみる(ヤトも読みたそうなので二人で確認をすると)。門の前の道を花で彩ってほしい、だとか、役場が暗すぎるから花を飾れ、だとか……細々した依頼がたくさん並んでいる。
「……まごうことなき花屋への依頼だね」
「報酬が書いてないぞ」
「それは、こちら」
ツキナルさんが指差したところに書いてあった言葉を見て、考えて、ヤトを見上げて、目を閉じる。
「……一件あたり、金一キロは価格崩壊がひどすぎます」
「もっとあげましょか?」
「下げてください!!」
私の叫びにツキナルさんは「あらあら、良い子」とカラカラ笑う。冗談だったらしい。ホッとしていると、ツキナルさんが指を鳴らした。
報酬の欄が書き換わり、常識的な範囲になった(それでも金払いが良すぎるけど……)。ヤトを見ると、ヤトは困っているような、泣きそうな顔をしていた。
「……タマキは何を考えているんだ?」
「『花屋になったなら、これからは花屋と呼ぼう』とおっしゃっとりましたよ」
「は?」
「うちの主は器大きゅういてはりますさかい」
ツキナルさんはくすくす笑う。ヤトは眉間に皺を寄せると、なんとも言えない顔で私を見た。
「引っ越さなくてよくなったみたい?」
「……そのようだ」
「引っ越したい?」
「いや、ここがいい。……この世界に興味があるんだ」
初めて会ったときの異邦人の言葉だ。なんだか懐かしくて、つい、笑ってしまった。
「じゃあ花屋として挨拶に行かないとね。契約ならどの道、対面でやらないと。これ、委任状ついてないし」
「あらまぁ、しっかりしてはる」
「店長ですから。……タマキさんのアポってどうやって取ればいいですかね?」
ツキナルさんは私の顔を見て、それから何か悪いことを思いついた笑顔を浮かべた。
「んふ、うちを伝書鳩にしようと?」
「あ、いや、その、……」
「悲しおす。鳩の代わりにされるなんて……こないな屈辱は初めてどす……それに、うちのかいらしい子達も勝手に毛刈りされるし……新しい布作れんで困るわ……」
「その件は本当にごめんなさい!」
「ほな、どう償うてもらいまひょか……」
ヤトがものすごく苛ついた顔をしていて怖かったので、「どうしたらいいんです?」と茶番の先をうながすと、ツキナルさんはニンマリと笑った。
「うちの作った服を着てくれはしまへんか?」
「服? どういうこと?」
「こちらでは『モデル』といわはるんやろ」
「モデル? いや私なんかよりヤトの方が、……」
「あんたのような小さおして可愛らしい人の服を作ってみたかったんどす!」
ツキナルさんは真顔でそう言い切ったあと、はっとして、恥ずかしそうに目を逸らした。
「……どういうこと?」
「うちのとこはどないしても派手好みが多おすさかい……」
「……そうなの?」
ヤトを見上げると、ヤトは顎に手を当てて何か考えている。袖を引くと、はっと顔を上げた。もう一度聞くと、彼は「あー……」となんともいえない声を出した。
「なんというかな、あの世界において服は防具の意味合いもある。どうしても強さを見せつけるものになるから、タマキを筆頭に派手好みは多い。可愛らしいものもあるにはあるんだが……こう……着る人が少ないから作る人も少なく……、その……、デザインはなくはないんだが、諸々の技術が伴っていないと言うか……」
「ダサいんよ」
ヤトが言いにくそうにしているところをツキナルさんがはっきり言い切った。
「ダサいんよ……」
「二回も言うほど?」
「耐えられへん、あんな……ダサい、しんどい……」
「三回も言った!」
そんなことあるかと思ってヤトを見ると「歯に衣きせなければ、そうだ。だから着るものがまた減る」と言い切った。これは相当だろう。
「しかし、お前がそんな物を作りたいのは知らなかった。タマキの服だけで満足してるのかと……」
「高級品ばっかり食べられるのん!? たまには粗食を楽しみたいんどす!!」
「……失礼極まりないな、お前……」
ヤトは呆れ返っていたが、気持ちはわからないでもない。
タマキさんの顔はハチャメチャにいいし、あの顔に合う服を作れるのは楽しいだろう。しかし、そればっかりだとどうしても系統が似てきてしまう。そして、確かに私の顔はタマキさんみたいなバチバチ顔ではない。
粗食と言われるとムカつくところもあるにはあるが、タマキさんと比べられては怒りも萎む(バチバチ美人だから)。
「んー、しかし、私も可愛い服は似合わないと……」
「似合うよ。似合う。君は似合う。可愛い。間違いない。見たい」
「え、あ、あぁ、ありがとね、ヤト……」
聞いてない方向から擁護されてしまった。どうしたものかと悩んでいると、ツキナルさんが眉を下げた。
「無理をさせるつもりはのうて……」
「あ、いや、別に無理じゃないんだけど……」
「ええんどすか!?」
目がキラキラしている。
……断りにくくなった私は、ヤトの腕に隠れることにした。
「じゃあ……ヤトを通してくれる? 変なデザインならヤトが弾いてくれるでしょ?」
「それはもちろん。私の判断で良いのか?」
「私に似合う服はヤトのが詳しいよ」
「……では拝命されよう。ツキナル、そういうことだ」
「あなうれしや……」
ツキナルさんは手を揉み、私を見ると「いくらでも浮かぶさかい……どないしよう……」と職人特有の目になってしまった。いくらでも作られても困るのは私である。
「あっ、あんまり高いのはお金がないから、ほどほどの……」
「金なんかとりまへん! ありがとう!」
ツキナルさんはニコニコ笑顔でそう言い切ると、ふわり、と飛んだ。
足首についていた鈴がリンと鳴る。
ツキナルさんはクスクスと笑い、してやったりの色っぽい笑みを浮かべ、腰紐に挟んでいた扇子を抜いた。
「ほな……タマキ様との顔合わせの場をご用意いたします、『花屋葦船町の方々』。……うちはこれにて、失礼いたします」
ツキナルさんがそう言うと、強い風が吹いた。その風に目を閉じて、……目を開けたらもうツキナルさんはいなかった。
残された私は乱れた髪をとかしながら、ヤトを見上げる。ヤトは目元を赤くして、嬉しそうに微笑んでいた。
「……嬉しそう」
「うん。君の新しい服が楽しみだ」
「そっち? ……タマキさんの方じゃなくて?」
彼は気まずそうに笑いながら、髪をかきあげる。
「……子どもの時から知ってる相手と殺し合わずに済んだ。ありがとう、六花」
「私は何もしてないよ」
「タマキが許したのは、君がカタスに来ると言ったからだ。君はカタスでは生きられないからね。……あいつも私の番を、自分の領土で死なせたらどうなるか、わからないやつではない……」
「ふうん? よくわかんないけど、役に立ててよかった」
「役立つどころの話じゃないよ。……君は本当にいつも、……私の思わないやり方で私を助けてくれてるよ」
ヤトがとても大切そうに私の頬に触れる。
これまではただ受け止めるだけだったその手、あたたかくていい匂いがする彼の手に頬をすりよせてみる。
「……幸せだな」
彼は本当に幸せそうに笑ってくれた。
「ふふ、私も幸せ」
こんな風にコミュニケーションができるのが、恋人なんだろう。
(なら、恋人になってよかった)
一晩経って、今更しみじみ思った。
「君とのこの日々が好きだよ、私は」
「ふふ、ほどほどに危なくて、楽しいよね」
「違いない」
ヤトがクスクス笑いながら、私に触れるだけのキスをした。
□
――そうして、私たちは始まった。
私たちの関係は変わっても、日常は変わらない。幸せで愛すべき平和な、穏やかな日々。……そう、少なくとも、始まりだけは、穏やかに私たちは始まったのだ。
けれど生活に変化があったかといえば、予想外のことに、まったく変化はなかった。なぜそうなったかと言うと――話も始まりは、懇親会翌日の昼のことだ。
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「……せっかく君の体に入れるようにしたのに……こんな……こんな中途半端なところでやめろというのはさすがに酷ではないか?」
「中途半端もなにもないでしょ! ノーコンティニュー! 私の腰骨がイカれます!」
「嘘は良くないぞ、六花。君の体に負担をかけるようなことはしていない。あるとすれば疼きだけのはず……君だってまだしたいんじゃないか……?」
「この話はおしまいです! お、し、ま、い! そんな顔をしても駄目! コーヒー淹れて!」
「……いいさ、私は君の下僕として喜びを持って働こう」
「そういう言い方やめてくれない!?」
なんとか再度セックスに持ち込もうとするヤトと、なんとか休ませてほしい私との攻防が、私の勝ちで一旦落ち着き、リビングでコーヒーを飲んでいたときだ。
コーン、と高い音が寝室の窓からした。
「何事? 石でも投げつけられた?」
ヤトは片眉を上げ、嫌そうに目を細める。
「……面倒なのが来た」
「え、誰か来たの?」
「ツキナルだ」
「つ……? 誰? 知り合い?」
ヤトは目を閉じ、言葉を選んでから口を開いた。
「私たちが毛刈りしていた人面の獣たちがいるだろ?」
「いるね」
「あれらの飼い主だな」
コーヒーを一口飲み、考える。
「……化け物狩りって、飼い主さんに謝ったら、許してもらえるレベルの所業だったけ?」
ヤトはコーヒーを飲み、首を傾げた。
「毛刈り程度でおさえたことを褒められこそすれ、やつが怒る理由はない。そもそもあいつが管理しきれていないのが悪いのだし……」
コーン、とまた高い音がしたので、私は覚悟を決めた。
「ついに土下座をする日が来たのね……人生初の土下座、ちゃんと決めないと……」
「しなくていい、しなくていい。そもそもなぜあいつは寝室から入ろうとしているんだ? ……変態なのか……?」
「それは確かにそう。玄関から来てもらいたいね、……迎えに行こうか」
それで、私たちは玄関に向かったのだ。
□
玄関の戸を開けると、リン、と頭上から鈴音がした。
見上げると、軍服に山伏が着るような上着を着ている、超きれいな中性的な人が宙に浮いていた(山伏の服についている、あのモフモフ。何の意味があるんだろうと毎回思うけど、可愛いなとも思う。あの、ごつい杖も、一体何なんだろう……。そもそもこの軍服の上に、和装。一体どういう世界観なんだ)。
タマキさんに似た服装だから、多分タマキさんの部下だろう(顔の系統もそっちだ)。この世界の人はみんな着飾っているあたり、ヤトが異端者と呼ばれる理由がなんとなくわかる。ちらりと横を見ると、今日も着流し。異常なほどに軽装だ。
とにかく、その人は私たちを見ると、とても嫌そうに降りてきた。
「どうして、そちらからでてきはるん?」
その人はしぶしぶといった様子で私たちの前に着地した。
「お前が入ろうとしておったのは寝室だぞ。無礼極まりなかろう。食い殺されたいのか?」
「寝室? ……どないな作りしてはるん、ここは……チッ、靴汚れるとちがうか……あぁ、かなん、服汚れるちゅうのんがいっちゃんやなことよ……」
「それで何用だ」
ぷちぷち勝手に一人で文句を言っているその人は、「来とて、来てるとでも……」と言った後、不自然なほど整った笑みで、ヤトではなく私を見た。
「タマキ様の側近で、お洋服係を務めております、ツキナル、と申します。以後お見知りおきを」
おっとりとそう言うと、ツキナルさんははんなりとお辞儀をしてくれた。久しぶりにまともな自己紹介をされた気がする私は、その人にお辞儀を返した。
「はじめまして、いっ……」
「名乗らなくていい。私が紹介する。……私の番だ」
そして名乗り返そうとしたら、その前にヤトに口を塞がれた(なぜ)。それに対し、ツキナルさんは「いややわぁ」とはんなりと嘆く。
「過保護どすなぁ。うちらはあんたとちゃいますさかい、名乗られたぐらいで縛ることはできしまへん。ええ年になって若い子捕まえてはしゃいで……」
「用件を言え。二度と話せなくさせるぞ」
ツキナルさんは嫌そうに目を細めてヤトを見たあと、「堪忍してくださいな、男どもはみぃんな、こう」となぜか私に笑いかけた(そう言えばこの人、男なのか、女なのか、……なんか綺麗だからどっちでもいいか……)。ヤトがグルグルと威嚇音を出すと、ツキナルさんは「余裕ない男やわ」と鼻で笑ったあと、袂から書類を取り出した。
「タマキ様からの伝言。『おまえはそこにいたらいい』、と……」
ヤトは目を丸くした。
「タマキが? そう言ったのか?」
「えぇ、代わりに花屋に仕事を依頼したいそうどす。くわしゅうはこちらに……店長はんはお嬢はんどしたなぁ。ほな、こちらを」
渡された書類を受け取り、開いてみる(ヤトも読みたそうなので二人で確認をすると)。門の前の道を花で彩ってほしい、だとか、役場が暗すぎるから花を飾れ、だとか……細々した依頼がたくさん並んでいる。
「……まごうことなき花屋への依頼だね」
「報酬が書いてないぞ」
「それは、こちら」
ツキナルさんが指差したところに書いてあった言葉を見て、考えて、ヤトを見上げて、目を閉じる。
「……一件あたり、金一キロは価格崩壊がひどすぎます」
「もっとあげましょか?」
「下げてください!!」
私の叫びにツキナルさんは「あらあら、良い子」とカラカラ笑う。冗談だったらしい。ホッとしていると、ツキナルさんが指を鳴らした。
報酬の欄が書き換わり、常識的な範囲になった(それでも金払いが良すぎるけど……)。ヤトを見ると、ヤトは困っているような、泣きそうな顔をしていた。
「……タマキは何を考えているんだ?」
「『花屋になったなら、これからは花屋と呼ぼう』とおっしゃっとりましたよ」
「は?」
「うちの主は器大きゅういてはりますさかい」
ツキナルさんはくすくす笑う。ヤトは眉間に皺を寄せると、なんとも言えない顔で私を見た。
「引っ越さなくてよくなったみたい?」
「……そのようだ」
「引っ越したい?」
「いや、ここがいい。……この世界に興味があるんだ」
初めて会ったときの異邦人の言葉だ。なんだか懐かしくて、つい、笑ってしまった。
「じゃあ花屋として挨拶に行かないとね。契約ならどの道、対面でやらないと。これ、委任状ついてないし」
「あらまぁ、しっかりしてはる」
「店長ですから。……タマキさんのアポってどうやって取ればいいですかね?」
ツキナルさんは私の顔を見て、それから何か悪いことを思いついた笑顔を浮かべた。
「んふ、うちを伝書鳩にしようと?」
「あ、いや、その、……」
「悲しおす。鳩の代わりにされるなんて……こないな屈辱は初めてどす……それに、うちのかいらしい子達も勝手に毛刈りされるし……新しい布作れんで困るわ……」
「その件は本当にごめんなさい!」
「ほな、どう償うてもらいまひょか……」
ヤトがものすごく苛ついた顔をしていて怖かったので、「どうしたらいいんです?」と茶番の先をうながすと、ツキナルさんはニンマリと笑った。
「うちの作った服を着てくれはしまへんか?」
「服? どういうこと?」
「こちらでは『モデル』といわはるんやろ」
「モデル? いや私なんかよりヤトの方が、……」
「あんたのような小さおして可愛らしい人の服を作ってみたかったんどす!」
ツキナルさんは真顔でそう言い切ったあと、はっとして、恥ずかしそうに目を逸らした。
「……どういうこと?」
「うちのとこはどないしても派手好みが多おすさかい……」
「……そうなの?」
ヤトを見上げると、ヤトは顎に手を当てて何か考えている。袖を引くと、はっと顔を上げた。もう一度聞くと、彼は「あー……」となんともいえない声を出した。
「なんというかな、あの世界において服は防具の意味合いもある。どうしても強さを見せつけるものになるから、タマキを筆頭に派手好みは多い。可愛らしいものもあるにはあるんだが……こう……着る人が少ないから作る人も少なく……、その……、デザインはなくはないんだが、諸々の技術が伴っていないと言うか……」
「ダサいんよ」
ヤトが言いにくそうにしているところをツキナルさんがはっきり言い切った。
「ダサいんよ……」
「二回も言うほど?」
「耐えられへん、あんな……ダサい、しんどい……」
「三回も言った!」
そんなことあるかと思ってヤトを見ると「歯に衣きせなければ、そうだ。だから着るものがまた減る」と言い切った。これは相当だろう。
「しかし、お前がそんな物を作りたいのは知らなかった。タマキの服だけで満足してるのかと……」
「高級品ばっかり食べられるのん!? たまには粗食を楽しみたいんどす!!」
「……失礼極まりないな、お前……」
ヤトは呆れ返っていたが、気持ちはわからないでもない。
タマキさんの顔はハチャメチャにいいし、あの顔に合う服を作れるのは楽しいだろう。しかし、そればっかりだとどうしても系統が似てきてしまう。そして、確かに私の顔はタマキさんみたいなバチバチ顔ではない。
粗食と言われるとムカつくところもあるにはあるが、タマキさんと比べられては怒りも萎む(バチバチ美人だから)。
「んー、しかし、私も可愛い服は似合わないと……」
「似合うよ。似合う。君は似合う。可愛い。間違いない。見たい」
「え、あ、あぁ、ありがとね、ヤト……」
聞いてない方向から擁護されてしまった。どうしたものかと悩んでいると、ツキナルさんが眉を下げた。
「無理をさせるつもりはのうて……」
「あ、いや、別に無理じゃないんだけど……」
「ええんどすか!?」
目がキラキラしている。
……断りにくくなった私は、ヤトの腕に隠れることにした。
「じゃあ……ヤトを通してくれる? 変なデザインならヤトが弾いてくれるでしょ?」
「それはもちろん。私の判断で良いのか?」
「私に似合う服はヤトのが詳しいよ」
「……では拝命されよう。ツキナル、そういうことだ」
「あなうれしや……」
ツキナルさんは手を揉み、私を見ると「いくらでも浮かぶさかい……どないしよう……」と職人特有の目になってしまった。いくらでも作られても困るのは私である。
「あっ、あんまり高いのはお金がないから、ほどほどの……」
「金なんかとりまへん! ありがとう!」
ツキナルさんはニコニコ笑顔でそう言い切ると、ふわり、と飛んだ。
足首についていた鈴がリンと鳴る。
ツキナルさんはクスクスと笑い、してやったりの色っぽい笑みを浮かべ、腰紐に挟んでいた扇子を抜いた。
「ほな……タマキ様との顔合わせの場をご用意いたします、『花屋葦船町の方々』。……うちはこれにて、失礼いたします」
ツキナルさんがそう言うと、強い風が吹いた。その風に目を閉じて、……目を開けたらもうツキナルさんはいなかった。
残された私は乱れた髪をとかしながら、ヤトを見上げる。ヤトは目元を赤くして、嬉しそうに微笑んでいた。
「……嬉しそう」
「うん。君の新しい服が楽しみだ」
「そっち? ……タマキさんの方じゃなくて?」
彼は気まずそうに笑いながら、髪をかきあげる。
「……子どもの時から知ってる相手と殺し合わずに済んだ。ありがとう、六花」
「私は何もしてないよ」
「タマキが許したのは、君がカタスに来ると言ったからだ。君はカタスでは生きられないからね。……あいつも私の番を、自分の領土で死なせたらどうなるか、わからないやつではない……」
「ふうん? よくわかんないけど、役に立ててよかった」
「役立つどころの話じゃないよ。……君は本当にいつも、……私の思わないやり方で私を助けてくれてるよ」
ヤトがとても大切そうに私の頬に触れる。
これまではただ受け止めるだけだったその手、あたたかくていい匂いがする彼の手に頬をすりよせてみる。
「……幸せだな」
彼は本当に幸せそうに笑ってくれた。
「ふふ、私も幸せ」
こんな風にコミュニケーションができるのが、恋人なんだろう。
(なら、恋人になってよかった)
一晩経って、今更しみじみ思った。
「君とのこの日々が好きだよ、私は」
「ふふ、ほどほどに危なくて、楽しいよね」
「違いない」
ヤトがクスクス笑いながら、私に触れるだけのキスをした。
□
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私たちの関係は変わっても、日常は変わらない。幸せで愛すべき平和な、穏やかな日々。……そう、少なくとも、始まりだけは、穏やかに私たちは始まったのだ。
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