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閑話 心を込めて懺悔する
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うっすら予想していたことだけど、ルームサービスはワゴン二台で届き、スイートルームのリビングスペースの長机を埋め尽くす量だった。
「ユウナギさんの分も込みで頼んでいたから、すべての計算が狂ってしまったな……」
「五十嵐さんはユウナギさんのこと、カバだと思ってるんですか?」
「それならもっと頼みますよ、あはは、ハナフサさん何を言ってんですか?」
「あれ!? 私がおかしいみたいな言われよう!?」
一見でわかる、とても食べきれない。でも、好きなものばかりで、食欲は出てくる。私たちは思い思いの料理をさらに盛る(といっても、ヤトもミハシさんも全然よそわないので、そこは私とハナフサさんがフォローした。地獄に向かって蹴り飛ばしたとも言う)。そうして全員で手を合わせ、示し合わせたようにステーキを一口。
切れ味の良いナイフ、口に入れてちょうどいい温度、あふれる肉汁、グレイビーソースの味わい深さ。くらくらするほどおいしい脂身!
「うっま……!!」
「美味しいですね! ……ミハシさん、食べてます?」
「眼鏡が曇りました……」
「血の味がするな……」
「「いい肉なんだから美味しそうに食べなさい!!」」
想定外のところでハナフサさんとハモってしまった。が、そうして和やかにお泊り会始まった。
せっかくの料理だけど、ヤトはほとんど手をつけず、少し口に含んでは、あとは水ばかり。何か考え込んでいる様子で私が話しかけても生返事ばかりだ。
だから私たち人間は、そんなヤトを横目にあれこれと話した。最近この街で起きている異変だとか、ミハシさんが昔遭遇した怪異の話だとか、ハナフサさんの好きな映画の監督の話だとか、そんな話をポツポツと続けた。
目の前にある大きな問題から目を離すように、なんとか間を持たせるように、私は特にハナフサさんと話し続けた。けれど、どうしても、ふ、と会話が途切れてしまう。そうしてできたその隙間に、ふ、とヤトは口を開いた。
「……六花の言う通りだ」
――どんな物事であっても、始まりから説明しようとすると、話し手の生まれから説明しなければならないものだ。どこから来た、どういう者で、何を願い、何を求めるのか、それが全ての行動の大前提……いつか私が話したことを彼は諳んじる。
「とても長い話になるな……」
宝石みたいな赤い瞳で此処ではない何処かを見ながら、昔々あるところに、……まるでそんな風に、ヤトは語り始めた。
□
「……星が生まれた直後は……命の定義はなかった」
ヤトはまばたきをしてから、息を吐いた。
「星が生まれ、光が認識され、闇が生まれたとき、私はできた。私は闇そのものだったが、『意識』はあった。孤独という言葉はなかったから、私は孤独は知らなかった……しかしあれ以上の孤独はない。……孤独とはあのことを指すのだ……」
ひゅう、と彼が息を吐く。まるで蛇のような息づかいだ。
「長い長い孤独……、私は、……あるとき、目についた小さな生き物に、……声をかけた。あぁ、そうだ、あれは、声をかけたのだ……だからそのとき、言葉が生まれた……」
少しだけ退屈じゃなくなった、とヤトは呟いた後、聞いたこともない言葉を話した。それは鳥の鳴き声のようで、オオカミの遠吠えのようでもあった。
「これは、あの頃の挨拶だ……もう誰も答えはしない」
彼は、何がおかしいのか、クスクスと笑う。
「言葉は……気が付けば、文化という形になった。それは、……とても面白いものだった……知恵を得た生き物は、……みるみる、形を変えて……」
ヤトの手が細かく震え、境が消えていく。とっさに彼の手をつかんだ。それでも彼の身体は闇に変わっていく。それでも、私はその闇を掴み続けた。
「やがて、支配が生まれ、争いが生まれた」
ふ、と聖書を思い出した。人間は知恵を与えられて楽園を追放される。知恵を与えた蛇は、――どうなったのだったか――
「言葉を使うものがなくなれば、その文化も消える。記録は燃やされ、命はなかったことになる……争いは何度も繰り返され、文化が生まれては消えていった……」
ヤトはまた、誰も使わない言葉を呟いた。そうしてその意味を、私たちに説明しようとはしない。ただ、彼しか知らない死者を弔う言葉であることは、なんとなくわかった。
「私は……彼らの言葉を全て知り、彼らの命を全て見た。どうにか破滅を止められないかと、手を、出したこともある。けれど彼らは、私にとっては弱すぎて、忙しすぎる。私を神と崇めてみたり、悪魔と罵ってみたり……いずれにしても、すぐ死ぬ……その内に見るのも嫌になって、……私は彼らが近づかない沼にいることが増えた……」
力こそが全ての世界で、力がありすぎるのは無意味だ、とヤトが笑う。何も楽しい話はしていないのに。あのまま沼の中におればよかったのに、と彼は自嘲する。
「……あるとき、沼に『侵入者』があらわれた。沼を埋めて土地にするのだと……不愉快で、打ち払った。……そしたらそいつは、『こんな実力者がいるとはしらなかった』『友だちになろう』などと……陽気な男だった。彼は街を作りたいのだと言った。あの頃は、皆それぞれ自分の力だけで生きていた……けれど彼は、街を作り、皆で幸福になりたいといった」
ヤトがため息をついた。
「そうして生まれたのが、今この世界と繋がった『街』……カタスだ」
ヤトが呼吸を繰り返す。
なんと、声をかけたらいいのかわからない。ハナフサさんもミハシさんも、何も話すことはなく、ヤトの――世界の始まりから居る神様のような生き物の言葉を待つ。
長い沈黙のあと、ヤトは、深く、深く息を吐いてから、また口を開いた。
「彼が……死んだとき、……街が荒れた。だから沼からカタスに住まいを移し、街の統治を手伝った。最初は力を行使して、治安を良くさせるだけだった。だが、次第に、……私は恐れられるようになった。その内に、街にいることも難しくなり、沼に戻り……統治者に頼まれた時に……都合よく力を行使する……統治者の影になった……」
愚かだろう、と彼は自分を笑う。その悲しい笑顔を見ていると、鼻の奥が痛くて仕方ない。でも何と声をかければいいのかわからない。
「カタスは、この世界で言うところの観光地だ。だから出入りも多いし、問題も起きやすく、治安もすぐ悪化する。だからこそ、今のカタスの統治者であるタマキは、……私を返してほしいのだろう。生まれる前から持っていた、統治に便利な、神という道具をな」
また、沈黙が落ちた。
ヤト、と、声を掛けると、彼はビクリと震えたあと、私を見上げた。
ヤトは道具じゃない、となんとか伝えると、そうだね、と彼は疲れたように笑った。
彼の声には力が残っていない。それでも、彼はまた口を開いた。
「……私たちの世界には番というものがある。相手は命でないこともある。土地を番に持つものは土地神となるようにね……私はずっと、……カタスが自分の守るものだと思っていた。だから、……そのためなら何をしたっていいのだと、信じていた」
彼の手が私の頬に触れる。
「何もわかってなかった。何も。私は何一つ自分で判断したことがなかったのだ。だから、暇つぶしに、自分を友と呼んだ相手の残したものを守るという大義名分で、……処罰を行い続けていた」
六花、と彼が私の名前を呼ぶ。
「……今回だって、そうだ。カタスで異変が起きたと言うから、調べて、この世界を見に来た。カタスに不必要なら全て破壊してしまえばいいと思っていたぐらいだ。なのに、……あちらの世界にはない植物、嗅いだことのない匂い、風さえ違う……不思議だった。この世界の闇は、私と違う……私の知らない星だ……なのに、不思議と息がしやすかった」
彼の手が私の頬を何度も撫で、私の目を覗き込む。
「そして、君に出会った。その時、何もかも変わってしまった。無数の命を見てきた私だから、はっきり、わかってしまった。私の番はカタスではない。君だ。この、孤独の終わりが君なのだと……君は、……私にとっての唯一なんだよ、六花」
これはヤトの独白で、――懺悔だ。
「だからもう私は、影には戻れない」
君が好きだから、とヤトは言う。
彼の言葉の重さを、私は今更理解する。だから、返事ができない。泣くのを必死にこらえていると、ヤトは眉を下げて笑った。
「……私はあの世界にとって『そういう存在』だ。だから、私がこの世界を守ると宣言すれば、抑止力にはなる。とは言え戦争となれば、私一人で守れるものは限られる」
ヤトが私から目を逸らし、私の頬から手を離した。そうして彼はМ機関の二人を見た。
「交渉はお前たちの仕事だ。私を交渉材料に使ってもいいが、切り札は他に必要だ。切り札はお前たち人間が自ら用意しなければ、……」
彼は長くため息をつくと、「さすがに話し疲れた」と苦笑した。
□
ヤトの独白のあと、ミハシさんは深く頭を下げた。
「……わかりました。交渉を行う上でのこちらの手札を用意します。戦争は避けたい、それはこちらの総意です」
「そうだな。だが、あまり……下手に出るのもよくはない」
ヤトは前髪をかきあげ、気持ちを切り替えるように眉間をもんでから、目を開いた。
「あちらの世界は、口調が荒くないと、下に見られるんだ」
ミハシさんが首をかしげる。
「敬語を使うとな……その時点で下に見られて、殴りかかられる。『私』だとか『僕』だとか、そんな言葉遣いで話してみろ、下僕扱いだ。無論、力を示せば態度は変わるが……面倒なんだ。初めから威圧しておいたほうが手間が減る。特に……タマキと話すときは、気を遣う」
ヤトは億劫そうに前髪をかき上げた。
「あいつは元から不遜なんだが、調子に乗りやすいんだ。その上で実力もある、……こう……ほどほどに調子に乗らせ、ほどほどのところで話を切り上げないと……話が長引く挙句に実りがない……」
社会人みたいな悩みを抱えていて、つい、笑ってしまう。
「ヤト、ずっと大変だったんだね」
私がそう言うと、彼は私を見て、くしゃりと笑った。
「……ウン、大変だった」
私が手を差し出すと、彼は私の手を取った。
「君がいなくて、大変だったんだ」
俯き私の手に額を付けて、彼は呟く。知らなく世界の言葉だったけど、美しい響きをしている。長い歌のようだ。それを聞きながら、目を閉じる。美しい調べが終わったあと、私は口を開いた。
「……番が何かはやっぱりわからないけど……私もヤトを守ってあげたいと思ってるよ」
「……守る?」
「うん。ヤトが神様みたいなものだったとしても、私は守ってあげたいと思ってる。だから、……」
目を開けると、目が合った。
「ゆるしてあげるよ」
ふと、その言葉が口をついて出た。
「ヤトがしてきたこと、ゆるしてあげる。一人で、ずっと、頑張ったね。……偉いよ、ヤト」
「……きみはっ……」
ヤトの赤い瞳のように、ヤトの頬が赤くなる。彼は唸り声を上げながら、私にすがりついてきた。
「わ。いてて、力強いよ、ヤト」
「……きみは、ずるいよ……」
「私、ずるいの? ごめんね」
「……、……いいよ、……謝らないで……」
彼を抱きとめ、彼の背中を撫でる。
「あのね、ヤトはここにいる。道具じゃないよ。生きてる命。……神様なんかじゃない。そんなんじゃないよ……」
そうであってほしいと願いながら、私は、私にすがりつくヤトの背中を撫で続けた。彼は、うん、と私の言葉に頷いて、けれどそのまま朝まで顔を上げることはなかった。
□
「……しばらくおかずには困りませんね」
「タッパー洗って返すべきかな?」
「5つ星ホテルだから大丈夫ですよ」
「だといいけど……送ってくれてありがとう、ハナフサさん」
翌朝、ハナフサさんはココノエさんの家にユウナギさんを届け、本部にミハシさんを届け、その後私達を店まで届けてくれた(ちなみに食べきれなかったディナーはタッパーに詰めてもらい、半分を我が家に、半分は彼が持って帰ることになった)。ヤトに先にタッパーを冷蔵庫にいれるよう頼み、トランクを開ける。
「あ、出しますよ」
「あ、ありがとうございます」
トランクから荷物を出しながらハナフサさんは「すごいですね」と唐突に言った。
「何が?」
「昨日の……」
「ヤトの話? うん、……すごかったね。そこまで長生きだと思ってなかった」
「あ、いや……」
ハナフサさんは私のキャリーケースを下ろしてから、前髪をかきあげた。
「五十嵐さん、……ヤトさんとのこと、応援します。『俺』、お二人の恋、応援します」
彼は健やかに笑った。
素の口調で、素の笑顔だとはっきりわかる。
だからこそ意味がわからない。
「恋って……昨日そんな話はどこにも……」
「お二人と恋バナできてよかったです」
「ぇええ?」
「次は俺の方も相談しますね」
「つ、次とは……? いやちょっと待ってハナフサさん好きな人いるの!? 誰!? 聞きたい!」
「それは次の機会に。また伺います。では、今日はこれで」
「あ、え、あぁ、そう……え、……?」
爆弾発言を置いて彼は帰ってしまった。残された私はその車を見送りながら「気になるなー」と呟くしかできなかった。
このときはまだ――私は先のことを楽観視していた。М機関なんていうのがいるのだし、ヤトもいるのだし、きっと交渉も何とかなって、うまいこといくのだ思っていた。だから忘れていたのだ。
「……ふ、ハナフサさん、すっかり友だちみたいだ」
この世界は異世界と繋がっていて、行方不明になっている人がいることを。そしてМ機関は彼らを助けるために、……この国のために命を捨てる『覚悟』はとうにしているという、そのことを……私は頭が良くないから、すっかり忘れていたのだ。
「六花、店を開けよう」
「うん! 今日もよろしくね、ヤト」
この平穏が、薄氷の上にあることを。
「ユウナギさんの分も込みで頼んでいたから、すべての計算が狂ってしまったな……」
「五十嵐さんはユウナギさんのこと、カバだと思ってるんですか?」
「それならもっと頼みますよ、あはは、ハナフサさん何を言ってんですか?」
「あれ!? 私がおかしいみたいな言われよう!?」
一見でわかる、とても食べきれない。でも、好きなものばかりで、食欲は出てくる。私たちは思い思いの料理をさらに盛る(といっても、ヤトもミハシさんも全然よそわないので、そこは私とハナフサさんがフォローした。地獄に向かって蹴り飛ばしたとも言う)。そうして全員で手を合わせ、示し合わせたようにステーキを一口。
切れ味の良いナイフ、口に入れてちょうどいい温度、あふれる肉汁、グレイビーソースの味わい深さ。くらくらするほどおいしい脂身!
「うっま……!!」
「美味しいですね! ……ミハシさん、食べてます?」
「眼鏡が曇りました……」
「血の味がするな……」
「「いい肉なんだから美味しそうに食べなさい!!」」
想定外のところでハナフサさんとハモってしまった。が、そうして和やかにお泊り会始まった。
せっかくの料理だけど、ヤトはほとんど手をつけず、少し口に含んでは、あとは水ばかり。何か考え込んでいる様子で私が話しかけても生返事ばかりだ。
だから私たち人間は、そんなヤトを横目にあれこれと話した。最近この街で起きている異変だとか、ミハシさんが昔遭遇した怪異の話だとか、ハナフサさんの好きな映画の監督の話だとか、そんな話をポツポツと続けた。
目の前にある大きな問題から目を離すように、なんとか間を持たせるように、私は特にハナフサさんと話し続けた。けれど、どうしても、ふ、と会話が途切れてしまう。そうしてできたその隙間に、ふ、とヤトは口を開いた。
「……六花の言う通りだ」
――どんな物事であっても、始まりから説明しようとすると、話し手の生まれから説明しなければならないものだ。どこから来た、どういう者で、何を願い、何を求めるのか、それが全ての行動の大前提……いつか私が話したことを彼は諳んじる。
「とても長い話になるな……」
宝石みたいな赤い瞳で此処ではない何処かを見ながら、昔々あるところに、……まるでそんな風に、ヤトは語り始めた。
□
「……星が生まれた直後は……命の定義はなかった」
ヤトはまばたきをしてから、息を吐いた。
「星が生まれ、光が認識され、闇が生まれたとき、私はできた。私は闇そのものだったが、『意識』はあった。孤独という言葉はなかったから、私は孤独は知らなかった……しかしあれ以上の孤独はない。……孤独とはあのことを指すのだ……」
ひゅう、と彼が息を吐く。まるで蛇のような息づかいだ。
「長い長い孤独……、私は、……あるとき、目についた小さな生き物に、……声をかけた。あぁ、そうだ、あれは、声をかけたのだ……だからそのとき、言葉が生まれた……」
少しだけ退屈じゃなくなった、とヤトは呟いた後、聞いたこともない言葉を話した。それは鳥の鳴き声のようで、オオカミの遠吠えのようでもあった。
「これは、あの頃の挨拶だ……もう誰も答えはしない」
彼は、何がおかしいのか、クスクスと笑う。
「言葉は……気が付けば、文化という形になった。それは、……とても面白いものだった……知恵を得た生き物は、……みるみる、形を変えて……」
ヤトの手が細かく震え、境が消えていく。とっさに彼の手をつかんだ。それでも彼の身体は闇に変わっていく。それでも、私はその闇を掴み続けた。
「やがて、支配が生まれ、争いが生まれた」
ふ、と聖書を思い出した。人間は知恵を与えられて楽園を追放される。知恵を与えた蛇は、――どうなったのだったか――
「言葉を使うものがなくなれば、その文化も消える。記録は燃やされ、命はなかったことになる……争いは何度も繰り返され、文化が生まれては消えていった……」
ヤトはまた、誰も使わない言葉を呟いた。そうしてその意味を、私たちに説明しようとはしない。ただ、彼しか知らない死者を弔う言葉であることは、なんとなくわかった。
「私は……彼らの言葉を全て知り、彼らの命を全て見た。どうにか破滅を止められないかと、手を、出したこともある。けれど彼らは、私にとっては弱すぎて、忙しすぎる。私を神と崇めてみたり、悪魔と罵ってみたり……いずれにしても、すぐ死ぬ……その内に見るのも嫌になって、……私は彼らが近づかない沼にいることが増えた……」
力こそが全ての世界で、力がありすぎるのは無意味だ、とヤトが笑う。何も楽しい話はしていないのに。あのまま沼の中におればよかったのに、と彼は自嘲する。
「……あるとき、沼に『侵入者』があらわれた。沼を埋めて土地にするのだと……不愉快で、打ち払った。……そしたらそいつは、『こんな実力者がいるとはしらなかった』『友だちになろう』などと……陽気な男だった。彼は街を作りたいのだと言った。あの頃は、皆それぞれ自分の力だけで生きていた……けれど彼は、街を作り、皆で幸福になりたいといった」
ヤトがため息をついた。
「そうして生まれたのが、今この世界と繋がった『街』……カタスだ」
ヤトが呼吸を繰り返す。
なんと、声をかけたらいいのかわからない。ハナフサさんもミハシさんも、何も話すことはなく、ヤトの――世界の始まりから居る神様のような生き物の言葉を待つ。
長い沈黙のあと、ヤトは、深く、深く息を吐いてから、また口を開いた。
「彼が……死んだとき、……街が荒れた。だから沼からカタスに住まいを移し、街の統治を手伝った。最初は力を行使して、治安を良くさせるだけだった。だが、次第に、……私は恐れられるようになった。その内に、街にいることも難しくなり、沼に戻り……統治者に頼まれた時に……都合よく力を行使する……統治者の影になった……」
愚かだろう、と彼は自分を笑う。その悲しい笑顔を見ていると、鼻の奥が痛くて仕方ない。でも何と声をかければいいのかわからない。
「カタスは、この世界で言うところの観光地だ。だから出入りも多いし、問題も起きやすく、治安もすぐ悪化する。だからこそ、今のカタスの統治者であるタマキは、……私を返してほしいのだろう。生まれる前から持っていた、統治に便利な、神という道具をな」
また、沈黙が落ちた。
ヤト、と、声を掛けると、彼はビクリと震えたあと、私を見上げた。
ヤトは道具じゃない、となんとか伝えると、そうだね、と彼は疲れたように笑った。
彼の声には力が残っていない。それでも、彼はまた口を開いた。
「……私たちの世界には番というものがある。相手は命でないこともある。土地を番に持つものは土地神となるようにね……私はずっと、……カタスが自分の守るものだと思っていた。だから、……そのためなら何をしたっていいのだと、信じていた」
彼の手が私の頬に触れる。
「何もわかってなかった。何も。私は何一つ自分で判断したことがなかったのだ。だから、暇つぶしに、自分を友と呼んだ相手の残したものを守るという大義名分で、……処罰を行い続けていた」
六花、と彼が私の名前を呼ぶ。
「……今回だって、そうだ。カタスで異変が起きたと言うから、調べて、この世界を見に来た。カタスに不必要なら全て破壊してしまえばいいと思っていたぐらいだ。なのに、……あちらの世界にはない植物、嗅いだことのない匂い、風さえ違う……不思議だった。この世界の闇は、私と違う……私の知らない星だ……なのに、不思議と息がしやすかった」
彼の手が私の頬を何度も撫で、私の目を覗き込む。
「そして、君に出会った。その時、何もかも変わってしまった。無数の命を見てきた私だから、はっきり、わかってしまった。私の番はカタスではない。君だ。この、孤独の終わりが君なのだと……君は、……私にとっての唯一なんだよ、六花」
これはヤトの独白で、――懺悔だ。
「だからもう私は、影には戻れない」
君が好きだから、とヤトは言う。
彼の言葉の重さを、私は今更理解する。だから、返事ができない。泣くのを必死にこらえていると、ヤトは眉を下げて笑った。
「……私はあの世界にとって『そういう存在』だ。だから、私がこの世界を守ると宣言すれば、抑止力にはなる。とは言え戦争となれば、私一人で守れるものは限られる」
ヤトが私から目を逸らし、私の頬から手を離した。そうして彼はМ機関の二人を見た。
「交渉はお前たちの仕事だ。私を交渉材料に使ってもいいが、切り札は他に必要だ。切り札はお前たち人間が自ら用意しなければ、……」
彼は長くため息をつくと、「さすがに話し疲れた」と苦笑した。
□
ヤトの独白のあと、ミハシさんは深く頭を下げた。
「……わかりました。交渉を行う上でのこちらの手札を用意します。戦争は避けたい、それはこちらの総意です」
「そうだな。だが、あまり……下手に出るのもよくはない」
ヤトは前髪をかきあげ、気持ちを切り替えるように眉間をもんでから、目を開いた。
「あちらの世界は、口調が荒くないと、下に見られるんだ」
ミハシさんが首をかしげる。
「敬語を使うとな……その時点で下に見られて、殴りかかられる。『私』だとか『僕』だとか、そんな言葉遣いで話してみろ、下僕扱いだ。無論、力を示せば態度は変わるが……面倒なんだ。初めから威圧しておいたほうが手間が減る。特に……タマキと話すときは、気を遣う」
ヤトは億劫そうに前髪をかき上げた。
「あいつは元から不遜なんだが、調子に乗りやすいんだ。その上で実力もある、……こう……ほどほどに調子に乗らせ、ほどほどのところで話を切り上げないと……話が長引く挙句に実りがない……」
社会人みたいな悩みを抱えていて、つい、笑ってしまう。
「ヤト、ずっと大変だったんだね」
私がそう言うと、彼は私を見て、くしゃりと笑った。
「……ウン、大変だった」
私が手を差し出すと、彼は私の手を取った。
「君がいなくて、大変だったんだ」
俯き私の手に額を付けて、彼は呟く。知らなく世界の言葉だったけど、美しい響きをしている。長い歌のようだ。それを聞きながら、目を閉じる。美しい調べが終わったあと、私は口を開いた。
「……番が何かはやっぱりわからないけど……私もヤトを守ってあげたいと思ってるよ」
「……守る?」
「うん。ヤトが神様みたいなものだったとしても、私は守ってあげたいと思ってる。だから、……」
目を開けると、目が合った。
「ゆるしてあげるよ」
ふと、その言葉が口をついて出た。
「ヤトがしてきたこと、ゆるしてあげる。一人で、ずっと、頑張ったね。……偉いよ、ヤト」
「……きみはっ……」
ヤトの赤い瞳のように、ヤトの頬が赤くなる。彼は唸り声を上げながら、私にすがりついてきた。
「わ。いてて、力強いよ、ヤト」
「……きみは、ずるいよ……」
「私、ずるいの? ごめんね」
「……、……いいよ、……謝らないで……」
彼を抱きとめ、彼の背中を撫でる。
「あのね、ヤトはここにいる。道具じゃないよ。生きてる命。……神様なんかじゃない。そんなんじゃないよ……」
そうであってほしいと願いながら、私は、私にすがりつくヤトの背中を撫で続けた。彼は、うん、と私の言葉に頷いて、けれどそのまま朝まで顔を上げることはなかった。
□
「……しばらくおかずには困りませんね」
「タッパー洗って返すべきかな?」
「5つ星ホテルだから大丈夫ですよ」
「だといいけど……送ってくれてありがとう、ハナフサさん」
翌朝、ハナフサさんはココノエさんの家にユウナギさんを届け、本部にミハシさんを届け、その後私達を店まで届けてくれた(ちなみに食べきれなかったディナーはタッパーに詰めてもらい、半分を我が家に、半分は彼が持って帰ることになった)。ヤトに先にタッパーを冷蔵庫にいれるよう頼み、トランクを開ける。
「あ、出しますよ」
「あ、ありがとうございます」
トランクから荷物を出しながらハナフサさんは「すごいですね」と唐突に言った。
「何が?」
「昨日の……」
「ヤトの話? うん、……すごかったね。そこまで長生きだと思ってなかった」
「あ、いや……」
ハナフサさんは私のキャリーケースを下ろしてから、前髪をかきあげた。
「五十嵐さん、……ヤトさんとのこと、応援します。『俺』、お二人の恋、応援します」
彼は健やかに笑った。
素の口調で、素の笑顔だとはっきりわかる。
だからこそ意味がわからない。
「恋って……昨日そんな話はどこにも……」
「お二人と恋バナできてよかったです」
「ぇええ?」
「次は俺の方も相談しますね」
「つ、次とは……? いやちょっと待ってハナフサさん好きな人いるの!? 誰!? 聞きたい!」
「それは次の機会に。また伺います。では、今日はこれで」
「あ、え、あぁ、そう……え、……?」
爆弾発言を置いて彼は帰ってしまった。残された私はその車を見送りながら「気になるなー」と呟くしかできなかった。
このときはまだ――私は先のことを楽観視していた。М機関なんていうのがいるのだし、ヤトもいるのだし、きっと交渉も何とかなって、うまいこといくのだ思っていた。だから忘れていたのだ。
「……ふ、ハナフサさん、すっかり友だちみたいだ」
この世界は異世界と繋がっていて、行方不明になっている人がいることを。そしてМ機関は彼らを助けるために、……この国のために命を捨てる『覚悟』はとうにしているという、そのことを……私は頭が良くないから、すっかり忘れていたのだ。
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