5 / 9
6. SNS奇談 ~#イイネ~
しおりを挟む
「リオちゃん。もう一度聞くわね」
真剣な顔つきで、ナルミの母親はリオに言った。
消毒液の匂いが立ち込める薄暗い病室、清潔なベッドの上で、リオは項垂れていた。
「昨日の夜中、ナルミと栗須湖に行って……そこで何があったの? 何故ナルミは帰ってこないの?」
ベッドテーブルに置かれたスマホを、リオはじっと凝視した。
真っ暗な液晶画面に、リオの顔が映っている。
なんてひどい顔だろう。目の下には濃い隈が浮き、頰はげっそりと痩せこけて。たった一晩で人の顔はこんな風に様変わりするのか……
見ていられなくて、リオは目を伏せた。
「お願い、教えて。ナルミはどうしたの?」
ナルミの母親が再度尋ねる。青紫色の荒れた唇を、リオはゆっくり開いた。
昨夜のこと。
リオとナルミは、ネットの怪談サイトで、栗須湖にまつわる恐ろしい噂を知った。
――十三日の金曜日に栗須湖に行くと、湖の底に眠る〈怪物〉が現れ、殺戮の限りを尽くす――
「こんなの眉唾でしょ」
リオは鼻白んだが、ナルミは「行ってみよう」と提案した。動機は実にくだらないものだった。
「最近さぁ、『イイネ』の数、減っちゃったんだよね。ここらでちょっと盛り返したいんだぁ」
ナルミはインスタグラムにハマっていた。重度の中毒者だった。『イイネ』の数が彼女の人としてのステイタスであり、生き甲斐だった。
そうして八月十三日の金曜日、リオとナルミは車を走らせて栗須湖に向かった。夏休みの長い、ヒマを持て余した大学生。行動力だけはあった。
かつてはリゾート地として盛況した栗須湖は、今は廃墟同然までに落ちぶれていた。鬱蒼とした森に囲まれ湖は、不法投棄されたゴミだらけだ。いかにもナニカが出そうな、不気味な湖。
「うわー雰囲気ありすぎ。一枚撮ってアップしよっと。……えっ、マジ? 一瞬で十個もイイネきたよ! すご!」
ナルミの弾んだ声に返事しようとした、時。
……ぱしゃんっ。
微かな水音が立った。水面も、風のせいでなく揺れている。
一瞬で不穏に染められた空気の中、……ぱしゃんっ。
また、水音が。
湖の中央に目を転じると、丸いものがぷかりと浮かんでいた。徐々にこちらにスイーーーーと近づいてくる。まっすぐリオとナルミに向かってくる。
『それ』は人の頭だった。
暗いせいで顔の造形は分からないが、禿頭の……男。
男が陸に上がった。その人影はとんでもなく巨体だった。
男の手には、何やら棒状のものに扇形の金属の板を付けたものがある。あれは、
……斧、だ。
嘘でしょ――眼前の光景に信じられないでいると、耳にもっと信じられない音が届いた。
カシャカシャカシャカシャカシャ!!
ナルミが『それ』の写真を撮っているのだ。
「な、何やってんのよナルミ!」
だが、そのおかげでリオは正気を取り戻した。なおもカメラ画面をタップし続けるナルミの腕を引っ張り、車を停めた森の中までダッシュした。
息も絶え絶えで車に乗り込む。『あいつ』はまだ追ってこない。ひとまずは安心だ、早く逃げようと思った。
「リオ……ヤバイよ、これ」
ナルミが言った。
その声は震えていた。
「……一万イイネ、いっちゃった……」
ふふっ、ふふふ……ひひっ
喜びで震えるナルミの笑い声に、リオは血の気が引いた。
歪んだうすら笑いを浮かべるナルミは、車のドアを開け、元の場所――栗須湖の方へ疾走した。スマホを握りしめて。
「ナルミ! ナルミー!!」
リオの制止は届かなかった。
……そこまで話し終えたところで、ナルミの母親が、口角を上げて首を傾げた。
その表情は歪んだうすら笑いにも見え、あの時のナルミを思わせた。
「どういうことなの……?」
「……」
リオは無言で、母親にナルミのインスタグラムのホーム画面を見せた。
ナルミの最後の投稿にはーー間近に迫る人ならざるものの顔、まっくらな中にぎょろりと光る二対の眼、そして振り下ろされる斧が映っていた。
間違いなく、栗須湖に棲まう〈怪物〉の写真だ。そしてナルミはその餌食に……。
「ナルミは、イイネのために……その〈怪物〉の元に戻ったってこと……!?」
信じられない、理解できない、と母親は何度もかぶりを振った。
頭を抱えて喘ぐ母親を見ながら、リオは思った。
(……でもね、おばさん。ナルミはきっと満足してると思うよ)
その投稿には『イイネ!』の文字の横に、ハートマークと『37,564件』という数字が付けられていた。
真剣な顔つきで、ナルミの母親はリオに言った。
消毒液の匂いが立ち込める薄暗い病室、清潔なベッドの上で、リオは項垂れていた。
「昨日の夜中、ナルミと栗須湖に行って……そこで何があったの? 何故ナルミは帰ってこないの?」
ベッドテーブルに置かれたスマホを、リオはじっと凝視した。
真っ暗な液晶画面に、リオの顔が映っている。
なんてひどい顔だろう。目の下には濃い隈が浮き、頰はげっそりと痩せこけて。たった一晩で人の顔はこんな風に様変わりするのか……
見ていられなくて、リオは目を伏せた。
「お願い、教えて。ナルミはどうしたの?」
ナルミの母親が再度尋ねる。青紫色の荒れた唇を、リオはゆっくり開いた。
昨夜のこと。
リオとナルミは、ネットの怪談サイトで、栗須湖にまつわる恐ろしい噂を知った。
――十三日の金曜日に栗須湖に行くと、湖の底に眠る〈怪物〉が現れ、殺戮の限りを尽くす――
「こんなの眉唾でしょ」
リオは鼻白んだが、ナルミは「行ってみよう」と提案した。動機は実にくだらないものだった。
「最近さぁ、『イイネ』の数、減っちゃったんだよね。ここらでちょっと盛り返したいんだぁ」
ナルミはインスタグラムにハマっていた。重度の中毒者だった。『イイネ』の数が彼女の人としてのステイタスであり、生き甲斐だった。
そうして八月十三日の金曜日、リオとナルミは車を走らせて栗須湖に向かった。夏休みの長い、ヒマを持て余した大学生。行動力だけはあった。
かつてはリゾート地として盛況した栗須湖は、今は廃墟同然までに落ちぶれていた。鬱蒼とした森に囲まれ湖は、不法投棄されたゴミだらけだ。いかにもナニカが出そうな、不気味な湖。
「うわー雰囲気ありすぎ。一枚撮ってアップしよっと。……えっ、マジ? 一瞬で十個もイイネきたよ! すご!」
ナルミの弾んだ声に返事しようとした、時。
……ぱしゃんっ。
微かな水音が立った。水面も、風のせいでなく揺れている。
一瞬で不穏に染められた空気の中、……ぱしゃんっ。
また、水音が。
湖の中央に目を転じると、丸いものがぷかりと浮かんでいた。徐々にこちらにスイーーーーと近づいてくる。まっすぐリオとナルミに向かってくる。
『それ』は人の頭だった。
暗いせいで顔の造形は分からないが、禿頭の……男。
男が陸に上がった。その人影はとんでもなく巨体だった。
男の手には、何やら棒状のものに扇形の金属の板を付けたものがある。あれは、
……斧、だ。
嘘でしょ――眼前の光景に信じられないでいると、耳にもっと信じられない音が届いた。
カシャカシャカシャカシャカシャ!!
ナルミが『それ』の写真を撮っているのだ。
「な、何やってんのよナルミ!」
だが、そのおかげでリオは正気を取り戻した。なおもカメラ画面をタップし続けるナルミの腕を引っ張り、車を停めた森の中までダッシュした。
息も絶え絶えで車に乗り込む。『あいつ』はまだ追ってこない。ひとまずは安心だ、早く逃げようと思った。
「リオ……ヤバイよ、これ」
ナルミが言った。
その声は震えていた。
「……一万イイネ、いっちゃった……」
ふふっ、ふふふ……ひひっ
喜びで震えるナルミの笑い声に、リオは血の気が引いた。
歪んだうすら笑いを浮かべるナルミは、車のドアを開け、元の場所――栗須湖の方へ疾走した。スマホを握りしめて。
「ナルミ! ナルミー!!」
リオの制止は届かなかった。
……そこまで話し終えたところで、ナルミの母親が、口角を上げて首を傾げた。
その表情は歪んだうすら笑いにも見え、あの時のナルミを思わせた。
「どういうことなの……?」
「……」
リオは無言で、母親にナルミのインスタグラムのホーム画面を見せた。
ナルミの最後の投稿にはーー間近に迫る人ならざるものの顔、まっくらな中にぎょろりと光る二対の眼、そして振り下ろされる斧が映っていた。
間違いなく、栗須湖に棲まう〈怪物〉の写真だ。そしてナルミはその餌食に……。
「ナルミは、イイネのために……その〈怪物〉の元に戻ったってこと……!?」
信じられない、理解できない、と母親は何度もかぶりを振った。
頭を抱えて喘ぐ母親を見ながら、リオは思った。
(……でもね、おばさん。ナルミはきっと満足してると思うよ)
その投稿には『イイネ!』の文字の横に、ハートマークと『37,564件』という数字が付けられていた。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
【ショートショート】雨のおはなし
樹(いつき)@作品使用時は作者名明記必須
青春
◆こちらは声劇、朗読用台本になりますが普通に読んで頂ける作品になっています。
声劇用だと1分半ほど、黙読だと1分ほどで読みきれる作品です。
⚠動画・音声投稿サイトにご使用になる場合⚠
・使用許可は不要ですが、自作発言や転載はもちろん禁止です。著作権は放棄しておりません。必ず作者名の樹(いつき)を記載して下さい。(何度注意しても作者名の記載が無い場合には台本使用を禁止します)
・語尾変更や方言などの多少のアレンジはokですが、大幅なアレンジや台本の世界観をぶち壊すようなアレンジやエフェクトなどはご遠慮願います。
その他の詳細は【作品を使用する際の注意点】をご覧下さい。
【ショートショート】おやすみ
樹(いつき)@作品使用時は作者名明記必須
恋愛
◆こちらは声劇用台本になりますが普通に読んで頂いても癒される作品になっています。
声劇用だと1分半ほど、黙読だと1分ほどで読みきれる作品です。
⚠動画・音声投稿サイトにご使用になる場合⚠
・使用許可は不要ですが、自作発言や転載はもちろん禁止です。著作権は放棄しておりません。必ず作者名の樹(いつき)を記載して下さい。(何度注意しても作者名の記載が無い場合には台本使用を禁止します)
・語尾変更や方言などの多少のアレンジはokですが、大幅なアレンジや台本の世界観をぶち壊すようなアレンジやエフェクトなどはご遠慮願います。
その他の詳細は【作品を使用する際の注意点】をご覧下さい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる