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だいじょぶ、ですか

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 起きろ、という声が、七虹の意識を震わせた。
 ふっと覚醒する。
「……お母さん、もう朝なの?」
 などと言いながら、七虹は寝返りを打った。

 身体がだるい。今日は一日寝ていたい。

 そんな風に考えていた時だった。

「起きろっつってんだろが!」

 乱暴な口調での怒声が耳朶を震わせた。
「はい!」
 七虹は返事をして、寝床から下りる。だがそこは、自室のフカフカのベッドではなく、古いカウチソファで、呼んだのは母親ではなく昨日知り合った少年で、さらに七虹を呼んでいたわけではなかった。
「椿!」
 大和の叫びに呆然とした直後、七虹は眼前の光景に打ちのめされた。
 いつの間にか戻ってきた大和が、よく分からないものとデッキブラシを挟んで力比べをしている。
 何だろう、あれは。
 頭は魚みたいだが、身体は猿みたいだ。
 次に目にしたのは床の血だまりだった。傍らには大きなカメラが……四条のカメラが落ちている。

「な、何ですかあれ……」
 傍らの伍川に問う。先ほどの乱暴狼藉への恐怖や怒りは、目の前の非現実的な現実に上書きされていた。

「『人魚』だって……四条さんと六人部さんが、喰われて」

 その答えに驚愕する前に、大和の鋭い声が耳を打った。彼は椿を呼んでいる。必死に、何度も。

「大和くん! 大和くん、椿ちゃんは――」
 死んだの、と続ける。
 そう。椿は死んだ。七虹の目の前で、呆気なく死んだ。頭を打っただけでなく、おなかを何度も刺されて。
 それでもなお彼は椿を呼ぶ。デッキブラシで二体の『人魚』を相手取りながら、あきらめずに呼ぶ。

 ――すると、信じられないことが起こった。

 ダイニングテーブルに横たわった椿の死体が、ぴくりと動いた。
 髪を引っ張られ、足をつかまれて荷物みたいに扱われても、包丁の刃を腹に受けても、微動だにしなかった椿の死体が。死体が。……死体?

「え……?」

 椿の右手がゆっくりと動いた。
 何かをつかむように掲げ、その指先は痙攣している。
 ゲホッと咳が聞こえた。深呼吸に合わせて、その胸が上下した。
 死んだはずの椿の身体が、動いていた。
 彼女は髪を振り乱し、起き上がって、ダイニングテーブルの上に膝をついた。そして、こちらに顔を向ける。前髪の間から垣間見える目は血走っていて、人を呪う幽霊さながらの形相だった。

 七虹を見ていた。
『人魚』とはまた別の恐ろしさが、七虹の中に生まれた。

 次の瞬間、椿は七虹に向かって飛び出した。
 七虹はヒッと息を呑む。
 だが、椿は七虹の真横を通り過ぎた。
 そして、血にまみれた足で、誰も気づかなかった三体目の『人魚』の胴体に蹴りを入れる。
 『人魚』が吹っ飛ぶ。

「七虹さん」

 椿が七虹の方を向く。その瞳は今にも泣き出そうにゆがんでいた。
「逃げて!」
 それだけ言うと、椿は三体目の『人魚』に躍りかかった。『人魚』は口を大きく開け、椿の拳にかぶりつく。
 ガリッと固焼き煎餅を齧るような音。椿の右手首から先が、消えた。
 それでも椿は怯まず、手近にあったスタンドライトや花瓶を使って、『人魚』の頭に叩きつけた。最後はその辺にあったガラスの破片を『人魚』の首元に突き立てる。
 悲鳴すら上げず、『人魚』は動かなくなった。
 それを確認すると、椿は右腕を抱えて、床に膝をついた。痛いと唸りつつも、七虹に目を向けてくる。

「だいじょぶ、ですか?」

 そう椿は尋ね、左手を七虹の方へ伸ばす。
 だが七虹は、それを拒否した。

「嫌ぁ!」

 一連の出来事が、フィクションよりもバカバカしくて凄惨な光景が、七虹のか弱い精神を蝕んだ。

「やだ、やだやだやだ! 来ないで、……ばけものぉ!」

 頭を抱えて七虹は泣き叫んだ。
 視界の端で、思考のどこか冷静な部分で、椿の瞳が悲しくゆがむのを捉えた。
 だがそれが分かっても、七虹は喚く自分を止められなかった。

(椿ちゃんも、『化け物』だった)
 殺されても死なない、右手が無くなっても平気な、『化け物』だった。

 『化け物』が『人間』を喰うように、『人間』が『化け物』を喰うように、『人間』が『人間』を喰うように、
 『化け物』が『化け物』を、殺した。

 喉が潰れそうなほどの絶叫が迸った。このまま気絶できればどんなに楽だろう。
 しかし、そんな呑気な選択は許されなかった。
 男の野太い悲鳴が轟いた。仁藤からだった。
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