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化け物って何なんでしょうか
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5.
夕方になった。
午後五時を過ぎたが、夕陽は鈍重な雲に隠されて拝めず、ほの暗さが薄暗さに変わった。
七虹は自室のシングルソファーにぐったりと座っていた。
仁藤に待機するように言われたからだ。
時計の針の音というものは、どうしていったん意識し出すと、耳から離れなくなるのだろう。
どうしていったん不安になると、自分は無気力になってしまうのだろう。
きちんとした判断をしなくては、できることをしなくてはとは思うが、どうしたらよいのか分からない。
何を考えるべきなのかすら、見当がつかない。
時間だけが無駄に流れていく。
(……当然か)
自分は今まで、そうやって生きてきたのだ。
困ったことが起こっても、家族や周囲の人たちが率先して動いて、解決に導いてくれた。
たとえば、父が怪我をする。すると母が、「手当てはお母さんに任せなさい。七虹は血なんて怖いでしょう」と七虹を追い払う。
たとえば、母が風邪を引く。すると父が、「看病はおばさんに頼んだから、七虹は何もしなくていい。うつったら大変だ」と寝室のドアを閉める。
あとは何だろう。学校でクラス内にいざこざがあった時も、誰かが何事か働きかけて治めてくれた。
接客業のアルバイトをした時も、困ったことがあればすぐに店長や先輩に相談した。
みんな、すぐに「自分に任せろ」と丸投げさせてくれた。
七虹はそうやって生きてきた。二十二歳の今まで。
自分は長らく、あたたかくて雨も風も来ない殻の中にいたのだと――この年になって、ようやく思い知った。
(……そんな自分が嫌で、ここに来たのに)
頼りない、頼られない自分を変えようと参加したこの『企画』。
だというのに、こんな、とんでもないことが起こってしまった。
ここでも七虹は、役立たずだった。年下の――未成年の椿と大和が、あれほどキビキビ動いているのに。
情けなさと、今までにない不安と緊張と恐怖で、心がバラバラになりそうだった。
……ふいに喉の渇きを覚え、七虹は椅子から立ち、廊下に出ようとした。
「あっ」
ドアを開けると、そこに椿がいた。固く、暗い面持ちで。
「紅茶を淹れたんですけど、よかったら飲みませんか?」
あたたかい湯気が立った紅茶を差し出す。七虹は微笑して、受け取った。
すぐに去るかと思ったが、椿はその場からぐずぐずと動かなかった。
その様子に、もしかして、と七虹の勘が働く。
「椿ちゃん……も、不安なの?」
問いかけに、椿がハッと頭を上げる。眉が下がって、雷に怯える小動物のようだった。
椿がこくりと頷く。七虹はその手をとって招き、彼女をシングルソファーに座らせた。
「大和くんがいなくなっちゃったから、不安なの?」
しばし逡巡した後、椿は首肯した。
親とはぐれた幼子の様相に、七虹の庇護本能のようなものが疼く。そっとその肩口を撫でてやると、彼女の身体は驚くくらい冷えていた。
「ね、椿ちゃんと大和くんって、どういう関係なの?」
「関係……?」
「友達?」
「違う、と思います」
「恋人?」
「じゃないです……」
「もしかして兄妹とか? 全然似てないけど」
「それも違うんですけど……」
椿が口ごもった。
この二人の間にある、奇妙な親密感。友人でも恋人でも家族でもないのなら、何なのだろう。
「でもわたし、ひーちゃんを大事にしたいんです」
考えに考えて、椿はそんなことを言った。
「ひーちゃんに何かあったり、いなくなったりしたら、わたしはすごく困るから。だから……大事にしなきゃいけないんです」
理由は曖昧だが、行動理念は明瞭だった。
何かあったり、いなくなったりしたら、とても困る存在。
七虹にもそんな存在はいた。家族も友人も、いなくてはならないと思える存在だ。
けれどその概念に、「大事にしないといけない」は結びつかなかった。
そんなふうに、周りの人たちのことを思ったことがなかった。
(この子は……)
ーーこの子は持っているものが極端に少ないのかもしれない。
そんな直感が、ふと。
七虹にとっての『当たり前』が、彼女にとってはまったく『当たり前』ではないのかもしれない。
そんな思いにかられ、七虹は、やっと『疑う』気になった。
「ねぇ。一ノ宮さんは、どこに行ったと思う?」
「……」
「三井さんは、何に襲われて、あんな大怪我を負ったと思う?」
「……」
「――『人魚』は……人を喰べる『化け物』は、いると思う?」
自分にとっての常識を、疑う気になった。
この時間になっても一ノ宮が戻ってこない理由も、三井に何が起こったのかも、それの存在を認めればあっさりと辻褄が合う。
人ならざるものが近くに潜み、自分たちを襲っているのだ。
「『化け物』、ですか……」
椿が弱々しく言って、目を伏せた。
「『化け物』って何なんでしょうか」
奇天烈な質問に、七虹は面食らった。
夕方になった。
午後五時を過ぎたが、夕陽は鈍重な雲に隠されて拝めず、ほの暗さが薄暗さに変わった。
七虹は自室のシングルソファーにぐったりと座っていた。
仁藤に待機するように言われたからだ。
時計の針の音というものは、どうしていったん意識し出すと、耳から離れなくなるのだろう。
どうしていったん不安になると、自分は無気力になってしまうのだろう。
きちんとした判断をしなくては、できることをしなくてはとは思うが、どうしたらよいのか分からない。
何を考えるべきなのかすら、見当がつかない。
時間だけが無駄に流れていく。
(……当然か)
自分は今まで、そうやって生きてきたのだ。
困ったことが起こっても、家族や周囲の人たちが率先して動いて、解決に導いてくれた。
たとえば、父が怪我をする。すると母が、「手当てはお母さんに任せなさい。七虹は血なんて怖いでしょう」と七虹を追い払う。
たとえば、母が風邪を引く。すると父が、「看病はおばさんに頼んだから、七虹は何もしなくていい。うつったら大変だ」と寝室のドアを閉める。
あとは何だろう。学校でクラス内にいざこざがあった時も、誰かが何事か働きかけて治めてくれた。
接客業のアルバイトをした時も、困ったことがあればすぐに店長や先輩に相談した。
みんな、すぐに「自分に任せろ」と丸投げさせてくれた。
七虹はそうやって生きてきた。二十二歳の今まで。
自分は長らく、あたたかくて雨も風も来ない殻の中にいたのだと――この年になって、ようやく思い知った。
(……そんな自分が嫌で、ここに来たのに)
頼りない、頼られない自分を変えようと参加したこの『企画』。
だというのに、こんな、とんでもないことが起こってしまった。
ここでも七虹は、役立たずだった。年下の――未成年の椿と大和が、あれほどキビキビ動いているのに。
情けなさと、今までにない不安と緊張と恐怖で、心がバラバラになりそうだった。
……ふいに喉の渇きを覚え、七虹は椅子から立ち、廊下に出ようとした。
「あっ」
ドアを開けると、そこに椿がいた。固く、暗い面持ちで。
「紅茶を淹れたんですけど、よかったら飲みませんか?」
あたたかい湯気が立った紅茶を差し出す。七虹は微笑して、受け取った。
すぐに去るかと思ったが、椿はその場からぐずぐずと動かなかった。
その様子に、もしかして、と七虹の勘が働く。
「椿ちゃん……も、不安なの?」
問いかけに、椿がハッと頭を上げる。眉が下がって、雷に怯える小動物のようだった。
椿がこくりと頷く。七虹はその手をとって招き、彼女をシングルソファーに座らせた。
「大和くんがいなくなっちゃったから、不安なの?」
しばし逡巡した後、椿は首肯した。
親とはぐれた幼子の様相に、七虹の庇護本能のようなものが疼く。そっとその肩口を撫でてやると、彼女の身体は驚くくらい冷えていた。
「ね、椿ちゃんと大和くんって、どういう関係なの?」
「関係……?」
「友達?」
「違う、と思います」
「恋人?」
「じゃないです……」
「もしかして兄妹とか? 全然似てないけど」
「それも違うんですけど……」
椿が口ごもった。
この二人の間にある、奇妙な親密感。友人でも恋人でも家族でもないのなら、何なのだろう。
「でもわたし、ひーちゃんを大事にしたいんです」
考えに考えて、椿はそんなことを言った。
「ひーちゃんに何かあったり、いなくなったりしたら、わたしはすごく困るから。だから……大事にしなきゃいけないんです」
理由は曖昧だが、行動理念は明瞭だった。
何かあったり、いなくなったりしたら、とても困る存在。
七虹にもそんな存在はいた。家族も友人も、いなくてはならないと思える存在だ。
けれどその概念に、「大事にしないといけない」は結びつかなかった。
そんなふうに、周りの人たちのことを思ったことがなかった。
(この子は……)
ーーこの子は持っているものが極端に少ないのかもしれない。
そんな直感が、ふと。
七虹にとっての『当たり前』が、彼女にとってはまったく『当たり前』ではないのかもしれない。
そんな思いにかられ、七虹は、やっと『疑う』気になった。
「ねぇ。一ノ宮さんは、どこに行ったと思う?」
「……」
「三井さんは、何に襲われて、あんな大怪我を負ったと思う?」
「……」
「――『人魚』は……人を喰べる『化け物』は、いると思う?」
自分にとっての常識を、疑う気になった。
この時間になっても一ノ宮が戻ってこない理由も、三井に何が起こったのかも、それの存在を認めればあっさりと辻褄が合う。
人ならざるものが近くに潜み、自分たちを襲っているのだ。
「『化け物』、ですか……」
椿が弱々しく言って、目を伏せた。
「『化け物』って何なんでしょうか」
奇天烈な質問に、七虹は面食らった。
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