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始まっていた朝
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3.
その歌が遠音として聞こえてきた時、七虹は自分が夢の中にいることを自覚していた。
ふわふわと宙に浮いているような心地だった。自身の身体に目をやると、何も無い。
夢にありがちな、意識だけの存在と化しているのか。
あぶくたった
煮えたった
煮えたか どうだか
食べてみよう……
あの歌だ。
幾度も耳にして、唄ったわらべうた。
深く考えれば、意味深に思えてくる歌詞と遊びの作法。
何を煮ているのか。
……むしゃむしゃむしゃ まだ煮えない
何を食べているのか。
七虹の眼下に、『あぶくたった』に興じている子どもたちの姿がある。
ぐるぐると、『鬼』である子どもの周りを――否、それは本物の鍋だった。巨大な寸胴鍋が焚き火の上に設置され、ぐつぐつと煮えたぎっている。
黒いものが見えた。
ヒトの頭だ。
髪の毛が水面に広がっている。肩につかないくらいの長さだ。
七虹は、鍋の中のモノを見ようと、鍋に近づいた。
……そこで、毎朝七虹を起こしているアラーム音が鳴り響いて、夢の薄膜は破れた。
散々悩んだ結果、白いブラウスと膝丈のフレアスカートの組み合わせに決めた。
ショートボブの髪も丁寧にスタイリングし、メイクもいつもより時間をかけた。三井とも一ノ宮とも異なる、『どこにでもいそうな普通の子』を作り上げ、七虹は一階に下りた。
朝の十時。事前に渡されたタイムスケジュールの、朝食の時刻ぴったりだ。
リビングダイニングにいるのは、椿一人だけだった。
「おはようございます、七虹さん」
今朝も彼女は元気いっぱいだ。
「おはよう。他の人は?」
「仁藤さんは電話をしに外へ。四条さんと伍川さんはお部屋で、六人部さんは朝風呂です。三井さんと一ノ宮さんはまだ起きてきてないです」
「そう。あ、朝食の準備、手伝おうか?」
「大丈夫ですよー」
椿が遠慮の姿勢を見せる。
「でも、九人分なんて大変じゃない?」
「パンをお皿に盛って、目玉焼きを焼いて、コーヒーの粉をお湯でとくだけですからラクチンです。昨日も、レトルトをあたためるだけでしたし」
「じゃ、お皿運ぶわ。それくらいはさせてくれるでしょ?」
言いながら、七虹はさっさっと紙皿と、スーパーで六個百円以下で売られていそうなロールパンをダイニングテーブルに運んだ。椿は礼を言って任せてくれた。
椿が熱したフライパンに玉子を落として、
「そのパン、おいしそうですね」
と、見るからにパサついていそうな安価のパンを指さした。
七虹は同意しかねた。昨日の夏みかんといい、この子は食いしん坊なのか。
「パン、好きなの? っていうか、椿ちゃんって嫌いな食べ物なさそうよね。夏みかんも好きでしょ」
食の好みが合いそうにないな、と思いながら、軽口を叩いた。
しかし、答えは少々意外なものだった。
「どうでしょうか。初めて食べたので、分かんないです」
ほんの少しだけ、驚いた。
確かに広い世の中、夏みかんを食べたことがない人はいるのだろうが……ゆうべから、彼女からは意外な答えばかりが出る。
首を捻っていると、椿が小さく驚きの声を上げた。何事かと思ったが、
「焦げちゃった……」
まるでこの世の終わりのように、椿が嘆いた。
強火だったのか、フライパンの上の目玉焼きは黄身が完全に固まり、白身が焦げかけている。
どうしよう、と椿がしょぼくれる。犬だったら耳としっぽが垂れているような雰囲気だ。
七虹はくすくすと笑い、
「あたしが食べるよ。ソースとマヨネーズかけて、お好み焼きの味つけにするから」
助け舟を出すと、椿がパッと表情を明るくさせた。
「七虹さんも目玉焼きはソースマヨかけますか!」
ものすごく食いついてきた。少々後ずさる。
「わたしも好きなんです。でも、ひーちゃんがそんなの邪道だって。目玉焼きは塩コショウ一択だって譲らないんです」
「……ひーちゃんって、大和くんのこと?」
再び、椿が「しまった」というような顔をする。
ビンゴらしい。柊の「ひ」か。
「あだ名で呼ぶような仲なんだ?」
「はい……あちらも普段は名前を呼び捨てしてます」
どうも言葉の機微が通じない。七虹は二人の仲がどういうものなのか尋ねたくなった。
だがその寸前で、当の『ひーちゃん』が姿を現した。
「おい。――ああ、志知さん。すみません、おはようございます」
リビングスペースより更に向こうの、ウッドデッキに面した掃き出し窓から入ってきた大和は、七虹に気づくとすぐに佇まいを直した。
呼びかけの台詞が「おい」と来たか。単なる知人程度の関係ではないのは、明白だった。
「なぁに、ひ……じゃなくて大和さん!」
言い直す椿に、大和は指先をちょいちょい動かして「こっちにおいで」のジャスチャーをする。椿は素直に従った。
二人が扉の向こうに行く寸前、椿が振り返る。
「すみません、七虹さん。朝食ができたと、外にいる仁藤さんを呼んできてもらえますか」
そう頼んできた。
断る理由も無いので、七虹は玄関から外に出た。
その歌が遠音として聞こえてきた時、七虹は自分が夢の中にいることを自覚していた。
ふわふわと宙に浮いているような心地だった。自身の身体に目をやると、何も無い。
夢にありがちな、意識だけの存在と化しているのか。
あぶくたった
煮えたった
煮えたか どうだか
食べてみよう……
あの歌だ。
幾度も耳にして、唄ったわらべうた。
深く考えれば、意味深に思えてくる歌詞と遊びの作法。
何を煮ているのか。
……むしゃむしゃむしゃ まだ煮えない
何を食べているのか。
七虹の眼下に、『あぶくたった』に興じている子どもたちの姿がある。
ぐるぐると、『鬼』である子どもの周りを――否、それは本物の鍋だった。巨大な寸胴鍋が焚き火の上に設置され、ぐつぐつと煮えたぎっている。
黒いものが見えた。
ヒトの頭だ。
髪の毛が水面に広がっている。肩につかないくらいの長さだ。
七虹は、鍋の中のモノを見ようと、鍋に近づいた。
……そこで、毎朝七虹を起こしているアラーム音が鳴り響いて、夢の薄膜は破れた。
散々悩んだ結果、白いブラウスと膝丈のフレアスカートの組み合わせに決めた。
ショートボブの髪も丁寧にスタイリングし、メイクもいつもより時間をかけた。三井とも一ノ宮とも異なる、『どこにでもいそうな普通の子』を作り上げ、七虹は一階に下りた。
朝の十時。事前に渡されたタイムスケジュールの、朝食の時刻ぴったりだ。
リビングダイニングにいるのは、椿一人だけだった。
「おはようございます、七虹さん」
今朝も彼女は元気いっぱいだ。
「おはよう。他の人は?」
「仁藤さんは電話をしに外へ。四条さんと伍川さんはお部屋で、六人部さんは朝風呂です。三井さんと一ノ宮さんはまだ起きてきてないです」
「そう。あ、朝食の準備、手伝おうか?」
「大丈夫ですよー」
椿が遠慮の姿勢を見せる。
「でも、九人分なんて大変じゃない?」
「パンをお皿に盛って、目玉焼きを焼いて、コーヒーの粉をお湯でとくだけですからラクチンです。昨日も、レトルトをあたためるだけでしたし」
「じゃ、お皿運ぶわ。それくらいはさせてくれるでしょ?」
言いながら、七虹はさっさっと紙皿と、スーパーで六個百円以下で売られていそうなロールパンをダイニングテーブルに運んだ。椿は礼を言って任せてくれた。
椿が熱したフライパンに玉子を落として、
「そのパン、おいしそうですね」
と、見るからにパサついていそうな安価のパンを指さした。
七虹は同意しかねた。昨日の夏みかんといい、この子は食いしん坊なのか。
「パン、好きなの? っていうか、椿ちゃんって嫌いな食べ物なさそうよね。夏みかんも好きでしょ」
食の好みが合いそうにないな、と思いながら、軽口を叩いた。
しかし、答えは少々意外なものだった。
「どうでしょうか。初めて食べたので、分かんないです」
ほんの少しだけ、驚いた。
確かに広い世の中、夏みかんを食べたことがない人はいるのだろうが……ゆうべから、彼女からは意外な答えばかりが出る。
首を捻っていると、椿が小さく驚きの声を上げた。何事かと思ったが、
「焦げちゃった……」
まるでこの世の終わりのように、椿が嘆いた。
強火だったのか、フライパンの上の目玉焼きは黄身が完全に固まり、白身が焦げかけている。
どうしよう、と椿がしょぼくれる。犬だったら耳としっぽが垂れているような雰囲気だ。
七虹はくすくすと笑い、
「あたしが食べるよ。ソースとマヨネーズかけて、お好み焼きの味つけにするから」
助け舟を出すと、椿がパッと表情を明るくさせた。
「七虹さんも目玉焼きはソースマヨかけますか!」
ものすごく食いついてきた。少々後ずさる。
「わたしも好きなんです。でも、ひーちゃんがそんなの邪道だって。目玉焼きは塩コショウ一択だって譲らないんです」
「……ひーちゃんって、大和くんのこと?」
再び、椿が「しまった」というような顔をする。
ビンゴらしい。柊の「ひ」か。
「あだ名で呼ぶような仲なんだ?」
「はい……あちらも普段は名前を呼び捨てしてます」
どうも言葉の機微が通じない。七虹は二人の仲がどういうものなのか尋ねたくなった。
だがその寸前で、当の『ひーちゃん』が姿を現した。
「おい。――ああ、志知さん。すみません、おはようございます」
リビングスペースより更に向こうの、ウッドデッキに面した掃き出し窓から入ってきた大和は、七虹に気づくとすぐに佇まいを直した。
呼びかけの台詞が「おい」と来たか。単なる知人程度の関係ではないのは、明白だった。
「なぁに、ひ……じゃなくて大和さん!」
言い直す椿に、大和は指先をちょいちょい動かして「こっちにおいで」のジャスチャーをする。椿は素直に従った。
二人が扉の向こうに行く寸前、椿が振り返る。
「すみません、七虹さん。朝食ができたと、外にいる仁藤さんを呼んできてもらえますか」
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断る理由も無いので、七虹は玄関から外に出た。
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