12 / 15
2.〈嫉妬〉の姿見
2
しおりを挟む
「やめて、みんな。アヤリちゃんの悪口を言わないで」
涙ぐみながら姫がそう言うと、周囲が一斉に口をつぐんだ。姫の訴えに気づかない者も、脇腹をつつかれて黙り込む。
「アヤリちゃんは私たちの……友達、なんだから」
陰さす表情でそう言うと、親友の愛美が気遣わしげに姫の肩に手を置いた。
「優しすぎるよ、姫は。『モグラ』のことを庇うなんて」
モグラはアヤリのあだ名だ。
本名よりもずっとずっと似つかわしい名前だと、クラス全員自負している。
「姫は、アヤリにいじめられていたのに」
*
アヤリが姫をいじめるのは、いつだって人気のない旧校舎だった。
古い木造で、立ち入り禁止ではないけれど、内部は荒れ果てていて湿っぽく、昼でもなお暗い。
木製の下駄箱が乱雑に置かれた昇降口に、アヤリは毎日のように昼休みに姫を連れ出した。
「姫、大丈夫!?」
教室に姫とアヤリがいないことに気づき、愛美は数人のクラスメイトを引き連れて旧校舎に駆けつけた。
そこには仁王立ちになっているアヤリと、その足元で座り込む姫がいた。
姫によく似合う真っ白なフレアスカートは足跡だらけで、ブラウスの胸元には真っ黒な手形がくっきりと。
直感した。姫は突き飛ばされた挙句、スカートを踏み躙られたのだ。
「モグラ、テメー何してんだよ!」
血気盛んな男子がアヤリにつかみかかろうとするが、彼女はまさにモグラの素早さでその場から逃げ出した。男子たちが追いかける。女子は、姫に手を貸して立たせた。
「ひどい、こんなの……」
「ねえ、いい加減先生とか親に言おうよ。モグラが姫をいじめてるって」
姫に口止めされたから我慢していたが、もう限界だ。
こんなの見過ごせない。いじめなんて卑怯なこと。醜いものが美しいものを傷つける不条理さを。
「ダメ、だよ……」
けれど姫は首を横に振った。
やがてアヤリを追いかけた男子たちが戻ってくる。悔しそうな表情で謝った。
「ごめん、モグラ見失った。階段を上がるところまでは見たんだけど、二階にも三階にもいない」
「あの女、マジ逃げ足だけは早ぇな。で、午後の授業始まるギリギリで教室戻ってくんの。休み時間は先生にベッタリだし、授業終わったら逃げ帰るし」
「あーもう、いっそ家にカチコミかけっか?」
物騒な相談をする男子たちに、姫は強めの語気で「ダメ」と言った。
「言ったでしょ。アヤリちゃんち、大変なの。お父さんもお母さんもお仕事がなくなって、お兄さんはグレて家出して……おうちがつらいことばかりだから、誰かにぶつけたいんだと思う」
「だからって! 姫がいじめられていいわけないでしょ!?」
「そうだよ! 自分が苦しいからって他人を傷つけていいはずないって!」
「いいの。私は平気。アヤリちゃん、本当は誰よりも優しい子なんだよ。幼稚園の時から一緒だから、私には分かる」
きっと元に戻るから。
だからお願い、みんなだけの秘密にして。
姫が涙をひとしずく落として懇願する。愛美は思わず抱きついた。
「分かったよ、姫がそう言うならアタシたち黙ってる。でもこれだけは忘れないでね。モグラが姫をいじめる理由は――」
*
「――嫉妬、だよね」
古い本を抱えた愛美が、思い出したように姫に言った。
二人は図書委員だ。廃棄処分となった古い本を旧校舎に持っていくよう言われ、カビ臭さに眉をひそめつつ運んでいる最中だった。
「嫉妬? アヤリちゃんが私に?」
「そりゃそうでしょ。外見も性格も人望も、月とスッポンどころか月とヘドロの差があんのよ」
階段を上がる。書物の墓場は三階の教室だ。
二階と三階をつなぐ踊り場、壁にかかった大きな姿見の前で、愛美は足をふと止めた。
「まあ、アタシに言わせれば、姫に嫉妬すること自体が身の程知らずなんだけどね」
二人は並んで姿見と向き合う。『姫は人としての美しさのレベルが違う』という事実を言外に含ませる愛美に、姫は視線を下げた。
姿見は天井に届きそうなくらい大きくて、壁から少し出っ張っている。壁に分厚い板がピッタリとくっついているような、少々変わった意匠だ。
「……」
長いまつ毛を伏せ、姫は姿見の右下をじっと見つめた。
役目を終えた本を湿っぽい空き教室で弔うと、同じルートを戻る。あの姿見の前を早足で通り過ぎようとした瞬間、姫の視界の端で、何かが動いた。
「えっ?」
目を凝らすが、鏡には姫と愛美以外何も映っていない。
気のせいだろうか。けれど……人影のようなモノ見えた。
「なに自分に見惚れてんのよー?」
悪戯っぽく笑われ、そんなんじゃないよ、と返す。しかしスルーされた。
「まー見惚れる気持ち分かるけどね。姫、毎日鏡見るの楽しいでしょ?」
愛美は背後に回ると、姫のしっとりとした絹糸のような髪に触れて整えた。
ほの暗い旧校舎の中であっても、恒星のように光を放つ。そんな錯覚を覚えさせる姫の容姿が映っている。
「鏡よ鏡よ、鏡さん。世界で一番美しいのは誰ぁれ? ってね」
「もーやめてよ、からかうの!」
二人で笑い合うと、愛美がふいに言った。
「そういえばこの呪文? のアレンジでさ、『運命の人』バージョンあるよね?」
「何それ、知らない」
「鏡よ鏡よ、鏡さん、運命の人はだーれ? ってやつ。姫は、誰思い浮かべる?」
唐突に恋愛話を問われて、姫は「えっ」と目を丸くする。
「やっぱりあの子? 『教会の王子さま』!」
「!」
姫の薔薇色の頬がより紅く染まる。
一瞬で頭に浮かんだのは、蜂蜜色の髪がサラリと揺れる『彼』の姿だった。
「あはは、姫に好きな人がいるとか、コスギやサカシタ辺りが発狂しそー」
「だからからかわないでって。第一、あの人のこと何も知らないもん」
姫が住む風向町にある、唯一の教会。
そこに『彼』は住んでいる。町の人気者である神父さまの養子だという男の子。
蜂蜜色の髪を持つ、外国人の男の子。でも学校には通っていない。よく教会の礼拝堂のお掃除をしている。
それくらいしか知らない、初恋の君。
「そんな姫に朗報です」
愛美が得意げに言った。
「今日の夕方、ポモナ教会でお話し会があります。もしかしたら王子さまと会えるかも。行ってみない?」
涙ぐみながら姫がそう言うと、周囲が一斉に口をつぐんだ。姫の訴えに気づかない者も、脇腹をつつかれて黙り込む。
「アヤリちゃんは私たちの……友達、なんだから」
陰さす表情でそう言うと、親友の愛美が気遣わしげに姫の肩に手を置いた。
「優しすぎるよ、姫は。『モグラ』のことを庇うなんて」
モグラはアヤリのあだ名だ。
本名よりもずっとずっと似つかわしい名前だと、クラス全員自負している。
「姫は、アヤリにいじめられていたのに」
*
アヤリが姫をいじめるのは、いつだって人気のない旧校舎だった。
古い木造で、立ち入り禁止ではないけれど、内部は荒れ果てていて湿っぽく、昼でもなお暗い。
木製の下駄箱が乱雑に置かれた昇降口に、アヤリは毎日のように昼休みに姫を連れ出した。
「姫、大丈夫!?」
教室に姫とアヤリがいないことに気づき、愛美は数人のクラスメイトを引き連れて旧校舎に駆けつけた。
そこには仁王立ちになっているアヤリと、その足元で座り込む姫がいた。
姫によく似合う真っ白なフレアスカートは足跡だらけで、ブラウスの胸元には真っ黒な手形がくっきりと。
直感した。姫は突き飛ばされた挙句、スカートを踏み躙られたのだ。
「モグラ、テメー何してんだよ!」
血気盛んな男子がアヤリにつかみかかろうとするが、彼女はまさにモグラの素早さでその場から逃げ出した。男子たちが追いかける。女子は、姫に手を貸して立たせた。
「ひどい、こんなの……」
「ねえ、いい加減先生とか親に言おうよ。モグラが姫をいじめてるって」
姫に口止めされたから我慢していたが、もう限界だ。
こんなの見過ごせない。いじめなんて卑怯なこと。醜いものが美しいものを傷つける不条理さを。
「ダメ、だよ……」
けれど姫は首を横に振った。
やがてアヤリを追いかけた男子たちが戻ってくる。悔しそうな表情で謝った。
「ごめん、モグラ見失った。階段を上がるところまでは見たんだけど、二階にも三階にもいない」
「あの女、マジ逃げ足だけは早ぇな。で、午後の授業始まるギリギリで教室戻ってくんの。休み時間は先生にベッタリだし、授業終わったら逃げ帰るし」
「あーもう、いっそ家にカチコミかけっか?」
物騒な相談をする男子たちに、姫は強めの語気で「ダメ」と言った。
「言ったでしょ。アヤリちゃんち、大変なの。お父さんもお母さんもお仕事がなくなって、お兄さんはグレて家出して……おうちがつらいことばかりだから、誰かにぶつけたいんだと思う」
「だからって! 姫がいじめられていいわけないでしょ!?」
「そうだよ! 自分が苦しいからって他人を傷つけていいはずないって!」
「いいの。私は平気。アヤリちゃん、本当は誰よりも優しい子なんだよ。幼稚園の時から一緒だから、私には分かる」
きっと元に戻るから。
だからお願い、みんなだけの秘密にして。
姫が涙をひとしずく落として懇願する。愛美は思わず抱きついた。
「分かったよ、姫がそう言うならアタシたち黙ってる。でもこれだけは忘れないでね。モグラが姫をいじめる理由は――」
*
「――嫉妬、だよね」
古い本を抱えた愛美が、思い出したように姫に言った。
二人は図書委員だ。廃棄処分となった古い本を旧校舎に持っていくよう言われ、カビ臭さに眉をひそめつつ運んでいる最中だった。
「嫉妬? アヤリちゃんが私に?」
「そりゃそうでしょ。外見も性格も人望も、月とスッポンどころか月とヘドロの差があんのよ」
階段を上がる。書物の墓場は三階の教室だ。
二階と三階をつなぐ踊り場、壁にかかった大きな姿見の前で、愛美は足をふと止めた。
「まあ、アタシに言わせれば、姫に嫉妬すること自体が身の程知らずなんだけどね」
二人は並んで姿見と向き合う。『姫は人としての美しさのレベルが違う』という事実を言外に含ませる愛美に、姫は視線を下げた。
姿見は天井に届きそうなくらい大きくて、壁から少し出っ張っている。壁に分厚い板がピッタリとくっついているような、少々変わった意匠だ。
「……」
長いまつ毛を伏せ、姫は姿見の右下をじっと見つめた。
役目を終えた本を湿っぽい空き教室で弔うと、同じルートを戻る。あの姿見の前を早足で通り過ぎようとした瞬間、姫の視界の端で、何かが動いた。
「えっ?」
目を凝らすが、鏡には姫と愛美以外何も映っていない。
気のせいだろうか。けれど……人影のようなモノ見えた。
「なに自分に見惚れてんのよー?」
悪戯っぽく笑われ、そんなんじゃないよ、と返す。しかしスルーされた。
「まー見惚れる気持ち分かるけどね。姫、毎日鏡見るの楽しいでしょ?」
愛美は背後に回ると、姫のしっとりとした絹糸のような髪に触れて整えた。
ほの暗い旧校舎の中であっても、恒星のように光を放つ。そんな錯覚を覚えさせる姫の容姿が映っている。
「鏡よ鏡よ、鏡さん。世界で一番美しいのは誰ぁれ? ってね」
「もーやめてよ、からかうの!」
二人で笑い合うと、愛美がふいに言った。
「そういえばこの呪文? のアレンジでさ、『運命の人』バージョンあるよね?」
「何それ、知らない」
「鏡よ鏡よ、鏡さん、運命の人はだーれ? ってやつ。姫は、誰思い浮かべる?」
唐突に恋愛話を問われて、姫は「えっ」と目を丸くする。
「やっぱりあの子? 『教会の王子さま』!」
「!」
姫の薔薇色の頬がより紅く染まる。
一瞬で頭に浮かんだのは、蜂蜜色の髪がサラリと揺れる『彼』の姿だった。
「あはは、姫に好きな人がいるとか、コスギやサカシタ辺りが発狂しそー」
「だからからかわないでって。第一、あの人のこと何も知らないもん」
姫が住む風向町にある、唯一の教会。
そこに『彼』は住んでいる。町の人気者である神父さまの養子だという男の子。
蜂蜜色の髪を持つ、外国人の男の子。でも学校には通っていない。よく教会の礼拝堂のお掃除をしている。
それくらいしか知らない、初恋の君。
「そんな姫に朗報です」
愛美が得意げに言った。
「今日の夕方、ポモナ教会でお話し会があります。もしかしたら王子さまと会えるかも。行ってみない?」
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
機織姫
ワルシャワ
ホラー
栃木県日光市にある鬼怒沼にある伝説にこんな話がありました。そこで、とある美しい姫が現れてカタンコトンと音を鳴らす。声をかけるとその姫は一変し沼の中へ誘うという恐ろしい話。一人の少年もまた誘われそうになり、どうにか命からがら助かったというが。その話はもはや忘れ去られてしまうほど時を超えた現代で起きた怖いお話。はじまりはじまり
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
#彼女を探して・・・
杉 孝子
ホラー
佳苗はある日、SNSで不気味なハッシュタグ『#彼女を探して』という投稿を偶然見かける。それは、特定の人物を探していると思われたが、少し不気味な雰囲気を醸し出していた。日が経つにつれて、そのタグの投稿が急増しSNS上では都市伝説の話も出始めていた。
鈴ノ宮恋愛奇譚
麻竹
ホラー
霊感少年と平凡な少女との涙と感動のホラーラブコメディー・・・・かも。
第一章【きっかけ】
容姿端麗、冷静沈着、学校内では人気NO.1の鈴宮 兇。彼がひょんな場所で出会ったのはクラスメートの那々瀬 北斗だった。しかし北斗は・・・・。
--------------------------------------------------------------------------------
恋愛要素多め、ホラー要素ありますが、作者がチキンなため大して怖くないです(汗)
他サイト様にも投稿されています。
毎週金曜、丑三つ時に更新予定。
怪物どもが蠢く島
湖城マコト
ホラー
大学生の綿上黎一は謎の組織に拉致され、絶海の孤島でのデスゲームに参加させられる。
クリア条件は至ってシンプル。この島で二十四時間生き残ることのみ。しかしこの島には、組織が放った大量のゾンビが蠢いていた。
黎一ら十七名の参加者は果たして、このデスゲームをクリアすることが出来るのか?
次第に明らかになっていく参加者達の秘密。この島で蠢く怪物は、決してゾンビだけではない。
子籠もり
柚木崎 史乃
ホラー
長い間疎遠になっていた田舎の祖母から、突然連絡があった。
なんでも、祖父が亡くなったらしい。
私は、自分の故郷が嫌いだった。というのも、そこでは未だに「身籠った村の女を出産が終わるまでの間、神社に軟禁しておく」という奇妙な風習が残っているからだ。
おじいちゃん子だった私は、葬儀に参列するために仕方なく帰省した。
けれど、久々に会った祖母や従兄はどうも様子がおかしい。
奇妙な風習に囚われた村で、私が見たものは──。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる