原罪神父

鳥谷綾斗(とやあやと)

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2.〈嫉妬〉の姿見

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「やめて、みんな。アヤリちゃんの悪口を言わないで」

 涙ぐみながら姫がそう言うと、周囲が一斉に口をつぐんだ。姫の訴えに気づかない者も、脇腹をつつかれて黙り込む。

「アヤリちゃんは私たちの……友達、なんだから」

 陰さす表情でそう言うと、親友の愛美が気遣わしげに姫の肩に手を置いた。

「優しすぎるよ、姫は。『モグラ』のことを庇うなんて」

 モグラはアヤリのあだ名だ。
 本名よりもずっとずっと似つかわしい名前だと、クラス全員自負している。

「姫は、アヤリにいじめられていたのに」




 アヤリが姫をいじめるのは、いつだって人気のない旧校舎だった。
 古い木造で、立ち入り禁止ではないけれど、内部は荒れ果てていて湿っぽく、昼でもなお暗い。
 木製の下駄箱が乱雑に置かれた昇降口に、アヤリは毎日のように昼休みに姫を連れ出した。

「姫、大丈夫!?」

 教室に姫とアヤリがいないことに気づき、愛美は数人のクラスメイトを引き連れて旧校舎に駆けつけた。
 そこには仁王立ちになっているアヤリと、その足元で座り込む姫がいた。
 姫によく似合う真っ白なフレアスカートは足跡だらけで、ブラウスの胸元には真っ黒な手形がくっきりと。
 直感した。姫は突き飛ばされた挙句、スカートを踏み躙られたのだ。

「モグラ、テメー何してんだよ!」

 血気盛んな男子がアヤリにつかみかかろうとするが、彼女はまさにモグラの素早さでその場から逃げ出した。男子たちが追いかける。女子は、姫に手を貸して立たせた。

「ひどい、こんなの……」
「ねえ、いい加減先生とか親に言おうよ。モグラが姫をいじめてるって」

 姫に口止めされたから我慢していたが、もう限界だ。
 こんなの見過ごせない。いじめなんて卑怯なこと。醜いものが美しいものを傷つける不条理さを。

「ダメ、だよ……」

 けれど姫は首を横に振った。
 やがてアヤリを追いかけた男子たちが戻ってくる。悔しそうな表情で謝った。

「ごめん、モグラ見失った。階段を上がるところまでは見たんだけど、二階にも三階にもいない」
「あの女、マジ逃げ足だけは早ぇな。で、午後の授業始まるギリギリで教室戻ってくんの。休み時間は先生にベッタリだし、授業終わったら逃げ帰るし」
「あーもう、いっそ家にカチコミかけっか?」

 物騒な相談をする男子たちに、姫は強めの語気で「ダメ」と言った。

「言ったでしょ。アヤリちゃんち、大変なの。お父さんもお母さんもお仕事がなくなって、お兄さんはグレて家出して……おうちがつらいことばかりだから、誰かにぶつけたいんだと思う」
「だからって! 姫がいじめられていいわけないでしょ!?」
「そうだよ! 自分が苦しいからって他人を傷つけていいはずないって!」
「いいの。私は平気。アヤリちゃん、本当は誰よりも優しい子なんだよ。幼稚園の時から一緒だから、私には分かる」

 きっと元に戻るから。
 だからお願い、みんなだけの秘密にして。

 姫が涙をひとしずく落として懇願する。愛美は思わず抱きついた。

「分かったよ、姫がそう言うならアタシたち黙ってる。でもこれだけは忘れないでね。モグラが姫をいじめる理由は――」




「――嫉妬、だよね」

 古い本を抱えた愛美が、思い出したように姫に言った。
 二人は図書委員だ。廃棄処分となった古い本を旧校舎に持っていくよう言われ、カビ臭さに眉をひそめつつ運んでいる最中だった。

「嫉妬? アヤリちゃんが私に?」
「そりゃそうでしょ。外見も性格も人望も、月とスッポンどころか月とヘドロの差があんのよ」

 階段を上がる。書物の墓場は三階の教室だ。
 二階と三階をつなぐ踊り場、壁にかかった大きな姿見の前で、愛美は足をふと止めた。

「まあ、アタシに言わせれば、姫に嫉妬すること自体が身の程知らずなんだけどね」

 二人は並んで姿見と向き合う。『姫は人としての美しさのレベルが違う』という事実を言外に含ませる愛美に、姫は視線を下げた。
 姿見は天井に届きそうなくらい大きくて、壁から少し出っ張っている。壁に分厚い板がピッタリとくっついているような、少々変わった意匠だ。

「……」
 長いまつ毛を伏せ、姫は姿見の右下をじっと見つめた。

 役目を終えた本を湿っぽい空き教室で弔うと、同じルートを戻る。あの姿見の前を早足で通り過ぎようとした瞬間、姫の視界の端で、何かが動いた。

「えっ?」

 目を凝らすが、鏡には姫と愛美以外何も映っていない。
 気のせいだろうか。けれど……人影のようなモノ見えた。

「なに自分に見惚れてんのよー?」
 悪戯っぽく笑われ、そんなんじゃないよ、と返す。しかしスルーされた。
「まー見惚れる気持ち分かるけどね。姫、毎日鏡見るの楽しいでしょ?」
 愛美は背後に回ると、姫のしっとりとした絹糸のような髪に触れて整えた。
 ほの暗い旧校舎の中であっても、恒星のように光を放つ。そんな錯覚を覚えさせる姫の容姿が映っている。

「鏡よ鏡よ、鏡さん。世界で一番美しいのはぁれ? ってね」
「もーやめてよ、からかうの!」

 二人で笑い合うと、愛美がふいに言った。

「そういえばこの呪文? のアレンジでさ、『運命の人』バージョンあるよね?」
「何それ、知らない」
「鏡よ鏡よ、鏡さん、運命の人はだーれ? ってやつ。姫は、誰思い浮かべる?」
 唐突に恋愛話を問われて、姫は「えっ」と目を丸くする。

「やっぱりあの子? 『教会の王子さま』!」
「!」

 姫の薔薇色の頬がより紅く染まる。
 一瞬で頭に浮かんだのは、蜂蜜色の髪がサラリと揺れる『彼』の姿だった。

「あはは、姫に好きな人がいるとか、コスギやサカシタ辺りが発狂しそー」
「だからからかわないでって。第一、あの人のこと何も知らないもん」

 姫が住む風向町にある、唯一の教会。
 そこに『彼』は住んでいる。町の人気者である神父さまの養子だという男の子。
 蜂蜜色の髪を持つ、外国人の男の子。でも学校には通っていない。よく教会の礼拝堂のお掃除をしている。
 それくらいしか知らない、初恋の君。

「そんな姫に朗報です」
 愛美が得意げに言った。

「今日の夕方、ポモナ教会でお話し会があります。もしかしたら王子さまと会えるかも。行ってみない?」
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