1 / 15
プロローグ
神父さまのうつくしい瞳
しおりを挟む
「単刀直入にお訊きしますね。お庭の花壇を踏み荒らしたのは、どなたですか?」
麗かな陽射しが差し込む、昼下がりの礼拝堂。
風向町唯一の教会――ポモナ教会の神父は、柔和な笑みを浮かべて七名の子どもたちを見下ろした。
日生黒臣と言うのがこの神父の名前だ。少々無骨な黒縁眼鏡をかけているが、それでは隠しきれないほど整った容貌の年若い神父だ。
彼は穏やかな微笑と美しい所作で、誰にでも平等に優しさを振りまく。
人に話せぬ苦しみも、この人になら打ち明けられる――
地域住民からそんな信頼を得る彼は、ほんの少し語気を強めた。
「もう一度お訊きします。教会の敷地内の庭園の隅にある、マーガレットの花壇がぺしゃんこになっていました。本日礼拝にいらしたあなた方の、誰がそんなひどいことを?」
「で、でも神父さま」
女の子が口を開いた。集められた子どもはみんな小学校の低学年だ。いつも神父さまは優しいのに今日はなんだか怖いと、すっかり萎縮している。
「犬とか猫とかがやったんじゃないの?」
「いいえ。それはありえません」
「じゃあ、酔っ払いのおじさんやおばさんじゃないの?」
「いいえ。それも違います」
「なんでぼくたちの中の誰かだって決めつけるの。神父さま、ひどいよ」
子どもたちの涙声での抗議。礼拝堂の扉から見守る保護者たちがそれに同乗する前に、
「分かるからです」
日生はきっぱりと言い切った。
すんなりと伸びた指の先で眼鏡をさし、彼は妖艶さえ含ませて断言した。
「私のこの眼は、『真実』が視えるんです。この眼鏡を外せば、誰が嘘をついているのか一瞬で判明します」
ほんの少し眼鏡をずらして、日生が自らの瞳を見せる。
色素の薄い、高純度の水晶のような、傷ひとつない硝子玉のような、『透明』を感じさせる双眸だった。
神父は革靴の踵を鳴らして、一列に並んだ子どもたちの前を歩き、順番に顔を眺めた。
「さあ、心当たりのある方は早く名乗り出てしまいなさい。今なら神様も赦してくださいますよ」
言いながら、日生はたった一人を見つめた。その足元、泥で汚れた白いスニーカーを。
彼の目線の先に気づいた子どもたちがざわめき始める。すると、注目の的となった男の子が泣き出した。
「ごめんなさい、神父さま。おれ、おれがやったの!」
追いかけっこしてて気づいたらマーガレットを踏み潰していた――男の子の必死な懺悔に、日生は微笑みを深くした。
「よく正直に話してくださいましたね。あなたはとても勇気のある方だ。神様もお赦しになるでしょう――もちろん、私もね」
日生が悪戯っぽく声を潜ませて、男の子に向かってウィンクする。
キョトン、と男の子は目を丸くしたが、やがてベソをかいたまま笑顔を見せた。
「すみません、神父さま!」
扉から走り寄ってきたのは、男の子の母親だった。
「母親であるあたしの監督不行き届きのせいで、神父さまの大切なお花を台無しにしてしまって……」
教会に来るにしては少々ハデな柄で胸元が露出したワンピースを着た母親は、息子の肩を抱きながらも日生の顔を艶っぽく見つめた。
「お詫びにあたし、花壇を修復しますわ。何日かかかるかもしれませんが、必ず元通りにしますので――」
「――どきなよ」
母親の媚びた声音が、冷や水のような声音で遮られた。
日生の背後から、ひょっこりと小さな人影が出てきた。いつの間にそこにいたの……と戸惑いの空気が流れる。
蜂蜜色の髪に琥珀色の瞳、日生の胸の辺りまでしかない背丈の少年だった。
年の頃は十二、三歳。襟元にレースを重ねた白いブラウスを身につけ、西洋のアンティークドールを思わせる美貌の少年は、日生以外の人間を睨みつける。
「今から掃除するんだけど。あんたたち邪魔。さっさと帰って」
と、少年が手に持ったホウキとハタキを見せつけると、周囲は呆気に取られた。日生だけが困ったような笑みを浮かべる。
「特にあんた。――臭い。消えて」
日生に迫った母親に対して辛辣な言葉を投げつける。「んがっ!」と母親は豚のいななきのような声を上げて詰め寄りかけたが、少年にいっそうキツく睨みつけられ、その凄みに負けて黙った。
「こら、小鳥。大変失礼いたしました」
日生はペースを決して崩さなかった。
「それでは本日はこれでお開きにします。皆さん、また来週もいらしてくださいね」
一方的に宣言して、体良く信者――宗教ではなくこの神父を慕うという意味で――を追い出した。ほとんどが名残惜しそうな物言いたげな表情をしたがお構いなしだった。
礼拝堂の扉が閉ざされる。
「――何なの、あの臭いおばさん。キモチワルイ」
床をホウキで乱暴に掃きながら、小鳥という名の少年は毒づいた。
「あいつ、わざと息子に花壇をぐちゃぐちゃにさせたんだよ。罪滅ぼしって名目でアリアに近づくために。神父に欲情するなんて、脳みそと下半身が直結してんじゃないの」
その物言いに日生が吹き出した。『アリア』とは、小鳥にだけ許された日生の呼び名だ。
「フツーに気づいてたんでしょ。なんでわざわざ乗ってやったの?」
「どうしてだと思いますか?」
「その口調もやめて。人工甘味料と同じにおいがする」
不機嫌そうに顔をゆがめる小鳥に、日生は身を屈ませ、耳元で囁いた。
「……たまにゃ、小鳥のむくれた顔も見てぇなって思っただけだよ」
粗野な口調に戻り、彼は本心を甘ったるく伝える。
小鳥は口をへの字にして、しばし沈黙したが、すぐに日生の背中を叩いた。
その照れ隠しに日生は満足そうに口元を釣り上げたが、すぐに『神父さま』の仮面を被った。
「小鳥。清掃は後で良いですよ」
「え?」
「まだもう一人、いらっしゃいますから」
首を傾げる小鳥にそう言うと、日生は水晶のような眼を向けた。
会衆席――教会に集まった人々が着く席の片隅、木製のベンチに一人の中年男性がひっそりと座っていた。
中年男性は頭を抱え、自らの葛藤に身を投じ、二人の会話は耳にも入っていない様子だった。
日生は悠然と彼に近づき、話しかける。
そうして中年男性は、静かに、苦しげに、縋りつくように日生に乞うた。
「神父さま。告解を……していただけませんか」
麗かな陽射しが差し込む、昼下がりの礼拝堂。
風向町唯一の教会――ポモナ教会の神父は、柔和な笑みを浮かべて七名の子どもたちを見下ろした。
日生黒臣と言うのがこの神父の名前だ。少々無骨な黒縁眼鏡をかけているが、それでは隠しきれないほど整った容貌の年若い神父だ。
彼は穏やかな微笑と美しい所作で、誰にでも平等に優しさを振りまく。
人に話せぬ苦しみも、この人になら打ち明けられる――
地域住民からそんな信頼を得る彼は、ほんの少し語気を強めた。
「もう一度お訊きします。教会の敷地内の庭園の隅にある、マーガレットの花壇がぺしゃんこになっていました。本日礼拝にいらしたあなた方の、誰がそんなひどいことを?」
「で、でも神父さま」
女の子が口を開いた。集められた子どもはみんな小学校の低学年だ。いつも神父さまは優しいのに今日はなんだか怖いと、すっかり萎縮している。
「犬とか猫とかがやったんじゃないの?」
「いいえ。それはありえません」
「じゃあ、酔っ払いのおじさんやおばさんじゃないの?」
「いいえ。それも違います」
「なんでぼくたちの中の誰かだって決めつけるの。神父さま、ひどいよ」
子どもたちの涙声での抗議。礼拝堂の扉から見守る保護者たちがそれに同乗する前に、
「分かるからです」
日生はきっぱりと言い切った。
すんなりと伸びた指の先で眼鏡をさし、彼は妖艶さえ含ませて断言した。
「私のこの眼は、『真実』が視えるんです。この眼鏡を外せば、誰が嘘をついているのか一瞬で判明します」
ほんの少し眼鏡をずらして、日生が自らの瞳を見せる。
色素の薄い、高純度の水晶のような、傷ひとつない硝子玉のような、『透明』を感じさせる双眸だった。
神父は革靴の踵を鳴らして、一列に並んだ子どもたちの前を歩き、順番に顔を眺めた。
「さあ、心当たりのある方は早く名乗り出てしまいなさい。今なら神様も赦してくださいますよ」
言いながら、日生はたった一人を見つめた。その足元、泥で汚れた白いスニーカーを。
彼の目線の先に気づいた子どもたちがざわめき始める。すると、注目の的となった男の子が泣き出した。
「ごめんなさい、神父さま。おれ、おれがやったの!」
追いかけっこしてて気づいたらマーガレットを踏み潰していた――男の子の必死な懺悔に、日生は微笑みを深くした。
「よく正直に話してくださいましたね。あなたはとても勇気のある方だ。神様もお赦しになるでしょう――もちろん、私もね」
日生が悪戯っぽく声を潜ませて、男の子に向かってウィンクする。
キョトン、と男の子は目を丸くしたが、やがてベソをかいたまま笑顔を見せた。
「すみません、神父さま!」
扉から走り寄ってきたのは、男の子の母親だった。
「母親であるあたしの監督不行き届きのせいで、神父さまの大切なお花を台無しにしてしまって……」
教会に来るにしては少々ハデな柄で胸元が露出したワンピースを着た母親は、息子の肩を抱きながらも日生の顔を艶っぽく見つめた。
「お詫びにあたし、花壇を修復しますわ。何日かかかるかもしれませんが、必ず元通りにしますので――」
「――どきなよ」
母親の媚びた声音が、冷や水のような声音で遮られた。
日生の背後から、ひょっこりと小さな人影が出てきた。いつの間にそこにいたの……と戸惑いの空気が流れる。
蜂蜜色の髪に琥珀色の瞳、日生の胸の辺りまでしかない背丈の少年だった。
年の頃は十二、三歳。襟元にレースを重ねた白いブラウスを身につけ、西洋のアンティークドールを思わせる美貌の少年は、日生以外の人間を睨みつける。
「今から掃除するんだけど。あんたたち邪魔。さっさと帰って」
と、少年が手に持ったホウキとハタキを見せつけると、周囲は呆気に取られた。日生だけが困ったような笑みを浮かべる。
「特にあんた。――臭い。消えて」
日生に迫った母親に対して辛辣な言葉を投げつける。「んがっ!」と母親は豚のいななきのような声を上げて詰め寄りかけたが、少年にいっそうキツく睨みつけられ、その凄みに負けて黙った。
「こら、小鳥。大変失礼いたしました」
日生はペースを決して崩さなかった。
「それでは本日はこれでお開きにします。皆さん、また来週もいらしてくださいね」
一方的に宣言して、体良く信者――宗教ではなくこの神父を慕うという意味で――を追い出した。ほとんどが名残惜しそうな物言いたげな表情をしたがお構いなしだった。
礼拝堂の扉が閉ざされる。
「――何なの、あの臭いおばさん。キモチワルイ」
床をホウキで乱暴に掃きながら、小鳥という名の少年は毒づいた。
「あいつ、わざと息子に花壇をぐちゃぐちゃにさせたんだよ。罪滅ぼしって名目でアリアに近づくために。神父に欲情するなんて、脳みそと下半身が直結してんじゃないの」
その物言いに日生が吹き出した。『アリア』とは、小鳥にだけ許された日生の呼び名だ。
「フツーに気づいてたんでしょ。なんでわざわざ乗ってやったの?」
「どうしてだと思いますか?」
「その口調もやめて。人工甘味料と同じにおいがする」
不機嫌そうに顔をゆがめる小鳥に、日生は身を屈ませ、耳元で囁いた。
「……たまにゃ、小鳥のむくれた顔も見てぇなって思っただけだよ」
粗野な口調に戻り、彼は本心を甘ったるく伝える。
小鳥は口をへの字にして、しばし沈黙したが、すぐに日生の背中を叩いた。
その照れ隠しに日生は満足そうに口元を釣り上げたが、すぐに『神父さま』の仮面を被った。
「小鳥。清掃は後で良いですよ」
「え?」
「まだもう一人、いらっしゃいますから」
首を傾げる小鳥にそう言うと、日生は水晶のような眼を向けた。
会衆席――教会に集まった人々が着く席の片隅、木製のベンチに一人の中年男性がひっそりと座っていた。
中年男性は頭を抱え、自らの葛藤に身を投じ、二人の会話は耳にも入っていない様子だった。
日生は悠然と彼に近づき、話しかける。
そうして中年男性は、静かに、苦しげに、縋りつくように日生に乞うた。
「神父さま。告解を……していただけませんか」
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
ぶツぶツ ―ホラー短篇蒐―
鳥谷綾斗(とやあやと)
ホラー
「あなたの皮膚に 潰したくなるような ぶつぶつ を。」
1,000文字以下の掌篇から、5,000字ほどの、ホラー、怪談、怪奇譚などの短篇を蒐めてみました。
【⁉】意味がわかると怖い話【解説あり】
絢郷水沙
ホラー
普通に読めばそうでもないけど、よく考えてみたらゾクッとする、そんな怖い話です。基本1ページ完結。
下にスクロールするとヒントと解説があります。何が怖いのか、ぜひ推理しながら読み進めてみてください。
※全話オリジナル作品です。
視える私と視えない君と
赤羽こうじ
ホラー
前作の海の家の事件から数週間後、叶は自室で引越しの準備を進めていた。
「そろそろ連絡ぐらいしないとな」
そう思い、仕事の依頼を受けていた陸奥方志保に連絡を入れる。
「少しは落ち着いたんで」
そう言って叶は斗弥陀《とみだ》グループが買ったいわく付きの廃病院の調査を引き受ける事となった。
しかし「俺達も同行させてもらうから」そう言って叶の調査に斗弥陀の御曹司達も加わり、廃病院の調査は肝試しのような様相を呈してくる。
廃病院の怪異を軽く考える御曹司達に頭を抱える叶だったが、廃病院の怪異は容赦なくその牙を剥く。
一方、恋人である叶から連絡が途絶えた幸太はいても立ってもいられなくなり廃病院のある京都へと向かった。
そこで幸太は陸奥方志穂と出会い、共に叶の捜索に向かう事となる。
やがて叶や幸太達は斗弥陀家で渦巻く不可解な事件へと巻き込まれていく。
前作、『夏の日の出会いと別れ』より今回は美しき霊能者、鬼龍叶を主人公に迎えた作品です。
もちろん前作未読でもお楽しみ頂けます。
※この作品は他にエブリスタ、小説家になろう、でも公開しています。
歯医者で名前が呼ばれません
鞠目
ホラー
虫歯になった。最初は我慢していたけれど熱いものでも歯が痛み出したので諦めて歯医者さんに行くことにした。
近所で評判の良さそうな歯医者さんを見つけた私。早速行ってみたがなかなか名前が呼ばれない。

幸福の印
神無創耶
ホラー
親友の劇作家に、イタリアのナポリで行われる演劇に招待された探偵、長尾 黄呀(ながお こうが)。
行方不明者捜索の依頼を終えてちょうど暇になったのを契機にイタリアへと翔ぶ。
しかし、いった先で不穏な雰囲気に包まれたイタリアにて事件に巻き込まれる

『霧原村』~少女達の遊戯が幽の地に潜む怪異を招く~
潮ノ海月
ホラー
五月の中旬、昼休中に清水莉子と幸村葵が『こっくりさん』で遊び始めた。俺、月森和也、野風雄二、転校生の神代渉の三人が雑談していると、女子達のキャーという悲鳴が。その翌日から莉子は休み続け、学校中に『こっくりさん』の呪いや祟りの噂が広まる。そのことで和也、斉藤凪紗、雄二、葵、渉の五人が莉子の家を訪れると、彼女の母親は憔悴し、私室いた莉子は憑依された姿になっていた。莉子の家から葵を送り届け、暗い路地を歩く渉は不気味な怪異に遭遇する。そして恐怖の怪奇現象が頻発し、女子達が犠牲に。怪異の原因を突き止め、家族や友人を守るために和也と渉の二人は奔走するが、思ってもみない結末へ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる